第十八幕 ~最強の駒~
──ガリア要塞 司令官室
連絡係としてガリア要塞にやってきたナインハルトは、第一、第七軍共同によるカスパー砦奪還案をパウルに報告していた。オットーは作戦立案書に目を走らせながら、時折眉をひそめている。
「──なるほど。ランベルトの考えそうなことだな。カスパー砦を奪取すれば、確かに後顧の憂いはなくなる。キール要塞奪還に向けて、我々も存分に兵を動かせるだろう……だがな」
そこで言葉を切ると、パウルは溜息と共に天井を仰いだ。まるで深い霧が立ち込めているかのように、葉巻の煙が充満している。
「……なにかご懸念でも?」
「うむ。色々と懸念はあるが……今この時期にキール要塞を奪還する理由があるのか、わしには全く理解できなくてな」
少しとげの籠ったパウルの言葉に、オットーは頬を掻きながら苦笑する。そんな二人の姿を見て、ナインハルトは僅かに唇の端を吊り上げた。
(なるほど。どうやらパウル中将とオットー中佐は、今回の作戦に否定的な立場のようだ)
キール要塞の奪還はアルフォンスの勅命である。パウルの発言は不敬罪と問われても仕方のないものだが、ナインハルトがそれに言及することはない。個人的な意見を言えば、自分も同感なのだから。決して口には出さないが、コルネリアスもランベルトも同じ考えだろう。
そもそも、アルフォンスの発した勅命が無謀すぎるのだ。
アルフォンスは決して愚鈍な男ではなかったが、王となった時期が悪かった。賢帝が大陸の統一を宣言したときは、まだ在位二年目の頃。平和な時期であれば、王としての理をゆっくりと学び、一角の君主になっていたであろう。
しかし、今は戦争の渦中であり、王国は滅亡の危機に瀕していた。何かを学ぶほど悠長な時間もなければ、臨機応変に対応する采配もできない。
そんなアルフォンスが考えた苦肉の策が、第一軍によるキール要塞の奪還だ。王国の崩壊が始まったのは、キール要塞が奪取されてから。おそらくキール要塞を取り返せれば、この劣勢な状況も挽回できるとでも思ったのだろう。
そうナインハルトは推察し、理解し、踏まえたうえでパウルに諫言する。
「──確かにパウル中将のおっしゃることはごもっともですが、こればかりは陛下の勅命です。それに、このまま防御に徹していても、状況が好転しないのは事実です」
「……そうだな。詮ないことを申した。話を元に戻そう。カスパー砦に進軍するとして、帝国軍はどのあたりで迎え撃ってくると思う?」
パウルの問いに、ナインハルトは机上に広げられた地図の一点を指し示す。オットーも同じ意見らしく、大きく頷いていた。
「帝国軍は間違いなくイリス平原に兵を布陣するでしょう。大軍を動かすには絶好の地です。我々もこの地に軍を進めることになるでしょう」
カスパー砦に向かうには、イリス平原を越えるルートが最短だ。それ以外のルートだと、広大な森林地帯を抜けるか狭隘な渓谷を踏破する必要がある。どちらも大きく迂回するルートであり、尚且つ大軍を動かすには適さない地形。事実上、選択肢はひとつに絞られていた。
「わしも同意見だ。そうなると早急にイリス平原で敵を打ち破り、尚且つ速やかにカスパー砦を落とさねばならない。実に難儀なことだな」
重苦しい声色で話すパウルに、ナインハルトは黙って頷く。カスパー砦の予想兵力五万に対し、第一、第七混成軍の兵力は五万五千。数においては王国軍が上回っている。戦いにおいて数の〝利〟は、多少の優れた戦術など塵芥に帰す。普通に考えれば、王国軍が有利なのは間違いない。
だが、キール要塞から援軍が送られてきた場合、形勢は簡単に逆転する。王国軍が撤退に追い込まれるのは火を見るよりも明らかだ。
パウルの発言はそれを踏まえてのもの。それに対しての解答を、ナインハルトは持ち合わせてはいない。オットーも眉根を寄せながら、口を固く引き結んでいる。
重苦しい空気が三人を包む中、不意に扉をノックする音が響く。オットーの入室許可と共に、ひとりの兵士が入ってきた。
「緊急の用件か?」
「はっ、お話し中、申し訳ございません。先程オリビア特務小隊の伝令兵により、ランブルク砦を奪還したとの報が入りました!」
「ほう! それは吉報だ」
「山賊は全て掃討。次なる任務に移行する、とのことです」
「わかった。後ほど新たな指示をだす。それまで伝令兵には待機を命じておけ」
「はっ、了解しました!」
兵士は足早に部屋を出ていく。突如舞い降りた吉報に、先程までの重苦しい空気が一変し、穏やかなものへと変わる。その空気を作っているのは、主に頬を緩ませているパウルによるものだ。
「ふふ。オリビア准尉は、見事に任務を果たしたようだな。これは帰ってくるまでに特大のケーキを用意しておかないと怒られてしまうな」
「はぁ……またそのような戯言を。調子に乗るので絶対に止めてください」
オットーが窘めると「相変わらず頭の固い奴め」と言い、豪快に笑うパウル。その姿に嘆かわしいとばかりに首を振り、深い溜息を吐くオットー。同じ副官の立場として同情を禁じ得ないが、今はそれどころではない。聞き捨てならない単語を耳にし、オットーに食い入るように問いかけた。
「もしかして、今話題に上がっている人物はあのオリビア准尉のことか?」
「ん? ……ああ、その通りです。以前報告書を上げたオリビア准尉のことです」
(やはりそうか。話を聞く限り、今は要塞にいないということか……)
ガリア要塞にきた理由のひとつが、オリビア准尉に会うことだった。公私混同だと充分理解しているが、それでも一言礼が言いたかったのだ。
「どうかされましたか? 何やらそわそわとしていらっしゃいますが」
「──ああ、すまない。実はザームエルに討ち取られたランツ少将は私の親友でね。曲がりなりにも敵をとってくれたオリビア准尉に礼が言いたかったのだ」
何と答えればいいか迷ったナインハルトの告白に、頬を緩めていたパウルの顔が神妙なものへと変わっていく。
「ほう、ランツ少将の……そうだったのか。実に惜しい男を亡くしたな」
パウルは綺麗に禿げ上がった頭を撫でながら呟く。短い言葉であったが死を悼んでくれている気持ちが十分に伝わってきた。
「ありがとうございます。きっとランツ少将もパウル中将の言葉を訊いて喜んでいることでしょう」
「ふん。それはどうだかな……」
パウルは葉巻を灰皿に押し付ける。再び重苦しい空気が漂い始める中、オットーが何かを思いついたように手のひらを叩いた。
「どうした? 何か良い案でも浮かんだのか?」
「ええ。この度の作戦ですが、少々試してみたい案が浮かびました。上手く事が運べば、敵の援軍が到着する前にカスパー砦を奪取できるかもしれません」
「ほう、それは結構なことだが……またオリビア准尉を使うのかね?」
パウルが呆れたように言うと、オットーは口の端を吊り上げる。
「閣下、今やオリビア准尉は第七軍最強の〝駒〟です。これを利用しない手はありません。今回の作戦成功率を少しでも高めたいのであれば尚更です」
「わかったわかった。ではその案とやらを聞かせてもらおう」
苦笑するパウルの横で、咳払いをするオットー。僅かな沈黙の後、オットーは地図を使い作戦案を語りだす。
ナインハルトは正直驚いていた。オットーは徹底的な現実主義者だ。ゆえに敵味方問わず、戦力を過小評価することも過大評価することも一切しない。そのオットーが第七軍最強の駒と称するオリビア准尉。彼女はいったいどのような人物なのか。俄然興味が湧く。
(未だに信じがたいが、あのザームエルを倒すほどの少女だ。きっと世にも恐ろしい姿をしているに違いない)
そう結論付けると、ナインハルトはオットーの作戦案に耳を傾けた。
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