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第30話 コーヒーとビスコッティ

 太陽が落ちてしばらくすると、街の外れはしんと静まり返っていた。

 緩やかに流れる川の音だけを聞きながら、リュカ、ポルン、マオの三人はツラツラと道を歩いている。

 先頭を歩くリュカと、一番後ろを歩くマオに挟まれながら、ポルンはぶるっと体を震わせた。


「……う、うぅー。や、やっぱりこんな夜遅くに子供だけで外を出歩くなんていけないんじゃないかな……」

「何言ってんだよ、ポルン。もとはと言えばお前が言い出したことだろ」

「そ、そうだけどぉ……」


 すると、突然横の茂みからバサバサと鳥が羽ばたき始めた。


「うわっ! リュ、リュ、リュカちゃん! い、い、今、鳥が!」

「鳥だってわかってるじゃないか……。っていうか、ポルンは何がそんなに怖いんだよ。街にはモンスターだって現れないし、いざとなればマオもいる。そんなに怖がることないだろ?」

「うむ。わしがおるから安心せぇ」

「で、でもぉ……」


 ポルンが今にも泣き出しそうな顔で正面を見ると、そこにはぼんやりと青白く光る人影が立っていた。


「きゃああああああ! あ、あ、あれ! 幽霊!? マ、マオちゃん! ほら! 出番だよ! 早く消し炭にしないと!」

「む? わしの出番か? ……って、よぉ見い。あれはそういう類のものではないわい」

「……へ?」


 ポルンが再び視線を戻すと、ぼんやりと光っているのは人影ではなく、ただの一本の柳の木であった。


「ほれ、あれが目印の『ヒカリヤナギ』じゃろう?」

「あ……。ほ、ほんとだ……」


 リュカはポケットから一枚の地図を取り出し、


「えぇーっと……。この道を右だな。あとはひたすらまっすぐ歩けば、目的地にたどり着くはずだ」

「うぅー……。や、やっぱりこんなクエスト受けなきゃよかった……」

「また言ってる……。お前が『夜に堂々と街を出歩いてみたい!』とか目を輝かせて、このクエストを受けたんだろ」

「そ、そうだけど……」

「にしても変なクエストだよな。夜にしかやってない店への宅配クエストなんて」

「……たぶん、バーとかじゃないかな? ほら、そういうところって夜にしか営業してないでしょ?」

「あぁ。たしかに。でも、この道の先にバーなんてあったか?」

「それは……わかんないけど」


 昼間とは違う装いの街並みに、三人は言葉を途切れさせながら、そのまままっすぐ歩いて行った。

 やがて、川の音は聞こえなくなり、空を覆い隠すように木々が鬱蒼と茂っている。


「ね、ねぇ、リュカちゃん。ほんとにこっちで合ってるんだよね?」


 さっきまでは余裕を見せていたリュカも、さすがに少し自信なさげに答えた。


「……たぶん」

「たぶんって何!? ちゃんと地図見てるんだよね!?」

「いや、ここまで一本道だったから方向は合ってるはずなんだ……。でも、街灯も一本もないし……。住宅街も過ぎちゃったな……。こ、こんなところに、ほんとに店なんてあるのか?」

「……っていうかリュカちゃん、昼間、こんなところ来たことある?」

「…………ない」

「……ここ、ほんとに街の中なの?」


 リュカの喉がゴクリと鳴る。


「まさか、ここ街の外とかじゃないよな……。道に迷って、いつの間にか外に出てたりとか……」

「ももも、もしもそうだとしたら、今、私たちの周りにモンスターがいてもおかしくないってことだよね!?」

「……あぁ。そうなるな」


 ガサガサ。


「きゃああああ!」

「うわぁぁぁぁ! な、何の音だ!」

「ごめんなさい! ごめんなさい! もう夜に出歩きたいだなんて言わないから帰してください!」


 慌てふためく二人に、マオが音の原因をひょいと抱えて諭した。


「二人とも落ち着け。ほれ。ただの猫じゃ」

「ね、猫?」

「……な、なんだ……ただの猫か……」


 マオがパチンと指を鳴らすと、その頭上に光の玉が現れ、周囲の林を照らし始めた。


「『ボールライト』じゃ。これで幾分明るくなったじゃろう」

「なっ!? マ、マオちゃん! そんな魔法使えるならイジワルしないで最初から使ってよ! もうっ!」

「……う、うむ。すまぬ」


(この魔法の存在も今の今まですっかり忘れておったわい……。あぁ、魔王であった頃の自分が遠い夢のようじゃ……)


 その後、ポルンとリュカはそれぞれマオの右手と左手にしがみつきながら、周囲を警戒してゆっくりと歩を進めた。


「の、のぉ、二人とも……もう少し離れてくれんか? 歩きにくいんじゃが……」

「マオちゃんは黙ってて!」

「そうだぞ、マオ」

「むぅ……」


 その後、しばらく直進した三人の目の前に、小洒落た一軒の店が姿を現した。

 その店の看板には、ポップな書体で『オールドカフェ』とだけ書かれている。


「む? おい、リュカ。目的地はここで合っておるのか?」

「ん? えーっと……『アナグラ』っていう店に着くはずなんだけど……あれ? おかしいな……」

「もうなんでもいいから入ろう! これ以上外に出てるの怖いもん!」


 ポルンは他の二人の手を引き、半ば強制的に『オールドカフェ』の扉を開いた。


 カランコロン。


 しばらく待ってみるが、中から応答はない。

 リュカは首を傾げた。


「あれ? もしかして今やってないんじゃないか?」

「じゃが、扉の前には開店中の札がかかっておったぞ?」


 二人は顔を見合わせ、リュカが中に向かって声を伸ばした。


「すいませーん! 誰かいませんかー! すいませーん!」


 やはり、返事はない。


「むぅ。誰もおらんのか?」

「………………あの、ここに……」

「ぬわっ!?」


 突然聞こえてきた声に、三人は飛び退いた。

 横を見ると、青白い顔をしたメイド服姿のウェイトレスが、メニューを両手で抱えるようにして立っていた。

 ポルンはあわあわと足を震わせながら涙を流し始めた。


「お、おば、お化け! お化けぇぇぇぇ!」

「い、いえ……。あの……。私……。そういうのではありません……」

「お化けぇぇぇぇ!」

「き、聞いてください……」

「ひぎゃぁぁぁぁぁ!」

「うぅ……」


 ウェイトレスは、ぼそぼそと消え入りそうな声で言う。


「あ、あの……。すいません……。私……。すごく影が薄いんです……。だ、だからその……。たまにお客さんが来ても……。皆気付かなかったり……。怖がって逃げたりしちゃうんです……」


 未だにビクビクと怯えているポルンの代わりに、リュカが口を開いた。


「そ、そうだったんですね。あの、実は『アナグラ』という店を探しているんですけど、知りませんか?」

「『アナグラ』……? さぁ、聞いたことないけど……」

「そうですか……」


 リュカはマオ達に向き直り、


「やっぱりどこかで道を間違えちゃったみたいだな。しかたない……。ここはひとまず帰るか」

「あ、あの!」

「はい?」

「えっと……。よ、よかったら、コーヒーでも飲んでいきませんか?」

「え、でも……」

「あ、お金はいりませんので……。その、久しぶりのお客さんだから……。このまま帰ってもらうのも寂しいですし……。そ、それで、もし気に入ったら、いつかまた店に来てほしいなぁ、なんて……」


 ポルンはまだウェイトレスを怖がっているのか、リュカに向かってぶんぶんと首を横に振った。

 だが、となりにいたマオがそれをいさめた。


「わしはそのコーヒーとやらが飲んでみたい。ごちそうになろう」

「な、なに言ってるのマオちゃん! わ、私もう帰りたいんだけど……」


 ポルンの気持ちをよそに、ウェイトレスは嬉しそうに答えた。


「よかった……。じゃあ……。すぐに用意しますから……。そこの席で待っててくれますか……?」

「うむ」

「そんなぁ……」


 席に座った三人は、改めて店内に視線を向けた。

 リュカが感心するように言う。


「それにしても、この店って意外とおしゃれだし、落ち着いた雰囲気があって、あたし結構好きかも」

「……そ、そう? 私はあのウェイトレスさん、なんだかちょっと怖いけど……」

「こら、ポルン。人のことをそんな風に言っちゃダメだろ?」

「で、でもぉ……」


 三人のもとへ、丸いトレイを持ったウェイトレスがやってきた。


「さぁ……。どうぞ……。そこにミルクと砂糖があるから、よかったら使ってくださいね……」

「はい。ありがとうございます」


 その後、ウェイトレスはカウンターに戻ると、じぃっと三人を見つめ始めた。

 その様子に、またもポルンがヒソヒソ声で慌て始めた。


「ねぇ! あの人ずっとこっち見てる! どうして!?」

「久しぶりにきた客の感想が気になるんだろ。いいからさっさと飲めよ。冷めちゃうだろ」

「うぅ……。やっぱりあの人怖いよぉ……」


 ウェイトレスの話題盛り上がる二人とは違い、マオは目の前のコーヒーの香りをスンスンと興味深そうに嗅いでいた。


(ふむ。このコーヒーとやら、見た目は魔王城の目の前にあった沼よりも真っ黒じゃが、香りはなかなかよいな。そこにあるミルクと砂糖を使えと言っておったが……)


「のぉ、リュカよ。これはこのままじゃと飲めんのか?」

「ん? いや、そんなことないぞ。私は何も入れない方が好きだし。でもまぁ、マオは砂糖とミルクを入れないと飲めないと思うけど……」

「むっ。なんじゃ。お主にできてわしにできんと言いたいのか?」

「……別にそういう意味じゃないけど」


 リュカは、言い淀むようにズズズとコーヒーをすすると、パッと目を見開いた。


「このコーヒー、めちゃくちゃうまいな! 酸味が少なくてクセが強すぎず、ハーブみたいな香りがスッと後からやってくる……。うーん。通いたくなるおいしさだ」


 ゴクリ。


 おいしそうにコーヒーを飲むリュカを見て、マオも同じようにズズズとコーヒーを一口すすってみた。すると、


「……ぬわっ!? な、なんじゃこれは!? に、苦い!? 苦い! 苦い! 苦い!」

「あはは! マオも大人ぶってるけど、まだまだ子供だなぁ」

「お、お主、何故こんなものをうまそうに飲めるんじゃ!?」

「さぁね。あたしはハーフビーストだから、舌の構造が違うんじゃないか?」

「ぐぬぬ……。見せつけるように飲みおって……」


 次にポルンに視線を向けると、ポチャンポチャンといくつも砂糖の塊を投入し、豪快にミルクを入れていた。


「む? ポルンは砂糖もミルクも大量に入れたのぉ」

「うん……。もうね……甘くなきゃやってられないよね」

「お主まだ怖がっておるのか……」


 ポルンはそのどっさりと砂糖を加えたコーヒーを一口飲むと、はぁ、と幸せそうに息をついた。


「あぁー、やっぱり甘い物ってホッとするなー。嫌なこととか全部忘れさせてくれるもん」


(……ふむ。なるほど。コーヒーとやら、ようやく分かってきたわい。自分の好みに合わせ、砂糖とミルクを使い、味を調えていく。要は簡単な料理のようなものじゃな。ふぅむ……。ならばわしは……)


 マオは砂糖を一個と、ミルクを数滴コーヒーに垂らした。


(ふむ。自分の好みの量がわからんのであれば、少量ずつ加えて調整していけばよい話じゃろう)


 ズズズ。


「……ん! な、なんじゃ!? 先ほどは苦かっただけのコーヒーが、少量の砂糖とミルクを加えるだけでとてつもなく飲みやすくなっておる! そして香りもよい!」


 マオはもう一口コーヒーに口を付けると、


「……が、しかし、やはりまだ少々苦味を感じる。それに後味がさっぱりし過ぎとるような……。ふむ」


 マオは再び砂糖を一個入れ、ミルクをくるっと輪を描くように投入した。


(ふむ。これで今度はさっきよりもミルクの風味が残り、甘さも増すはずじゃが……さてさて)


 ズズズ。


「う、うましっ! これじゃ! これこそわしの口にぴったりのコーヒーじゃ! ふぅむ。最初はただ苦いだけのコーヒーでも、一手間加えるだけでこんなにもうまくなるとは……。なかなか興味深い飲み物じゃな……」

「あの……。ちょっといいかしら……?」

「むっ!?」


 突然の気配に、三人はびくりと背中を丸めた。

 見上げるとすぐそばにウェイトレスが立っていて、それを見たポルンがまたガタガタと震え始めた。


「な、なんじゃ? どうした?」

「えっと……。コーヒー、気に入ってもらえたみたいだから……。良かったら、これも一緒にどうかなぁ、と……」


 ウェイトレスが三人の机の上に置いた皿の上には、細長い長方形をしたクッキーがいくつか並んでいた。


「むむ。これはクッキーじゃな。しかし、妙な形をしておる……」

「これは……。ビスコッティっていうお菓子なんです……。固いから……。コーヒーに浸して食べるとちょうどよくなります……」

「おぉ。ということは、コーヒー専用のお菓子ということじゃな!」

「……ま、まぁ、ワインとかにも合いますが……」


 三人はそれぞれビスコッティを手に取ると、まずはガシリとかじりついた。


「むむむっ! こ、これはたしかに硬いのぉ……」

「う、うん。私もこのままじゃ食べ辛いかも……」

「そうか? あたしにはちょうどいいけどな。……うん。ザクザクした食感がクセになりそうだ」


 ポルンとマオは諦めたように、くわえていたビスコッティをコーヒーに浸した。


「ふむ。これくらいかの……。どれどれ……」


 ザクッ。


「むっ! うましっ! コーヒーがビスコッティを程々に柔らかくしておって、わしでも食いやすくなっておる! そして、ビスコッティの中に含まれておったフルーツの欠片がよい刺激となって飽きん!」

「ほんとだねっ! コーヒーに浸してもまだザクザクしてておいしい!」


 ザクザク。

 ズズズ。


「むむっ。しかし、コーヒーの方だけ先に飲み干してしもうた……。これではビスコッティを楽しめん……」

「あの……。コーヒーのおかわりなら……。いくらでもありますから……」

「むっ。よいのかっ!?」

「うん……。私も久しぶりのお客さんが来てくれて嬉しいですし……。そんなに喜んでもらえるなら……」

「おぉ! 助かる!」


 その後も三人はビスコッティとコーヒーをたらふく堪能した。


「ふぅ……。いやぁ、それにしても食べたのぉ……」

「……うん。私、しばらくは体重計には乗らないようにしよう……」

「って、おい二人とも! もうこんな時間だぞ!」

「むっ!?」

「えっ!? やばっ!」


 三人はバタバタと椅子から降りると、急いでレジにいたウェイトレスのところまで走って行った。


「ビスコッティとコーヒー、美味であった。今は手持ちがないので何も渡せんが、次来た時は必ず金を払うでな。ごちそうさまじゃ」

「「ごちそうさまでした!」」

「うん……。いいんです……。ほんとに……。私も楽しかったから……。良かったらまた、遊びに来てください……。その時はまた……。新しいお菓子を用意しておきますから……」

「それは楽しみじゃな!」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



『白日の宴』本部付近。

 リュカ、ポルン、マオの三人は、ぜいぜいと息を切らしながら走っていた。

 先頭を走るリュカが二人を振り返る。


「ほらっ! もう少しだから頑張れ二人とも!」

「はぁ……はぁ……も、もう無理だよ、リュカちゃん……」

「わ、わしも、もう……限界じゃ……はぁ……はぁ……あっ!」


(浮遊魔法で飛んでくればよかったではないか! ぐぬぬ……)


 三人がギルド本部の玄関に到着すると、心配そうな表情をした団長が立っていた。


「あっ! 三人とも! 遅かったじゃない! 心配したのよ!」


 団長の前についたポルンとマオは、未だに息が整わず、代わりにリュカが言った。


「す、すいません……。途中で道に迷っちゃって……」

「えっ!? 大丈夫だった!?」

「……はい。えっと、『ヒカリヤナギ』のところを曲がって、ずっーっとまっすぐ歩いたんですけど……。途中から林の中に入っちゃって、そこにあるカフェで少し休憩してから戻りました」

「あら? 『アナグラ』は『ヒカリヤナギ』のところを曲がってすぐのところにあるのよ?」

「……へ? じゃ、じゃあ、行き過ぎちゃったってことですか?」

「……たぶん。でも……あの道の先に、カフェなんてあったかしら?」

「…………え?」

「だって、あの道をまっすぐ行ったって、お墓があるだけだもの。カフェなんてないわよ?」

「………………はい?」


 その話を聞いたポルンが、ぎゃあぎゃあと泣きわめき始めた。


「ややや、やっぱりあれ、幽霊だったんじゃない! いやぁぁぁぁ! 幽霊のお菓子食べちゃった! 代償として魂とられちゃうんだぁぁぁ! いやぁぁぁぁぁぁぁ!」


 その後、団長がいくらなだめても、ポルンは泣き止まなかった。





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〇本日の献立

・コーヒー:豆の種類や挽き方で味や香りがまったく異なる独特な飲み物。そのまま飲むと苦味が強く、舌が発達しきっていない子供は好き嫌いがはっきりわかれる一品。ミルクや砂糖で味をマイルドにして楽しむ方法もある。

コーヒーミル(コーヒーを挽く機械)を購入し、自分で豆を挽いて楽しむ人も多い。だがその大半はすぐに飽きてしまい、コーヒーミルをそっと戸棚の奥にしまってしまう。


・ビスコッティ:イタリアの伝統的なお菓子。棒のような形をしていて、ザクザクとした食感が人気の硬めのスイーツ。ドライフルーツが混ざっているものもあり、店によって味や食感が異なる。

ちなみにマオ達三人が行った『オールドカフェ』は、移転した墓地の跡地に建てられたばかりの新店であり、幽霊の類とは一切関係がない。だが、太陽嫌いな店主は夜にしか店を開かず、墓地の跡地ということもあり、近所の人は誰も足を運びたがらない。

 後に一部のオカルトファンから根強い人気が出てくるが、それはまた別の話である。


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