第23話 うどん
大浴場、脱衣所。
入浴もそこそこに、マオがそそくさと脱衣所から出ていこうとすると、それをポルンが呼び止めた。
「ちょっとマオちゃん! きちんと髪乾かさないと風邪引いちゃうよ!」
「フハハ! わしが風邪など引くものか。それよりもさっさと部屋に戻って『食べられるダンジョン』一巻の続きを読まなくてはならんのだ!」
「もう! 後でつらくなっても知らないからね!」
「望むところじゃ! フハハハハハ!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。ベッドで目を覚ましたマオは妙な感覚に襲われていた。
(……む? おかしい。何やら体が熱い……。それにこめかみの辺りがズキズキと痛む……)
「ごほっ……。ごほっ……」
(なんじゃこれは? 意図せず口から息が出る……。これはもしや咳というやつか? 全身が重い……。関節が痛い……)
「ごほっ。ごほっ」
マオの様子がおかしいことに気付いたポルンが、二段ベッドへ続くハシゴに足をかけて覗き込んだ。
「マオちゃんどうしたの?」
「ぬぅ……。わからぬ……。体が……うまく動かせんのじゃ……」
「あっ! もしかしてほんとに風邪引いちゃったの!?」
「風邪? ふはは……。馬鹿な。それは人間がなる病気であろうに……」
「マオちゃん人間じゃない……」
「……ぬ?」
(いやいや、まさか。わしは魔王だった頃と同じ能力が使えるはず。病気になどなるはずが……。いや、体は人間ゆえ、病気にはなるということか? まぁよい。治癒魔法を自分に使えばそれで済む話じゃ)
マオが自分自身を治癒しようと胸に手を当てて魔力を込めると、
「ごほっ! ごほっ! ごほっ!」
「マオちゃん大丈夫!?」
「な、なんじゃ? 治癒魔法を使おうとしたら、一気につらさが増した……。めまいが止まらぬ……。立ち上がることさえできん……」
「それってもしかして……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからしばらくして、ポルンがマオを看病している間に、リュカが白衣を着た女性を一人連れてきた。
「おぉーい。ドクター連れてきたぞ」
マオはドクターと呼ばれた女性を一瞥すると、あからさまに眉をしかめた。
「なんじゃそやつは……」
ダボダボの白衣に、ところどころぴょこんと跳ねた体毛が最初に目に留まった。
頭には二本のウサギの耳がピョコンと生えていて、その中央には渦巻き状のツノが一本あり、鼻先は黒く、全身真っ白な毛で覆われている。
ドクターの真っ赤な目が、ギョロリとマオを睨んだ。
「ウチはここの専属医だし。皆からはドクターって呼ばれてっから、君もそう呼ぶといいし」
「うぬぅ……」
「なんだし。ウチじゃ不満でもあるし?」
「そ、その……その耳……本物か?」
「当たり前だし……。まぁ、ウチは兎角族って呼ばれる種族で珍しいし、知らなくてもしょうがないと思うけど……。つーかウチの耳はめちゃくちゃ優秀で、遠くの音まで鮮明に聞こえるし」
「さ……触らせてくれぇ」
「君、結構元気だし……」
リュカとポルンは部屋の外に出され、ドクターの診察が行われた。
その間、マオはずっとドクターの耳をふにふにと触っていた。
それからしばらくして、ドクターは納得するように頷いた。
「こりゃあ間違いない。魔力障害だし」
「……魔力障害? なんじゃ、それは?」
「う~ん。簡単に言えば魔力をたくさん持っている人がかかる風邪って感じだし。君、不摂生な生活を送ったり、体を冷やすようなことしなかった? そういう免疫力が低下した時に、体の中にある過剰な魔力が暴走して風邪と同じような症状を引き起こすんだし」
マオはドクターの耳を力強く握り、ポロポロと涙をこぼした。
「わしは……死ぬのか……?」
「いやいや、死なんし! 泣かなくていいし! ただし症状がつらい間は魔法は使っちゃダメだし。使うと治るのが遅くなるし。わかったし?」
「うぅ……うぅ……」
「な、なんで泣くし~」
「こんなつらいの初めてじゃ……。勇者に殺されたときでさえもう少しマシだったぞ……」
「勇者? なんだしそれ……。う~ん。でもまぁ、初めての魔力障害って結構つらいし……。とりあえずそこまで長引く病気じゃないし、今日一日は大人しくしてるし」
「うむ……。わかった」
「じゃあとりあえず、いい加減耳離すし」
「……よい……触り心地であった」
「そりゃどーもだし……」
部屋を出て行ったドクターに代わり、リュカとポルンがマオの元に戻ってきた。
「マオ、大丈夫か? 辛そうだな」
「マオちゃん、やっぱり魔力障害だったんだね。私もたまになるんだけどつらいよね。私たち、今日一日休んでずっとそばにいてあげるからね」
マオはゴホゴホと咳を出しながら、
「……い、いや……お主らは、お主らの仕事をしてくれ……。わしは、一人でも大丈夫じゃから」
「無理するなって。どうせ見習い用のクエストなんて誰でもできるんだから。それに普段から結構休んでるし……」
「マオちゃんは余計な気を使わないで静かに寝てること。いい?」
「じゃ、じゃが……」
「「つべこべ言わない!」」
「……うぬぅ」
それからリュカとポルンの二人は、部屋の中で静かに本を読み、マオが辛そうにしたら額の汗を拭ってやった。
そうこうして昼前になると、マオがフラフラとベッドから降りてきた。
「マオちゃんどうしたの? おしっこ?」
「…………違う」
「げぇってしそう?」
「…………違う」
「じゃあ、どうしたの?」
「……………………上のベッドは……ちと、寂しい」
マオが恥ずかしそうに目を逸らすと、リュカもポルンも胸が締め付けられるような感覚に陥った。
「よぉし、マオちゃん! 私のベッドにおいで! ここで寝てればすぐ近くにいてあげられるからね!」
「……よいのか?」
「もちろん!」
「…………うむ」
ゴロンとポルンのベッドに転がったマオに、リュカはすかさずドリンクを差し入れた。
「ほら、マオ。これ、ストローがついてるやつだから横になりながら飲めるぞ」
「……うむ」
ゴクゴク。
「……うまし」
「そうだろう。さっきマオが寝てる間にドクターが持ってきてくれたんだ。これ飲むと早く治るってさ」
「……うむ。ありがとう」
リュカは感動で自分の口を手で押さえた。
(マ、マオが! 素直にお礼を!)
それからリュカとポルンは本に目を落としてはいたが、その実、弱ったマオがかわいくてまったく内容が頭に入ってこなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
コンコン。
扉を叩くノックの音に、ポルンが返事をした。
「はーい、どなたですかー?」
「あ、あ、あの……差し入れ、持ってきたんだけど……」
扉を置けると、そこには料理長がお盆を両手に持って立っていた。
部屋の中にダシの風味が漂うと、ベッドで寝ていたマオがいそいそと上半身を起こした。
「よい匂いじゃ……。さすが料理長……。さっきまでまったく感じておらなんだ食欲をここまで駆り立てるとは……」
ぐぅぅぅ。
「マ、マオちゃん、大丈夫? 無理に食べないでもいいよ?」
「食べる」
「そ、そう? そのままベッドの上で食べる?」
「いや、机の上に置いてくれ。そっちの方が落ち着く……」
料理長が持ってきた器の中には、じっくり煮込まれたうどんに、ねぎと卵黄が乗せられていた。薄めに味付けられたダシの風味が、湯気と一緒に立ち込める。
マオがうどんの前まで移動すると、料理長がフォークにうどんを絡めて、
「は、はい、あーんして」
「あーん」
パクリ。
「……うまし。麺がよく煮込まれておって食べやすい。じゃが、普段食堂で出されておるうどんよりも幾分薄味じゃな」
「う、うん。病気の時って、あんまり塩分濃い物は食べない方がいいから」
「さすが料理長、博識じゃな。……して、何故うどんに卵が乗っておる?」
「あれ? マ、マオちゃんは、うどんに卵落としたことない?」
「うむ。知らん。じゃが食べてみたい」
料理長はうどんの上にある卵黄をフォークで割ると、それを絡めるようにしてうどんを掬い取った。
「は、はい。あーんして」
「あーん」
パクリ。
「……おぉ、うまし! うどんのつるんとした食感が、卵を絡めることによって一層際立っておる!」
「気に入ってもらえてよかった」
傍で見ていたリュカとポルンがゴクリと喉を鳴らすと、
「ふ、二人にも作ってあげるから、後で食堂においで」
「「やったー!」」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、うどんを完食したマオは、再びポルンのベッドへ潜り込み、一人静かに寝息を立てていた。
そこへ、今度はこっそりと団長が侵入し、マオの顔を覗き込んだ。
「あれ? 寝てるの? なぁんだ。弱ってるって聞いたから看病でもして私の評価を上げようと思ったのに……。ふふふ。それにしても、普段は生意気なのに寝顔はこんなにかわいいのね」
団長は床に膝をつき、マオの汗で滲んだ前髪を指で流した。
ほんのりと汗ばむマオの顔を、団長はまじまじと見つめ、
「え? なにこれ? ちょっとかわいすぎない? あれ? 最初見た時ってこんなに赤毛だったかしら? うわぁ、すごい。毛先まで全然枝毛とかないのね。あ、肌もぷにぷに。いいわねぇ、若いって」
「のぉ」
「……あ。お、起こしちゃった? あはは。ご、ごめんね。マオが弱ってるって聞いたから看病に――」
「出て行ってくれぬか?」
団長は締め出された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕方になる頃には、看病に戻ってきたリュカとポルンはそれぞれ自分のベッドと机で寝入ってしまっていた。
そんな中、マオはぼんやりとした頭のままで天井を見上げていた。
コンコン。
応対するはずの二人が寝ていたので、マオが返事をする。
「誰じゃ?」
カチャリと扉が開き、ミリアが顔を覗かせると、マオは渋い表情を浮かべた。
「……なんじゃ、ミリアか。今日はお主の相手をしてやれるほどの元気はないぞ」
「随分元気そうじゃない。あれ? 二人は寝てるの? なら静かにしないとね」
そう言って、ミリアは木で編まれた箱にぎゅうぎゅうに詰め込まれたフルーツの盛り合わせを机の隅に置いた。
「これフルーツの差し入れ。ミリアとフレデリカから。今食べる?」
「……いや。今は食欲はない」
「そう。じゃあまた食べたくなったら二人を起こして切ってもらってね。じゃあ」
「む? お主もう帰るのか?」
「え? だって体調悪いんでしょ? あ、それとも何かしてほしいことある?」
「…………少し……近くにいてくれ」
「うん。いいよ」
ミリアはベッドの横に来ると、マオの手を握って優しくさすった。
「体調悪い時って、寂しくなるよね」
「……うむ」
「吐きそうじゃない? 頭痛くない?」
「大丈夫じゃ。今朝よりだいぶマシになった」
「そう。よかった」
マオは全身にべったりと滲んだ汗が気になり、何度も体を身じろぎさせた。
その様子に気付いたミリアが、
「汗、気持ち悪い?」
「……うむ。じゃが、そのうち乾く」
「拭いてあげよっか?」
「……む?」
「お湯に浸したタオルで体を拭けば、さっぱりして寝やすくなるよ」
「…………よいのか?」
「いいよ。待ってて、今用意するから」
ミリアはお湯の張った洗面器に清潔なタオルを浸すと、マオの布団を捲り、服のボタンを外していった。
「服も汗だらけだね。着替えある?」
「……うむ。そこのクローゼットの一番下に入っておる」
「じゃあ、それに着替えちゃおっか」
上半身を裸にすると、絞ったタオルで背中から丁寧に汗を拭きとっていく。
「マオ、自分の髪の毛持ってて」
「……うむ」
「脇とか首筋とか、拭いておくと気持ちいいでしょ?」
「……うむ」
「下はどうする?」
「……下も……汗が……」
「じゃあ、ミリアが拭いてあげる。ついでだから下着も新しいのに履き替えよっか」
「……うむ」
ゴシゴシ。
全身の汗を拭いてもらい、新しい服に着替えると、マオはまたすぐに布団を掛けられた。
「どう? 眠れそう?」
「うむ。さっきよりもだいぶ心地よい。助かった」
「いいよ。あ、そうだ。お腹ポンポンしてあげるよ」
「なんじゃそれは?」
「こうね、お腹をゆーっくり、ゆーっくり、ポンポンすると、スーッと眠くなるの」
ミリアの手が布団を撫でる度、マオの意識は遠退いていく。
「これは……なんというか……すごく、安心するのぉ」
「そうでしょ? ミリアもよくフレデリカに……。いや、なんでもない」
「あぁ……よい心地じゃ……」
「おやすみ、マオ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、マオは雀の鳴き声で目を覚ますと、腹の虫がぐぅぐぅと激しく鳴った。
「うぅむ……。昨日はあのまま寝てしもうたのか。ということは晩御飯を食べ損ねてしもうたな。……お? 咳が出ん。それに頭も痛くない。フハハ! 絶好調じゃ!」
マオはそのままベッドから飛び出そうとしたが、すぐ側で寄り掛かるようにしてリュカとポルンの二人が寝ていたので動きを止めた。
ポルンとリュカが、マオの気配を感じて目をこすりながらゆっくりと起床する。
「あ……。マオちゃんおはよう」
「もう、体調はいいのか?」
マオは昨日の自分の所業を思い出し、一瞬顔を赤らめて目を逸らしたが、それでもすぐに向き直った。
「……もう、大丈夫じゃ。その……き、昨日は……ありがとう……じゃ」
リュカとポルンは二人して顔を見合わせると、ちょうどマオの腹がぐぅぅぅっと鳴り、くすりと笑顔を浮かべた。
「とりあえず、ご飯食べに行こっか!」
「今日はマオの好きな焼きそばが出るらしいぞ!」
マオは照れ臭そうに腹をさすると、二人と同じように微笑んだ。
「そうか。それは楽しみじゃの!」
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〇本日の献立
・うどん:病気で弱っているマオのために料理長が作った薄味のうどん。柔らかくするためによく煮込まれていて、卵黄とネギが入っている。ちなみにマオは何度か食堂でうどんを食べているが、毎食書くとテンポが悪くなるので割愛されているぞ。料理を食べた時のマオの感想が少しずつ語彙力を増しているのはそのせい。だけど根本的に幼女なのでそれほどたいしたことは言えない。それでもすごくおいしそうに食べるので見ている人もお腹が減ってしまう。