第百十六幕 ~蜘蛛の巣~
二重の城壁に囲まれた神都エルスフィア。重厚な正門をくぐったオリビアたちを出迎えたのは、整然とした美しい街並みに、活気ある人々の風景だった。
「実に活気がありますね」
道行く人々を眺めながら素直な感想を述べるクラウディアに、ヒストリアは如才ない笑みを浮かべて言う。
「ソフィティーア様の代になってから活気はさらに増しましたね」
クラウディアは頷きつつ、薄暗い路地に目を向けてみた。少なくともごろつきなどの輩は確認できない。要所に衛士が配置されていることも理由のひとつだろうが、なによりもソフィティーアの統治能力が優れていることを証明している。
(どうやら晩餐会での印象に相違はないようだな)
それだけに彼女がなにを仕掛けてくるかわからず、クラウディアの警戒心は否が応でも高まってしまう。
「それにしても信徒の方が目立ちますね」
アシュトンが口にした通り、そこかしこに白いローブを身に纏った信徒たちの姿が確認できる。大国であるファーネスト王国とて、ここまでの信者はお目にかかれない。
「エルスフィアを出て北西に進むと聖アルテミアナ大神殿がありますからね。巡礼者はここで食料などを調達して向かうのが通例となっています」
ヒストリアの案内を受けながら街を抜けたクラウディアたちが緩やかな坂を上っていくと、やがて巨大な建物が視界に入ってきた。ヒストリアが目配せすると、聖近衛騎士のひとりが建物に向かって颯爽と馬を走らせる。
「あちらに見えるのが聖天使様の居城、ラ・シャイム城でございます」
近づくにつれて城の全貌が明らかになると、クラウディアはその壮麗さと異様さに大きく息を呑んだ。まるで雲を突き抜けるかのような尖塔を中心に、八つの外郭塔がそびえ立っている。城を囲う城壁が黒い光を放っているのは最硬石である《黒輝石》を使っているせいだろう。城というより要塞と言われたほうが余程しっくりとくる。
一同が呆けたようにラ・シャイム城を見上げている中、オリビアだけが目を輝かせて感嘆の声を上げていた。
「市井の者たちは不落城などと呼んでいますね」
ヒストリアが可笑しそうに言う。
「不落城……。そう呼びたくなるのもわかる気がする」
エリスがまじまじと城を見つめながら口を開く。彼女が皮肉も込めずに素直な感想を漏らすのは非常に珍しい。それだけ目の前の城に度胆を抜かれたということだろう。
一同があくことなく城を眺めていると、目の前の跳ね橋が重々しい音を奏でながらゆっくりと降りてくる。やがて完全に橋が架かったことを確認したヒストリアは、このまま馬を進めるよう促してきた。
言われるがままラ・シャイム城の門をくぐり、入城したクラウディアたちを待ち受けていたのは、神国メキアの国旗を掲げて左右二列に並ぶ衛士たちだった。列が伸びる先には神々しい衣装に身を包んだソフィティーアが、銀の錫杖片手に微笑を浮かべて出迎えている。
彼女の背後には晩餐会で顔を合わせたラーラと薄青髪の女、そしてヨハンが正装で立ち並んでいた。クラウディアと目が合うと、ヨハンは片目を瞑って笑みを向けてくる。
(相も変わらずへらへらと)
クラウディアが内心で舌打ちしている隣で、オリビアは全員に下馬するよう伝えると、自らはソフィティーアに歩み寄って華麗に片膝を折った。
「聖天使ソフィティーア・ヘル・メキア様、この度はお招きいただいたことを我が主、アルフォンス王に成り代わってお礼を申し上げます」
礼を尽くしたオリビアの挨拶にアシュトンを始めとする一行は唖然とした表情でオリビアを見つめていた。クラウディアはだけは一度叙勲式での姿を見ているだけに、アシュトンたちほどの驚きはないものの、それでも予想しなかった立ち振る舞いであることに変わりはない。
神国メキアにおいてオリビアのことを誰よりも知るであろうヨハンもまた、驚きの表情でオリビアを凝視していた。
ソフィティーアは首を垂れるオリビアの目線までゆっくりと腰を落とす。そして、オリビアの右手を取ると、自らの両手で包み込みながら口を開いた。
「オリビアさん。わたくしたちの間に仰々しい挨拶は不要ですよ。だってお友達になったのですから」
「──あ、そっか」
顔を上げたオリビアはたははと笑う。ソフィティーアもつられるように微笑んでいた。
晩餐会のやりとりを知らない衛士たちの目は、思いもよらない主の行動に釘付けとなっている。ちなみに晩餐会に同席したはずのラーラもなぜか釘付けになっていた。
オリビアがどういう位置づけの人間であるのかをソフィティーアはその身を持って臣下たちに示したのである。
(さすがの振る舞いだ。ここまでは完全に彼女の思惑通りだろう)
オリビアを立ちあがらせたソフィティーアはというと、まるで長年の友であるかのように語りかけた。
「長旅で疲れたでしょう?」
「ううん。別に疲れていないよ」
オリビアが真顔で言うと、ソフィティーアは苦笑した。
「今湯浴みの用意をさせています。皆様と一緒に入られてはいかがですか?」
「湯浴み?──そうだね。ちょっと埃っぽいし」
オリビアは軽く軍服をはたきながら言った。
「そうしてください。今宵は神国メキア随一の料理人が腕を振るってご馳走を用意しますので」
「ご馳走! やったね!」
「フフッ。では参りましょう」
ソフィティーアと並んで歩くオリビアは呑気そのもので、クラウディアは大きな溜息をつきながら後に続くのだった。