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第6話 蜜スライムとパン

 団長室。

『白日の宴』に冒険者見習いとして無事入団したマオは、ふと机の隅っこに視線を移した。


「ところで団長。それはなんじゃ?」

「ん? どれ?」

「ほれ、それじゃ、その茶色いやつ」


 書類の山の隅っこに、白い皿の上に薄く切られたパンが数枚並んでいる。


「これ? これはパンよ」

「パン?」

「そう。えぇ~っと、たしか正式名称は、『ヴァイツェンブロート』とか言ったかしら」

「ばい……ばいつ、ぶろっと?」

「ヴァイツェンブロート。小麦でできてて、サクサクしてるの」

「ほぉ……。サクサクとな」

「だけどこれだけで食べるのは少し味気ないから、私は上にこれをかけて食べてるわ」


 団長は横に置いてあった小瓶をマオに見せた。

 小瓶の中には、ところどころ小さな泡を含んだ黄色い液体が入っている。


(おぉ! 黄金色の液体じゃ! いったいどんな味がするというのじゃ!)


「むぅ……」

「……よかったら食べてみる?」

「よ、よいのか!? じゃ、じゃが、これはお主の食べ物なのじゃぞ!?」

「いいわよ、別に。また食べたくなったら料理長に作ってもらうもの」

「その料理長とは、もしやウサギの干し肉を作った人物か!?」

「ウサギの干し肉? あぁ、配給の? そうそう。それを作った人よ」


 団長は後ろに立っていたポルンとリュカに手招きした。


「あなたたちもよかったらどうぞ」

「やったー!」

「ありがとうございます!」


 団長は小瓶の蓋を外し、それをパンの上でひっくり返した。

 小瓶の先から、黄色い液体がゆっくりと垂れてくる。

 マオはそれをじぃっと興味深そうに睨みつけた。


(なんという粘り気じゃ! そ、それにこの濃厚な匂いは……)


「こ、この匂い、なんというのじゃ! こう、包まれるような匂いじゃ!」


 リュカが呆れたように言う。


「もしかしてあまいって言いたいのか?」

「あまい?」

「そう。こういう匂いは、あまい香りっていうんだよ」

「なるほど。あまいか……。守りがあまいとか、見通しがあまいのあまいじゃな。心得た」

「まぁそうだけど……。両方とも日常生活じゃあんまり使わない言葉だな……」

「む? そうか? わしはよく使っておったぞ?」

「七歳のお前に言われた奴はさぞかし惨めな気分だったろうな」


 パンの上に黄色い液体がかかると、マオはたまらずたずねた。


「団長、団長! そ、その液体はなんというんじゃ!?」

「これは蜜スライムから抽出した液体に少し手を加えた物で、『スラ蜜』っていうの」

「そのまんまじゃな!」

「結構メジャーな食べ物だけど、マオちゃんは知らないの?」

「知らん! じゃが覚えた! それにスライムは知っとる! 雑魚のくせに触るとぷにぷにしてて気持ちいのな! わしは子供のときこっそり家で飼ってて怒られたことがあるぞ!」

「そりゃあ、モンスターを家で飼ってたら怒られるわよ。っていうかマオちゃん今も子供じゃない」


 たっぷりのスラ蜜がかかったパンが、三人の前に出された。


「はいどーぞ」


 ゴクリ。


「うわっ! お前また涎垂れてるぞ!」

「むむっ。いかんいかん。リュカ、拭いてくれ」

「ったく……どうしてあたしが……」


 ふきふき。


「ごくろう」

「今度からきちんと口閉じろよ? な?」

「うむ。善処する」

「いちいち上から目線だな、こいつ」


 マオは小さな指を伸ばし、パンを一切れ摘み取った。


(美しい……。これほど美しい色をした食べ物が存在しとったなんて……)


 まるで宝石のように輝くスラ蜜をじっくりと楽しみ、そして一口頬張った。


「う、う、うましっ! うましっ! うましっ、うましっ!」


 マオに続き、ポルンとリュカも一口かじった。


「ほんとだ、あまくておいしい!」

「うん! うまい!」


 マオは持っていたパンをバクバクと口に収めた。


「それにこのパンのサクサクとした食感! 味だけでなく、歯ごたえで食う者を魅了するという発想は天才的じゃ! このスラ蜜というのも、ウサギの干し肉とはまた全然違う味なのに、同じく凄まじい満足感! 鼻を抜ける若葉のような香りも絶品じゃ!」


 マオの食べっぷりを見ていた団長の喉がゴクリとなった。


「わ、私も一つ貰おうかしら」


 パク。


「うんっ! おいしいっ! なんだか、マオちゃんの顔見てると一層おいしく感じる気がするわ!」

「フハハ! よきにはからえ!」

「……よ、よきにはからえ?」


 その後四人は次々とパンを食べ、すぐに完食した。


(もう終わってしもうたか……。夢のような時間はあっという間じゃのうぉ。まるで魔王として魔界に君臨していた頃のわしのようじゃ……)


 団長は指についたスラ蜜を舐めとると、椅子から立ち上がってポットとコップが乗ったお盆を持ってきた。

 マオがまた興味深そうに首を伸ばす。


「なんじゃそれは?」

「これは『ポリリア茶』よ」

「ぽり?」

「ポリリア茶。ポリリアの茶葉をお湯で煎じた飲み物」

「飲み物か……。雨水や返り血が口に入ったことはあるが、特に何も感じんかったのぉ」

「返り血って……。マオちゃん、七歳でいったいどんな人生を歩んできたの?」


 ポリリア茶が四つのコップに注がれた。


(湯気が出ておる。熱いのか……?)


「どーぞ、マオちゃん」

「うむ」


(香りは……おぉ……これは。涎が出てくるようなことはないが、どことなく落ち着く香りじゃな。さっそく一口……)


 ゴクリ。


「……ほぉ」

「どう、マオちゃん?」

「これは、なんというか……ゆったりした気分になるのぉ」

「うふふ。そうでしょ? ポリリア茶には気分を落ち着ける効果があるのよ」

「勇者と戦う前にもぜひこれを一杯飲みたかったのぉ。そしたら負けんかったかもしれん」

「勇者?」

「いやいや、こっちの話じゃ。気にするでない」


(ふぅむ。口の中に残っとったスラ蜜のあまさがスゥっと抜けていきおる。飲み物とはこういう効果もあるのか。奥深し、料理道じゃな)


 残りの三人もポリリア茶で一息ついた。

 全て飲み終わると団長が提案した。


「はぁー、おいしかった。ごちそうさま。じゃあ、リュカとポルンは今日はもう上がりね。ついでだから晩御飯の前にマオちゃんと一緒にお風呂入ってきてちょうだい」

「「はーい」」

「む? 風呂とな?」





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〇本日の献立

・ヴァイツェンブロート:ドイツ発祥の小麦パン。この世界では一般的なパンの一つ。サクサクとした食感がウリ。棚の中に入れっぱなしにしておくとカビが生えるので注意。


・スラ蜜:蜜スライムの体表から抽出した蜜。料理の隠し味に使うと上品なあまさになる。そのまま食べてもおいしい。

 蜜を生み出す蜜スライムは食べられるために生まれてきた悲しい存在。生き物という生き物全てに狙われる。だが体の中心にある球状の核さえ残っていればいかなる傷でも自然と再生する。だからこそ人間に捕まると永遠に蜜を搾られ続けてしまうという業を背負っている。

 最近はモンスター愛護団体の活動により、飼育して蜜を搾取することが禁止された。道徳観を強く持って狩りに行こう。


・ポリリア茶:ポリリアと呼ばれる植物の茶葉を発酵させて、炒って、揉んで、乾かして、また発酵させて、揉んで揉んで、最後にまた発酵させてから乾かした物に湯を通した飲み物。この世界の代表的な飲み物の一つ。飲んだ者の心を落ち着ける効果がある。

 ダンジョンでモンスターに囲まれてもうだめだと思ったら一気飲みしよう。


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