第27話 師匠とトンカツ
食堂。夕食前で、厨房にいる料理人たちは忙しなく動き回っている。
マオは、その様子をカウンター越しに眺めるのが好きだった。
(ふむ。人間は料理を作っておる時が最も輝いておる姿かもしれんのぉ。いつまで見ておっても飽きん。……それにしても腹が減った。今日は何を食べようかの)
マオが夕食に想いをはせる中、一人の料理人が慌てた様子で声を上げた。
「あっ! 料理長、ソースがもうありません!」
「えっ!? 嘘!?」
「どうしましょう……。今日のメニューはソースを使う揚げ物ばかりですよ……。今からメニューを変更しますか?」
「う~ん……。それだと夕食の時間に間に合わないかも……今から走って師匠のところに取りに行こうかな。で、でも、今日はいつもより人手が少ないし、一人抜けるとやっぱり間に合わないかも……。う~ん……」
カウンター越しに話を聞いていたマオが挙手をする。
「なんじゃ? どこかにソースを取りに行けばよいのか? それならばわしが行ってくるぞ?」
「え? で、でも、マオちゃん一人で大丈夫?」
「無論じゃ。最近はよぉ一人で散歩しとるし、道に迷うこともあるまい」
「……じ、じゃあ、悪いけど、お願いできるかな」
「うむ。承った」
マオは料理長が簡単に書いた地図を受け取り、師匠と呼ばれている人物の元へ向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
道中、マオは地図を見ながら、はてと思い出した。
(そう言えば、前に師匠と名乗った猫の獣人と会うたが、もしや奴のことか? 前に料理長が、そやつのことを別の世界から来たみたい、だとか話しておったのぉ。そうすると奴は、わしと同じ転生者か?)
マオは地図を頼りに街を歩き、寂れた裏通りにある、これまた寂れた『ニャンニャン飯店』という店にやってきた。
吹き抜けになっている店内にはいくつかのテーブルが置いてあるが、どれもその上に椅子が乗っており、今は営業していないことがうかがえた。
(なんじゃ? ここは料理屋ではないのか? 埃がかぶっておるし、長い間使われておらんようじゃのぉ)
マオはもう一度メモを確認するが、たしかにこの場所で間違いはなかった。
「おぉーい! 師匠―! おるかー?」
とりあえず店の前で声をかけるが、応答はない。
見れば二階は住居になっているようだが、人の気配はしなかった。
「うぅむ。誰もおらんのか? これではソースが受け取れんではないか……」
すると、ちょうど後ろを通りがかった女性が、道の奥を指し示しながらマオに声をかけた。
「師匠に用事? だったらさっきあっちの方にいたわよ」
「む? まことか。かたじけない」
言われたまま道なりに進むが、そこに師匠の姿はなく、マオはキョロキョロと辺りを見回した。
「うぅむ。ここにも師匠はおらんではないか。もうどこかへ行ってしもうたか」
マオの言葉を聞き、近くで露店を開いていた店主がまた別の方向を指さした。
「師匠ならあっちに行ったよ」
「む? お、おぉ。そうであったか。かたじけない」
また言われた通り進み、そこでもまた師匠の姿をあてもなく探した。
「師匠はこの辺かの?」
その独り言に、そこらへんで遊んでいた子供が楽し気に答えた。
「師匠ならさっき家に帰ったよ」
「む……。そ、そうか……。かたじけない……」
(それにしても、随分顔が広い奴じゃのぉ……)
『ニャンニャン飯店』に戻ると、先程とは打って変わって、奥にあるカウンターには明かりが灯り、その向こうの厨房では何やらガチャガチャと音が聞こえてきた。
「おーい。師匠ぉ」
声をかけるとそれまで聞こえていた音がピタリとやみ、代わりに見覚えのあるフサフサの毛並みをした猫の獣人がひょっこりと顔を覗かせた。
「うにゃ? 誰か呼んだかにゃ? おや? お前はたしか、この前一緒に釣りした幼女じゃにゃいか。え~っとにゃまえは……マオ、だったかにゃ?」
「うむ。やはり料理長の師匠とはお主のことであったか」
「料理長? どこの料理長にゃ?」
「『白日の宴』の本部じゃ」
「あぁ~。にゃるほど。ルニャのことかにゃ」
「ルニャ?」
「ルニャ・ニャニャにゃ」
「ルニャ・ニャニャニャ? たしか、料理長の名前はルナ・ナナじゃ」
「だからそう言ってるにゃ」
「…………」
「ルニャ・ニャニャにゃ」
「もうよいわ。聞いとると頭が混乱する」
「それで? にゃんの用にゃ? 悪いけど『ニャンニャン飯店』は諸事情で閉店中だにゃ」
「おぉ、そうじゃった。ソースがなくて困っておる。ここにくればもらえると聞いたのじゃが」
「にゃ。たしかにここでは調味料全般の仕込みをしているにゃ。それで? 何に使うソースにゃ?」
「揚げ物じゃ。詳しくは知らん」
「随分アバウトだにゃ……。まぁいいにゃ。適当に持って行くにゃ」
「うむ。よろしくたのむ」
しばらく店の前でぼんやり待っていると、師匠は一升瓶を抱えて戻ってきた。その中には並々とソースが入っている。
「これ重いから持って行ってやるにゃ」
「む? よいのか?」
「お前まだ子供だしにゃ。特別サービスだにゃ。自分は昔から子供には甘いとよく言われていたにゃ」
師匠の物言いに、マオは半ば確信を持ってたずねた。
「その昔というのは、お主が転生する前のことか?」
「そうだにゃ。前世では料理一筋三十五年。一時たりとも男に現を抜かすことなく、昔気質の料理人として真面目に生きてきたにゃ。時には可愛げがにゃいだの、愛想がにゃいだの陰口をたたかれにゃがらも、それでも一生懸命やってきたにゃ。……それにゃのに……最後はトラックにひかれて一人寂しく死んでしまったにゃ……って!! お、お前! どうしてそんにゃこと聞くにゃ!! も、もしかしてお前も!!」
「うむ。わしも別の世界で死んで、ここへ転生したのじゃ」
師匠はわなわなと震え始め、持っていた一升瓶が腕からすり抜けてしまった。
それをマオが咄嗟に抱え、歯を食いしばって地面にゆっくりとおろした。
「気をつけんか! これが割れたらわしの夕食がおじゃんではないか!」
夕食の心配をするマオを他所に、師匠は勢いよくマオに飛びついた。
「初めてだにゃ! 初めて自分とおにゃじ境遇の奴に出会ったにゃ! お前の出身はどこにゃ!? 東京か!? それとも北海道かにゃ!?」
「とうきょう? ほっかいどう? なんじゃそれは?」
「……にゃ? 日本の首都と、自分が住んでいた土地のにゃまえにゃ。……知らにゃいのか?」
「わからん。ニホンというのも知らんな。その世界は魔界と人間界で勢力争いをしていた世界か?」
「そんにゃファンタジーにゃ世界じゃにゃいにゃ!!」
師匠はがっくりと地面にうなだれた。
「異世界違いだにゃ!!」
「うぅむ。どうやらそうらしいのぉ」
「好きにゃテレビの話とかしたかったにゃ!!」
「……なんかよぉわからんが、悪かったのぉ」
「途中まで見てたドラマの最終回について聞きたかったにゃ!!」
「まぁまぁ。またいずれ同郷の転生者と会えるかもしれんではないか。その時の楽しみにとっておくのも一興じゃぞ」
「……うぅ。まぁいいにゃ。今は自分の境遇をわかってくれる人を見つけただけでよしとするにゃ」
師匠は改めてソースの入った瓶を抱えなおし、歩を進めた。
「それで? お前の住んでいた世界はどんにゃところだったんだにゃ?」
「む? わしの住んでおったところ? うーむ……。毒の沼が近所にあったのぉ。それから、空ではウロボロスがとぐろを巻き、海ではリヴァイアサンがうねっておった」
「……世界観が違い過ぎてついてけにゃいにゃ。……というか、すぐにそんにゃところ引っ越した方がいいにゃ」
「お主のいた世界はどうであったのじゃ?」
「あぁー……。朝起きたら仕事に行って、夜帰ってきたら料理の研究をしながらテレビを見て寝る……。自分は毎日そんな感じだったにゃ」
「楽しいのか、それ?」
「……まぁ、料理をしてる時は楽しかったにゃ。だけど、やっぱり一緒に遊ぶ友達が一人もいにゃいのは辛かったにゃ。仕事にゃかまは次々結婚していくし……。自分だけ取り残されて……陰では、『あの人は料理と結婚したのね』にゃんて言われて肩身が狭かったにゃ……」
「うぅむ。お主も苦労人じゃのぉ」
「だからこの世界に転生すると教えられた時に、今度は誰からも好かれるようにゃ奴にしてくれと女神さまに頼んだにゃ。そしたらリトルキャットにゃんていう愛嬌溢れる種族ににゃってたにゃ。そのおかげかは知らにゃいけど、今ではちょっとした人気者にゃ」
「あの女、意外と融通がきくんじゃのぉ……。わしも何か言えばよかった……」
師匠は深いため息をついて、一升瓶を抱えなおした。
「でもこの体……ちょっと問題もあるにゃ」
「問題?」
いつの間にか目的地である『白日の宴』の本部に到着した二人は、とりあえず厨房を目指した。
厨房では未だに慌ただしく料理人たちが動き回っている。
マオが厨房に向かって声をかけた。
「おーい、料理長! 頼まれてた品を持ってきたぞ」
「あっ、マオちゃん。あ、ありがとう。道に迷ったりしなかった?」
「うむ。大丈夫じゃ。ソースは師匠が運んでくれたしのぉ」
「え? 師匠?」
料理長はマオのすぐ後ろにいる師匠を見ると、目を見開いてあたふたと慌て始めた。
「あっ、し、師匠! 厨房に入っちゃだめっていつも言ってるじゃないですか!」
料理長の物言いに、マオが苦言を呈した。
「む? 何故じゃ? 師匠は別に悪いことはしておらんではないか」
「だ、だめだよ! 師匠が厨房に入ると料理に毛が入っちゃうの!」
師匠はやさぐれるように尻尾を地面に垂らした。
「わかったかにゃ、マオ。これがこの体の問題点にゃ……」
「うぅむ……。料理人としては致命的ではないか?」
「……にゃー」
「ま、まぁ、夕食でも食ってけ? な?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕食の時間になり、後から合流したポルンとリュカが、興味津々で師匠のフサフサの毛を撫でている。
「すごーいっ! 師匠の毛、ふわふわ~」
「あたしの尻尾よりも毛並みが柔らかい……。いいなぁ……」
「ふふ。リュカちゃんの尻尾もいい抱き心地だから安心して」
「なっ!? へ、変なこと言うなっ!」
師匠が鬱陶しそうに二人に言う。
「もういい加減にするにゃ。さっさと飯食って家に帰るにゃ」
その実、師匠の尻尾は小気味よく右へ左へ揺れていた。
今日は食堂の利用者が多く、リュカとポルンは少し離れた席に戻っていった。
マオの横で、師匠が撫でられた毛並みをてぐしで戻している。
「まったく。子供は限度を知らにゃいにゃ」
「ふはは。子供というのはそういうもんじゃ」
「お前も初めて会った時、耳に指突っ込んできたじゃにゃいか」
「ふはは。子供というのはそういうもんじゃ」
「……ったく」
マオは目の前に置かれたトンカツをまじまじと見つめた。
「ふむ。トンカツと言うたな、この料理。うまそうなきつね色をしておる」
「にゃかにゃかいい肉を使ってるにゃ。この世界は豚とか鶏とかが安くていいにゃ。いくら狩ってもそのうちどこからともにゃくわいて出てくるのが理由だろうにゃ」
「ほぉ。さすがよく知っておるな。年の功というやつかの」
「にゃ!? 自分はこの世界に来てまだ三年にゃ! それに前の世界でも三十五歳だったにゃ……。自分でいうのもあれだけど、結構美人だったにゃ。……まぁ、ずっと一人だったけどにゃ……」
「お主は昔の話をしたらすぐに落ち込むのぉ。そんなことではこの先やっていけんぞ。ほれ。トンカツを食え、トンカツを」
「にゃー・・」
師匠は言われるがままトンカツにソースをかけ、猫の手で器用にフォークを使い、トンカツを一口平らげた。
サクッとした衣の向こうから、じわじわと肉汁があふれてくる。
「にゃー!! うまいにゃ! さすがルニャにゃ! 自分の教えたことをきちんと守っているだけでにゃく、それ以上の料理に昇華させているにゃ! これはあとで頭をにゃでにゃでしてやらにゃいといけにゃいにゃ!」
おいしそうに食べる師匠に、マオもトンカツにソースをかけ、パクリとそれにかじりついた。
「うまし!! サクサクとした食感と口の中いっぱいに広がる肉汁! それにこのどろっとしたソースの甘酸っぱさがさらにご飯を運ばせおる!」
「にゃはは! マオはにゃかにゃかうまそうに食うにゃー。見ていて楽しいにゃ」
「ふはは。わしはうまいものを食べておればそれで満足なのじゃ」
「にゃは! いいこというにゃー! まったくその通りだにゃ!」
その後、二人は和気あいあいとトンカツを頬張り、その様子を遠巻きに見ていた人たちの心を癒していった。
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〇本日の献立
・トンカツ:豚肉に小麦粉、卵、パン粉をつけて油で揚げた物。サクサクとした食感に、ジューシーな肉のうま味が食欲をそそる。師匠が久しぶりに自分の作った料理を食べるということで、料理長は少し緊張しながら作った。おいしそうに食べる二人を見てこっそりガッツポーズをとっていたのは内緒だ。