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第七幕 ~血濡れた志願兵~

 ──王国南方方面軍本拠地、ガリア要塞。


 ガリア要塞は中央戦線にてキール要塞の陥落後。急遽巨額な軍事費を投入され、増築に増築を重ねられた要塞である。

 収容人数はおよそ十万人。王国内にて最大規模を誇る。


 そのガリア要塞の司令官室。

 黒檀で作られた執務机に座っているのは、齢六十を迎えたパウル中将。総勢四万の兵を率いる第七軍総司令官だ。

 パウルは総本革の椅子に深くもたれながら、副官の報告を訊いていた。


「──閣下。今朝方到着した早馬の情報によりますと、陛下はキール要塞を奪還することを決断。王都を守備する第一軍の派兵を決めたようです」

「ふうむ。一年前にその英断を下していたら、今日こんにちの状況も違った結果になっていただろうに。最早この包囲下の中では、戦略的にあまり意味はあるまい。そもそも、いくら精鋭の第一軍を動かしたところで、勝てる可能性は低かろう……」


 パウルは嘆息すると胸ポケットから葉巻を取り出し、火をつける。今や高級将校であっても手に入れるのが難しい貴重品だ。

 パウルは黙ってもう一本葉巻を取り出し机に置くが、副官は軽く手を挙げて固辞する。パウルにとっては二十年来連れ添った友のような副官──オットー中佐。

 有能な男なのだが、少々頭が固いのが玉にきずだ。


「陛下の深いお考えなどは、私ごときが知るところではありませんな。それと、陛下から閣下宛に直々のお言葉が届いております」

「直々のお言葉か……申してみよ」

「は、パウル中将におかれては、不退転の覚悟をもってガリア要塞を死守すること。だ、そうです」

「ふふ。まあ、そう険しい顔をするな。ここが落とされたら王国は終わりだ。陛下もそれがわかっているから、どうしても口にしたくなるのだろう」


 顔を顰めるオットーに、パウルはやんわりと窘める。何度か咳払いをしつつ、オットーは答えた。


「いずれにしても、我々はこのガリア要塞を守るだけです。それと話は変わりますが、閣下は帝国兵のザームエルという男をご存知ですか?」

「ザームエル? どこかで聞いた名だな……そうそう、思い出した。第五軍のランツ少将を討ち取ったやつだな」


 パウルは憎々しげに言う。ランツ少将は二十七歳と若いながらも、知勇共に優れ将来を嘱望されていた男であった。

 だが、アルシュミッツ会戦において、激闘の末ザームエルに串刺しにされ死亡。死んでなお磔に処され、キール要塞の眼前に三日三晩さらされたと聞いている。

 それから数日後。ベルマー中将率いる第五軍は、奮戦虚しく壊滅した。


「閣下のおっしゃる通りです。そのザームエルが討ち取られました」

「ほう! 我が軍にもまだそのような猛者がいたのか。それはどこの所属のものだ?」

「はぁ。それなんですが……」


 そこで言葉を切ると、オットーは言いにくそうに視線をさまよわせる。パウルは嘆息すると、オットーに尋ねた。


「自分から話を振っておいて、口ごもるとは一体どういうことだ? 構わんからさっさと申してみよ」

「……申し訳ございません。実は討ち取ったのは我が軍の兵士ではなく、旅人の少女なのです」

「──どうも歳をとると耳が遠くなるばかりか、幻聴まで聞こえるらしい。悪いがもう一度、言ってくれないか?」


 パウルが耳の穴を掻きながら言うと、オットーは顔色ひとつ変えずに答える。


「ザームエルを討ち取ったのは旅人の少女です」

「そうか。オットーが冗談を言うようになったか。嵐でもこなければよいが……」


 そう言って、パウルは窓の外に視線を向けた。空はいつのまにか暗雲が立ち込めている。案外的中するかもしれない。


「閣下、残念ながら冗談ではありません。その少女は多数の帝国兵の首と一緒に、ザームエルの首を持参しました」


 ──数日前。


 オットーが執務室で仕事をしていると、正門を警備する衛兵から急報が届けられた。少女が帝国兵の首を多数持参してきたというものだ。

 慌てて駆けつけたオットーが見たものは、全身を血で真っ赤に染め上げた少女。そして、足元には血に染まった大きな麻袋がひとつ。

 袋の中身を確認したところ、確かに帝国兵の兜をつけた首が詰まっていた。少女に事情を問いただすと、カナリア街道で帝国兵士と遭遇。

 剣を向けられたので、返り討ちにしたと言う。それだけでも驚嘆に値する話なのだが、さらに驚くべき事実が発覚する。

 検分するため首を全て取り出したところ、その中にザームエルの首が混じっていたのだ。


「嘘偽りでなく、真にザームエルの首で間違いないのか?」

「はい。何度か奴を戦場で見かけたことがあります。間違いなく〝暴突〟の異名をもつザームエルでした」

「……にわかには信じがたい話だな」


 この話が少女ではなく、少年ということならまだ理解できなくもない。過去に英雄と呼ばれた男は、総じて若い頃から力を発揮したという。

 パウルは葉巻を深く吸い込み、ゆっくりと外に吐き出す。


「そうでしょうね。私も実際この目で見なければ信じなかったでしょう」

「それで、どんな目的があってこの要塞にやってきたのだ? 報奨金目当てか?」


 理由としては妥当なところだろう。金が欲しくない人間などいない。そう思いながらパウルが尋ねると、オットーはあっさりと首を横に振る。


「違います。なんでも志願兵として、王都で雇ってもらおうと思っていたらしいです。王都に向かう途中、たまたまこの要塞を見つけたと言っていました。それと、帝国兵の首が腐り落ちる前に、手土産代わりとして渡したかったとも」

「はは、随分と豪胆だな。しかも、このご時世に我が軍に志願したいなどと酔狂な者だ……して、先程から少女と言うが、歳はいくつくらいなのだ?」

「訊いたところ、十五歳と申しておりました」


 予想外の言葉に、思わず葉巻を落としそうになった。十五歳と言ったら自分の孫娘と同じ年齢。

 世間的に言えば、大人に半歩足を踏み入れている年齢だと言える。だが、パウルからすれば、まだまだ子供の域を出ない。

 そんな馬鹿な話があるかとオットーに視線を向けると、黙って首を横に振られる。何度訊いても答えは変わらない。そう顔に書いてあった。


「はぁ……それで、今その少女はどうしているのだ?」

「おそらく今は食堂にいるかと。ちなみに志願及び敵の首を持参したことを考慮し、准尉待遇で迎えることにしました」


 今度こそ葉巻を落としてしまった。オットーを睨みつけるが、全く意に介していない。真面目くさった顔もそのままだ。

 さすがにやり過ぎだと思い、パウルはオットーを窘めるべく口を開く。


「オットー副官。いくら我が軍が人手不足だと言っても、いきなりそれはないだろう」

「そうでしょうか?」

「そうだとも。確かにザームエルを屠ったことは素晴らしい。その時兵士だったら〝銀獅子〟勲章ものだ。だが、残念ながらそうではない。それに年端もいかない少女を迎え入れるなどと……」

「閣下、失礼ですが今はそのような些末なことを気にしている余裕はないと思われます。少女だろうが老女であろうが、帝国兵士を屠る力があるのであれば利用すべきです。まあ、多少引っかかることがあるのは否めませんが──では、私は仕事が山積しているので、失礼させていただきます」


 オットーは素早く敬礼すると、踵を返しさっさと司令官室を出て行った。パウルは机に転がっている葉巻を拾い、ゆっくりと口にくわえる。


(確かにオットーの言う通り、我が軍に余裕なんてものはない。だからと言って、少女を戦争に駆り立てるなどと……何とも情けない限りだな)


 深い溜息と共に吐き出した煙が、力なくゆらゆらと揺らめいていた。


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