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第35話 雨龍とスペシャルショートケーキ

 ポルンは部屋の窓から空を眺めると、短くため息をついた。


「まだ降ってる……」


 それを聞いたリュカが、尻尾にクシを通しながら、


「あぁ。もう一週間だな。こう雨が続くと湿気で毛がゴワゴワして嫌になる」


 マオは、あくびをしながら二段ベッドの上からトボトボと降りてきた。


「まぁ、別によいじゃろう、雨くらい」

「……マオ、お前、髪の毛爆発してるぞ」

「うむ。どうやらこの髪も湿気には弱いようじゃ」

「お前もクシ使うか?」

「いらぬ。どうせ今日は非番じゃ。食堂でうまいものでも食って、また寝る」

「お前は自由だなー」


「そう言えば」とポルンが口をはさんだ。


「知ってる? 今日の朝食のビュッフェに、料理長特製のスペシャルショートケーキが出るんだってさ」

「なぬ!? な、なんじゃそれは!?」

「スペシャルショートケーキっていうのはねー、生地から生クリームから、料理長がこだわりにこだわりぬいた食材しか使わないすっごくおいしいケーキなんだよ! 材料費が高くて手に入りにくい食材が多いから、半年に一回くらいしか出ないの!」

「おぉ! そ、それが今日じゃというのか!」

「うん! 昨日、食堂に貼り紙がしてあったよ」

「あの料理長が腕によりをかけたケーキともなると楽しみで仕方がないわ! ふはははは!」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 期待に胸を躍らせ、食堂にやってきたマオ達三人だったが、そこには何やらざわざわと人が集まっていた。

 マオはその輪の中にフレデリカの姿を見つけ、声をかけた。


「これは何の騒ぎじゃ?」

「ん? あぁ、マオか。いや、どうやらこの長雨のせいで、近くで土砂崩れがあって道を塞いでしまったらしい。そのせいで届くはずだった食材が来なかったんだとさ」

「…………なぬ?」


 言葉を呑むマオに、フレデリカは「ほら、あれ」と前方を指差した。

 そこには、『本日、スペシャルショートケーキは中止になりました』と書かれている。


「…………」


 言葉を失って固まるマオの両脇で、ポルンとリュカが「えー!」と不満の声を漏らした。


「うそっ!? 中止!?」

「久しぶりに食べたかったのに……。でも、材料がないんじゃ仕方ないか……」


 周りも残念そうに声を漏らしながらも、打つ手がなく、がっかりとしながら現実を受け入れた。

 マオががっくりと膝を折り、その場で死にそうな表情を浮かべていると、こんな会話が聞こえてきた。


「そう言えば知ってる? 今、()(りゅう)が来てるんだって」

「えー!? こんな人里に!?」

「そうなの。最近ずっと降り続いてるこの雨、その雨龍のせいなんだって」


(…………なぬ?)


 マオはむっくりと体を起こし、


「その話、まことか?」

「え? う、うん。聞いた話だけどね」

「その雨龍とかいう奴のせいで、スペシャルショートケーキはなくなったんじゃな?」

「ま、まぁ……」


 話を聞き終えたマオは、つかつかとその場を離れた。

 リュカとポルンが慌ててその後を追いかける。


「ねぇ、マオちゃん! どこ行くの!」

「おい、マオ! この雨の中、まさか外に行く気か!?」


 足早に歩いていたマオはふと立ち止まると、となりにあった窓を開き、空を眺めた。

 そして、ゆっくりと二人の方に視線を向けると、その表情が雷の光で照らされた。

その見たこともないマオの不気味な表情に、リュカとポルンはごくりと唾を飲み込んだ。

 マオはニタリと微笑むと、


「二人とも安心せい。この雨はすぐに止むじゃろう」


 次の瞬間、ギルド施設のすぐそばに雷が落ちると、それに驚いたリュカとポルンはびくりと目を閉じた。

 そして再びマオがいた場所を確認すると、そこには誰もおらず、開け放たれた窓だけがカタカタと風に揺れているだけだった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 ポノノアの上空に、一匹の龍が滞空している。

 そのウロコは銀色の鈍い光を放ち、縦横無尽に伸びる二本のヒゲは時折ムチのように空を叩いた。

 蛇のようにうねる巨体は途方もなく長く、大型船の汽笛のようにボォっと不気味な鳴き声を漏らすと、口元から雨雲の煙を吐き散らかせた。


 その龍の名は雨龍。

 誰にも縛られることのない、天空の支配者の一人。

 人間にとっては討伐するという概念すら存在しない、孤高の存在。


 そしてその孤高の存在、雨龍は、おそらく生まれて初めて、困惑という感情を抱いていた。


 何故なら、たった今、どこからともなく飛んできた人間の少女が、自分に向かって話しかけてきたからだ。


「おい。雨龍とやら。ここに長く留まるでない。迷惑じゃ」


 人の言葉がわからないはずの雨龍に、少女の言葉ははっきりと聞こえてきた。


「お前は、誰だ。何故(なにゆえ)、余と言葉を交わす」

「わしはマオ。この下の街で冒険者見習いをやっておる」

「去れ。小さき者よ」

「アホか」

「………………アホ?」

「下の街の者は地に根付いて生活しとる。お主は空を自由に飛べるんじゃから、お主がどこか他所へ行くのが道理じゃろうが」


 雨龍の全身を雷がまとい始める。


「死ね」


 次の瞬間、雨龍の全身にまとっていた雷が全てマオに直撃し、轟音となって大地を揺らした。

 雷に焼かれたマオは一瞬で黒焦げになる……はずだった。

 雷がぶつかった衝撃で生じた煙が風で流されると、そこにはさっきと変わらない様子のマオがふわふわと浮かんでいた。

 マオの周りには、半透明な赤い球体が出現している。


「ふむ。こんな低出力の防御魔法で防げるとは、やはりこの世界にわしより強い奴は存在しなさそうじゃのぉ」


 何が起こったのかわからない雨龍は、戸惑いながらももう一度雷をマオに向けた。しかし、それでも効果がなく、何度も同じことを繰り返した。


「やめておけ。魔力の無駄じゃ」


 マオの周囲にある防御魔法が全ての雷を弾きながら、ゆっくりと雨龍へ接近してくる。

 雨龍のウロコが次々と逆立ち始め、口からは蒸気のような雨雲が勢いよく噴出した。


「この、人間風情が!」

「その前に――」


 マオは防御魔法を解き、雨龍の顎を下から蹴り飛ばした。


「――いい加減雨雲出すのをやめんか」


 雨龍には何が起きたのかわからなかった。

 顎の直下から襲ってくるとてつもない衝撃。その反動で頭全体が上方へ飛び上がり、視界はぐらぐらと揺れている。

 慌てて体勢を立て直し、遅れて怒りの咆哮をぶつけるも、動揺を抑えることなどできなかった。


(今、何が起きた。今まで感じたこともない衝撃であった……。あれは、あの人間の仕業か? いや、あり得ぬ。人間如きが、余に触れるなど……)


 ようやく歪んでいた視界が収まり始めたが、目の前にマオの姿はなかった。


(どこへ消えた……?)


 ギョロリと雨龍の瞳が左右に揺れるが、マオの姿はどこにもない。


「おーい。ここじゃ、ここ」


 雨龍は、ちょうどその声が聞こえてきた自分の頭を確認した。すると、いつの間にか頭の上でちょこんと座っているマオの姿を見つけた。


「おのれ! いつの間に!」


 頭を大きく振ってマオを振り払うと、またもマオは目の前でピタリと滞空した。


「そう怒るでない。わしはお主にどこか別の場所へ移動してくれと頼んでおるだけじゃ。お主が生み出す雨は長く降ると他の生物の害となる。じゃから休むなら誰もおらんところで休め」


 雨龍にはマオが何者かはわからない。だが、マオが大切にしているものだけは敏感に察知した。


「…………よかろう。お前の言う通り、ここからは移動してやろう」

「うむっ! それでよい! お主も案外話が通じるではないか」

「ただし、この街を滅ぼした後でな」

「…………む?」


 雨龍は眼下に広がる街目掛けて急降下を始めた。


「群れでしか行動できない人間共よ! 余の力を示す礎と――ん?」


 だが、雨龍の体は途中でピタリと降下を止め、そのままズルズルと巨体全体が上へと引っ張られ始めた。


「――こ、これは!?」


 雲よりも高い場所に引っ張り上げられた雨龍の目の前に、一人の少女が浮かんでいる。

 ただし、その様相は先ほどまでとは全く異なっていた。

 少女の全身にはバチバチと唸る黒い電撃が走り、飄々とした雰囲気から一変し、どんよりとした暗い闇を連想させる眼光を宿している。

 少女は言う。


「選べ」


 その言葉を聞いた途端、雨龍は後悔を覚えた。

 たった三文字の音の響きだけで、今にもひれ伏したくなるような絶望的な力の差を感じ取ったのだ。


「お主は、わしの敵となるか」


 その圧倒的な恐怖は、雨龍をかしずかせるには十分だった。


「……否。余はお前の敵ではありたくない。全て、お前の言う通りにしよう」


 そう答えると、雨龍はようやく体の自由を取り戻した。

 そして目の前には、どこから見てもただの人間の少女にしか見えないマオがいた。


「うむ。ならばわしもお主を許そう。もう無駄に誰かに危害を加えようとするでないぞ?」

「あぁ、約束しよう」

「じゃあ、わしは帰る。さらばじゃ」

「……待て」

「む? なんじゃ?」

「……お前は、いったい何者だ?」


 マオは少しの間を置かず、


「最初に言ったじゃろう。わしはマオ。冒険者見習いじゃ」

「………………そうか」


 そして、マオはうんと背伸びをしながら街へ消えていった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 翌日。食堂にて。

 席についたマオ、リュカ、ポルンの前には、目一杯の苺がのったショートケーキが置いてあった。


「マオちゃんよかったね! 念願の料理長のスペシャルショートケーキだよ!」

「うむ! うまそうじゃ!」


 リュカはどこか納得していないようにぼやいた。


「でも不思議なんだよなぁ。昨日、マオがどこかに行っちゃったと思ったらすぐに雨が止んだし、土砂崩れで塞がれた道もいつの間にか綺麗になってたんだってさ」

「うむ。全てわしがやったことじゃ」


 ポルンとリュカはお互いの顔を見合わせた後、


「「まっさかー!」」


 と冗談交じりに笑いあった。


「そんなことよりも今はケーキの方が大事じゃ! ほれ見ろ! この艶々と光っておる苺! ふわふわのクリーム!」


 ゴクリ。


 三人は声を揃えて「いただきます」と言うと、スッとフォークをケーキに差し込んだ。


「おぉ! なんと柔らかい生地じゃ! ほとんどフォークに抵抗を感じん!」

「見て! 中にもこんなに苺が!」

「スポンジもいい卵黄を使ってるからか、すごく色が濃いな」


 三人はそのままケーキを口の中に放り込むと、


「うぅまし! うまし! うまし!」

「ほんとだ! おいしい!」

「すごい! 苺ってこんなに香りが強かったんだな!」


 マオはショートケーキの上にのった一際大きな苺をパクリと食べると、またも満面の笑みで言った。


「うまし!」





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〇本日の献立

 料理長特製のスペシャルショートケーキ:臭みがなく、甘味の強い『(さい)(ちょう)』の卵と、さっぱりとした味わいと芳醇な香りが特徴的な『一角(いっかく)(ぎゅう)』の乳を原料とした生クリーム、一際高い糖度を持つ『(ひめ)(もり)(いちご)』を贅沢に使用したショートケーキ。どれもまとまった数の入手が難しく、半年に一回ほどしかお目にかかれない。食べた者を強制的に笑顔にする。

 土砂崩れで材料が届かないと一報を受けた料理長は、非難されることを恐れ、自室に鍵をかけて出てこなくなった。


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