前へ次へ
2/44

第2話 トゥールの実

 ガルルルルルル!!!!


(うぅん……。ん?)


 どこかに横たわっていた魔王は、地面に手をついて上体を起こした。

 頬が冷たいので触ってみると、べったりと泥が付着していた。

 そして、頬に触れた自分の手は驚く程小さかった。


(なんじゃ? これがわしの手か? この形はエルフか? それともハーフビーストか?しかし、随分小柄じゃな……)


 ガルルルルルル!!!!


(……えぇ~っと。そう言えば、あやつ、最後に何か言っておったような?)


 ガルルルルルル!!!!


「さっきからうっさいのぉ! 何も考えられんではない……か……」


(思い出した。『周辺環境には十分注意してくださいね』じゃ)


 目の前には二匹の狼がうなり声を上げ、今にも飛び掛からんとしてこちらを睨みつけていた。

 そのままじっと狼を見ていると、

《ハイウルフ》と名前が表示された。


(ん? これは、わしが魔王だった時に持っておった『鑑定』のスキルではないか?)


「まさか……」


 人差し指を伸ばし、《ハイウルフ》の一体に向ける。


「『魔光弾』」


 直後、ビッと短い音がして、指先から一本の熱戦が《ハイウルフ》目掛けて飛んでいった。そして、熱戦を浴びた《ハイウルフ》はぶくぶくと泡状に膨らみ、そのまま破裂した。


(ま、魔王だった頃の力がそのままではないか……。良いのかこれ? あの女、何か間違えたのではないか? これわし、世界のバランス易々と崩壊させる自信あるぞ!)


 残った《ハイウルフ》は「キャンキャン」と情けない声を出して森の奥へ消えていった。


「まぁ何にせよ……初戦は勝利じゃな。……というか、この世界勇者おらんとか言ってたぞ。つまりわし……最強ってことではないか」


(うぅむ。これはこれで気を遣うのぉ。この力で世界を掌握したところでただの弱いものいじめになりそうじゃ)


「……とりあえず、わしの今の姿を確認してみるとするか」


 粗末な布の服。皮の靴。そして全身泥だらけ。


(せめて乾燥した地域に生み落としてほしかったものじゃ……)


 沼地を後にし、森の中へ入ると湖があったので、そこでばちゃばちゃと顔を洗った。


「ぷはぁ! 生き返るのぉ! さてさて、わしはどんな姿に……」


 長い髪の毛はまだ泥が付着しているような違和感を覚えながらも、魔王は興味津々に湖面に視線を向けた。

 そこには一人の少女が反射していた。

 華奢な手足に、ぱっちりとした何とも愛くるしい両目。

 その姿を見るや否や、魔王はわなわなと震え始めた。


「……なんじゃぁ、これは!? よ、よ、よ、幼女ではないか! しかも人間の! これがわし!? わしなのか!?」


(苦節数百年。魔界に鎮座してせっせと人間界への進行を続けていたわしが……こんな人間の幼女に転生させられるとは、なんたる屈辱……。せめて獣人とかに生まれ変わりたかった……)


 そのまま湖面を見ていると、今度は自分が持っているスキルが表示された。


 所持スキル。《魔王》。


(これは、魔王の頃にできていたことができるということか?)

(……そ、それにしても……アホなスキル名じゃのぉ……。何を考えて元役職をスキル欄に書きこんどるんじゃ……)


 脱力してがっくりと膝を折ると、「ぐぅぅぅ」という何とも情けない音が腹から聞こえてきた。


「む? なんじゃ? この感覚は?」


 ぐぅぅぅ。


「むむむ。腹の辺りが軋むように痛むぞ……」


 ぐぅぅぅぅ。


(くそ。わからぬ。この体に何が起きているのじゃ……)


 トボトボと陸地へ上がると、生い茂った草木の中に紫色をした木の実が目についた。


 ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!


「ハッ! も、もしやこれは腹が減っているという状態なのか!?」


(魔王として生れてから、一度たりとも食事という物をしたことはないが、部下がより集まってパクパク口の中に放り込んでいたのは覚えておる。あれは儀式めいた何かだと思って馬鹿にしておったが、そうか、こういうことか)


「ではさっそく」


 木の実をもぎ取り、口の中へ放り込む。それを歯で噛み潰すと、果汁が口の隙間からボタボタと零れ落ちた。


「うむ? なんじゃ? 意外と難しいな」


 直後、舌の上にねっとりした感触が広がり、鼻の中を草木の香りが駆け抜けた。


「こ、これは……」


(こういう時、部下はなんと言っていたか……)


「……うまし? そうじゃ。うましっ!」


 次々と木の実を口の中に放り投げ、口の周りがベタベタになっても構わず食べた。


「うましっ! うましっ! うましっ!」


(これが食べるということか! なんという幸福感! なんという満足感! 生まれて初めて聖騎士を一人で倒した時以上に満たされる感覚じゃ!)


「はぁ……。うましぃ。こんな幸せなことが世界にあったとは……ん?」


 よく見れば、となりで一匹の鳥が死んでいた。

 その嘴には、魔王が食べている木の実が一つ。

 改めて木の実に目を向けて集中すると『トゥールの実(毒)』と表示された。


(食い意地に負けて毒の果実を食べておったとは……)


「……そ、そうじゃ。これは、わしには毒が効かんのか試していただけ、ということにしよう。うむ。そうしよう。食い気に負けて毒の木の実をあらかた食べつくしたとなれば魔王の名がすたるわい」


(…………この死んでおる鳥も、食えんかのぉ)


 ゴクリ、と勝手に喉が鳴る。


(聞いたことがあるぞ。人間の間では鳥は普通に食されておるとかなんとか)


 ゴクリ。


「一口……一口だけ……」





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


〇本日の献立

・トゥールの実(毒):別名、鳥殺しの実。おいしそうな香りで鳥の食欲を誘い、果肉に含ませた毒でついばんだ鳥を殺す。その後、死体を蝕みながら体外へ根を伸ばし、再び実をつけて鳥を誘う。

 普通の人間が生で食べるとお腹を壊すから気を付けよう!


前へ次へ目次