第十幕 ~賢帝~
アースベルト帝国が歴史にその姿を現すのは、光陰暦七〇〇年代。
今よりも多くの国が存在し、各々が大陸の覇権をかけて争う。そんな群雄割拠の時代に誕生したと伝わっている。
その立役者は、当時ファーネスト王国の地方領主だったリヒャルド・ハインツ。この男によって成し遂げられたという説が今ではもっとも有力だ。
彼は王国の政治腐敗に嫌気がさし出奔。理想の国家を建設するため多くの同志を引き連れ、北の大地へ渡ったとされている。
だが、この話を裏付けるだけの決定的な資料が残されていない。そのため、疑問視する研究者はかなり多い。
仮にも領主という地位にある者が、出奔して国家を立ち上げるなど話が飛躍し過ぎているからだ。
ただ、当時王国の政治が腐敗に満ちていたのは間違いないらしい。
後に救国の英雄として謳われるレオンハルト・ヴァルケス。彼が筆頭参謀として内政手腕を発揮し、王国が劇的な変化を遂げた時期とピタリと一致する。
これが決め手となり、現在の主説となっているのだ。
次点で聖イルミナス教会の前身である組織。〝女神シトレシア信奉会〟が建国に携わったという説も囁かれている。
建国に協力した人物リストの中に、大司教の名が連なっていたことが主な理由だ。しかし、これについては聖イルミナス教会から公式に否定されていた。
元々北の大地は広大な山脈地帯であり、平地と言える部分が限られている。しかも、土地が痩せているので作物が上手く育たない。
さらに獰猛な獣も多く蔓延っているため、人が住むには厳しい場所と言われてきた。
それが僅か二百年足らずで、王国と肩を並べる大国へと成長。これは間違いなく、歴代の優秀な皇帝たちによる治世が続いたからだろう。
例えば、大陸中で目にする〝アース南瓜〟という野菜。痩せた土地でも育つ作物として、今でも非常に好まれている。
これは皇帝の指示の下、研究者が品種改良によって作り出したものだ。他にも成果を挙げれば、枚挙にいとまがない。
さらに別の視点から見ると、他国が帝国に関心を示さなかった。という事実も挙げられる。高い山脈に囲まれ非常に攻めにくいという事情もあるが、痩せている土地をあえて狙う権力者が現れなかったためだ。
こうした背景により、帝国は他国との争いに巻き込まれることなく、着実に力を強めていった。また、歴代の皇帝は穏やかな気質であり、戦争を忌み嫌ったことも理由のひとつだろう。
永遠に続くと思われた群雄割拠の時代も、光陰暦九五〇年の頃には終焉を迎える。王国は長引く戦いに疲弊し、各国に派兵していた軍を撤退。
大陸南の小国群は、生き残りをかけ不戦同盟を結託。サザーランド都市国家連合の樹立を宣言する。
小国同士の争いは依然続くものの、平和と言っても差し支えない程度までには落ち着きをみせていた。
そんな情勢下の中、光陰暦九六五年。先代の皇帝、ラムザ十二世が四十歳の若さで病没する。僅か在位七年。歴代の皇帝の中でも、最も短命であった。
その後、第一皇子であるディートハルムが、ラムザ十三世として即位する。わずか十五歳ながら優れた内政手腕により、帝国はさらなる繁栄を迎えた。
やがて先代皇帝と同じ四十歳になるころには、歴代随一の皇帝と呼ばれ〝賢帝〟として大陸中にその名を轟かせていく。
そんな賢帝が発した突然の大陸統一宣言。歴代の皇帝と同じく戦争を嫌っていたラムザの発言を受け、帝国民はおろか他国の人々も大いに驚いたものだ。
だが、帝国民は何の不安も抱いていなかった。賢帝がなさることに、間違いなどあるはずがないのだと。
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──帝都オルステッド。リステライン城、謁見室。
今や大陸随一の大国と言っても過言ではないアースベルト帝国。多くの使者が通される謁見室は、その権威を象徴するかのように豪華な作りをしていた。
壁一面には一級の職人の手による精緻な彫り物が施されており、さらに巨大な名画がいくつも飾られている。
天井は黄金で作られたシャンデリアが連なり、煌びやかな光を発していた。床は柔らかな真紅の絨毯が敷き詰められ、たとえ飛び跳ねようが物音ひとつしない。
最奥の壁には、剣が十字に交差する刺繍が施された蒼い旗。帝国の象徴である十字剣の紋章旗が掲げられていた。
そんなリステライン城の主たる皇帝ラムザ十三世は、玉座にゆったりと腰かけながら臣下の戦況報告に耳を傾けていた。
ラムザの傍らには、当然のごとくダルメス宰相が控えている。
戦況報告を行っているのは帝国の若き将軍。フェリックス・フォン・ズィーガー大将。幼き頃より、ラムザに才能を高く評価された男だ。
また帝国三将のひとりであり、帝国軍の中でも最精鋭の軍団。〝蒼〟の騎士団を任されている。
人柄は真面目で誠実。さらに眉目秀麗ということも重なって、民衆から絶大な人気を得ていた。
フェリックスは台座に置かれた巨大な地図を使い、戦況を報告していく。ラムザは時折頷きながらも、終始無言を貫いていた。
「──以上で報告を終わります。皇帝陛下のお許しを頂ければ、早速にもガリア要塞攻略を開始したいと思います。いかがいたしますか?」
フェリックスは神妙な面持ちで尋ねる。すると、ラムザはおもむろにダルメスの耳元に口を寄せ、何事かを囁く。
不敬だが、フェリックスは『またか』と心の中で呟いた。最近のラムザは直接会話を交わそうとしない。
必ずダルメスが間に入る形を取る。それとなく他の者たちにも訊いてみたが、やはり対応は変わらないということだ。
ダルメスは神妙な面持ちで頷くと、フェリックスに向き直り答えた。
「偉大なる皇帝陛下のお言葉を伝えます。『時期尚早。しばらくは王国の出方を窺え』とのことです」
「……は、仰せのままに」
フェリックスは胸に手をあて一歩後ろに下がると、深々と一礼する。そのまま踵を返し、出口に向かって歩いていく。
(やはりここ数年、皇帝陛下はどこか変だ。決して口数の多いお方ではなかったが、今のように一言もお声をかけて頂けないということはなかった。肌艶を見る限り、ご病気ということも考えにくい。そもそも、なぜ皇帝陛下はガリア要塞攻略をご許可されないのか。理由が全くわからない)
オスヴァンヌ大将の作戦立案書に目を通した限り、不備な点は見られなかった。戦力も十分。兵の士気も充実していると訊いている。
少し気がかりだったのは、手練れの兵士が旅人の少女に討ち取られたという報告があったこと。だが、全体的に見れば些細な事だ。
ガリア要塞を攻略するのに、これ以上ないタイミングだと言える。だからこそ、ラムザに許可を求めた。
鋭敏なラムザらしからぬ判断に、フェリックスの胸中は複雑だ。
小さな溜息を吐きながら、フェリックスは謁見室を後にした。ダルメスもラムザに恭しく一礼すると、フェリックスに続くよう去って行く。
二人の退出を確認した衛兵は、流れるような動作で大扉を閉じた。
謁見室に残されたのは、皇帝であるラムザと幾人かの近衛兵のみ。太陽は大きく西に傾き、朱色に染まった陽光が謁見室を仄かに照らす。
ラムザは無機質な表情のまま、ただ黙って玉座に座り続けていた。
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