第十四幕 ~オリビア特務小隊~
特務を言い渡されてから三日後。
オリビアを隊長とする特務小隊は、山賊に占拠されているランブルク砦を目指して歩いていた。目的の場所は、ガリア要塞から南西に進んだ森の中。ガリア要塞とカスパー砦の中間あたりに位置する。
オリビアに付き従うのは、若い青年ばかりが二十人。通常の小隊規模が五十~百人程度と考えると、あまりにも少ない人数だ。しかも、徴兵されてから僅か二ヶ月ほどの新兵たちばかり。
彼らは息を切らせながら必死にオリビアについていく。オリビアの後ろには、槍を杖替わりにして歩くアシュトンの姿もあった。
新兵が初陣で生き残る確率は、およそ三人にひとりと言われている。だが、アシュトンたちの初陣は、そんな生易しいものではない。それというのも、今回の奪還作戦が過去数度に渡って失敗。そのたびに九割以上の戦死者を出しているからだ。
にもかかわらず、ベテランの兵士がひとりもいないという意味不明な状況。おそらくこの小隊で、まともに戦闘経験があるのはオリビアくらいだろう。
そう当たりをつけながら、アシュトンは前を歩くオリビアに視線を移す。
(いやいやいや、いくら何でもありえないでしょ)
モーリスからオリビアが准尉となった経緯を聞いているアシュトンだが、未だに半信半疑だ。あの細腕に首を斬り落とす力があるなどと、何の冗談かと言いたい。その時、アシュトンの脳裏に何か引っかかるものを感じた。すぐに思考を巡らすと、ある事実にたどり着く。
(あぁ、そう言えば最近モーリスを見かけなくなったな……)
頭に浮かんだのは、モーリスの軽薄な笑み。特に親しいという間柄ではなかったが、それでも訓練では同じ〝指導〟を受ける仲間だ。全く気にならないかと言えば嘘になる。
「なぁ、最近モーリスを見かけたか?」
アシュトンは隣を歩いていた黒髪の青年──ジャイルに声をかけた。ジャイルは鬱陶しそうに顔を上げると、息も絶え絶えに口を開く。
「はあ? モーリス? ……そういえばここ最近あいつを見ねえな」
「ジャイルもか……ほかに誰か知っている奴はいないかな?」
アシュトンが後ろを振り返ると、ジャイルもつられたように振り返る。視線の先に映るのは、今にも倒れそうな足取りで歩く新兵たち。その瞳は虚ろな光を宿していた。
「──あいつらは多分知らないだろう。俺らよりも後から要塞に連れてこられた連中だからな。ほとんど面識なんてないんじゃないか?」
そこで言葉を切ると、ジャイルはアシュトンをマジマジと見つめてきた。
「な、なんだよ?」
「いや、この状況で他人を気に掛けるとか、随分と余裕があるんだなと思ってな。実に羨ましい限りだ」
ジャイルは肩を竦めながら言う。それを訊いたアシュトンは、慌てて手を振った。
「いやいや、そんなわけないだろ! モーリスのことは、たまたま気になっただけだ。こっちだって必死だよ」
「まぁ、別にどっちだっていいさ。どうせ俺たちの運命は変わらない」
寄せ集めの新兵と得体の知れない女隊長。上層部が一体何を考えているのか不明だが、ジャイルの言葉はきっと正鵠を射ている。誰もはっきりと口には出さないが、この奪還作戦は失敗に終わると確信していることだろう。
そして、自分たちの命が確実に潰えるであろうことも──
「──ねえ、アシュトン。アシュトンってば!!」
気がつくと、オリビアが頬を膨らませながら顔を覗き込んでいた。あまりの近さに思わず顔を引くと、小首を傾げながら見つめてくる。なんてことない仕草のはずなのに、アシュトンは思わず見惚れてしまう。
「そ、そんな大声出さなくても聞こえていますよ。というか、大声を出さないでください。獰猛な獣が襲ってきたらどうするんですか」
人間の街や村が密集する平地と違い、森や山の中には多くの獣が生息している。人間が平地の支配者なら、獣は森や山の支配者だ。当然平気で人間を食い殺す獣も数多く存在する。
たとえ鎧や武器で身を固めた兵士であろうと、獣にとっては何ら区別することはしない。等しく同じ餌だ。
そのことをオリビアに諫言すると「そんなの返り討ちにして、こっちが食べればいいじゃない」などと、できもしないことを平然と言う。しかも、素敵な笑顔のおまけつきだ。それが何とも腹ただしい。
アシュトンは相手が上官だということも忘れ、盛大に舌打ちを打つ。嫌味を込めて、三回連続で。
「わあ! 鳥の鳴き声の真似だね。楽しそうだから私もやろう!」
「鳥の鳴き声を真似したわけじゃねえ!」
思わずつっこむアシュトンに、ケタケタと腹を抱えて笑うオリビア。会話を訊いていたのか、近くにいた新兵たちから若干の笑みがこぼれていた。
「それでね。私、今度王都のケーキを食べることになったの。アシュトンはケーキって知っている?」
「……いきなり話が飛びますね。ケーキくらい知っています。もちろん食べたこともありますよ。これでも王都で暮らしていたので」
「ケーキを食べたことがあるんだ。アシュトンってすごいよね!」
(──もしかして、さっきから僕はからかわれているのか?)
一瞬、本気でそう思った。が、オリビアの目を見てすぐに間違いだと気づく。まるで憧れの人を前にしたような、キラキラとした目を向けてきたからだ。これ以上の会話は、疲労とイライラを増大させるだけ。
そう悟ったアシュトンはオリビアの視線を無視し、進路上の草を乱暴にかきわけながら前に進む。そのたびに得体の知れない虫が飛び回り、さらにイライラを増大させた。
森の入口付近は人が立ち入った痕跡もあり、歩くのにさほど苦労はしなかった。だが、森の奥へと入り込むほど巨大な木々が乱立し、鬱蒼と生い茂る草が容赦なく行く手を阻む。ふと空を仰げば無数に生えている枝を覆い尽くすように葉が重なり、強烈な日の光を遮る役目を担っている。おかげで森の中は、快適な気温が保たれていた。
ただ、時折不気味な鳥の鳴き声が聞こえるたび、思わず身を固くしてしまう。ほかの新兵たちも気味が悪いのか、キョロキョロと視線をさまよわせていた。アシュトンは深呼吸すると、額から流れ落ちる汗を乱暴に拭う。道なき道を進むのは、それだけでも体力を大幅に削られた。
一方のオリビアはというと、まるで散歩でもしているかのような軽快な足取りで歩いている。時折花を見つけては、嬉しそうにもぎ取って蜜を吸っていた。森の中には代表的な《幻惑花》を始め、蜜に毒性を含む花も多く咲いている。そのほとんどは軽い痺れを引き起こす程度のものだが、中には高熱を誘発して死に至らしめる毒性が強い花も存在している。
オリビアもそのことを知っているのだろう。毒性のある花に手を出すことは決してしない。アシュトンは知識の一環として知っているが、おそらく普通の人は知らないはず。どうやら森に棲んでいたという話に嘘はないようだ。
(だからって、なんでオリビアは涼しい顔で歩いていられるの? あんなに重そうな鎧や剣を身に着けているのに)
アシュトンたちが着用している鎧は、獣の皮をなめして作られた革の鎧。防御力はたかがしれているものの、その分鎧の中では比較的軽装な部類に入る。それでも鎧を着なれていない新兵からすれば、重いことに変わりはない。
それに対し、オリビアが着用している鎧はプレートメイル。細い鎖を編みこんだシャツの上に、肩、手、脛、胸部などを板金で覆った鎧だ。革の鎧と比べても、比較にならないほど重いはず。にもかかわらず、オリビアの額からは汗ひとつ浮かんでいなかった。
「オリビア准尉、ひとつ尋ねてもよろしいですか?」
「ん? 別にいいよ」
「オリビア准尉は疲れていないのですか? その……我々よりも重そうな鎧や剣を身に着けているのに」
「え? 全然疲れていないよ。鎧だって別に重くないし」
「はぁ、そうですか……いや、失礼しました」
「?」
オリビアは意味がわからないといった感じで首を傾げていた。だが、すぐにどうでもいいと思ったのだろう。興味を無くしたように視線を前に向けた。
(いくら上官とはいえ、女の子より体力が劣るのはかなり情けないよなぁ。まぁ、どうせ山賊に殺されるのは確定だから、今さら気にするようなことでもないけど)
アシュトンは深い溜息を吐きながら、楽しそうに歩くオリビアの横顔を眺めていた。
お読み頂きありがとうございました。