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第五幕 ~揺れ動く影~

 ──帝国軍ガリア要塞攻略本拠地 カスパー砦


 ザームエル大尉討ち死に。

 カナリア街道を監視していた兵士により急報が届けられると、カスパー砦は騒然となった。正門前はいつも以上に篝火が焚かれ、多くの兵士たちが緊張した面持ちで警備に当たっている。正門脇の小門は開かれており、布をかぶせられた死体が次々と運ばれていた。


「それで、ザームエル大尉が討ち取られたというのは真の話なのか?」


 困惑顔で尋ねるのは、齢五十のオスヴァンヌ大将。アースベルト帝国の重鎮にして、ファーネスト王国南部方面軍の総司令官である。攻守両面において隙のない戦いをする武人として定評がある。


 跪いていた下士官は、顔を上げ答える。


「はっ、カナリアの街の警備兵が現場に急行したところ、首のないザームエル大尉の遺体を発見いたしました。他にも同じような遺体が十体程。現在は回収作業を行っております」

「首がない? ……大方手柄首として王国軍が持ち去ったのだろう。ザームエル大尉の武名は轟いているだろうからな」

「いえ、王国軍の仕業ではございません」


 下士官はあっさりと否定する。オスヴァンヌは眉を顰めた。


「王国軍の仕業ではない? では誰がザームエル大尉を屠ったというのだ。まさか野盗の仕業などとは言うまい」 

「それは……その……」


 突然下士官が言いよどむ。その様子を見た切れ長の冷たい目に、髪を後ろに撫でつけた男。オスヴァンヌの参謀であるパリス大佐が、続きを促すよう顎をしゃくった。


「そ、その生き残った兵士たちが言うには、黒い剣を持った化け物の少女にあっさり殺されたと」

「化け物の少女?」


 パリスは思わず聞き返す。


「そうです。なんでもその化け物の少女は、王国の兵士に志願するため王都に向かうと話していたとか」


 まるで妄想でも垂れ流すかのような下士官の言葉に、パリスは馬鹿馬鹿しいと一笑に付す。元々パリスは諜報部隊の出身。化け物の少女などという荒唐無稽な話を「はいそうですか」と、鵜呑みにできるはずもない。

 間違いなくどこかで情報が歪んだと確信し、口を開く。


「ふざけた話もたいがいにしろ──いいだろう。私が直接兵士たちに尋問する。早々に連れてこい」


 パリスは怒気のこもった声で即座に命令を下す。下士官はビクッと体を震わすと、力なく首を横に振った。


「残念ながら精神に異常をきたし、もうまともに会話もできません。その様子を見ていた一部の兵士たちも、王国に化け物が味方についたと騒ぎ始めております」

「ほう、そこまでか……これは全くの虚報とも思えんが?」


 オスヴァンヌはそう言って、パリスに視線を向けてきた。


「閣下まで何を言っているのですか。大体──」

「パリス。これ以上は時間の無駄だ」


 軽く左手を上げ、パリスの言葉を遮るオスヴァンヌ。パリスとしては、まだまだ言いたいことが山ほどある。が、確かに兵士が錯乱したというならば、これ以上の情報は得られないだろう。

 であるならば、オスヴァンヌの言った通り、話を続けるのは時間の無駄だ。時間は常に有限である。


「は、私としたことが少々興奮してしまったようです。お許しください」

「なに構わん──話はよくわかった。報告ご苦労。下がり──」

「お話し中失礼。少々よろしいですかな?」


 オスヴァンヌが下士官の退出を促そうとしたとき、待ったをかけてきた男。闇夜で染め上げたようなローブを羽織り、頭もフードに覆われている。その姿を一言で表すなら不気味。年齢は三十代半ばのはずなのに、見た目は六十代以上。時折フードの下から覗く顔は異様に痩せこけ、落ちくぼんだ目はやたらギラギラとした眼光を放っている。

 皇帝の命を受けて状況視察に来ていたダルメス宰相である。


 元々は分析班に所属するうだつの上がらない男であったとパリスは聞いている。だが、ここ数年で異例中の異例というべき速さで出世。栄光に輝くアースベルト帝国において、今や皇帝に次ぐ宰相の地位に君臨する男だ。

 皇帝の信頼は絶大で、宰相の地位は揺るがないだろうというのが大方の見解だ。


 噂では皇帝が大陸統一を宣言したのも、ダルメスの強い進言によるものだとさえ言われている。もっとも普段は寡黙で、自ら発言することが滅多にない。沈黙宰相とも言われている所以だ。


「……宰相殿には何か気になることでも?」


 オスヴァンヌが探るような口調で問いかける。それに対しダルメスは、笑みを浮かべながら大げさに手を振った。


「いえいえ、別に大したことではありません。ただ、その黒い剣というのが少し気になりましてね──何かその剣に関して、他の特徴は訊いていますか?」


 ダルメスは下士官に説明を求めた。突然声をかけられたことに余程驚いたのか。下士官の目は派手に泳いでいる。


「そんなに緊張しなくとも大丈夫ですよ。わかる範囲でお答えください」


 ダルメスは優しい声色で言う。室内をか細く照らす蝋燭の光でも、下士官の額から汗が滲んできているのが見て取れる。緊張するのも無理はない。帝国の宰相が、たかが下士官に直接声をかけることなど普通はあり得ないのだから。


「いつまで宰相閣下をお待たせするつもりだ。聞かれたことにさっさと答えろ!」


 パリスは叱咤する。

 

「──い、いえ。と、特に訊いておりません! 黒い剣だということだけです!」


 声を張り上げて答える下士官に対し、ダルメスは微笑む。


「そうですか。よくわかりました。では、下がっていただいて結構ですよ」

「はっ! し、失礼いたします!」


 下士官は素早く敬礼すると、足早に部屋を出ていく。ダルメスもまた、合わせるかのように椅子から立ち上がった。


「では、私も失礼させていただきます。なにかございましたら、遠慮なくいつでもお声をかけてください」

「夜分にもかかわらず、ご足労いただきありがとうございました」

「いえいえ」


 パリスが頭を深く下げ礼を述べると、ダルメスは軽く手を挙げる。ローブにできたシワを丁寧に整えると、ゆっくりとした足取りで部屋を後にした。オスヴァンヌはというと、なぜか顔を真っ青にしながらダルメスが出ていった扉を凝視している。


「閣下、どうなされたのですか? 顔が真っ青ですぞ」

「…………」

「閣下!」


 パリスが肩を揺すると、オスヴァンヌはハッと我に返る。


「気がついたようですね。本当に一体どうされたのですか?」

「い、いや、何でもない。気にするな」


 そう言うと、オスヴァンヌは張り付いた笑みを浮かべた。


「そうですか? ならいいのですが……まぁ、その化け物──少女の情報が確かであれば、各地に放っている密偵から何らかの報告もあるでしょう」

「う、む。そ、そうだな。一応、砦の警戒は厳重に頼む」

「無論心得ております。では、ザームエル大尉の件もありますので、私も失礼させていただきます」




 遠ざかるパリスの足音を確認すると、オスヴァンヌは勢いよくテーブルに突っ伏した。背中に悪寒が走り、心臓が早鐘をうつ。震える手で懐から煙草を取り出し、無理やり火をつけた。そして、乱暴に幾度か煙を吐き出した後、椅子に深く腰掛けながら先程目にした光景を思い返す。


 ──あの悪夢のような光景を。


(パリスは気がついていなかったようだが……一体あれは何だったのだ? 宰相殿の影が一瞬、生き物のように大きく揺らめいて……)

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