第十三幕 ~特務~
──ガリア要塞、オットー中佐の執務室。
王都でキール要塞奪還の軍議が開かれていた頃。
オットーはある作戦内容を伝えるため、オリビアに出頭するよう命じていた。だが、時刻を指定したのにもかかわらず、オリビアは一向に姿を現さない。
五分、十分と時間が経過するごとに、執務室からカツカツとリズミカルな音が響きだす。廊下を歩く兵士たちは、謎の異音に首を傾げながら通り過ぎていく。
──結局出頭したのは、指定した時間からおよそ三十分後。悪びれる様子もなく、オリビアは見事な敬礼で立っている。
苛立つ気持ちを抑えながら、オットーは尋ねた。
「さてオリビア准尉。まずは三十分も遅れた訳を訊かせてもらってもいいかね」
「はっ、理由は時計であります!」
「……時計? それが遅れた理由と関係があるのか?」
「はっ、私はオットー副官のような立派な時計をもっていません。なので、正確な時間がわかりません。そのため遅くなりました!」
そう言いながら、執務机に置かれた懐中時計を物欲しそうに見つめるオリビア。オットーは呆れた理由に嘆息すると、ゆっくりと机の上に手を伸ばす。
花のレリーフが刻まれた美しい銀色の懐中時計だ。蓋を押し開くと、赤い色をした秒針がカチコチと規則正しい音色を奏でている。
しばし眺めた後、オットーは無造作に放り投げた。懐中時計は放物線を描きながら、オリビアが慌てて差し出した手にすっぽりと納まった。
「……え?」
「その懐中時計はくれてやる。これで今後、くだらん言い訳はできまい」
つい先日も、怒りにまかせて感情をむき出しにしてしまったオットーである。精神を安定させるためにも、さっさとくれてやったほうがよい。
その程度の気持ちだったが、オリビアは驚いた表情で懐中時計とオットーを交互に見ている。どうやら意外だと思われているようだ。
オリビアの視線に対し、オットーは煩わしげに手を払う。
「本当に貰っていいの?」
「構わん。それと、『いただいてもよろしいのでしょうか』だ。上官への言葉遣いには注意しろと、あれほど言っているだろう」
「はっ、失礼いたしました! オットー副官の懐中時計、喜んで頂戴します!」
そう言うと、ニヤニヤと笑みを浮かべながら時計を弄くり始めた。蓋を開けたと思ったら閉め、閉めたと思ったらまた開ける。
ただ、ひたすらその繰り返し。子供が玩具を貰ったときのような反応に、オットーは王都に残している六歳の娘を思い出した。
しばし思い出に浸っていると、オリビアが不思議そうな顔で自分を覗き込んでいるのに気づく。どうやら相当顔が緩んでいたらしい。
「そ、そろそろ本題に入るぞ。時計は懐にでもしまっておけ」
「はっ、懐にしまっておきます!」
まるで宝物を扱うような丁寧さで、懐中時計を懐に入れるオリビア。オットーは軽く咳払いをした後、口を開く。
「わざわざ呼んだのは他でもない。今回オリビア准尉に特別任務──特務を与える。だが、知っての通り、特務は軍務規定により拒否することも可能だ。時間もないゆえ、准尉には今この場で決断してもらう」
特務とは少人数で実行される隠密性の高い困難な任務を指す。命を失う危険性もあるため、任命された者は拒否する権利が与えられる。
ちなみに任務を完遂した暁には、昇進が約束されるという仕組みだ。オリビアの性格上、拒否する可能性はほとんどないとオットーは考えていた。
案の定、オリビアは一瞬の戸惑いも見せることなく答える。
「はっ、拒否しません。オリビア准尉、謹んで特務を拝命します!」
「うむ。良い返事だ。では、任務内容を伝える。今回准尉には、ランブルク砦の奪還を遂行してもらう」
オットーは椅子から立ち上がり、背面の壁に貼られた地図の一点。大きなバツ印と共に、《廃棄》と書かれた砦の図柄を指差す。
オリビアは、地図を覗き込みながら小さく首を傾げた。
「この砦、廃棄って書かれているけど? ──じゃなくて、書かれていますが?」
敬語を使っていないと気づいたのか、慌てたように言い直す。にへらと笑うオリビアを見て、オットーは僅かに溜息を吐くにとどめる。
「そうだ。准尉の言う通り、十年前に廃棄された砦だ。今は山賊の住処となっている。要するに、山賊の手から取り返してこいということだ」
「捨てたのに取り返すの?」
「言葉遣い……まぁいい。十年前と今とでは大きく事情が異なる。准尉も知っての通り、我が軍は帝国軍に対し劣勢を強いられている。これ以上の侵攻を防ぐためにも、今はランブルク砦が必要なのだ」
ランブルク砦に巣くう山賊に対し、オットーは過去数度に渡り小隊規模の討伐軍を送り込んだ。だが、いずれも返り討ちに遭い、失敗に終わっている。
生き残った兵士の証言によると、その大半が凄腕の〝長槍使い〟なる人物に殺されたらしい。
一時は中隊規模の部隊を投入することも視野に入れたが、結局実行に移すことはなかった。大規模な軍事行動はとにかく目立つ。
今や帝国軍の監視網は、ファーネスト王国全域に広がっている。どこに監視の目が光っているかわからない以上、迂闊にまとまった兵を動かせば、察知される可能性が非常に高い。
万が一察知され、廃砦の存在を帝国軍に知られた場合。間違いなく奪取するため、兵士を送り込んでくるだろう。
最悪それが呼び水となり、さらなる攻勢を促すことにもなりかねない。
メリットとデメリットを天秤にかけ、オットーは半ば砦の奪還を諦めていた。だが、オリビアの出現によって状況が一変した。
その凄腕の長槍使いとやらに、〝個〟であればおそらく第七軍最強であろう〝駒〟をぶつけてみようと考えたのだ。
オットーは詳細を説明し、最終意思確認も含めてオリビアに尋ねた。
「──今言った通り、過去の討伐任務は全て失敗に終わっている。それでもできそうか?」
「うーん……要するに、山賊をぶっ殺してこいっていうことですよね?」
オリビアの物騒な言い回しに、オットーは思わず顔を顰める。だが、言っていることに間違いはないので、そのまま首を縦に振る。
「まぁ、簡単に言えばそういうことだ」
「了解しました。ちなみに首は必要ですか?」
「首?」
「はい。首です」
いきなり首と言われても、何のことか皆目見当がつかない。詳細な説明を求めると、オリビアは不思議そうな顔で答える。
「人間は敵の首を喜びますよね?」
その言葉で、オリビアが要塞にやって来たときの経緯を思い出した。途端に首筋のあたりに寒気を覚え、オットーは思わず首を竦める。
「──いや、大丈夫だ。首は必要ない」
「はっ、ではご命令に従い、ランブルク砦を奪還します!」
「よし、期待しているぞ。では、下がってよろしい」
踵を返し、颯爽と退出するオリビア。自信に満ちた足取りに、今回の任務に不安を覚えている様子は微塵も感じられない。
それを証明するかのように扉を閉めた途端、「あ、ケーキいつ届くのか、訊くの忘れちゃった」と、のん気な声が響いてきた。
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