第42話 カナリア地底湖 前編
マオ、リュカ、ポルンの部屋。
その部屋の中央で、マオが汗だくになりながら叫んだ。
「暑い!」
同じく汗だくのリュカが、ベッドに溶けるように横になりながら、
「しかたないだろう。今この街の近くを炎龍が通過中なんだ。あの龍がどこかに行くまでこの暑さは続くぞ」
「ぐぬぬ……。雨龍といい炎龍といい、どうしてこの街の上空を飛び回るんじゃ」
「ここらへんは昔から炎龍の巡回ルートらしいからな。どこかに行くのをひたすら待つしかない」
「……だめじゃ。辛抱できん。ちょっと行ってくる」
「行く? どこへ?」
マオは窓を開くと、そのまますごい勢いで空へ飛んで行ってしまった。
それを見ていたリュカが、「マオは空も飛べるんだなぁ」とあっけらかんと呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ポノノアの街、上空。そこに一匹の龍がいる。
赤々とした鱗に、絶え間なく噴き出す炎。その龍の体には雲がかかっていてどこまで伸びているのかもわからない。
マオは防御壁を張りながら、炎龍の前に立ちふさがった。
「暑い! ……というか熱い!」
マオの姿を見つけた炎龍は、
「あなたがマオですね。雨龍から話は伺っております。彼がご迷惑をおかけしました」
炎龍の声は澄み渡るような女性の声で、マオはその意外さと腰の低い態度に拍子抜けした。
「む? なんじゃ? お主はあの雨龍とは違い、全く悪意を感じんな」
「私は雨龍とは違い、人間を嫌ったりしておりませんから」
「しかしじゃなぁ、こう街の上を飛ばれては暑いんじゃが……。早うどこかへ行ってくれはせんか?」
「それはできません」
「なぬ? それはなぜじゃ?」
「私の体からは熱と共に、生命の源であるオドが流れ出しています。このオドを大地に芽吹かせなければ、この地は衰退の一途をたどるでしょう」
「う~む……。つまりお主は、そうやって各地を飛び回り、地を耕しておるわけか」
「そうですね。まぁ、雨龍のように長居はいたしません。もう半日もすれば次の大地へ移動しますので、それまではどうか」
「ふむ……。それがお主の仕事じゃというのなら、口出しするまい。……邪魔をしたな。許せ」
「あなたにも、オドの導きがあらんことを」
マオはそのままふわふわと地上へ下りて行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
部屋に戻ったマオは、ぐったりと床に伸びた。
「あ~つ~い~」
「静かにしろよ、マオ。余計暑くなるだろ」
「ところで、ポルンはどうした? さっきからおらんようじゃが」
「ん? ……あれ? さっきまでベッドで寝てたと思ったんだけど……。この暑さが嫌になって厨房の冷蔵庫の中に避難したんじゃないか?」
「なるほど! その手があったか!」
「いや、冗談だって……。冷蔵庫の中とか入っちゃだめだから」
「……あ~つ~い~」
「静かにしろよ~」
そんな会話を二人がぐだぐだ交わしていると、バン、と勢いよく扉が開かれ、ポルンが姿を現した。
「泳ぎに行くよ、二人とも!」
リュカはベッドに寝そべりながら、顔だけをポルンの方に向けた。
「泳ぎに行く? どこに?」
「ふっふっふ。それはずばり、カナリア地底湖だよ!」
カナリア地底湖、と聞き、それまでずっとベッドに寝そべっていたリュカは飛び起きた。
「カナリア地底湖だって!?」
その名前にピンとこないマオが、先ほどまでのリュカと同様、床に寝そべりながらたずねた。
「なんじゃ、それは?」
「おい、マオ! カナリア地底湖を知らないのか!?」
「知らん。地底湖というからには、地中にある湖のことか?」
「そうだよ! でも、それだけじゃないんだ! めちゃくちゃ綺麗で! 人気すぎて入場規制されてる観光地なんだよ!」
「ほぉ」
「しかも地底湖だからすごく涼しい」
「なぬ? 涼しいのか?」
「元々地底湖はひんやりしてるからな。今は炎龍のおかげでちょうど水が気持ちいくらいになってるはずだ」
「ならば行かねばなるまい。その地底湖に」
リュカはポルンに向き直り、
「にしても、よく入場券が手に入ったな」
「フレデリカさんが友達からもらったんだって! それで、私たちも一緒に連れて行ってくれるって!」
「おぉ! さすがフレデリカさん! ルーシー・キャットに続き、カナリア地底湖の入場券まで!」
「さぁ、二人とも! 準備して、準備! もうすぐ馬車がくるから!」
「おう!」
「うむ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『白日の宴』本部前。
三人は、フレデリカとミリアと合流し、馬車が来るのを今か今かと待っている。
ミリアが、となりに立っているポルンに向かって言った。
「フレデリカに感謝しなさいよ!」
「う、うん。もうさっきお礼言ったから」
「地底湖行ったことある!?」
「ないよー」
「地底湖って寒そう!」
「今は炎龍のおかげでちょうどよくなってるんじゃないかな」
「綺麗だって聞くし!」
「そうだねー」
「地底湖行ったことある!?」
「ないよー」
「寒そう!」
「……だねー」
(ミリアちゃん、よほど地底湖行くの楽しみなんだなー……。興奮しすぎてさっきから何度も同じこと言ってくる……)
そしてようやく、五人のもとに馬車が到着した。
目の前で止まった馬車から、スラっと背の高い狸の獣人が現れる。
おしゃれな中折れ帽を被り、全身をピシリと派手な赤色のスーツで決めていた。
狸の獣人は帽子を片手に、深々と大袈裟にお辞儀をして、
「このたびは、ギルド『旅のお供屋』をご利用いただき、まことにありがとうございます。僭越ながら、本日はわたくし、ツバキ・イルマが皆様の旅のお供させていただきます。以後、お見知りおきを」
なんとなくみんな拍手で迎えると、ツバキは「いやはや」と照れたように帽子を被りなおした。
「では皆様、どうぞ中へ。旅路はこれより一時間ほどでございます。道中、ごゆるりとおくつろぎくださいませ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
五人を乗せた馬車はポノノアの街を抜け、平原の中にある砂利道を走っていた。
馬車の中で雑談が盛り上がる中、マオは一人、ツバキのとなりに座って外の景色を堪能していた。
ツバキが問う。
「マオ様は馬がお好きなんですか?」
「馬? いや、食ったことないからわからんな」
「いえいえ、そうではなく、見るのがお好きかとたずねたのでございます」
「うぅむ。そうじゃなぁ。思えばこうして近くでじっくり見る機会などなかったし、改めて見ると艶々しておって綺麗じゃな」
「そうでしょうとも! なにせこの馬はわたくしの自慢の馬でございますからね! ……馬をお近くでごらんになるのが初めてということは、マオ様は馬車は初めてなのですか?」
「うむ。そうじゃ。……じゃが、以前、魔石機関車というやつにはのったことがあるぞ」
それを聞き、ツバキはピクリと反応した。
「魔石機関車、でございますか?」
「うむ。地下を走っておってな、あれもあれで中々よいものであった」
「ふむ……。ということは、それを操縦していた白い狸とも話しましたか?」
「白い狸? あぁ。たしか名前は……ネモ・ノラ、じゃったかな」
「おぉ! 名前まで覚えているとは!」
「それがどうかしたか?」
「いえいえ、そのネモ・ノラという者は、実はわたくし共、『旅のお供屋』のギルドメンバーなのでございます」
「ほぉ。そうじゃったか。……にしても、随分印象が違うのぉ。ネモは喋るが苦手じゃったが、お主は楽しそうに喋りおる」
「そりゃあもちろん! わたくしにとって、お客様とのお喋り以上に楽しいことはありませんからね!」
ガタゴトと馬車が揺れる中、マオは改めてネモのことをたずねた。
「ネモはどうしておる? 元気にしておるか?」
その質問を待っていましたと言わんばかりに、ツバキはにこりと微笑んだ。
「えぇ。もちろん元気ですとも。……実は、ずっと元気をなくして地下に引きこもっていたんですが、最近になって突然また観光の仕事がしたいと言い始めましてね。今はその準備に追われているようです」
「ほぉ。それはよかった。しかし、ネモは喋れんので人はのせんと言っておったが……。大丈夫なのか?」
「あっはっは。やはり彼女はそのことを気にしていましたか。一言相談してくれればいいものを。……たしかにわたくしとは違い、ネモ・ノラは無口な人ですからね。しかし、彼女も我々同様、お客様をのせて乗り物を操縦するということに、この上ない喜びを感じるのでございます。きっと、彼女ならばその壁を乗り越えることでしょう」
「ふ~む。わしは別に、ネモが喋らんくても楽しかったがな」
「ほぉ! であれば、マオ様はネモ・ノラにとってこの上なく最高のお客様ということですね! 今後ともネモ・ノラをどうぞごひいきに」
「……ま、機会があればまたのってみたいのぉ。にしても、あれからしばらくこの街を散策しておったが、魔石機関車なるものはそこでしか見たことがなかったな」
「そうでしょうとも! 魔石機関車なんて代物を操縦できるのは、今やネモくらいのものですからね。彼女が復帰してくれればうちのギルドとしては大助かりです」
「あれは操縦が難しいのか?」
「難しいなんてものではありません。一握りの才能のある者が、絶え間ない努力を重ねてようやく動かせるという乗り物なんです」
「ふむ。あれはそんな特別なものであったか」
「……まぁ、マオ様がのったのは地下ですから、あまり関係はないかもしれませんが」
「む? どういう意味――」
マオの言葉の途中で、ツバキが「おや?」と前方を見ながら口をはさんだ。
「もう目的地に到着したようですね」
「なぬ?」
いつの間にか、馬車が走っている道の先に、一つの大きな街がそびえていた。
岩肌に建築されたいくつもの家屋。ところどころに、五メートルはあろうかという大穴が開いていて、時折、その穴から綺麗な光線が伸びている。
ツバキはみんなの方を振り返り、
「皆様! 到着いたしました! ここが目的地、『水流の里』でございます!」
全員が物珍しい岩肌に建設された建物に目を奪われる中、マオは少し寂しそうに、
「むぅ。もうお喋りの時間は終わりか」
「あっはっは。わたくしとのお喋りを惜しんでいただけるとは、この上ない幸せです」
「帰りもお主の馬車であろう? であれば、話の続きはまたその時じゃな」
「ふふふ。さて、それはどうでしょうか」
「なぬ?」
意味深なツバキの態度に違和感を覚えたものの、マオたち一行は無事馬車を降りることとなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『水流の里』には、観光地らしく、様々な食べ物屋が乱立していた。
だがほとんどの店はこの暑さで店を閉めており、ちらほらと見える観光客らしい人たちもぐったりとした様子だった。
マオは残念そうに言う。
「この暑ささえなければ、うまいものがたらふく食えたかもしれんのに……」
フレデリカは汗をぬぐいながら、
「まぁ、飯は料理長が弁当を作ってくれたし、問題ないだろう」
「なぬ!? 料理長の弁当があるのか!?」
「あぁ。あるぞ」
「ふはは! ならばよし!」
(観光地の名産より、料理長の弁当の方がいいのか……)
横を歩いていたポルンが、
「わぁ! 見て! すごい!」
そう言って走り出すと、道の先にあった広場へ走り出した。
広場の中央には柵で囲まれた大きな穴が開いていて、そこから時折、赤やら緑やらの光線が空に向かって伸びている。
「綺麗! なにこれ!」
興奮するポルンの横へ、ミリアも一緒に駆け寄った。
「穴開いてる! 光出てる! すごいっ! フレデリカ! ほら見て!」
「あぁ。見てるよ」
「もっとよく見てっ! ほらっ!」
「あぁ。すごいな」
リュカは、いつの間にか一冊の冊子を持っていて、それを見ながら、
「この街にはそこら中に穴が開いてるんだってさ。で、太陽の光が差し込んで、地下にある鉱石に反射して、光線になって戻ってくるんだって」
ポルンが振り返って、
「リュカちゃん、その本どうしたの?」
「さっきそこにあったぞ。無料みたいだからもらってきた。他にもいろいろ載ってるけど、さすがにこの暑さの中で歩き回りたくないし、もう目的地に行った方がいいかもな」
マオは、はてと首を傾げる。
「目的地? そう言えば、わしらは何をしにここまで来たんじゃったかな?」
「マオは相変わらずだな……。地底湖だよ、カナリア地底湖」
「おぉ。そうじゃったそうじゃった。……で、その地底湖とやらはどっちじゃ?」
「地図によれば……あっちだな。もう少し街の奥だ」
「ふむ。では、行くかの。……料理長の弁当を食いにな!」
「泳ぎにだろ……」
こうして、マオたち一行は街の奥へ足を向けた。