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第31話 世界樹の根

『白日の宴』本部内。エントランス近くの廊下。

 昼食後、マオは一人であくびをしながら歩いていた。


「ふぁ……。今日は暇じゃなぁ。リュカとポルンはそれぞれ修行に行きおったし、これでは遊び相手がおらんでやることがないわい。……部屋に戻って『食べられるダンジョン』の続きでも読むかのぉ」


 マオがもう一度大きな欠伸をすると、不意に背後から声をかけられた。


「にゃ? マオじゃにゃいか」

「む? おぉ、師匠か。こんなところで何をしておる。……ははーん。さては師匠も暇で遊び相手を探しておるのだな。よかろう。わしが相手をしてやるとしよう」

「にゃに言ってるにゃ。自分はれっきとした仕事でここに来てるんだにゃ」

「仕事?」


 首を傾げたマオは、師匠が背負っている大きなリュックサックに視線を移した。


「なんじゃ、その無駄に大きな荷物は?」

「にゃにゃ! よくぞ聞いたにゃ! 実はこのにゃかに珍しい食材が入ってるにゃ! だけど珍しすぎてあまり料理のレシピが出回ってにゃいから、今からルニャと一緒にいろいろ試してみるつもりにゃ!」

「むむっ! それはもしや、料理の研究というやつか!」

「そうにゃ!」

「…………ふぅむ」

「にゃー……。めちゃくちゃいやしい顔をしているにゃ。しかたがにゃい。お前も一緒に来るにゃ。そして試食をして感想を言うにゃ」

「うむ! しかたがないのぉ! 手伝ってやるわい!」

「いい笑顔だにゃー……」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 厨房。マオは、料理長にエプロンとバンダナをされ、すでに準備万全だった。


(ふむ。普段あまりせん格好をすると、不思議と心躍るものがあるのぉ。これはどういう感情なんじゃろうか?)


 厨房の隅から、料理長が一息つきながらやってきた。


「よし。た、たぶんこれで大丈夫……」


 料理長の後ろから、全身を割烹着に覆われ、マスクをし、尻尾カバーまでした師匠が、げんなりとした顔つきで現れた。


「にゃー……。獣人の料理人が少にゃい理由がすごいわかるにゃ……。こんな格好で厨房にずっといたら暑苦しくてやってられにゃいにゃー」

「よ、よく似合っとるぞ、師匠」

「うるさいにゃ。試食役はそこで黙ってみてるにゃ」

「……う、うむ。ところで……その……さっき言っておった珍しい食材とは、それのことか?」


 マオは不安そうな表情を浮かべ、調理台の上に視線を移した。

 そこには、何やら茶色いゴツゴツした細長い物が五本ほど並んでいる。


「そうにゃ!」

「うぅむ……。たしかに今まで食べてきた茶色い料理はどれもうまかったが、これはまるで木の根っこのようじゃな……」

「おぉ、マオ! お前意外といい目をしているにゃ!」

「む?」

「これこそまさに、世にも珍しい『世界樹の根』にゃ!」


(まさか本当に木の根っことは……)


「そ、そんなもの、本当に食えるのか?」

「うにゃ! 自分とルニャの腕を信じるにゃ!」

「……うぅむ」


 不安を拭えないマオをよそに、料理長が楽しそうに『世界樹の根』を一本手に取った。


「そ、それにしても、本当によくこんなの手に入りましたね。私、実物なんて初めて見ました」

「ふふふ。自分はいろんにゃ人に料理を教えて回っているにゃ。で、そのお礼としてたまに珍しい食材をくれる人もいるにゃ」

「し、師匠ほどの腕があれば、もっと報酬を受け取った方がいいと思いますけど……」

「にゃはは。自分はいろんにゃ人に料理を教えられればそれだけで満足だにゃ。だけどお礼をくれると言うなら喜んでもらうにゃ。ルニャも自分ににゃにかあげたくにゃったら遠慮しにゃくていいにゃ!」

「ふふふ。ま、また今度ご飯でも作りに行きますね」

「うにゃ! それは楽しみにゃ!」


 マオは二人の横に立ち、『世界樹の根』をちょんちょんとつついた。


「にしてもこいつ、どうやって食う気なんじゃ?」

「にゃー。マオは世界樹くらいは知っているかにゃ?」

「知らん」

「じゃあ、世界樹について軽く説明してやるにゃ」


 師匠はゴホン、とわざとらしく喉を鳴らすと、


「世界樹とは、ここよりずっとみにゃみに生えている超巨大にゃ一本の樹のことで、その巨大さゆえ、樹の表皮にはぐるっと街ができているくらいにゃんだにゃ。で、世界樹は空気中にある魔力やらにゃにやらのエネルギーを吸い取って成長し、未だにグングン成長を続けているんだにゃ。んで、そんな大きにゃ樹から取れる葉っぱやら根っこの切れ端にゃんかは、とてつもにゃい栄養で満ちているんだにゃ。だけど、普段は葉っぱや根っこは硬くて採取にゃんてできにゃいんだけど、ある一定周期のわずかにゃ間だけ、雀のにゃみだほど採れるようににゃる特殊にゃ樹にゃんだにゃ。だからこの『世界樹の根』はめちゃくちゃ貴重にゃ一品にゃんだにゃ。……噂では世界樹のにゃかには、誰も見たことがにゃいお宝が眠ってるとかにゃんとか……。マオもそういうの気ににゃるかにゃ?」

「……でかい樹じゃということはわかった」

「うにゃ。それだけわかれば十分にゃ」


 師匠は猫の手で器用に包丁を握りしめ、スルスルと『世界樹の根』の皮を剥いていった。


「うおっ! な、なんと器用な!」

「にゃはは! ちょこっと練習すればこの小さにゃ手でもにゃんにゃく料理できるにゃ!」


 皮を剥き終えた『世界樹の根』の表面は、艶々と水気を含んでおり、ほんのりと虹色の膜が張っていた。


「おぉ! さっきまでは小汚い茶色をしておったのに、今は見違えるように綺麗じゃのぉ!」

「うにゃー。普通は皮ごと天日干しして漢方にするんだにゃ。今日は料理の研究だから特別だにゃ。でも剥いた皮は栄養満点だから、後日お茶にして飲むにゃ。……まぁ、そんにゃにうまいもんでもにゃいけどにゃ」

「む? まずいのか?」

「はっきり言ってまずいにゃ。この『世界樹の根』の表皮には苦味成分がたらふく含まれているみたいで、飲んだら悶絶必至だにゃ」

「なら、苦味のある皮を剥いたその中身はうまいということか?」


 マオの疑問に、料理長がふるふると首を振った。


「そ、それがね、全然おいしくないの。味も、香りもしないし、歯ごたえもギシギシしてて、とてもじゃないけど食べられない。も、元々漢方の材料だから、これをメインの料理にするレシピなんて存在しないの」

「なぬ!? で、ではわしは今からそんなまずそうなものを次々食わされるということか!?」


 師匠は皮を剥いた『世界樹の根』をまじまじと見つめると、


「にゃはは。心配するにゃ。自分の舌は特別製だにゃ。一口食べれば、その食材の全てがわかるにゃ」

「……む?」


 師匠は、皮を剥いた『世界樹の根』を、マオと料理長に見えるように掲げた。


「よく見るにゃ。ここに虹色の膜があるにゃ」

「うむ」

「あ、ありますね」

「この膜に、ギムマネ酸に似た成分が凝縮されているんだにゃ」


 初めて聞く単語に、料理長は首を傾げた。


「ギムマネ酸? それはなんですか?」

「そもそもギムマネとは、アフリカやインドネシアにゃどに生えている植物で……。いや、詳しい説明は飛ばすにゃ……。とにかく、この成分が舌に触れると、その後しばらく甘さをまったく感じにゃくにゃってしまうんだにゃ」

「えっ!? ほ、本当ですか!?」

「うにゃ。自分の舌がはっきりとそう言っているにゃ。だけど、これは自分が知っているものとは大きく違っていて、膜全体が魔力で構成されているにゃ。だから、水で洗っても、火で焙っても、この膜を消すことはできにゃいにゃ」

「魔力……ですか? で、でも、そんなことどうやって調べたんですか?」

「魔力はちょっぴりピリッとする感じがするにゃ。ルニャはわからにゃいのかにゃ?」

「……ま、魔力なんて、普通舌で舐めたくらいじゃわかりませんよ」

「うにゃー。自分は昔からそうだったにゃ。絶対味覚というか、にゃんというか……。とにかく他の人よりも舌が敏感だったんだにゃ」

「さすがです、師匠! そ、それで、どうやってその膜をはがすんですか?」


 師匠は、調理が始まる前にリュックサックから取り出しておいた一つの小瓶を見せた。

 そこには並々と青い液体が注がれている。


「これを使うにゃ!」

「それは……なんですか?」

「これは『解魔薬(げまやく)』だにゃ。『魔力障害』の時に、体内の魔力を散らすための薬だにゃ!」

「な、なるほど! それで『世界樹の根』の周りにある魔法の膜を消すんですね!」

「そうにゃ! だけどまだ自分でも試したことはにゃいにゃ。魔法の膜が消えれば、甘さを感じさせにゃにゃるギムマネも一緒に消えるはずにゃ。……たぶん」

「さっそくやってみましょう!」

「うにゃ!」


 師匠は『解魔薬』が入った小瓶をマオに手渡すと、


「どうせだからマオがやってみるにゃ」

「む? まぁ、それくらいなら構わんが……」


 言われるがまま、マオは瓶を傾けた。

 その注ぎ口から、一滴の『解魔薬』がしたたり落ち、皮を剥かれた『世界樹の根』にポタリと落ちた。

 次の瞬間、『世界樹の根』の表面を覆っていた虹色の膜がみるみる消えてゆき、代わりに、ダラダラと赤色の蜜があふれ出してきた。


「あわわ! ど、どうなっとるんじゃ、これは!」

「ルニャ! にゃにか受けるものを持ってくるにゃ!」

「は、はいっ!」


 料理長が慌てて持ってきたボールの中に『世界樹の根』を放り込むと、ボールの中は『世界樹の根』から流れ出す赤い蜜が静かに溜まっていった。


「うにゃー? にゃんだこれ?」

「……まずそうじゃな」

「で、でも、なんだか甘い匂いがするような……」


 師匠は、「物は試しにゃ!」と、赤い蜜を指ですくい、ぺろりと舐めた。


「にゃにゃにゃ!? こ、これはうまいにゃ! 絶品にゃ!」

「なぬっ!?」


 すかさず、マオと料理長も、師匠と同じように赤い蜜を指ですくい、それをぺろりと舐め取った。


「う、う、うましっ! な、なんじゃこれは! こんな甘さ、今まで一度も味わったことがないわい!」

「すごい……! ものすごく甘いけど、な、何故かあっさりしてるようにも感じる……。不思議な味……」


『世界樹の根』からあふれ出した赤い蜜は、ボールの底にわずかにたまるとピタリと増えなくなってしまった。


「一本の『世界樹の根』から採取できる蜜の量はそれほど多くにゃいようだにゃ。やはり貴重な食材だということに変わりはにゃいにゃ」

「ふむ。それで? これをどうやって料理にするんじゃ?」

「…………」


 師匠は少し悩むと、蜜を出しきった『世界樹の根』をパクリと口に含んだ。


「うっ……。蜜を出しきった根っこは完全に味をうしにゃっているにゃ。ということは、この蜜を料理にする他にゃいにゃ」

「ふむ。して、どんな料理にするんじゃ」

「うにゃー……。この蜜、単体で食べるととてつもにゃくうまいけど、そのせいで他の食材の良さを殺してしまうかもしれにゃいにゃ……。きちんとした料理にするには、もう少し時間が必要だにゃ……」

「なぬっ!? と、ということは、わしは何も食えんのか!?」

「いやいや、今すぐ料理ができにゃいというだけで、うまいもんは食わしてやるにゃ!」

「……む?」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 三人の前の前には熱したフライパンがあり、そこにバターと油が投入された。

 火にかけられたバターの香りがどっと辺りに広がった。


「ほぉ。よい香りじゃ。して、これで何を作るんじゃ?」

「これにゃ!」


 師匠が取り出した革袋の中には、どっさりと黄色い粒が入っている。

 マオはその中の一つを手の取り、


「なんじゃ……これは? 石か?」

「にゃはは。これは立派にゃ食べ物にゃ!」

「食べ物じゃと? これがか?」

「うにゃ」


 それを見た料理長が、すかさずガラスの蓋を取り出し、


「こ、このガラス製の蓋を使いましょう」

「にゃー。さすがルニャにゃ。気が利くにゃー」


 そして、師匠は持っていた革袋を握り直し、


「では、いくにゃ!」


 と中に入っていた黄色い粒を全て中に放り込んだ。

 同時に、すかさず料理長がガラスの蓋でフライパンを覆った。


「なんじゃ? 何が始まるんじゃ?」

「にゃはは。どうせにゃらもっと近くで見るにゃ!」

「む? 近くで……?」


 そのままじぃっと見ていると、パン、と音がして、先程投入した黄色い粒がはじけ飛び、白い塊へと変化した。


「おわっ! な、なんじゃあ!? 突然飛び掛かってきおったぞ! そしてあの白いのはいったい……」

「にゃは! それこそ紛れもなく、ポップコーンだにゃ!」

「ポップコーンとな?」

「うにゃ! サクサクしてていい匂いがするけど、そのままだとちょっぴり薄味にゃ。だからさっきの『世界樹の根』の蜜とは相性ぴったりにゃ!」


 パン! パン!


「うおっ! 続々とはじけておるのぉ……」

「おもしろいにゃ!」

「うーむ……。料理とはどこまでも奥深い物じゃのぉ」


 そして、全てのコーンがはじけ終わると、それをボールに移し、赤い蜜と絡め、皿の上に盛り付けた。


「おぉ! とてつもなくいい香りがするぞ!」

「うにゃ……。自分でも驚きだにゃ……。見た目は赤くて自分は少し抵抗があるけど、蜜とポップコーンの香りが混ざり合ってとんでもにゃくうまそうだにゃ……」

「ふ、二人とも、涎が……」

「なぬっ!?」

「にゃ!?」


 二人は涎を拭うと、恐る恐るポップコーンを一つ手に取り、同時に口の中へ放り込んだ。


「……にゃー」

「……おぉー」


 その様子に、たまらず料理長も一口放り込んでみた。

 すると、口の中でサクサクとした食感と、病みつきになるような蜜の甘さが絡み合い、思わず笑顔がこぼれた。


「わっ! すごくおいしいっ!」


 料理長の声で我を取り戻したように、師匠とマオはビクリと体を震わせた。


「にゃ! うまいにゃ! うますぎるにゃ! これは革命的にゃうまさだにゃ!」

「うましっ! それ以外の表現が見当たらん!」


 三人は次々とポップコーンを頬張り、気付けばあっという間に食べ終えてしまった。


「ふぅ……。なんといううまさじゃ」

「にゃー……。まだまだ食べたりにゃいにゃ」

「あ、あの……。『世界樹の根』はまだあと四本ありますよ」

「……コーンもまだ残ってるにゃ……」

「…………」

「…………」

「…………」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 修行を終えたポルンとリュカが自室に戻ると、部屋の隅でしょんぼりと膝を抱えているマオを見つけた。


「わっ! どうしたのマオちゃん! そんなに暗い顔して……」

「なんだ? 腹でも痛いのか?」


 マオは青ざめた顔をしながら、部屋の中央にある机を指差した。


「そ、そこに……。お主らへの土産がある。食ってよいぞ」

「お土産? ……わぁ! ポップコーンだぁ! それに赤くて綺麗! え? 食べてもいいの?」

「うむ……」


 ポルンとリュカはお礼を言い、それぞれパクリとポップコーンを頬張った。


「うんっ! おいしい! こんなにおいしいポップコーン食べたことない! どんどん食べちゃう!」

「ほんとだ! あっさりした感じの甘さでいくらでも食べられるな! これどこで手に入れたんだ? あたしも今度買ってこようかな!」


 二人の様子を見ていたマオは、青白い顔をして小さく笑った。


「……ふふ。それくらいがちょうどいいんじゃ。食べすぎると……気持ち悪くなるでな……うぷっ」


 ぐったりとしたマオは、しばらく甘い物を見るのも嫌になったという。





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〇本日の献立

・世界樹の根:とある場所に伸びる巨大な樹。その樹の表皮では人々が街を作って生活をし、内部には誰も見たことがないお宝があるとこないとか。世界樹の葉や根は非常に硬質で、普段はとてもじゃないが採集はできない。一年に一度、ほんの短い間だけ、人間の手でどうにか採集できる硬さへ変化し、葉や根を切り取ると、途端に植物本来のしなやかさを取り戻す。

 世界樹そのものが信仰の対象となっているため、採集できる量は限られており、市場に出回ることは滅多にない。


・ポップコーン:爆裂種に分類されるトウモロコシを乾燥させ、油で炒ったもの。ポップコーンが流行った当初は糖蜜で甘く味付けしたものが主流だったが、その後なんやかんやあり、糖蜜の値段が上がったため、塩味のポップコーンが登場したとかしないとか。

 映画館で大きいポップコーンを購入し、食べ終えることなく半分以上残った時のやるせなさは半端ではない。家に持ち帰って食べると意外とおいしくてすぐになくなってしまう。


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