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第24話 クッキー

 夜中。夕食を終え、明日の仕込みをしている最中の厨房で、団長が料理長に向かって愚痴をこぼしていた。


「――でね、この前お見舞いに行ったらマオが一人で寝てたのよ」


 料理長はテキパキと仕込みをしながら、


「はぁ……」

「興味本位でつい顔を覗き込んじゃったわけよ」

「はぁ……」

「そしたらマオの寝顔ってめちゃくちゃかわいいのね? 普段偉そうな喋り方してる分、反動で天使に見えるのね?」

「はぁ……」

「だから髪の毛に触りたくなって……触ってたらマオ起きちゃって……私に出てけって……」

「当たり前じゃないですか」


 団長は厨房の隅で泣き崩れた。


「私はもしかしたら取り返しのつかないことをしてしまったかもしれないの!」

「したじゃないですか、実際」

「もうこれから何をどうやってもマオに『あ、こいつわしが寝てる間に髪触ってきた変態じゃん』って思われるの!」

「仕方ないんじゃないですか」

「もう! 料理長! 私が真剣に相談してるのにさっきから何してるの!」

「仕事ですよ」

「そんなのいいから今は私の話を聞いて!」


(あぁ……。早く帰ってくれないかなぁ……)


 料理長の気持ちをよそに、団長は決心したように立ち上がった。


「そこで私は考えたの! どうすればマオの私への信頼を回復させることができるのかを!」


(長くなりそうだなぁ……)


「へ、へぇ。どうするんですか?」

「マオは食べ物が好き。とりあえずおいしい物を食べていれば幸せを感じる単純思考なお子様に過ぎない。だからこそおいしい料理を作ってくれる料理長が好き。私が何を言いたいのか、あなたならもうわかるわね?」

「え、えっと……?」

「私に料理を教えてちょうだい! そしてひっそりと料理の腕を上げて、マオを驚かせるの!」

「料理ですか? べ、別に教えるのは構いませんけど……。とりあえず今は仕込みをしたいので、明日出直してきてくれますか?」

「わかったわ! じゃあ明日の昼過ぎにまた来るから! よろしくね」

「はい……」


(ま、まぁ、人に料理を教えるのは嫌いじゃないけど……。団長は少し考えすぎなところがあるからなぁ……。マオちゃんは団長のこと嫌ったりしてないのに……)



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 翌日、厨房。


「え、えっと……。じゃあ、今日は子供の大好きなお菓子、チョコチップクッキーの作り方を教えたいと思います」


 団長がパチパチと手を叩く。


「よっ! 料理長!」


 そのすぐ横で、何故かマオも一緒に手を叩いている。


「おぉ、チョコとな! うまそうじゃ!」


 料理長がひっそりと団長に耳打ちした。


「あ、あの……どうしてマオちゃんも一緒にいるんですか?」

「ここに入るところをばったり見られたのよ。仕方がないから連れてきたわ」

「ひ、ひっそりと料理の腕を上げてマオちゃんを驚かすのでは?」

「計画変更よ。とりあえずおいしい料理を作ってマオの胃袋に放り込む。多分それでもマオは喜ぶと思うの」

「まぁ……団長がそれでいいなら構わないですけど……」


 料理長は気を取り直して、コホンと咳払いをしてから、


「え、えぇ~っと。では最初に、このボールに入ったバターをクリーム状になるまで混ぜます」

「混ぜるのね、それならできるわ!」


 団長が泡立て器でバターをならしていくのを、横からマオが興味深そうにのぞき込んでいる。


「おぉ。さっきまで固形だったものが、いつのまにかトロっとしておる」


(はっ! マオが興味を持ってくれてる! これは失敗するわけにはいかないわね!)


「料理長! 次の指示をお願い!」

「次は、砂糖を入れて、また混ぜてください」

「混ぜるのね、それならできるわ!」


 料理長が手に持っている小瓶に、マオの視線は釘付けになった。


「のぉ、料理長、その手に持っておる小瓶はなんじゃ?」

「これ? こ、これはバニラエッセンスだよ」

「ふむ。何やらよい香りがするのぉ。以前ケーキ屋で嗅いだのと同じ感じじゃ」

「う、うん。これ、デザートにはよく使われるものなの。これを混ぜるだけで、バニラの甘い香りがするようになるの。で、でも、このまま食べてもおいしくないんだけどね」

「む? そうなのか?」

「う、うん。このまま食べると、苦くてまずいの。砂糖と一緒に混ぜて、ようやくおいしくなるの」

「なるほど。料理とは奥深いものじゃな」


 バニラエッセンスと少量の塩をボールの中へ入れ、


「じゃあ団長、また混ぜてください」

「混ぜるのね、それならできるわ!」


 団長が混ぜている傍らで、料理長は新たなボールと卵を取り出した。


「じ、じゃあ、マオちゃん。卵、割ってみる?」

「む? わ、わしにできるかの?」

「失敗しても大丈夫だよ」

「う、うむ……。では」


 マオは料理長が見せた手本にならい、同じように卵の殻をボールの縁にぶつけたが、力が入り過ぎて握りつぶしてしまった。


「む!? 料理長、失敗したぞ!」

「す、少し、力み過ぎたね。もう一度やってみて。次は、やさしく」

「う、うむ。了解した」


 料理長に言われた通り、今度は軽く卵をぶつけ、殻にヒビを入れる。

 そうしてそのままヒビの入った卵をボールの上まで持ってきて、親指を差し込んで割ると、中から黄身がツルンと落下した。


「今度はうまくいったぞ!」

「うん。上手上手」

「むむ。ちょっと殻が入ったかの?」

「こ、これくらいならすぐ取り出せるから、気にしないで」


 料理長は割った卵をよくほぐすと、団長が持っていたボールに流し込んだ。


「じゃあ団長、これも混ぜてください」

「混ぜるのね、それならできるわ!」


 料理長はまた空のボールを出すと、その上に細かい網目の入った筒を乗せた。


「む? 次は何をするんじゃ?」

「今からこれで小麦粉とベーキングパウダーをふるいにかけるの。そ、そうすることで、完成した時に粉っぽさが残らなくなるから」

「ほぉ」

「じ、じゃあ、私がこの上から粉を入れるから、マオちゃんは、この網をコンコン叩いて、粉をふるってくれる?」

「うむ。なかなか緊張するのぉ」

「ふふ。リラックスリラックス」


 料理長が粉を少しずつ継ぎ足し、マオはその度にこし器を小刻みに叩いた。


「フハハ! 料理とは子供の遊びとどこか似通ったものがあるのぉ!」

「そうだね。料理って、楽しいものだから」


 粉をふるい終えると、それを団長のボールへ投入した。


「じゃあ団長、混ぜてください」

「混ぜるのね、それならできるわ!」


 それからそこへチョコチップクッキーも加えると、出来上がった生地を料理長が受け取った。


「じゃあ、あ、あとはこれをスプーンで天板に並べて……こんな風に形を整えていくだけ」


 マオは料理長からスプーンを受け取り、料理長の見本と同じように練った生地を並べ始めた。


「こんな感じか? スプーンに引っ付いてなかなか難しいのぉ」

「だ、大丈夫。うまくできてるよ」


 マオが作業に集中している横から、団長が割って入った。


「ねぇ、マオ。私も意外と料理できるでしょ?」

「…………う、うむ。実によく混ざっておったな」

「……えぇ。……とてもたくさん混ぜたからね……」


(あぁ……。私、気を使われてる……。途中から自分でも気付いてたわよ。あれ? 私混ぜてるだけじゃない? って。だけどそれ以外は全部マオと料理長がやっちゃったんだもの……)


 すべての生地を天板に並べると、それを料理長がオーブンの中に入れた。


「こ、これで、あと十分と少ししたら、完成だよ」

「ほぉ! 実に楽しみじゃ! それにしても料理長はどんな料理でも作れてほんとにすごいのぉ」

「い、いやいや。私なんてまだまだだよ」


 料理長の株が上がるたびに、団長は少しずつ落ち込んでいった。


(はぁ……。やっぱり私に料理長の真似は無理ね……)


「悪いけど、私先に帰るわね」

「む? なんじゃ、食べんのか?」

「えぇ。ちょっと仕事を思い出したのよ……」

「ふむ。そうか……」


 団長が出ていくと、マオはオーブンを見ながら料理長に言った。


「この前話しておったの、クッキーはどうじゃろう?」

「ん? あぁ。こ、この前、私に相談してたあれ?」

「うむ。材料費は給料が入ってから払うでな」

「うん。いいんじゃないかな。多分、皆喜ぶよ」

「もちろん、料理長にもやるからのぉ」

「ふふ。ありがとう」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 その日の深夜。団長室。

 机に突っ伏したまま眠っていた団長は、ゆっくりと目を覚ました。


(あれ? 私……寝ちゃってたのか)


 横に置いてあった眼鏡をかけ、小さなあくびをしてから目をこする。


「はぁ……。結局全然仕事進まなかった……。最近ずっとこんな調子ね……」


(やっぱり、私に団長なんて向いてないのね……。ダンジョンで冒険してた時の方が性に合ってるわ……。どうせだったらどこか遠くの街に行って、冒険者として一からやり直そうかしら……。あら?)


 ふと、机の上に小さな紙袋が置かれていることに気がついた。

 それは可愛らしいフリルが付いていて、先端が赤いリボンで結んであった。


「何かしら……このかわいい物体は……」


 試しにリボンを解いてみると、中から数枚のクッキーが顔を覗かせた。


「これ……さっき料理長が作ってたやつ? あれ? でも黒ゴマとオレンジなんて混ぜてたかしら? 随分形が歪だけど……」


 そして、紙袋のすぐ横に置いてあったメッセージカードに気がついた。

 手に取ってみるとそこには、『お見舞いに来てくれたお礼じゃ』とだけ、下手くそな字で書かれていた。


「…………」


 クッキーを一枚手に取って食べると、サクサクとした歯ごたえとゴマの風味が漂ってきた。


「……うん。おいしい」


 そのまま口の中のクッキーを咀嚼し、もう一度メッセージカードに視線を向ける。


「…………ま、この仕事も捨てたもんじゃないわね」


 団長は下手くそな字を愛おしそうに眺めながら、また一口、甘ったるいクッキーをおいしそうに頬張った。





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〇本日の献立

・クッキー:サクッとした食感の一般的なクッキー。チョコチップを混ぜることでより親しみやすい味になった。団長が受け取った黒ゴマとオレンジのクッキーは、団長と別れた後、マオが料理長に教わりながら一から作った物。ところどころダマになっていて粉っぽいが、優しい味がする一品。お見舞いに来てくれた人たち全員に配った。面と向かってお礼を言うのが恥ずかしいマオはメッセージカードをしたためた。貰った人は全員、そのメッセージカードを捨てずにこっそりと保管している。


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