第38話 ホットケーキ
厨房。
マオ、リュカ、ポルンの三人から調理台をはさんだところに、厳かな雰囲気を持った料理長がやってきた。
料理長はふぅ、と息をつくと、三人に視線を送り、ゆっくりと口を開いた。
「ででででででは! 料理教室をはじはじはじめたいとおもおも思います!」
「ガチガチではないか」
「あわわわわわ!」
「落ち着け、料理長」
「あわわわわわわわわわ!」
「いやいや、今まで普通にわしらの前で料理しとったではないか」
「ででで、でも! 改まって料理教室だなんて! わ、わ、私には荷が重いよ!」
「そこまで気負わんでよい。わしらはただ甘い物が食べたいから来ただけじゃ」
「……そ、そうなの?」
「うむ」
ポルンが「はい!」と手をあげると、
「私、料理長に『ホットケーキ』の作り方教えてほしい!」
「ホットケーキ?」
「そう! この前読んでた本に出てきたの!」
「ポ、ポルンちゃんって本好きだよね。いつもどんなの読んでるの?」
「どろどろの恋愛ものが好き!」
「……そ、そう。い、いいよね、恋愛もの」
料理長はどこかぎこちない笑顔を浮かべながら、いそいそと準備を始めた。
「えっと、じゃあ、まずはこのボールに、薄力粉とベーキングパウダーを混ぜて振るうんだけど……。だ、誰がやる?」
「わしがやろう」
「私やりたい!」
「あたしも!」
「……じゃ、じゃあ、順番で」
マオ、ポルン、リュカの三人は、それぞれが自分の分のボールに薄力粉とベーキングパウダーを振るっていった。
料理長はその様子を見て、
「マ、マオちゃん、案外器用だね」
「うむ。この作業は前にクッキーを作った時に教わったからのぉ」
(……む? 案外とはどういう意味じゃ?)
料理長は次に視線をリュカに移した。
「あっ! リュカちゃんも上手!」
「え? えへへ。そうですか?」
「うんっ! とっても器用!」
次にポルンに視線を移した料理長は、驚いてビクリと体を震わせた。
というのも、ポルンのボールの周りが粉だらけになっていたからだ。
「ちょ、ちょっとポルンちゃん! こぼれてる! こぼれてるから!」
「え? ……うわっ!? いつの間に!?」
「も、もう少し小刻みに網を振らないと……」
「こ、小刻みに……小刻みに……」
ポルンが微かに体を振動させると、持っている網からパラパラと極少量の粉が落ちていった。
「……も、もう少し強く振らないと時間がかかっちゃうかも」
「えっ!?」
「こう、網の端っこをトントン叩く感じでも大丈夫だよ」
ダンダン!
「ト、トントンだよ、トントン」
ダンダン!
「……ポ、ポルンちゃん……。粉、ほとんどこぼれちゃってるから」
「……あ、後ですくってまた振るえば大丈夫だよ。自分の分だし」
「……う、うん。そうだねぇ」
それからマオとリュカの倍以上の時間をかけ、ポルンもようやく粉を振るい終わった。
次に料理長は、
「じゃあ、そ、その粉に、ヨーグルトと、牛乳。それから砂糖と卵を入れて、だまにならないように混ぜてみて」
「む? だまとはなんじゃ?」
「こ、粉っぽいところがなくなるまで混ぜてってことだよ」
「うむ。なるほど」
マオは器用に卵を二つ、ボールの中に落とし込んだ。
「わぁ、マオちゃん卵割るのも意外と上手だねー!」
「これも前に習ったことがあるでな」
(……む? 意外とはどういう意味じゃ?)
マオに倣い、リュカも同じく卵を割ってみせた。
「リュカちゃんも上手! センスあるかも!」
「えへへ~」
二人の姿を見て、ポルンはやる気満々に腕まくりをした。
「よぉし! 私は二人と違って片手で割っちゃうもんねー!」
「ポ、ポルンちゃん、両手で割ろうね」
「えー! 私片手でできるよー!」
「卵割るの得意なの?」
「ううん! やったことないけどそこはかとなくできる気がするの!」
「や、やっぱり両手で割ろうね」
「えー」
ポルンは渋々卵をトントンとボールのふちにぶつけると、力が入りすぎて案の定握りつぶしてしまった。
「あれっ!?」
「だ、大丈夫! ほとんどボールの中に入ったから殻を取り除けば使えるよ!」
「……私、もしかして料理下手なのかな」
リュカがジトリとポルンを睨む。
「この前フロランタン作った時、すでにお前は役立たずだったぞ」
「そんな馬鹿な!?」
「あたしがフォローしてなかったらあれは別の何かになってただろうな」
ポルンはわなわなと体を震わせて、
「し、信じられない。私が、料理下手だったなんて」
「受け入れろ。そして練習しろ」
「ううん。私は信じないわ」
「どうしてそんなに頑ななんだよ」
「料理長! 早く次の工程を! 私がどれだけ料理上手か見せてやるんだから!」
「お前はその前に現実を見ろ」
料理長はいそいそとフライパンを用意すると、それにさっと油を塗った。
「……うん。いい感じの温度になったかな。じゃ、じゃあ、ポルンちゃん。次はこのフライパンの上に生地を流して焼いてみようね」
「わかった! でもその前に火力最大にしてもいい? 火を強くした方が生地も強くなりそうだから!」
「だ、だめだよ! そんなことしたら焦げちゃうから!」
「私がやっても焦げるの?」
「ポルンちゃんは料理の神様か何かなの?」
ポルンはぶぅぶぅと文句を垂れながらも、おたまで生地をすくい、それをフライパンの上まで持ってきた。
料理長がすかさず口をはさむ。
「そのままフライパンの中央に落とすだけで、綺麗な円形になるから」
「え? どういうこと?」
「おたまは動かさず、まっすぐ落とすの」
「どうして? それだと丸くならないんじゃない?」
「な、なるよ。とにかくやってみて」
「私はおたまをぐるっと回しながら入れるのが正解だと思うの」
「い、いや、それだと失敗しちゃうから……」
「一回やってみてもいい? まだ生地あるし」
「え? う、うん……いいけど……」
ポルンは料理長の忠告を聞き入れず、フライパンの上にぐるっと回すように生地を入れ、案の定、生地は歪な形で固まってしまった。
「わっ! 失敗した!」
「うん。目に見えてたよ」
リュカもため息を漏らした。
「お前すごいな。成功するために必要なことをすべて叩き壊していったな」
「だって、私だったら成功すると思ったんだもん!」
「何がお前をそこまで妄信させてるんだよ」
フライパンの上の生地を注視していた料理長が、
「あっ! ポルンちゃん! ほら、生地にこうやって泡ができてきたらひっくり返すんだよ!」
「もう少し待った方が甘くなるんじゃない?」
「ならないよ!」
リュカは半ば強引にフライ返しをポルンに握らせた。
「いいからひっくり返せ! このままだと真っ黒になるぞ!」
「えぇー、もう。リュカちゃんはわがままだなー」
「ぐっ。い、いいからさっさとしろ」
ポルンはフライ返しを生地の下に滑り込ませると、
「……あれ? 意外と重いかも」
「ま、まず生地をフライパンからはがすように、何度か入れてみて」
「……こう?」
「そ、そうそう。それで、フライ返しでくるっと」
「私フライパン持ってひょいってやるやつやりたい!」
「そういうのはまた今度にしようね」
「えー。まぁいいか。えーっと……くるっと……くるっと……」
ポルンはタイミングを見計らって、フライ返しで生地を返した。
だが、生地は無常にもフライパンのヘリにへばりついてしまった。
「ぎゃあ! 失敗した!」
「ううん! すごいよポルンちゃん! きちんとできたね!」
「え? でも、形崩れちゃったよ?」
「私、てっきりどこかに飛んで行っちゃうと思ってたから! すごいよポルンちゃん!」
「ふふふ。私の評価、うなぎのぼりだねっ!」
その会話を聞いていたマオが、
(こやつ、案外プラス思考じゃな)
ポルンの生地が焼き終わると、次にリュカがフライパンの上に生地を流し込んだ。
それは綺麗な円形となり、文句のつけどころがなかった。
それを見たポルンが、
「リュカちゃんの生地って面白みに欠けるよね」
「ホットケーキに面白みなんて求めてやるなよ」
「リュカちゃんとよく似てるね」
「ケンカ売ってんのか」
その後、リュカはなんなく生地をひっくり返し、見事なホットケーキを作り上げた。
「あんまり見所がなくてつまらなかったね。リュカちゃんと一緒で」
「自分が料理下手だったからってあたしに当たるのやめろよな」
最後にマオがフライパンの前に立つと、ポルンがにやにやしながら近付いてきた。
「マオちゃん。生地はね、おたまをくるっと回すように入れるんだよ」
「わしに失敗させる気満々ではないか……」
「なんなら私が代わりにやってあげてもいいし」
「いらぬ!」
マオは料理長のアドバイスを守り、きちんと真ん中に生地を落とし、リュカ同様、綺麗な円形の生地が出来上がった。
「ふむ。まずまずじゃな」
その様子を見ていたポルンは、わなわなと震え始めた。
(ぐっ! こ、このままじゃ失敗したのが私だけになっちゃう! なんとかマオちゃんも道ずれにしないと!)
「……ね、ねぇマオちゃん。火力、強くしてあげよっか?」
「いらぬ」
「ほ、ほらっ! もうひっくり返さないと! 下真っ黒こげだよ!」
「大丈夫じゃ。まだ生地に泡ができておらん」
「ぐっ!」
ぷつぷつと生地に泡ができ始めると、マオは生地の下にフライ返しを突っ込んだ。
料理長のアドバイス通り、フライパンから生地を完全にはがし、そのままひっくり返そうとした。
だが――
「……なぬ!? お、重すぎて持ち上がらんじゃと!?」
腕力のないマオは生地をうまく持ち上げることができず、それを見ていたポルンが嬉しそうに口角を上げた。
「あれれぇ? どうしたのマオちゃん。持ち上がらないのぉ?」
「う、うるさいっ! こんなもの、両手でやれば……ぐぬぬ!」
「あれあれぇ? 両手で持って綺麗にひっくり返せるのかなぁ?」
「こ、この状態からどうやって手首をひっくり返せば……」
「ぷぷぷ。ほら、マオちゃん。私が手伝ってあげるから。無理しないで」
「ぐぬぬぬ! ……あ、そうじゃ。浮遊魔法を使えばいいんじゃ」
マオはさっと生地を浮遊させ、そのままひっくり返してストンとフライパンの上に戻した。
「…………えー。それはちょっと……ずるくない?」
「自分の持てる力をつこうて何が悪い」
「……ま、まぁそうだけど」
その後、三人はもう一枚ずつホットケーキを焼き、ポルンだけ二枚目も失敗した。
ポルンは自分の皿に乗った二枚の歪なホットケーキを見て、
「……私って、ほんとに料理下手だったんだ」
「まぁ、そう落ち込むでない。これから頑張ればよかろう」
「……うん。ねぇ、マオちゃん。一枚私のと交換しない」
「嫌じゃ」
「……リュカちゃんは?」
「嫌だ」
「…………」
料理長は、新たに持ってきたバターをマオが焼いた生地に乗せた。
生地の熱で、バターがじんわりと溶け出していく。
そしてその上から、瓶に入ったスラ蜜がくるりと輪を描くように生地をなぞった。
「おぉ! いい香りじゃ! 食欲をそそりよる! ――では、いただきます!」
マオは持っていたナイフとフォークで器用に三角形の生地を切り取ると、あんぐりと口を開け、パクリと一口で頬張った。
「うまし! ホクホクの生地に塩気のあるバターが染み込み、スラ蜜の甘さを掻き立てておる!」
続いて、リュカ、ポルンも自分のホットケーキを口に放り込んだ。
「うん! うまい! それに自分で作ったものだから満足感もひとしおだな!」
「……あっ! 意外とおいしい! きちんと火が通ってる! よかったー……」
「ポルンは普段は人の話をちゃんと聞くのに、料理の時は全然話を聞かないのな」
「そんなことないもん。きちんと料理長の話を聞いて、その上で自分なりのアレンジを加えたかっただけだもん」
「…………あぁ、そう」
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〇本日の献立
・ホットケーキ:薄力粉やベーキングパウダー、卵や牛乳などを混ぜて両面を焼いたもの。気軽に家庭で作ることができるため、子供が初めて作る料理になることも多い。
ホットケーキとパンケーキの違いは諸説あるが、パンケーキのパンはフライパンのパンなので、マオたちが焼いたホットケーキはパンケーキと呼ばれてもおかしくはない。