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第8話 カレー

 風呂あがり、ボサボサと無造作に伸びているマオの髪を、ポルンとリュカが二人で乾かし、グシグシとクシでとかした。

 腰の辺りまで伸びた真っ赤な髪。その毛先はそれぞれ好き放題にピョコンとカールしていて纏まりがないが、一本一本が艶めいていて、少々目つきの悪い赤眼と一緒に見ると、まるで人形のように端正な雰囲気を醸し出していた。


 マオの姿を改めて見たポルンとリュカは、「ほぉ」と声を上げた。


「マオちゃん、すっごくかわいい!」

「ほんとだな……。服も適当にこしらえたやつだけど、見違えたな」

「むむ? なんじゃ? わしはかわいいのか?」

「うんっ! マオちゃんかわいい!」


(……おぉ。よくわからんが嬉しいのぉ。これも人間ならではの感情というやつか?)


 ポルンは脱衣所にある壁掛け時計に目をうつした。


「晩御飯までまだもう少しあるけど、それまでどうしよっか?」

「晩御飯とは、夜の食事のことじゃな?」

「そうだよ。食堂でご飯が食べられる時間は決まってて、まだその時間じゃないの」

「ならば料理長とやらに会ってみたいぞ!」

「料理長?」

「うむ! お主らが持っておったウサギの干し肉も、さっき団長にもらったスラ蜜も、料理長が作った物なのであろう?」

「いいけど、今は晩御飯の準備してるから邪魔しないようにね?」

「うむ!」


 ポルンとリュカに連れられて一階へ上がると、刺激的な匂いが鼻をついた。


「な、なんじゃこの匂いは!? 腹が減ってたまらん匂いじゃ!」

「あっ。この匂い、今夜はカレーみたいだね」

「カレーとな?」

「そう。ちょっぴり辛くいけど、すっごくおいしんだよ!」

「それも料理長が作っておるのか?」

「うん。献立は全部料理長が決めてるの。私たちのギルドが使ってる建物はここだけじゃないから、他の建物には他の料理長がいるんだけど、ここの料理長の料理が一番おいしいって評判なの! でもみんな普段使ってる建物でしかご飯食べちゃだめだから、私たちは運がいいんだぁ」

「おぉ! なおのこと早く会ってみたくなったぞ!」

「ふふふ。もうつくよ」


 食堂の暖簾の先にはズラリと机と椅子が並んでおり、すでに何人か座って水を飲んだりおしゃべりをしたりしていた。

 三人は厨房が見渡せるカウンターまで近付き、ポルンが中を指さした。


「ほら、あの女の人が料理長だよ」


 カウンターが高い位置にあるので、マオはうんと背を伸ばしたが、身長が足りず、奥まで見渡せなかった。


「み、見えん……」


 すかさず、リュカがマオの脇を抱えてひょいと持ち上げた。


「ほら。こうすれば見えるだろ?」

「おぉ! リュカ、お主意外と力持ちじゃな!」

「そりゃあこう見えても剣士見習いだからな。鍛錬は怠っちゃいないさ」

「で? どれが料理長じゃ?」

「あれだよ。あの青い髪の毛にコック帽を被ってる人。でも、あの人ちょっと――」


 リュカの言葉を遮り、料理長の姿を見つけたマオは声を張った。


「料理長! お主の料理、見事な手前であった! 褒めてつかわす!」


 そしてパチパチと人目も気にせず拍手をした。

 ポルンとリュカが慌ててそれをやめさせる。


「だ、だめだってマオちゃん!」

「そうだ! そんなことしたら……」

「む? なんじゃ? 料理長は偏屈なタイプか?」

「いや、そうじゃなくて……」


 リュカは言い淀んで厨房に視線を向けた。

 すると、奥の方で料理長が慌てふためき、調理台の上にあった皿やボールに次々とぶつかっていった。


「……なんじゃ? 何故慌てておる?」

「料理長は極度の恥ずかしがり屋なんだよ。だからあんな風に大勢の人の前で褒めたりしたら取り乱すんだ」

「むぅ。誰しも欠点はあるもんじゃのぉ」


 やがて、少し落ち着きを取り戻した料理長がトボトボと三人に近寄ってきた。

 長く青い髪をコック帽の中に入れ、大きな瞳をしているが、その視線はキョロキョロと泳いでいる。


「……えっと……えっと……リュカちゃん? そ、その子は?」


 リュカが答える前に、マオが口を開いた。


「わしはマオじゃ! お主の作った料理を食わしてもらった。素晴らしくうまかったぞ」

「……そ、そう……それはよかった。わ、わ、私の名前は、ルナ・ナナ。…………今日は……カレー、だよ」

「うむ。知っとる」

「そ、そ、そうだよね! こ、こんなに匂いしてたらすぐにわかるよね! ご、ごめんね、変なこと言って!」

「いや、別に変なことではないと思うが?」

「あわわわわ! そうだよね! ご、ごめんなさい!」


 ポルンがカウンターに身を乗り出して料理長の手を握る。


「料理長! 深呼吸深呼吸!」

「スー、ハー、スー、ハ―」

「大丈夫? 落ち着いた?」

「……う、うん。ごめんね。初対面の人と話すの苦手で……。これでも少しずつマシになってるんだけど……。えっと、マオちゃん。もしもカレーが辛すぎたりしたら、すぐに言ってね。子供用に味を整えるから」

「おぉ! 食べる者の好みによって味を変えられるとは! さすが料理長じゃ!」


 パチパチパチ。


「は、拍手はやめて! 拍手はやめて!」

「料理は全て料理長が考えたのか?」

「……ち、違うよ。ほとんど師匠に教えてもらったの」

「師匠?」

「そ、そう。ちょっと変わってる人なんだけど、とっても料理について詳しいの。まるで……別の世界から来たみたいに」


(むむ。もしやその者、わしと同じ転生者か? 一度会ってみたいものじゃな……)


「のぉ、料理長。その師匠とやらに――」

「あっ。カレーできたよ。す、すぐに食べる?」

「無論じゃ!」


 カウンターの上にのせられたカレーを目にしたマオは、きょとんと目を丸くした。


「……こ、この茶色いのがカレーか?」

「そうだよ」

「で、こっちの白いのは?」

「そ、そっちはライス。ご飯って言うことの方が多いかな。他のおかずと一緒に食べるの」

「う~む……」


(ご飯はともかく……このカレーとやら、見た目はあんまりうまそうではないのぉ。泥みたいじゃ)


 とりあえず三人はよそってもらったカレーを手に、席についた。

 リュカとポルンは手を揃えて、


「「いただきまーす」」

「なんじゃそれは?」

「ご飯を食べる前には、いただきますっていうんだよ。それで、食べ終わったらごちそうさま」

「なるほど。覚えた。いただきます、じゃな」

「そうそう」


 カレーの見た目が気になって食が進まないマオをよそに、両脇に座ったポルンとリュカはパクパクとカレーを頬張っていった。


「うんっ! やっぱり料理長のカレーはおいしいね!」

「あぁ! このピリッとした辛さと、ホクホクのじゃがいもが何とも言えないな!」


 ゴクリ。


「わ、わしも食ってみるかのぉ……。いただきます」


 スプーンの先にちょっとだけルーを乗せ、恐る恐る口に入れる。


「……むっ! な、なんじゃこれは! 舌の先がヒリヒリ痛い!」

「マオちゃん、それは辛いって言うんだよ」

「辛い?」

「そう。辛いのがおいしいの」


(馬鹿な。このヒリヒリした感じがおいしいじゃと? こやつ、わしをたばかっておるのではないか?)


 それでもおいしそうに食べ続けるポルンを見て、マオはもう一口スプーンですくって食べた。


(ふむ……ふむ……む!? こ、これは!)


「うましっ! 最初は辛いだけじゃったのに、一気に口の中に入れると様々な具材の味が一つにまとまって食欲をかりたておる! ピリピリとした痛みも不思議と快感に変わって手が止まらぬ! このご飯と共に食べることで満足感が増大するのぉ! なんという奥深い料理じゃ! 気に入った!」


 マオはカレーの隅を指さした。


「のぉ、リュカ。これはなんじゃ?」

「それは『福神漬』だ。カレーと一緒に食べるとさらにうまい」

「なんと!」


 マオは福神漬を頬張ると、「んっ!」と声を漏らした。


「うましっ! うましっ! このパリポリとした食感! ほんのりとした甘さが辛さを緩和させると共に、次の一口を後押ししてくれる! 素晴らしい働きじゃ! 福神漬!」


 カレーを食べ終えると、三人は手を合わせて、


「「「ごちそうさま!」」」


 満足感でいっぱいになったマオに、厨房から料理長が声をかけた。


「あ、あ、あのっ、マオちゃん! さっき、何か言いかけてなかった?」

「……さぁ? 覚えとらん」

「そ、そう? ごめんね、呼び止めて」

「構わぬ。料理長よ、カレー、見事であった。ごちそうさまじゃ!」


 パチパチパチ。


「拍手はやめて! 拍手はやめて!」





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〇本日の献立

・カレー:料理長が師匠と呼ぶ人物から教わった料理の一つ。中辛だけど隠し味にスラ蜜を入れているのでくちどけがまろやか。牛肉をふんだんに使い、じゃがいも、にんじん、玉ねぎをじっくり煮込んだ物。ちなみにマオは師匠の存在をすっかり忘れてしまった。


・福神漬:塩抜きした大根を醤油、砂糖、みりんなどで味付けしたもの。甘味が強く、パリポリとした食感でカレーによく合う。主役にはなれないが名脇役として一生を終えるタイプ。これも料理長が師匠に作り方を教わった料理の一つ。


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