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第25話 もらした

 深夜。ギルド内の大多数の冒険者が静かに寝息を立てる中、マオはベッドの上で絶望に打ちひしがれていた。


(…………まさか……)


 ベッドのシーツはぐっしょりと濡れ、ズボンも水気を含んでいる。


(……まさか、おねしょをしてしまうとは……)


 すでに取り返しのつかなくなっているシーツを握りしめ、マオは深いため息をついた。


(正直この体になってから、いつかやらかすのではないかと頭の片隅になかったわけではないのじゃが……杞憂が現実になるとここまで打ちひしがれるとは思わなんだ……)


 マオはベッドから身を乗り出し、ポルンとリュカが寝ていることを確認した。


(この非常事態、本来ならば二人の手を借り、早々にこのシーツを洗濯すべきじゃが……残念ながらそれはできまい。何故なら――恥ずかしいから!!)


 マオは両手で顔を覆って「うぅ」と悶絶した。


(自分でしでかした粗相の後始末を手伝ってもらうなど恥ずかしくてできん! ここはなんとしてもわし一人で全てを解決せねばならん!)


 マオは頭の中で綿密なプランを練った。


(なぁに、簡単なことじゃ。このべちゃべちゃになった掛布団とシーツ、それからパジャマを乾かせばわしが粗相をした証拠は消える。わしの魔法、『暴風障壁』を使えば一瞬で乾くじゃろうが、この狭い室内でそんな魔法を使えば二人を起こしてしまう恐れがある。それは避けねばならん。つまりじゃ。このシーツやら何やら一切合切を、どこか広くて人目のない場所まで運び、そこで乾かせばよいのじゃ。建物から出るとどこかの窓から見られてしまう危険を犯すことになってしまう。じゃからそれよりも、普段洗濯物を干すために使っておる屋上で乾かすのがベスト!)


「よし。ではさっそく実行じゃ」


 マオは掛布団をベッドから床に落とし、敷布団のシーツを引きはがした。


「ぬ!? し、しもうた! おしっこがシーツから敷布団に染みてしまっておる……。うぅむ、こんな重い物、わし一人では運べんぞ……」


 考え込んでいたマオはハッと顔を上げた。


「わしはバカか! 浮遊魔法があるではないか!」


 さっそく落とした掛布団とシーツ共々、一式を浮遊させた。


「よし。このまま屋上に行って乾かしてしまおう。幸い二人はぐっすり寝とるし、わしがいないことにも気付かれまい」


 しかしその実、ポルンとリュカはひっそりと目を覚ましていた。


(起きてるんだけど……このまま寝たふりしてた方がいいよね。おねしょしちゃったの隠したいみたいだし……)

(手伝ってやった方がいいのか? いやでも、そうするとマオは恥ずかしがるか……。仕方がない。このまま寝てるふりをしておこう)


 マオは部屋の扉を開き、左右を見渡して気配をうかがった。


(ふむ。誰もおらんな。では、このまま階段を上がって屋上へ……)


 廊下を直進し、階段までたどり着くと、上からコツコツと足音が聞こえてきたので、マオは急いで階段の陰に隠れた。

 じっと息をひそめ、足音が完全に聞こえなくなるのを待つ。


(行ったか……。こんな夜遅くに出歩く者もおるのか、ばったり出くわさんよう注意が必要じゃな)



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 その後細心の注意を払いつつ、マオは何とか屋上の扉までたどり着いた。


「よし。後は外で乾かせばしまいじゃ」


 ガチャガチャ。


「ぬ?」


 ガチャガチャ。


(か、鍵がかかっとるではないか! くそっ! わしとしたことが迂闊じゃった! ……鍵を壊すか? いや、だめじゃ。わしの魔法では扉ごと破壊してしまう。それにその際に生じる音で皆が目を覚ましてここに様子を見に来る、なんてことになればわしはいい笑いものじゃ)


「うわっ!?」

「ぬっ!?」


 突然後方で誰かの短い叫び声が聞こえたので、マオは慌てて振り返った。


「だ、誰じゃ!?」


 マオの視界の先で、パジャマ姿で両手には布団のシーツと掛布団を持ったミリアがあたふたとしていた。


「……お、お主……こんなところで何をしておる」

「いいい、いやいや! 別に何でもないもん! マ、マオこそ、こんなところで何してるの! とっくに寝なきゃいけない時間でしょ!」

「わ、わしは……あれじゃ。ちと夜風にあたりとうなってじゃな……」

「って、うわっ! マオ、浮遊魔法使えたの!? しかもそんな重そうな布団……布団?」


 しばらくの沈黙が流れ、先にマオが口を開いた。


「もしや、お主……おねしょか?」


 ミリアは顔を真っ赤にしながら持っていたシーツを抱きかかえた。


「ま、まさか! そんなわけないでしょ! ミ、ミ、ミリアはもう子供じゃないし、おねしょなんてしないもん! ただちょっとお茶をこぼしちゃったから外で乾かそうと思っただけだもん! そ、それよりマオはどうして布団なんて持ってるの! マオこそおねしょしたんでしょ!!」


 マオは、ミリアのズボンが自分とまったく同じようにぐっしょりと濡れていることに気がついた。


「フハハ! その濡れたズボンが何よりの証拠じゃ!」

「マオもべちゃべちゃじゃない!」

「……みなまでいうな」


 マオはため息まじりに、


「残念じゃったな。ここの扉、鍵がしまっておって開かん。他の場所を探すしかあるまい」

「鍵? 鍵ならミリア持ってきたよ?」

「……何?」

「フレデリカがここの建物の鍵のスペアを持ってるから、それをこっそり拝借してきたの」

「お主、なかなかの悪知恵を持っておるようじゃのぉ」

「背に腹は代えられないからね」

「フハハ。気に入ったぞ。よし、ならばさっそくこの扉の鍵を開けるがよい」


 ミリアは、浮遊魔法で浮いているマオの布団を見て、


「一つ、条件があるの」

「条件? 何を言っておる。お主もこの屋上に出てそのシーツやらを乾かさねばならんのじゃろう? だったら(はよ)うせんか。他の者が起きてしまうぞ」

「それは……できない」

「ぬぅ?」

「だって……だって……ミリアの部屋には……まだおしっこまみれの敷布団があるんだもん! お願い! あれ運ぶの手伝って! ミリア一人じゃあんな重いの運べないの!」

「……ぐぬぬ。さっさと乾かさんと誰かに見られるではないか」

「運んでくれないと鍵開けてあげないもん! 嫌って言ったらここで大声だして皆起こしてやるんだから!」

「なんたる自暴自棄……。一人で恥をかくくらいならわしまで道ずれにしようという魂胆か……」

「ねぇ~、マオ~、お願いだから~。ミリアこんな年齢になっておねしょしたって誰にもばれたくないの~!!」

「……むぅ。仕方あるまい。さっさと済ませるから部屋まで案内せぇ」

「やったー!」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 ミリアとフレデリカの部屋。


 マオたちの部屋よりも一回り大きくて、絵本やぬいぐるみがぎっしりと敷き詰められている。

 奥に設置されたベッドで横になっているフレデリカを起こさないように、マオは静かに言った。


「……お主……随分子供趣味じゃな」

「もうっ! あんまり見ないでよっ!」

「こ、こら! あまり大声を出すでない! フレデリカが起きてしまうぞ!」

「あっ! ご、ごめん……」


 その実、フレデリカはミリアが部屋を出た時からずっと目を覚ましていた。


(ミリア……もうシーツ干し終わったのか? まぁ、今は寝たふりをしておいてやるのが優しさだな。それにしても……ミリアは全然おねしょが治らないな)


 フレデリカが起きているとはつゆ知らず、二人はそそくさと濡れた布団を運び出し、屋上に向かった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 ミリアが持っていた鍵を使い、二人はようやく屋上に到着した。


「よし、ミリア。ズボンとパンツを脱げ」

「なっ!? 何言ってるの!? マオの変態!」

「勘違いするでないわ。それも一緒に乾かしてやると言っておるんじゃ」

「乾かす? 何? マオそんなこともできるの?」

「無論じゃ。じゃからさっさと脱げ」


 さっさとズボンと下着を脱ぎ捨てたマオにならい、ミリアも恥ずかしそうにそれに続いた。


「脱げたか? うむ。では始めるとしよう。『暴風障壁』!」


 マオたちが運んできたシーツや、脱いだばかりのズボンが風の渦の中でグルグルと回り始めた。


「わぁ! すごい! マオ上手!」

「フハハ! そうじゃろうそうじゃろう!」


 二人は下半身に何も身につけないまま、乾いていくシーツを嬉しそうに見つめている。


「でも、なんとか誰にもばれないで済んでよかったね」

「うむ。ほんとにのぉ。これからは寝る前にきちんとトイレに行かなくてはならんな」

「そうだね~」


 その時、屋上の扉が開く音が聞こえてきた。

 安心しきっていた二人は目を丸くしてそちらに視線を向ける。

 そこには、二人の姿をいぶかしげに見つめる団長の姿があった。


「……あ、こんなところにいた。二人とも部屋の見回りに行ったらいないから探してたのよ? いったいこんな時間に何を――」


 団長は二人が下半身を露出させながら布の塊をグルグルと回している姿に唖然とした。


「ほんとに何してるの!?」

「い、いや、誤解じゃ! わしらは何もやましいことなどしておらん! ちょっと夕涼みに来ていただけじゃ!」

「そ、そうだよ! おねしょしたからそれを乾かしてるわけじゃないもんっ! ……あ」


 その後、勝手に屋上の鍵を持ち出したことを団長にとうとうと説教された二人は、二度とおねしょなんかしないと固く誓ったのだった。


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