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第九十五幕 ~ストニア公国~

 デュベディリカ大陸の中央。ファーネスト王国の西に位置するストニア公国は、大公であるジルヴェスターと四名からなる老公、通称〝四賢人〟によって統治されている。国は五区画に分割されており、中央をジルヴェスター。残りを東西南北に分かれる形でそれぞれの賢人が領主を務めている。

 開戦当初こそサザーランド都市国家連合と同じく中立を宣言していたが、今や隣国のスワラン王国同様、帝国の属国(いぬ)と成り果てていた。


 年も改まり光陰暦一千年。

 ジルヴェスターの招集に応じ、四賢人は居城アステリアの一室に集まっていた。空模様と反対に、円卓に座る彼らの表情はどれも暗く重い。原因は帝国の使者が携えてきた書状にある。端的に内容を述べると、神国メキアに対し戦争を仕掛けろというものだ。


 このときジルヴェスターは三十八歳。大公の地位は世襲制であり、初代大公から数えて十七代目にあたる。開戦前は蜂蜜で染めたかのような金褐色の髪も、今ではかなり白いものが目立つ。そのことが彼の苦労を雄弁に物語っていた。


「──ファーネスト王国を攻めろと言うのなら話も理解できる。だが、なぜ神国メキアなのだ。かの国は聖イルミナス教会の総本山が鎮座すると聞く。迂闊に攻め入れば全ての信徒から怒りを買うぞ」


 北の賢人が額に青筋を立てて懸念を示した。創造神たる女神シトレシアを崇める信徒は、大陸中にごまんと存在する。神国メキアに攻め入ったあかつきには、たとえ勝利を得たとしても、信徒たちによる苛烈な報復が待ち受けているのは想像に難くない。


(勝っても負けてもわが国は少なくない損害を被る。百害有って一利なしとはまさにこのことだな。帝国の悪辣な所業に対して文句のひとつも言えず大公とは片腹痛い……)


 憤懣やるかたない思いを抱くジルヴェスターをよそに、西の賢人が嘲笑めいた声を上げた。


「では貴公が帝国の使者に理由を尋ねてみるか? 『愚鈍な我らに神国メキアに戦争を仕掛ける理由を教えてください』と。もっとも(いぬ)になど教えてくれる道理もないが」


 目を吊り上げた北の賢人が口を開くよりも早く、円卓が激しい音を響かせた。東の賢人が鬼の形相で拳を叩きつけたのだ。


「そんなことが可能ならとうの昔に使者を斬り伏せておるわ! できもしないことをいちいち口にするな! 不愉快極まる!」

「くくっ。ならどうする。即座に行動を起こさねば帝国の不興を買うことになるぞ。使者殿は今も貴賓室で我らの返答をお待ちだ」


 二人がしばらく口論を重ねた後、南の賢人であり齢八十に近いローマンが言葉を発した。彼は四賢人筆頭であり、最初に中立を提案した穏健派として知られている。またジルヴェスターが幼き頃は、養育係を務めていた男でもあった。


「そもそも簡単に攻めよと帝国は言うが、どの程度の戦力かもわからぬ有様ではな……」

「老師、それに関しては帝国の使者より資料が提供されています」


 紙の束を殊更に掲げる北の賢人に、全員の視線が集中した。その後、各々が改めて手元の資料に目を通し始める。


「……ふん。帝国も随分と手回しがよいではないか。余程我々を戦わせたいらしい」


 東の賢人は資料を円卓に投げ捨てると、忌々しそうに鼻を鳴らす。


「この資料によると兵力は四万から五万くらいか……記憶が確かならあの国は人口百万に満たないはず。帝国は戦力算定を間違えているのではないか?」


 人口三百万人を超えるストニアでさえ、兵の最大動員数は六万。平時戦時に関わらず、兵を養うには莫大な金を必要とする。ただでさえ帝国に少なくない戦費を要求されている現状、これ以上兵士を増やせば経済に致命的な支障をきたす恐れがあり、国そのものが立ち行かなくなる。それだけに西の賢人の疑問はもっともだとジルヴェスターは思った。だが、すぐに北の賢人が反論する。


「いや、一概に間違っているとも言えまい。なにせ神国メキアは豊富な鉱物資源を有している。しかも、どの鉱石もかなり質がいい。さらに言うなら加工技術もかなりのものだ。領内を視察していればわかるが、メキア産の鉱石は高額にもかかわらず飛ぶように売れているからな」

「ようするに大軍を維持するだけの金が潤沢にあるということか。なんとも羨ましい限りだ」


 東の賢人の言葉に、北と西の賢人が一様に頷いた。日頃なにかと反目しあう彼らであったが、このときばかりは意見を同じくしたらしい。


「──ジルヴェスター公。そろそろ時間も押し迫っております。ご決断を」


 四賢人を代表してローマンが決断を迫ってきた。窓に視線を移すと、中天の位置にあった太陽が大きく西に傾き始めている。ここまで様々な意見を交わしてきたが、ジルヴェスターとしては最初から答えは決まっている。


(もっとも選択肢など初めからない答えではあるが)


 ジルヴェスターはたまりにたまった鬱憤を吐き出すよう大きく息を吐いた。


「どこまでも不満は尽きないが、従うよりほかないだろう。ここで拒否したらキール要塞に巣くう天陽の騎士団が黙ってはおるまい」


 室内が水を打ったような静かさに包まれた。あの難攻不落と謳われたキール要塞を陥落させた実力は折り紙つきだ。ある意味当然の反応だとジルヴェスターは思う。しばらくして東の賢人が思い出したかのように口を開いた。


「──天陽の騎士団といえば、先だってファーネスト王国軍に破れたと聞いたが真の話か?」


 北の賢人が相槌を打つ。


「事の真偽は不明だが、確かにそういう噂は流れているな」


 過日、紅の騎士団がファーネスト王国軍に敗北したとの報はストニアにも届いていた。偶然に偶然が重なった結果だろうとジルヴェスターはたかをくくっていたが、天陽の騎士団まで敗れたとなると話は大分変わってくる。


「もしや風向きが変わったか?」


 期待感に満ちた西の賢人の言葉に、北の賢人が顎に手をあてがいながら頷く。

 

「……かもしれん。いかに帝国軍といえど、常に連戦連勝というわけにもいくまいて。そもそもファーネスト王国には常勝将軍コルネリアスがいる。ここにきて帝国軍は苦戦を強いられているのではないか?」


 東の賢人が不敵な笑みを浮かべ始めた。


「──そう考えると奴らの思惑が透けて見えるな。おそらくは我が軍の消耗を図っているのだろう。我々が余計な知恵を巡らす前にな」


 先程の静けさから一転、三賢人による議論が活発化する──と思いきや、ローマンが鋭く口を挟んだ。


「もしそれが事実だとしてだ。帝国に反旗を翻すのかね?」


 三賢人は顔を見合わせるものの、続く言葉はなかった。帝国軍の苦戦が事実であったとしても、今まさに突きつけられている要求をかわす術がない。ファーネスト王国と連携すればあるいはとも思うが、それにしたって時間が圧倒的に足りない。そのことを彼らも十分わかっているのだろう。


「──ローマン、帝国の使者を謁見室へ」


 疲労感滲ませるジルヴェスターの言葉が空虚に響いた。





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 ──帝都オルステッド リステライン城 ダルメス宰相の執務室


「──などと、今頃必死に議論しているのではないでしょうか?」


 ダルメスは僅かに笑みを浮かべてティーカップを口に運ぶ。ダルメスの召喚命令に応じたフェリックスは、テレーザを伴い久方振りに帝都に戻っていた。


「アストラ砦を奇襲した敵は神国メキアの軍で間違いないのですか?」


 そう尋ねながらテーブルに置かれた紅茶に砂糖をたっぷりと入れる。それを見たダルメスが渋い顔をした。


「絶対に、とは言いません。ですが調べた結果、ほぼ間違いはないと思っています」


 フェリックスが届けた情報を基に、ダルメスは陽炎を使い情報収集に努めたと聞いている。結果、デュベディリカ大陸の西方に位置する小国。女神シトレシアを主神と仰ぐ神国メキアが浮上した。

 今次大戦において開戦することなく沈黙を守っていた国だけに、話を聞いたときは単純に驚いたものだ。


「しかし、彼らは素直に応じるでしょうか?」


 ダルメスの予想通りなら、ストニア公国は全てを承知したうえで神国メキアとの戦争に臨もうとしている。それならばいっそ帝国に反旗を翻すことも視野に入れるのではないか、とフェリックスが考えていると、


「応じざるをえないでしょう。ストニア公国を治めるジルヴェスター大公は、良くも悪くも凡人です。我々の意図に気づいたからといって、逆らう気概など持ち合わせてはいないでしょうから」


 まるでフェリックスの思考を読み取ったかのように、ダルメスは軽く言ってのけた。


(ストニア公国に多少の同情は禁じ得ないが、ダルメス宰相に目をつけられたのが運の尽きだったな……)


 スワラン王国と違い、ストニア公国は抵抗することなく属国化に応じた。そのため軍そのものは無傷であり、今回目を付けられた要因になっているのだろう。いくら帝国が情報封鎖を行おうとも人の口に戸は立てられない。いずれ天陽の騎士団敗北の報も、属国化した国々に伝わるのは道理。

 そうなれば(よこしま)な考えをもつ国が出てくる可能性は否定できない。だからこそダルメスは機先を制し、見せしめとしてストニアに白羽の矢を立てたのだとフェリックスは解釈した。


「そもそもストニア公国は神国メキアに勝てるでしょうか?」


 フェリックスは事前に目を通した資料を思い返す。兵力数のみで判断した場合、ストニア公国が有利なのは疑いようがない。だが、それで勝敗が決まるほど戦とは単純なものでもない。戦いにおいて最も重要な要素。それはなにかと問われれば、迷うことなく士気だとフェリックスは答える。そして、今回無理やり戦争を強いられるストニアに士気があるとはとても思えなかった。

 なにより奇襲とはいえ、紅の騎士団を翻弄したという揺るぎようのない戦果が神国メキアにはある。


「その質問に関してはお答えしかねます。というより、そこを問題視していません」

「と、言われますと?」

「ストニア公国の戦力を削り取ることは勿論ですが、一番の目的は愚かにも帝国に牙を剥いた神国メキアの実力を計ることですから」


 ダルメスの言葉はフェリックスを驚かすには十分だった。普段なら実力を計るなどといった迂遠なやり方を好む人間ではない。そのことを多少なりとも知っているからだ。無論、彼自身にフェリックスを驚かそうなどという思いはないのだろうが。


「宰相閣下にしては珍しく慎重ですね」


 フード下のダルメスの顔が一瞬、僅かな陰りを見せた。


「……そうかも知れません。フェリックスさんの報告書を読む限り、魔法士を実戦投入しているのは間違いないでしょう。それに聖イルミナス教会と神国メキアは蜜月の関係と聞いています。百万人とも二百万人とも言われている信徒たちのことを考えれば、今の段階で帝国が表に出るのは避けるべきだと判断しました」

「なるほど……宰相閣下のお考えは理解いたしました」

「それはよかったです。無論、最終的に障害になるようなら信徒ごと排除しますが」


 最後は事もなげに言った。簡単に言ってくれるとフェリックスは思ったが、同時にダルメスならやりかねないという確信めいたものがあった。


「──それで、私はなにをすればいいのですか?」


 フェリックスは襟を正し、自ら本題を切りだした。ダルメスともあろう者が今の話をするためだけに帝都に呼び戻したとはさすがに考えづらい。


「話が早くて助かります。形だけですがフェリックスさんを軍事顧問としてストニア公国に派遣します」

「軍事顧問ですか……」


 ダルメスは首肯した。


「ええ。そこで神国メキアの戦いぶりをつぶさに観察してほしいのです。帝国にとって脅威足り得るか否かを。とくに魔法士の動向には目を配ってください」


 不意に凄惨な笑みを浮かべるアメリア・ストラストの姿が脳裏に浮かんできた。


「かしこまりました。ちなみに死神オリビアの件はいかがいたしましょう。こちらも早急に対応を図る必要がありますが」


 神国メキアの件も重要だが、それ以上にオリビアの件は深刻な問題である。すると、ダルメスが困惑気に眉根を寄せた。


「死神オリビア? ──ああ、例の漆黒の剣を持つ少女ですか……死神とは片腹痛いですが、彼女のことは放っておいても構いません。それよりも軍事顧問の件をよろしくお願いします」


 立ち上がったダルメスは、ローブのしわを丁寧に伸ばし始める。まるで興味はないと言わんばかりの態度に、フェリックスは内心で首を傾げた。


(いったいダルメス宰相はなにを考えているのだ。私にはさっぱり理解できない)


 今やオリビアの存在は帝国に大きな影を落としており、到底放置してよい問題ではない。そのことを告げたフェリックスに対し、ダルメスはそのうちに対処しますと、黒檀製の本棚を見つめながら呟くのみだった。


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