第十六幕 ~銀髪の戦乙女~
オリビア特務小隊がガリア要塞を発してから早くも三日が経過していた。
「オリビア隊長、お腹空いていませんか? よかったら俺の干し肉を食べてください!」
ひとりの新兵が嬉々として干し肉を差し出す。すると、「俺も」「じゃあ俺も」とオリビアの周囲に集まり、パンや干し芋などを差し出していく。
これがここ最近の日常的な光景。
そのたびにオリビアは白い歯を見せながら、「ありがとうありがとう」と受け取っていく。新兵たちの行動は、まるで女神シトレシア像に供物を捧げる信徒のようだ。
それと言うのも、オリビアが一角獣を倒したことに起因する。オリビアが単なる少女ではなく、とてつもない強者であることが判明したからだ。ジャイルなどは〝銀髪の戦乙女〟と称し、崇め奉った。それが他の新兵たちにも波及し、すっかり定着する始末。
大いに士気が上がった新兵たちは、オリビアの後を意気揚々とついていった。
そんな中、アシュトンはオリビアが所持する黒い剣のことを考えていた。どうにも黒い靄を纏う光景が頭から離れないからだ。いくら武器に疎くても、オリビアのもつ剣が〝普通でない〟ことはわかる。
「どうしたの? 何だか元気がないね。お腹でも減った?」
そう言うと、オリビアはパンパンに膨れ上がった鞄からパンを取り出す。それは信徒から貰った供物だろうと心の中で毒づくと、アシュトンは首を横に振った。
「お腹が空いたのではありません。少々お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「うん別にいいけど……その前に〝敬語〟っていう言葉? そろそろ止めてほしいんだけど。何だか複雑で苦手なんだよね」
「それは無理ですね」
ばっさりとアシュトンは斬り捨てた。
「むぅー。どうして? 前に食堂で会ったときは普通に話してくれたじゃない」
今の答えが気に入らなかったのか、オリビアはプクッと頬を膨らます。
「あの時は上官だと気づきませんでした。なので、口調を元に戻せと言われましても……」
「うーん。軍隊ってめんどくさいよね──そうだ! それなら上官命令! アシュトンは敬語禁止! あ、みんなも無理して敬語は使わなくていいからね」
オリビアは素晴らしいアイデアとばかりに手を叩きながら言う。新兵たちは突然のことに困惑しているようだ。ジャイルだけは「戦乙女の仰せのままに」などと、片膝をつきながら相変わらず馬鹿なことを言っている。
これにはさすがのオリビアも引き攣った表情を浮かべていた。ただ、その申し出自体は内心ありがたいと思った。
食堂で初めてオリビアと出会った日から、そこまで日数は経過していない。それこそ普通に会話を交わしただけに、違和感を覚えていたのは確かだからだ。本来上官に対し不敬にあたるが、〝上官命令〟というのなら構わないだろう。そう強引に納得した。
「そういうことなら遠慮なく。さっきから気になっていたんだけど、オリビアの剣から黒い靄が出ていたのはなんなの? 僕の見間違いじゃないよね」
「あーこの剣のことが気になるの。これはね──」
「オリビア隊長、このジャイルめが砦を発見しました!」
オリビアの言葉を遮るように、先頭を歩いていたジャイルが大きく手を振りながら報告してくる。
「どうやらあの砦のようです」
隣にいた新兵が地図を片手に指差す。その方向に目を向けると、蔦に覆われた石造りの砦が立っていた。遠目からでも大分傷んでいることがわかる。廃砦となってかなりの時間が経過しているのは間違いないようだ。
「ようやく到着かー。よし、みんな早く行こう!」
オリビアは拳を高々と挙げると、警戒する様子もなく砦に向かって駆けていく。
(結局剣のことは有耶無耶になったな。まぁ、そのうちでいいか)
慌ててオリビアの後を追いかける新兵たち。その後ろ姿を眺めながら、アシュトンも駆けだした。
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「ちょっ! オリビア! いくら何でも無防備過ぎるだろ!」
「オリビア隊長、まずいですって。戻ってきてください!」
「あはは、平気平気」
アシュトンたちの制止も聞かず、砦の前に堂々と踏み入るオリビア。仕方なくアシュトンたちも警戒しながら後に続く。
「これは相当にひどいな」
改めて砦の前に立つと惨状が浮き彫りとなった。壁の至るところが剥がれ落ちており、破片が盛大に散らばっている。比較的まともそうな部分も、少し力を加えればすぐにでも崩れ落ちそうだ。
こんな砦が本当に必要なのか、アシュトンは内心で首を傾げた。
「それにしても、山賊たちが根城にしている割には妙に静かだと思いませんか?」
そう言いながら、ジャイルが砦の入口付近をおそるおそる覗き込んでいる。アシュトンもその意見には賛成だ。オリビアはジャイルの疑問に答えることなく「ちょっと借りるね」と言いながら、隣にいた新兵の槍を強引に奪い取った。突然のことにオロオロする新兵。
そんな新兵を放置して槍を構えると、遠く離れた草むら目がけ投げつけた。放たれた槍は獣の唸り声のような轟音を響かせながら、草むらに吸い込まれる。
その直後、「ぐえっ!」と潰れるような呻く声。
「……今、声が聞こえたよな」
「ジャイルにも聞こえたっていうことは、空耳じゃないのか」
互いに頷くと新兵たちと共に、足を忍ばせながら声のした草むらに近づいていく。草を掻き分けていくと、顔の潰れた男が脳漿をぶちまけながら倒れていた。躯の先には槍が木に突き刺さっている。男の死因は明らかだ。
「あは、大当たりだね」
いつの間にかそばに来ていたオリビアが、男を覗き込みながら楽しそうに言った。
「オ、オリビア、一体これは……」
「うーん何だろうね。さっきからこそこそと私たちの様子を窺っていたから、多分山賊なんじゃない? どぶねずみとも言うけど」
青ざめる新兵たちの隣で、オリビアはカラカラと笑う。新兵たちは無言で顔を見合わせると、慌てて槍を構えだす。アシュトンたちも槍を構え周囲を警戒していると、砦の陰から長槍を担いだ男がふらりと現れた。
長身で長髪。やたら目つきが鋭い男だ。
「ふーん。よくそいつの気配に気づけたな。誰が見抜いたんだ?」
そう言いながら、長髪の男は値踏みするような視線を向けてくる。そして、オリビアに視線が移ると、ピタッと動きを止めた。
「──どうやらお前さんらしいな。この小隊を率いている女隊長さんか?」
「そうだよ。オリビアって言うの。よろしくね」
手を挙げて呑気に挨拶をするオリビア。それに対し、男は苦笑しながら同じように手を挙げる。
「おう。ご丁寧な紹介痛み入るぜ。俺の名はヴォルフだ──それで、念のため訊くが、お前ら一体何しにここに来た?」
ヴォルフが気怠そうに指を弾くと、砦の入口から山賊たちが次々と姿を現した。その数──およそ四十人。それぞれ口の端を吊り上げながら、武器を鷹揚に構えている。どの山賊も人殺しなど何とも思っていないような面構えだ。
新兵たちがカチカチと歯を鳴らす中、オリビアは一切動じることなく口を開く。
「この砦を取り返しに来たの。任務だから仕方ないけど、一度捨てたのに取り返すって変な話だよね」
「はは、なかなか話のわかる姉ちゃんだ。そういうことなら、このまま〝回れ右〟をして帰ってくれないか? こちとら死体を片付けるのも大変なんだよ」
ヴォルフがそう言うと、山賊のひとりが「片付けるのは俺たちじゃないですか」と呆れていた。そんな物騒な会話が交わされる中、
「え? 別に私も片付けたりしないよ。そんなの面倒だもん。みんなにまかせてもいいよね?」
言ってオリビアは新兵たちに視線を送った。彼らは青い顔をしながらも、一斉にコクコクと頷く。無論、アシュトンたちもそれに倣った。
ヴォルフの顔から途端に笑みが消え、瞳に剣呑な光が宿る。
「……一応訊くが、それは俺が〝片づけられる〟という意味で言っているのか?」
「そうだけど、なんか変だった? 私の言葉、上手く伝わっていない?」
まるで挑発するようなオリビアの言葉に、山賊たちは目をぎらつかせながら武器を向ける。ヴォルフは山賊の動きを手を挙げて制すると、片腕のみで軽々と長槍を振るい始めた。空気を切り裂く音が響き渡り、刃風が下草を乱暴に揺らす。
「姉ちゃん。随分と威勢がいいな。それとも単なる馬鹿なのか? 俺にそんな口を利いて、生き残った人間は誰もいねえっていうのに」
「じゃあ、私が最初の人間だね」
その言葉を皮切りに、ヴォルフは猛然と突きを放ってきた。アシュトンからすれば、完全に不意を突いた強襲。だが、オリビアは穂先が心臓に届く寸前、僅かに身を捻り回避する。
そのまま長槍を小脇に抱えると、瞬く間にヴォルフの懐へと滑り込んだ。
「ば、馬鹿なッ!?」
「長槍は距離をとって戦えるのは便利だけど、懐に入られたら何にもできなくなっちゃうね。やっぱり剣が一番だよ」
そう言いながら、抜き放った剣をヴォルフの顎下に突きつけるオリビア。ヴォルフは完全に戦意を喪失したのか、槍をあっさりと手放していた。
「わ、わかった! 降参だ! 俺たちはこの砦から出ていく!」
「それはダメだよ。オットー副官から首はいらないけど、皆殺しにしろって言われているから」
ヴォルフの懇願を一顧だにせず、漆黒の剣が脳天に向けて無慈悲に突き上げられていく。大量の血が流れ落ち、地面を赤く染めていく。次第にヴォルフの顔から生気が抜けていくと、小刻みに痙攣していた体がピタリと動きを止めた。
実にあっけない幕切れだ。
オリビアは興味を失くしたようにヴォルフを投げ捨てると、軽く息をつく。
「ふぅ──さてと。残りもさっさと片付けないとね!」
山賊たちが茫然自失となる中、漆黒の剣が太陽に照らされギラリと輝いた。
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