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第43話 カナリア地底湖 後編

 マオたち一行はシャッターの閉まった土産屋や、普段は観光客で賑わっているであろう食事処を横目に歩き、街の中心からやや外れたところまで歩いてきた。

 うだるような暑さが続く中、マオが弱音を吐いた。


「リュカ~、おんぶ~」

「甘えるなよ……。あたしだって辛いんだからな……」

「弁当はまだか~」

「まだ昼前だろ。今食べるとあとで辛いから我慢しろ」

「今わしの分を食って、あとでリュカの分をもらう。それでイーブンじゃろ」

「どこがイーブンなんだよ。あたし一人損してるじゃないか」

「……だめか?」

「だめに決まってるだろ……」


 リュカが反論するのも嫌になった頃、先陣を切っていたミリアが前方を指差した。


「すごいっ! あれっ! すごいっ!」


 その内容の薄い掛け声で、ポルンがそちらを見やる。


「どうしたの、ミリアちゃん? 何がすごいの……って、うわっ! ほんとにすごい!」


 ミリアが指差した方向には、巨大な岩の塊がどんと構えており、そこに開いた大きな入り口には、地下深くまで続く階段が用意されていた。

 ポルンとミリアがその階段を覗き込むと、


「わっ! 涼しい風が吹いてる!」

「すごいっ!」

「この階段、どこまで続いてるんだろう……」

「深いっ!」


 そこへ、よろよろとマオとリュカもやってきて、


「むっ! なるほど! これはたしかに涼しいではないか!」

「あぁ~、ほんとだな~。生き返る~」


 その岩肌の入り口横には小さな小屋があり、フレデリカはそこの小屋にいる人物に全員分のチケットを渡した。

 フレデリカが小屋の人物にたずねる。


「今日は利用客は多いのか?」

「うんにゃ~。全然だね~。地元の人も、観光客も、み~んな家に引きこもってるみたいだからね~。今日は貸し切りだよ~」


 その声に、ポルンが目を輝かせた。


「ミリアちゃん、貸し切りだって! 貸し切り!」

「すごいっ!」

「すごいね!」

「すごいっ!」


 それから一行は、地下へ続く階段をゆっくりと下って行った。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 階段を下りた一行の目に映ったのは、どこまでも広がる湖であった。

 巨大な洞窟になった空間の天井には、ところどころ穴が開いていて、そこから差し込む太陽の明かりが鉱石に反射し、湖全体が虹色に光っているように見える。


 それを見たミリアが、トボトボと操り人形のように湖に歩を進め始めた。


「すごい……。きれい……」


 それを、フレデリカが慌てて抱きかかえる。


「待て、ミリア! 先に水着に着替えろ! 水着に!」

「すごいっ! きれいっ!」

「わかったから落ち着け! さっきから語彙力が乏しいぞ!」


 各自持っていた水着に着替えると、ポルンはフレデリカの姿をまじまじと見つめた。


「……す、すごい」

「どこを見て言ってるんだ。湖を見ろ、湖を」

「……大きい」

「だからどこを見て言ってるんだ」


 そして誰よりも早く、リュカが湖に飛び込んだ。

 地上で温まっていた体が、ひんやりとした水で冷やされていく。


「ぷはぁ! 気持ちいい!」


 その様子を見ていたポルンが、


「あっ! リュカちゃんずるい! 私も!」


 ついでポルンも湖に飛び込むと、


「はぁ……。すごい……。まさかあの有名なカナリア地底湖に来れるなんて、夢みたい……。マオちゃんも早くおいでよ! すっごく気持ちいから!」

「うむ! では……」


 ポルンに促されて水に飛び込んだマオだったが、その後なかなか水面に上がってこず、リュカは首を傾げた。


「なんだ……? 中々上がってこないな」

「マオちゃん、素潜り上手なのかな?」

「…………にしては、長いな」

「……もしかして、おぼれてる?」


 慌ててフレデリカが水に潜り、水底に沈んでいたマオを抱きかかえて戻ってきた。

 マオはフレデリカの首にがっちりと腕を回し、


「もっと早く助けにこんか! し、し、死ぬところであったじゃろうが!」


 フレデリカは呆れたように、


「泳げないなら一言言えよ……」

「そ、そ、そんなもん知らん!」

「知らんって言われても……」


 マオはフレデリカから離れず、悔しそうに唇を噛んだ。


(ぐぬぬ……。よもやこのわしが泳げんとは……。まぁ、たしかに魔王であった頃も水の中に入ったことなどなかったが……。あれ? それじゃあわし、元々泳げんかったのでは?)


 魔王カナヅチ説が脳裏を過る中、マオは這いずるようにフレデリカの首からはなれ、湖のふちに座り込んだ。


「ともかく、わしはここでしばらく見ておる」


 ポルンが「えぇー」と不満そうに声を漏らした。


「泳げないなら練習しようよー。付き合ってあげるからさー」

「まだ時ではない」

「もうー」


 フレデリカはふと、ふちで座り込むマオの横で突っ立っているミリアに視線を移した。


「ミリアはどうしたんだ? さっきからそこでぼうっと突っ立ってるが……」

「きれいっ!」

「いや……それはもう何度も聞いたが……」

「フレデリカ!」

「ん? なんだ?」

「ミリア泳げないっ!」

「お前もか……。どうしてどいつもこいつも土壇場まで黙ってるんだ……」

「だから抱っこ!」

「抱っこ?」

「フレデリカがミリアを抱っこして泳ぐ!」

「……抱っこして泳ぐ?」


 ミリアの提案に、フレデリカははっと目を見開いた。


(ミリアを抱っこして泳ぐということは、つまり……ミリアとずっと接触しているということではないか! し、しかも、ミリアは今水着! そんな姿で抱っこすれば、肌と肌が触れ合ってしまう!)


「抱っこ!」

「……いや、しかし……」

「抱っこ!」

「…………」

「抱っこ!」

「……じゃ、じゃあ……少しだけ……」

「やったぁ!」


 ミリアに抱きつかれたフレデリカは、そのまま器用に湖の中を自在に泳ぎ回り始めた。

 その顔は何故か赤く高揚していて、口元はほんのりと緩んでいた。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 しばらくの間、マオはぼんやりと、みんなが楽しそうに泳ぎ回っているのを眺めていた。


(ぐぬぬ……。どいつもこいつもわしに見せつけるように泳ぎおって……。何か手はないものか……。う~む……。さすがのわしも泳げるようになる魔法など知らんし……。……む? 待てよ? あの魔法を使えば……)


 湖の中で水をかけあって遊んでいたリュカとポルンは、ぞっと寒気を感じて動きを止めた。


「な、なぁ、ポルン。なんだか急に冷え込んできたな」

「う、うん……。ちょっと、寒いかも……」

「一旦水から上がって休憩しよう……って、おい! なんだこれ!」


 横を見たリュカは、すぐそばの水面が凍っていることに気がついた。


「そんな馬鹿な! 凍ってるじゃないか!」


 そこへ、その氷を踏みつけながら、マオが高笑いをしてやってきた。


「ふはははは! どうじゃ! わしはその気になれば水だって凍らせることができるんじゃ!」

「なに!? この氷、マオの仕業か! さっさと消せよ、寒いだろ!」

「ふはは! 嫌じゃ! わしに見せつけるように遊んでおった罰じゃ!」

「何が見せつけるようにだよ……。ポルンが練習に誘ったら断ったじゃないか……」

「ふはは! 水に顔をつけるのが怖いでな!」

「堂々と情けないこと言いやがって……」


 そんな会話を他所に、ポルンは首を傾げた。


「ねぇ、マオちゃん。マオちゃんって、どこでも水を凍らせられるの?」

「うむ! できるぞ! その気になればたった一滴の水滴を巨大な氷の塊に変化させることだって可能じゃ!」

「じゃあさ、どうして炎龍が来た時にやらなかったの?」

「なぬ?」

「氷をいっぱい作って部屋に置いとけば、暑さはしのげたんじゃない?」

「…………」


 黙り込むマオに、リュカは呆れたようにたずねた。


「もしかして……自分が氷を作れることを忘れてたのか?」

「…………ま、そういうこともあるじゃろう」

「ねぇよ」



   ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 湖のふち。マオはそこに両手をつき、ポルンとリュカに支えられ、顔をつける練習をしていた。


「ほら、頑張ってマオちゃん!」

「もう少し息止められるようにならないと」

「ぷはぁ! 無理じゃ! 怖いぃ!」

「お風呂だと普通に潜れるのに……」

「ここは足がつかん! だから怖い!」


 そんな三人のもとに、先に湖から上がっていたフレデリカが声をかけた。


「三人とも、そろそろ昼食にしよう」

「「はーい」」


 ポルンとリュカは、練習でヘトヘトになったマオを抱え、弁当が広げられているシートまでやってきた。

 そこではすでに、ミリアが幸せそうな顔でおにぎりを頬張っていた。


 リュカが不満そうに眉をひそめる。


「あー。なんだよミリア。もう食ってるのか」

「おいしいっ」

「感想なんて聞いてないし……」

「これおかか!」

「おかか? たらこはないのか?」

「これたらこ!」

「じゃあそれをもらおう」

「きれいっ!」

「はいはい。きれいきれい」

「楽しい!」

「なー」


 未だ興奮冷めやらぬミリアは放っておいて、リュカもおにぎりを一つ頬張った。


「んー。料理長が作った料理は何でもおいしいなー」


 それまでへばっていたマオも、おにぎりの匂いにつられて生気を取り戻した。


「むむ……。何やらいい匂いが……。ほぉ、おにぎりか。これはたまに朝食で食うな。しかし……どれも冷え切っておってうまそうではないな……」


 ポルンが「ちっちっち」と指を立てる。


「わかってないなぁ、マオちゃんは」

「なぬ?」

「お弁当の具っていうのはね、冷えててもおいしいんだよ」

「冷えててもうまい?」

「うんっ。それに、泳いだ後だとなおさらおいしいの!」

「むむ? 何故じゃ? 泳いだことと料理の味がどう関係してくるんじゃ?」

「いいから一つ食べてみなよ! すぐにわかるから!」

「うーむ……」


 どのおにぎりにするか迷っていると、ミリアが「これ」と一つのおにぎりを指差した。


「おすすめ! ツナマヨ!」

「ツナマヨ?」

「おいしいっ!」

「おいしい?」

「きれいっ!」

「お主は今日一日同じようなことばっかり言っておるのぉ」


 ミリアに言われた通り、ツナマヨのおにぎりを一つ掴み取り、それを思い切り頬張った。


「んっ! う、うまし! この味は、以前サンドイッチの中にはさまっとったマヨネーズではないか! それが火を通した魚の身と混ざり合うことで、ここまでご飯と合うようになるとは……。恐るべき、マヨネーズじゃ……」


 おにぎりを頬張ったマオだったが、その腹がぐぅっと大きな音を立てた。


「むむっ! そ、それに、いつの間にやら気づかんうちにめちゃくちゃ腹が減っとる!」


 ポルンが自慢げに、


「そうなんだよねぇ。泳ぐと体力を使うから、ものすごく食べちゃうの。でも、空腹は最大の調味料っていうし、普段より食べ物がおいしく感じるよね!」

「たしかに……。腹が減っておる時であれば、この冷え切ったおにぎりでもなんら抵抗はない……。いや、むしろ熱々のおにぎりよりもガツガツ食べられ、満足感が増しておる。うーむ……やはり料理とは奥深いものじゃ……」

「そっちにはからあげと玉子焼きもあるからね」

「なぬ!? どこじゃ!?」


 マオはからあげと玉子焼きも頬張ると、満足そうに口元を緩めた。


「むふふ。こっちも冷えておってもうまし……。食えば食うほど、ますますおにぎりが進むのぉ」


 リュカはおにぎりを頬張りながら、


「これ食い終わったらまた泳ぐ練習だからな。今日中に十メートルは泳げるようにならないと」

「望むところじゃ!」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 炎龍の脅威も去った夕暮れ時。

 ツバキが操る一台の馬車が、ポノノアの街に向けて走っていた。

 ツバキが馬車の中に視線を移すと、行きは元気に話していたマオたちが、みんな疲れ切って寝息を立てていた。


 ツバキは満足そうに微笑むと、小さな声でつぶやいた。


「遊び疲れて眠っているお客様をお送りするのも、これまた幸せでございますな」


 そうして、馬車はゆっくりと砂利道を進んで行く。





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〇本日の献立

・おにぎり:弁当の王道。三角型、俵型を筆頭に、球体型、楕円型など、様々な形のおにぎりがある。中に入れる具材も、ツナマヨ、たらこ、昆布、おかかなど、多種多様で、家庭によってその組み合わせは様々。

 夏場は熱がこもって具材が傷みやすくなるので、中に入れる具材は慎重に選ばなくてはいけない。


・からあげ:鳥肉に、酒、みりん、醤油、しょうが、にんにく、ごま油などで下味をつけ、片栗粉や小麦粉をまぶし、油で揚げたもの。家庭や店舗により作り方が異なり、食べるところによって味が大きく違う料理の一つ。


・玉子焼き:溶き卵に砂糖や塩、だしなどを加え、焼いて巻いたもの。玉子焼きを食べる人は何故か好みの主張が激しくなり、自分の好みでない玉子焼きを見かけると人が変わったように気性が荒くなる。

 特に甘い玉子焼きは反対派から攻撃されやすいので、食べる時はこっそり隠れて食べるようにしよう。


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