第39話 師匠の昔話
ポノノアの街からほど近くにあるダンジョンの入り口付近で、マオは茂みをかき分け、目を凝らした。
「おっ。ここにもあったわい」
そう言って、地面から生えている草になった緑色の実をむしり取ると、背負っているカゴの中にひょいと投げ込んだ。
すでにカゴの中には、同じ実が山のように積み重なっている。
マオは腰をうんと伸ばすと、ため息をついた。
「まったく。どうしてわしがこんなことをせねばならんのじゃ」
マオのぼやきを聞き、近くの茂みから師匠がひょっこり顔を覗かせた。
「うるさいにゃ。お前はこの前自分のワインをダメにしたんだから、きっちり働くにゃ」
「じゃったらミリアも連れてこんか。ミリアも」
「あいつはクエスト中でいにゃかったにゃ。マオは暇してたにゃ。だから連れてきたにゃ」
「わしは暇しておったわけではない。じっくり時間をかけて精神統一をしておったのだ」
「涎垂らしにゃがら寝てたじゃにゃいか」
「精神統一も極まれば涎くらい垂れるじゃろうが」
「口のにゃかに指突っ込んだら気付かにゃいでペロペロにゃめてたにゃ」
「なぬ!? ひ、人が寝ておるところに何してくれとるんじゃ!」
「やっぱり寝てたんじゃにゃいか」
「…………」
マオはぐずぐずと文句を垂れながら、またも同じ実を摘み、それをカゴの中に入れた。
「にしても、これは何の実なんじゃ?」
「……チョコの実だにゃ。……つーか、カゴに半分も摘んどいて知らにゃかったのかにゃ」
「ほぉ、チョコの実か。む? それにしては随分緑色ではないか。わしが知っとるチョコはもっと茶色っぽかったぞ」
「その緑色のはチョコの実の外皮だにゃ。皮を剥くとにゃかに黒いのが入ってるにゃ」
「なんと……」
マオが摘んだばかりのチョコの実の皮を剥ぐと、中から真っ黒なビー玉のような実が姿を現した。
「おぉ! たしかに似ておる! ……じゃが、これはこれで黒すぎやせんか?」
「……にゃは!」
「む? なんじゃ、にやにやしおって」
「マオ、それちょっと食べてみるにゃ!」
「なぬ? よいのか?」
「にゃあ!」
「では、さっそく……」
パクリ。
「うぐっ!? な、なんじゃこれは!? に、苦い! 苦すぎて食えん! ぺっぺっ!」
「にゃはははは! ミルクも砂糖も入ってにゃいチョコの実はめちゃくちゃ苦いにゃ!」
「お、おのれぇ……知ってて食わせおったか」
「にゃはは。マオに嫌がらせしてすっきりしたにゃ。これでミリアがワインを割った分は帳消しにしてやるにゃ」
「ぐぬぬ。納得いかん」
師匠はチョコの実をつまんで、それをまじまじと見つめた。
「それにしても、こっちの世界はほんとに便利だにゃ。自分が元いた世界にはこんにゃものにゃかったにゃ」
「むむ。そうなのか?」
「そうにゃ。……そういえば、自分がこの世界に来た時は今とはかにゃり違ってたにゃ」
「ほぉ。お主の昔話か。興味があるのぉ。そもそも、どうしてお主はタダで料理など教えておるのだ? せっかくの秀でた能力じゃ。自分だけの物にしておく方が利益につながるじゃろうに」
「……にゃあ。せっかくだし、チョコの実を摘むついでに少しはにゃしてやるかにゃ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それはマオがこの世界に転生してくる数年前のこと。
とあるダンジョンの入り口付近で、一人のリトルキャットがうつぶせで倒れていた。
「……うぅ……」
リトルキャットは悪夢にうなされるように顔を歪めている。
そして、地面にへばりついたままはっと目を覚ました。
「にゃ!? ……び、びっくりしたにゃー。自分がトラックに跳ねられて死んじゃう夢を見たにゃ……。……にしても、夢に出てきたおんにゃに、今度生まれ変わったら誰からも好かれる奴ににゃりたい、だにゃんて、すっごく恥ずかしい願いをしてしまったにゃ……」
リトルキャットはその場で立ち上がると、パンパンと服についた土埃を払いのけた。
記憶が混濁しつつも、見覚えのない周りの風景をぐるりと見まわした。
「にゃー……。ところでここはどこにゃ? 自分はたしか、ティッシュがにゃくにゃってるからコンビニに買いに行って……」
記憶の中で激しいブレーキ音がこだまし、視界一杯に広がったライトの光を思い出した。
「にゃは……。にゃんだ今の映像は……。いやにリアルだったにゃ……。ま、まさか……あれ、夢じゃにゃかったのかにゃ」
受け入れがたい現実にわなわなと震え始め、口元に手を持っていくと、その手が妙にふわふわしていて、肉球がついていることに気が付いた。
ためしにその肉球を押してみるが、押している感触も、押されている感触もたしかに感じる。
「にゃ……にゃんだこれ!? というか、さっきからにゃってにゃんだにゃ!? 勝手に語尾ににゃがつくにゃ! どうなってるんだにゃ!?」
その時だった。
現実を受け入れられずにいるリトルキャットのもとに、すぐそばにある洞窟から、一匹のスライムがズルズルと這いずってきたのだ。
「にゃあ!? 変にゃ生き物がいるにゃ!?」
ズルズル。
「こっちに近付いてくるにゃ!」
ズルズル。
「にゃにゃにゃにゃにゃ! こ、腰が抜けて逃げられにゃいにゃ! だ、誰かぁ! 誰かいにゃいかにゃあ!」
スライムはそのままゆっくりと接近してきて、ついにリトルキャットの足にピタリとくっついた。
「にゃあああああ! と、取り込まれるにゃああああ!」
あわや転生した矢先に再び死にそうになっているリトルキャットのすぐ後ろの茂みから、一人の女性が飛び出してきた。
「あ、あの……だ、誰かいますかぁ。……こ、声が聞こえたから来てみたけど……や、やっぱり、誰もいない、よね……」
「いるにゃ! ここにいるにゃ! すぐ下にゃ!」
「えっ!?」
「助けてくれにゃ! この変にゃ生き物に殺されるにゃ!」
「わわっ! す、すいません! は、は、はじめまして!」
「呑気にあいさつしてる場合じゃにゃいにゃ!」
「あわわわわ! ど、どうしよう!」
「は、早く助けるにゃ!」
その女性は近くにあった棒を拾い上げると、ペシリとスライムを叩いた。
何度かそれを繰り返すと、スライムはリトルキャットの足を離れ、そのまま洞窟の方へ戻って行った。
「はぁ……はぁ……。た、助かったにゃ……。ありがとうだにゃ……」
「ど、どういたしまして……」
「お、お前、にゃまえはなんていうんだにゃ」
「名前? え、えっと……ルナ・ナナです」
「ルニャ・ニャニャにゃ」
「い、いえ。ルナです。ルナ・ナナ」
「……ルニャ。ルニャ! ルゥニャ! ……無理だにゃ。あんまりうまく舌が回らにゃいにゃ」
「じゃ、じゃあ、ルニャでも構いませんよ。それで、あなたは?」
「自分はタニャカ……タニャ! タァニャ! ……じ、自分のにゃまえも言えにゃいにゃ」
ショックを受けているリトルキャットをよそに、ルナがたずねた。
「タ、タニャさん?」
「……いや、にゃまえはまた今度教えるにゃ。それまで待っててほしいにゃ」
「え? は、はい。じゃあ、そ、それまでは猫さんって呼びますね」
「……猫さん? にゃ!? ちょ、ちょっと、鏡持ってるにゃ!?」
「鏡ですか? は、はい。どうぞ」
ルナから鏡を受け取り、改めて自分の姿を確認したリトルキャットは、
「にゃあ!? 薄々気付いてたけどやっぱり猫ににゃってるにゃ!」
「ど、どうしたんですか? そ、そんな大きな声を出して……」
「にゃあああ! ぺったんこだにゃ!」
「……ぺ、ぺったんこ?」
「にゃああああ!」
ぐぅぅぅぅ。
「……にゃ?」
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
「うっ。は、腹が減って……かにゃしんでる場合じゃにゃいにゃ。ルニャ、悪いけど、にゃにか食べ物を持ってたらわけてほしいにゃ」
「食べ物、ですか? お、おにぎりなら……」
「くれにゃ!」
ルナにおにぎりを渡されたリトルキャットは、あんぐりと口を大きく開け、一口で半分ほど平らげた。
最初は空腹を満たせると喜んでいたリトルキャットだったが、おにぎりをもぐもぐと咀嚼しているうち、段々と表情が曇ってきた。
「……うげぇ。このおにぎり、激マズだにゃ」
「…………え、えっと、すいません。私が作ったおにぎりもあるんですが、そっちも食べてみますか?」
「ルニャが作ったおにぎりにゃ? 今貰ったのはにゃんだったにゃ?」
「う、うちのギルドで支給されたおにぎりです。でも……私はあまり口に合わないので、こっそり自分で作ってるんです」
「そりゃそうにゃ。さっきのおにぎりは酷い味だったにゃ」
新たにルナの作ったおにぎりをもらったリトルキャットは、今度は恐る恐る小さくかみついた。
さっき食べたまずいおにぎりのせいで、最初は怪訝な表情を浮かべていたリトルキャットだったが、もぐもぐとおにぎりを咀嚼しているうちに、表情は次第に明るくなった。
「うまいにゃ! ちゃんとしたおにぎりだにゃ!」
「よ、よかった……」
リトルキャットはもらったおにぎりをすごい勢いで食べ終えると、
「ふぅ。おいしかったにゃ。ありがとうだにゃ。このお礼はいつか必ずするにゃ」
「い、いいですよ、お礼なんて!」
「……ところで、さっきのまずいおにぎり、あんにゃの渡されて誰も文句を言ったりしにゃいのかにゃ?」
「……はい。みんな、食べ物にはあまり興味がないようで……」
「にゃるほど。……じゃあ、この辺りでにゃにかおいしい料理を出す店はあるかにゃ?」
「この辺りですか? さ、さぁ……実は、私もこの街に来たばかりであまり詳しくは……。で、でも、ポノノアはダンジョン攻略が盛んな街ですから、あまり料理の方は期待しない方が……」
「そうにゃのか?」
「は、はい。この街の人は、みんな冒険に夢中で、料理には頓着してないみたいなので……」
(にゃるほど。だからさっきのおにぎりは激マズだったにゃ。しかし、あのマズさがこの街の平均だとすると、料理人として見過ごせにゃいにゃ)
「ルニャ、ちょっと頼みがあるにゃ」
「頼み、ですか?」
「にゃあ。今からそのポノノアという街に行ってにゃにか食べさせてほしいにゃ。そのお礼に、ルニャには自分が知ってる料理を教えてやるにゃ」
「……料理を、ですか? え、えっと……あなたは?」
「自分は遠くの方から来た料理人だにゃ」
「料理人……」
ルナはしばらく迷っていたが、
「わ、わかりました」
そう返事をし、リトルキャットをポノノアの街へ連れて行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ポノノア。ルノワール商店街。
そこは冒険者でひしめき、露天では様々なドロップアイテムが売っていた。
だが、飲食店の数は少なく、ようやく見つけた商店街の端っこにあった一軒の店に、リトルキャットとルナは入店した。
リトルキャットは店内を見渡すと、
「あんまりお客さんがいにゃいにゃ」
「そ、そうですね」
「この店の料理はおいしいのかにゃ?」
「さ、さぁ、どうでしょうか。私は普段、自分で作った物しか食べないので……」
「不安だにゃ……」
そして二人の前に料理が運ばれた。
赤く染まったスープの中に、白い固形物が沈んでいる。
リトルキャットはそれをひょいとスプーンで持ち上げた。
「この料理はにゃんていう料理だにゃ?」
「ク、クラーケンの、煮込みスープです。この店で一番の人気料理だって、メニューに書いてました」
「……この白いのはにゃんだにゃ?」
「そ、それはクラーケンの足です」
「じゃあ、この赤いのはにゃんだにゃ?」
「トマト、ですね」
「にゃあ。こっちの世界にもトマトがあるのは僥倖だにゃ。……まぁ、とにかく一口」
パクリ。
クラーケンの足を口に放り込んだリトルキャットは、舌に広がる妙な味に首を傾げた。
「ルニャ……たしか……これがこの店で一番の人気料理だと言ってたにゃ……」
「は、はい……」
リトルキャットは勢いよく机を叩いて立ち上がると、大声で叫んだ。
「まずいにゃぁぁぁぁぁ!」
「ちょ、ちょっと! 猫さん!」
あわあわと慌てふためくルナをよそに、リトルキャットは凄まじい形相でまくしたてた。
「まずい! まずすぎるにゃ! こんな料理出してる料理人の顔が見てみたいにゃ!」
その咆哮は当然店内にも轟き、怒りで顔を赤く染めた店主が現れた。
「ちょっと! 言いたいこと言ってくれるじゃないか! あたしの料理がまずいって? 冗談じゃない!」
「まずいにゃ! こんなの人間の食べ物じゃにゃいにゃ!」
「何を! だったらあんたが作ってみなさいよ!」
「望むところだにゃ!」
「……え?」
売り言葉に買い言葉で言い返しただけの店主は呆気にとられながらも、我が物顔で厨房に行くリトルキャットを止めることはできなかった。
それからしばらく、機嫌の悪い店主と二人きりにされたルナが気まずさで逃げ出したくなった頃、リトルキャットが料理の入った皿を二つ持って戻ってきた。
「できたにゃ。ほら。食べてみるにゃ」
ルナと店主はその皿を覗き込むと、わが目を疑った。
「なんだい、これ! あたしが作ったクラーケンの煮込みスープじゃないか!」
「……あれ? で、でも香りが全然違いますね」
「え? ……あら? ほんとだ」
リトルキャットは「にゃはは!」と高笑いをすると、二人にそれぞれスプーンを手渡した。
「この手ににゃれてにゃいせいでちょっぴり時間がかかったけど、味は保証するにゃ!」
「……あ、あの、このクラーケンの足に、どうして網目状の切れ目が入っているんですか?」
「イカはそうやって繊維に切れ込みを入れてやることで身が柔らかくにゃるにゃ。それに味も染み込みやすくにゃるし、熱も通りやすくにゃるにゃ」
「そ、そうなんですか!?」
「にゃあ。ささ、とにかく食べてみるにゃ」
ルナと店主はお互いの顔を見合わせた後、恐る恐るスープごとイカを頬張った。
その瞬間、ルナと店主は同時に声を上げた。
「んっ! す、すごい! こんなにしっかり味がついてる料理なんて、他の街でも食べたことない! トマトの嫌な酸味がこんなにおいしく感じるだなんて!」
「なんだいこれ!? ほ、ほんとにうちにあるものだけで作ったのかい!?」
「にゃはは! どうだにゃ! 恐れ入ったかにゃ!」
ルナは即座にリトルキャットの手を取り、両膝を床につけた。
「し、師匠と呼ばせてください!」
「にゃ? し、師匠にゃ?」
「はいっ! ぜ、ぜひ、私に料理を教えてください!」
「にゃはは! もちろんいいにゃ!」
リトルキャットは店主の方を向くと、
「ついでにお前にもこのスープの作り方を教えてやるにゃ」
「えっ!? い、いいのかい!?」
「にゃあ。お前だけじゃにゃいにゃ。誰にでも料理を教えてやるにゃ。だから料理を教えてほしくにゃったら自分に言うにゃ。そしていつか、この街をおいしい料理でいっぱいにしてやるにゃ! にゃはははは!」
そして、師匠と呼ばれるリトルキャットは毎日代わる代わる料理を教え、ポノノアの街は腕のいい料理人で溢れかえることとなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
話を聞き終えたマオは、驚いて目を見開いた。
「な、なんと! ではこの街の料理がうまいのは、お主のおかげか!?」
「いや、そういうわけでもにゃいにゃ。たしかに自分が料理を教え始めてから飲食店がどっと増えたにゃ。でも、あの後にゃん件か店をまわったら、おいしい料理はいくつか見つかったにゃ。『ルーシー・キャット』のチーズケーキとか、簡単なパンや酒もレベルが高かったにゃ。つまりだにゃ。単にみんな、冒険に夢中でそこまで料理に興味がなかっただけにゃ」
「うーむ。しかし、そやつらの目を料理に向けさせたのは間違いなくお主の功績じゃろう。あっぱれじゃ」
「にゃはは。褒めるにゃ褒めるにゃ。照れるじゃにゃいか」
師匠はしばらく満足そうに高笑いをした後、どっとため息をついた。
「まぁ、自分は毛が入るからまともに厨房には立てにゃいんだけどにゃ」
「……な、なんと不遇な」
「誰か熱がこもらにゃい割烹着とか作ってくれにゃいかにゃー……」
「…………」
その後、マオは延々師匠の愚痴を聞かされながらチョコの実を採集するハメになった。
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〇本日の献立
・クラーケンの煮込みスープ(店主ver):海に生息する幼体のクラーケンからドロップする『クラーケンの小足』をトマトベースのスープで煮込んだ料理。たっぷりの水にトマトを丸々入れて煮詰め、その後ぶつ切りにした『クラーケンの小足』を放り込む。『クラーケンの小足』に中々味が染みず、やや水臭い。塩コショウの量が少なすぎるため、全体的に味が薄かった。
だが、それまで味に関心がなかった数年前の冒険者たちは食べてもまずいとは感じなかった。師匠が教えた料理が街に広がると、ようやく冒険者たちもおいしいものとまずいものの区別がつくようになった。