第29話 フレデリカの悩み
ルノワール商店街の古物通りから脇道に入ると、段々と人の気配が消えて行き、辺りはレンガで作られた住宅街が広がり始める。
マオから教えてもらった道筋を頼りに、フレデリカは足早に歩を進めた。
(マオから聞いた話では、ミリアはこちらの方角に来たはずだが……。見当たらないな……)
キョロキョロと辺りをうかがいながらも、フレデリカは自分のしていることに半ば呆れていた。
(くそっ……。本当に私はどうしてしまったというんだ。少しミリアの姿が見えないだけでこんなに心配になってしまうだなんて……)
フレデリカは首を横に振り、ピタリと足を止めた。
(やはり帰ろう……。あまり心配し過ぎてもミリアのためにならん……)
フレデリカはそのまま帰路につくと、ぼんやりとミリアと出会った頃を思い出していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一年前。『白日の宴』ギルドの施設内部。
クエストを終えたばかりのフレデリカは、モンスターの血液を拭うのもそこそこに、施設内の廊下を闊歩していた。
それを見た他のメンバーが、ひそひそと噂話をする。
「あ、見て。フレデリカさんだよ。ダンジョンから戻ってきたんだ」「今日も凄く怖い顔してる……」「あの人、モンスターを討伐しながら笑うんだってさ」「知ってる。『ダンジョンの鬼神』って呼ばれてるんだよね」「かっこいいよねー」「でも……ちょっと……」「……うん。少しだけ、怖い、かも……」
フレデリカが噂をしていたギルドメンバーの方を一瞥すると、「ひっ」と情けない声が返ってきて、そのまま散り散りに消えて行った。
ダンジョンから帰ったばかりのフレデリカは、未だ闘志が冷めやらず、鼻息を荒くしながら歩みを速めた。
(ふん。どいつもこいつも腑抜けばかりだ。今の団長に変わって以来、『白日の宴』は全体的に緩みっぱなしだ。どうしてもっと本腰を入れてダンジョン攻略に人員を割かないんだ。このままでは他のギルドに先を越されるぞ)
目的地である団長室の前に立つと、フレデリカは一瞬動きを止めた。
(いや……。いっそのこと、他のギルドに移籍するか……。その方が、私にとっても、周りのギルドメンバーにとっても都合がいいだろうしな……)
コンコン。
「はい」
「私だ」
「どうぞー」
ガチャ。
団長室に入ると、机の向こうで団長が数枚の書類を手に、難しそうな表情を浮かべていた。
「ごめんね、フレデリカ。急に呼び出しちゃったりして……。って、シャワーくらい浴びてきてもよかったのよ?」
「構わん。先に要件を教えてくれ」
「う、うーんとね……」
団長は言いにくそうに、持っていた三枚の書類を机の上に並べた。そこにはそれぞれ、リュカ、ポルン、ミリアの三人の個人情報が記載されている。
「こいつらは……たしかこの前入ったばかりの見習い達だな」
「えぇ、そうよ。リュカと、ポルンと、それからミリア」
「……で? こいつらが、私の呼び出しと何の関係があるんだ?」
団長は、ミリアの書類をトントンと指で叩いた。
「フレデリカ、あなたには今日から、この子の教育係をやってもらいます」
「……は?」
「すでにあなたの部屋にもう一つベッドを運んでもらってるから、仲良くしてちょうだいね」
急な命令に、フレデリカはたまりかねて声を張り上げた。
「ふざけるな! 何が教育係だ! 私はダンジョン攻略組の最前線にいるんだぞ! その私に見習いの教育係をしろというのか!」
「えぇ。そうよ。ミリアは、今はまだ他の二人よりも実力では劣っているけれど、剣術、魔法、共に素晴らしい才能を秘めていると、私は思う。だから、『白日の宴』で最も優秀な魔法剣士であるあなたに、彼女の腕を磨いてほしいの」
「知るか、そんなこと! お前は自分が何を言っているのかわかっているのか! 私がダンジョン攻略組から離れるということは、それだけ他のギルドに出し抜かれる隙ができるということなんだぞ!」
「確かにその通りね。『白日の宴』は他の街にもいくつか拠点があるといっても、本部であるここが遅れを取るわけにはいかない。だけどね、フレデリカ。それでも、あなたには教育係をやってほしいの」
フレデリカは納得できない様子だったが、なんとか冷静さを得ようと必死に言葉を選んだ。
「……そこまでわかっていて、どうして私が教育係なんてしなければいけないんだ」
「さっきも言ったでしょう? ミリアはあなたと同じ魔法剣士志望。そして、あなたはここで最も優秀な魔法剣士。理由はそれだけよ」
フレデリカはまた怒鳴り声を上げそうになったが、今度はぐっと堪え、半ばあきらめたように言った。
「……それは団長命令か?」
「無論、団長命令です」
「……そうか。なら、私に異を唱える権利はないな」
フレデリカが踵を返し、扉から出て行こうとすると、団長が声をかけた。
「大丈夫よ、フレデリカ。きっと、あの子はあなたにピッタリだと思うの」
「……はっ。何だそれは」
「あら? 私がどうして『白日の宴』の団長に選ばれたのか、あなたは知らないの?」
「……は?」
「私ね、人を見る目だけは誰にも負けないのよ」
「…………はぁ」
団長の言葉に短い溜息を吐き、フレデリカは部屋を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フレデリカの自室前。
ドアノブに手をかけたフレデリカは、胸中に渦巻く苦悩に答えを出すべきか悩んでいた。
(どうして私が教育係なんだ……。ダンジョン攻略ができないのなら、やはり他のギルドに移る他ないか……)
ガチャリ。
開かれた扉の向こうには、見慣れた自分の部屋の一角に、真新しいベッドが一つ置かれていて、その上にちょこんと青い髪にツインテールをした少女が三角座りをしていた。
フレデリカはすぐに、その少女がさっき団長室で見たミリアだと理解した。
フレデリカと目が合ったミリアは、あわあわと忙しなく居住まいを正した。
「あ、あの! えっと! ミ、ミ、ミリアです! こ、こ、この度は、お日柄もよく!」
「……なんだ、その挨拶は……」
フレデリカの姿を見たミリアは、「ひっ!」と情けない声を上げた。
「血、血が! 血が!」
ミリアに言われて、フレデリカはようやく自分がモンスターの返り血で汚れていたことを思い出した。
「あぁ、これか。これはモンスターの――」
「ひぃ……」
バタン。
「……え?」
ミリアはそのまま、気を失ってベッドから落っこちてしまった。
「……こいつ……これでよくうちのギルドに入団したな……。しかも、魔法剣士志望だって? 何かの間違いじゃないのか……?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うわぁーん! うわぁーん!」
街外れにある森の中。下級モンスターが生息する洞窟の手前で、ミリアはわんわんと大きな声で泣きわめいていた。
「お、おい、ミリア。そんなに泣くな。まだ何もしてないじゃないか」
「こわいー! こーわーいー!」
「お、お前、そんなにモンスターが怖いのにどうして魔法剣士なんて志望したんだ……」
「ひっく……ひっく……だ、だって……一番、かっこいいもん」
「今のお前の姿とは程遠いじゃないか……」
(まったく……。団長はこいつのどこに才能を見出したっていうんだ……。ここまで連れて来ただけですごい罪悪感だ……。もう私も帰りたくなってきた……)
「じゃ、じゃあ、今日は帰るか……。また明日、続きをやろう」
「やーだー! うわーん!」
「やだって……何だ? もう来たくないのか? 実家に帰りたくないのか?」
「ちーがーうー!」
「……ったく。じゃあ何だって言うんだ」
「ミ、ミ、ミリア、もっと強くなりたいもん! だ、だ、だから、ダンジョンに行きたいんだもん!」
「……やる気だけはあるのか」
(しかし……こんな状態でダンジョンに潜らせるなんてできないし……)
「あ、そうだ。ミリア、ちょっとここで待ってろ。すぐに戻る」
「……ひっく……へ?」
フレデリカは一分程ダンジョンに姿を消すと、黒いスライムを脇に抱えて戻ってきた。
「よし、ミリア。こいつを斬れ!」
「ひ、ひぃ! ス、スライム!」
「大丈夫だ! こいつは夜しか動かないタイプのモンスターなんだ。だから反撃してくることもない!」
「……ほ、ほんとに?」
「あぁ。だから、ほれ。その剣でザクっと」
「う、うんっ! ミリア、やってみる!」
ミリアは腰にさげていた剣を抜くと、恐る恐るスライムの表面をつついた。
「さ、刺しても動かない!」
「そうだ! いいぞミリア!」
「い、痛そう!」
「モンスターに感情移入するんじゃない! 魂とかないから気にするな!」
「ひ、ひぃぃ! あ、あの、やられてくれませんか?」
「スライムにお願いしてどうする! 斬れ!」
「あぁ、ごめんなさい! ごめんなさい! すぐ終わるから! すぐ終わるから!」
「よし、一撃で決めろ!」
「て、てやぁ!」
ズバッ。
ミリアが振り下ろした剣は、見事スライムを真っ二つに裂き、スライムはしゅーっと蒸発しながら消えていった。
「……や、やった……」
(……ふぅ。なんとか仕留めたな。これで少しは自信をつけてくれるといいが……)
「ねぇ、見た!? フレデリカ!」
「え? あ、あぁ……見てたよ」
(こいつはどうして動かないスライムを倒しただけでこんなに嬉しそうなんだ? モンスターに慣れさせようとしただけなのに……)
「えへへ! ミリア、モンスター倒せた! 一撃だった!」
「そ、そうだな」
「わーい! わーい!」
「…………」
「……フレデリカ?」
「どうした?」
「あ、あの……えっと……こ、こ、こういう時は、頭を撫でてもらえるって……そ、その……絵本に描いてあったんだけど……えっと……えっと……」
「あ、あぁ。そうか。……まぁ、そうだな。初めてモンスターを討伐できたのはめでたいことだ。よくやったぞ、ミリア」
グシグシ。
「え、えへへ! 頭撫でてもらっちゃったー! えへへー」
(……な、なんだ、この感情は……胸が締め付けられるような妙な感覚だ……)
「フレデリカ? どうかしたの?」
「へ? い、いや……。なんでもない……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜。フレデリカとミリアの部屋。
暗くなった部屋の中、フレデリカはベッドに寝転がって天井を見上げていた。
(……結局ダンジョンには潜れなかったが……。まぁ……ミリアもそこそこ頑張ってたし、よしとするか……。それにしても、今日のあの感覚はなんだ……。ミリアを見ていると、こう……守ってやりたくなるというか……なんというか……)
「ねぇ、フレデリカ、起きてる?」
「へ!?」
悶々とするフレデリカのすぐ横に、絵本を抱きかかえたミリアの姿があった。
「な、なんだ、ミリアか! 急にびっくりするじゃないか……」
「ごめんなさい……」
「い、いや、いいんだ。それで? どうした?」
「えっと……その……」
「ん?」
「……だ、団長がね……フレデリカは、夜に絵本を読んでくれるって言ってたから……その……」
(あいつ何適当なこと言ってるんだ!)
「え、絵本? 私がか?」
「あれ? だ、だめ? こういうこと、フレデリカに頼んだら迷惑だった?」
「……いや……えっと…………そういうのは自分の母親にでも頼んだらどうだ?」
「……ミリアのお母さん、そういうことはしてくれなかったから」
「そうなのか?」
「……うん。いつもダンジョン攻略に出かけてて、あんまり家に帰ってこないの。でも、みんなお母さんのこと、すごい冒険者だって褒めてくれるの。ミリアのお母さんは強くてすごいね、とか。またミリアのお母さんがダンジョンを攻略したよ、とか……」
「…………」
「でもミリア、そんなの、全然嬉しくなかった。もっと、絵本とか読んでほしかった……」
「……ミリアは、どうしてここに来たんだ?」
「……お母さんが、大切にしてるものを知りたかったの」
「そうか……」
(ミリアの母親は……まるで私みたいだな。ダンジョン攻略に没頭し、冒険をすること以外では生きている実感を得られなくなっている)
フレデリカはしばらく考え込むと、ミリアが持っている絵本に視線を移した。
「……一冊くらいなら、読んでやろうか……?」
「ほんとに!? わーい!」
その後、フレデリカのベッドにミリアが入ってきて、絵本を読み聞かせている間、コトンと頭を寄せてきた。
フレデリカの心中は穏やかではなかった。
(くっ! 何故だ! 何故絵本を読み聞かせているだけなのにこんなに心が躍るんだ! 私はいったいどうしてしまったというんだ!)
その葛藤は、ミリアが寝静まった後もずっと続いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
現在。
ひとしきり昔を思い起こしたフレデリカは、業務報告のために団長室を訪れていた。
「――で、ミリアは剣術、魔法、共に少しずつレベルが上昇しつつある。やはり団長の見込んだ通り、才能があったのだろう。報告は以上になるが、何か質問はあるか? なければもう部屋に戻るが」
「いいえ、大丈夫よ。ありがとう」
「…………」
「ん? どうかしたの?」
「いや、ずっと聞きたかったんだが、団長がミリアの教育係に私を指名したのは、ミリアの母親と私が似ていたからか? ミリアの母親と似たような生き方をしている私を教育係にすることで、ミリアを精神的に支えようとしたのか?」
「あら? まさかまだ気付いてなかったの?」
「ん? どういう意味だ?」
「ふふ。ミリアにあなたが必要だったわけじゃなくて、あなたにミリアが必要だったのよ」
「……何?」
「だって、あの頃のフレデリカって、ダンジョン攻略しか頭になくて、危険な戦い方ばかりしてたじゃない? あんなの続けてたら、きっと、あなたはダメになる。そう思ったのよ。でももちろん、あなたがミリアにもよい影響を与えるだろうとも思ってたけどね」
「……まったく。団長には驚かされてばかりだな」
「言ったでしょ。私、人を見る目だけは自信があるって」
フレデリカは小さく笑うと、
「人を見る目だけ、か。随分謙虚な表現だ」
「……ま、まぁ、たまに冒険者にもどりたくなるのも事実だけど」
「あぁ。その気持ちはよくわかる」
一頻り笑い合った後、フレデリカは自室へ戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フレデリカとミリアの部屋。
フレデリカは自室の扉を開けながら、
(それにしても、ミリアは結局どこへ行ったんだ? ……ん? 私の机の上に、何か……)
ベッド脇に置いてある小さな机の上に、『フレデリカへ』と書かれた小さな箱があった。
(なんだこれは……?)
綺麗に包装してあった紐を解き、中を見ると、そこには『虹竜』という名の、縁起がよいとされるモンスターの皮で編みこまれたブレスレットと、一枚のメモが入っていた。
そこには、『いつも絵本読んでくれてありがとう』と書かれていた。
フレデリカはブレスレットを手首に巻き、メモを何度も読み返しては、誰にも見せたことのないような顔でニヤニヤと頬を緩めた。