第17話 アユの塩焼き
街のはずれを、マオは一人暇そうに散歩していた。
(いやー、それにしても今日は暇じゃのぉー。リュカは剣の稽古じゃし、ポルンは図書館に行ってしもうた……。うーむ。こんなに暇ならわしもポルンと一緒に図書館に行けばよかったかのぉ)
マオが小川にかかった橋を渡っていると、近くでポチャンと音がした。
(む? なんじゃ? 魚でも跳ねたか? そう言えばたしか魚も食えるんじゃったな……)
草をかき分け、川岸を歩く。
(……うぬ? なんじゃ? 誰かおるな)
現れたのは、フサフサの毛に覆われた猫の獣人だった。ぴょこんと伸びた耳と、しなやかに弧を描いた尻尾がフリフリと揺れている。
猫の獣人は釣竿を手に持っている。
「お主、それはなんじゃ?」
「にゃ!?」
「うぬ!?」
「にゃんだ~、人だにゃ~。急に話しかけられてびっくりしたにゃ~」
「む。すまぬ。で、それはなんじゃ?」
「これ? これは釣竿だにゃ」
「釣竿……?」
「そうにゃ。これを使って、川にいるさかにゃを釣り上げるんだにゃ。で、焼いて食べるにゃ」
「おぉ! 焼いて食べるとな!」
「……釣れたら一緒に食うかにゃ?」
「よいのか!?」
「にゃ」
猫の獣人が垂らした糸の先を、マオは横にちょこんと座って眺めた。
「お主、背が低いな」
「ひ、人のこといえにゃいだろ。お前も同じくらいじゃにゃいか」
「まぁ、そうじゃが。ちと珍しかったものでな」
「にゃんだそれ」
川面に浮かぶウキは一向に動かない。
「のぉ」
「にゃんだ?」
「その耳、触ってもよいか?」
「耳? どうしてだにゃ?」
「知らん。とりあえず変わった耳を見ると触りとうなるんじゃ」
「……まぁ、別にかまわにゃいけど」
ふにふに。
「むむ。なかなかによい感触じゃ」
「そうにゃ? まぁ、自分も散々触ったけどにゃ……」
ふにふに。
ずぼっ。
「にゃはは! ゆ、指を突っ込むにゃ!」
「うぬ? 中はダメなのか?」
「だめにゃ! 中はくすぐったいにゃ!」
「うぬぅ……」
マオは獣人の耳から離れ、また横でちょこんと膝を抱えた。
獣人があくびを一つこしらえると、それにつられてマオもあくびをした
「それにしても……ここの時間はゆっくり流れるにゃー。特に毎日やることがあるわけでもにゃいし」
「そうじゃのぉー。……ところでお主、男か? それとも女か?」
「にゃっ!? し、失礼にゃ……。昔も今もれっきとしたおんにゃにゃ!」
「完全な獣人でも性別の差はあるんじゃのぉ」
「当たり前だにゃ! 獣人をにゃんだとおもってるんだにゃ!」
(わしの前おった世界では、魔族に性別なんてものはなかったからのぉ)
獣人が苦い顔をしながら釣り糸の針を確認する。
「釣れにゃいにゃー。エサはちゃんとついてるのににゃー」
「エサ? 何をつけとるんじゃ?」
「ミミズにゃ」
「ほぉ、ミミズ……。なんじゃ、ちっこいウロボロスみたいでかわいいのぉ」
「例えがぶっ飛びすぎててよくわからにゃいにゃ……」
「それと、後ろにある壺はなんじゃ? 火が付いとるようじゃが……」
「それは自家製七輪だにゃ」
「七輪?」
「さかにゃがつれてから使おうと思ってたんだけど、暖炉代わりに先に火をつけたにゃ」
「あったかいのぉ」
「ねむくにゃるにゃ~」
ポチャン。
「お主、この川で魚を釣ったことはあるのか?」
「にゃい」
「…………」
「にゃんだよ、その顔」
「……ほんとにおるのか? 魚」
その時、バチャンと川の真ん中で一匹の魚が跳ねた。
「いることはいるみたいだにゃ」
「むぅ……」
「けどまぁ、もっときちんとした道具があればいいんだけどにゃ~。木の枝に糸をくくりつけただけじゃ、やっぱり不安だにゃ。せめてリールだけでもほしいにゃ」
「リール? なんじゃそれは?」
「糸を巻くための道具だにゃ……。ま、どうせ説明してもわからにゃいにゃ。自分も構造をきちんと理解してたわけじゃにゃいし。あっちでは普通に売ってたしにゃ」
「あっち? あっちとはどっちじゃ?」
釣り糸が震えた瞬間、獣人は慌てて立ち上がった。
「にゃにゃにゃ! きたにゃ!」
「なんじゃと!? よ、よし! 一気に引き上げるんじゃ!」
「まぁ、待つにゃ! ここで力任せに引くと糸を切られるにゃ。焦らず、ゆっくりと竿を立てて引き寄せるにゃ」
「焦らずじゃな!」
「そうにゃ!」
やがて、獣人は一匹の魚を釣り上げた。
マオが首を傾げる。
「なんじゃ? ツルツルしとるな。これ、うまいのか?」
「にゃ!? お、お前、アユをしらにゃいのか!?」
「アユ?」
「ん? この世界では違うにゃまえだったかにゃ? と、とにかくこのさかにゃはすっごくおいしんだにゃ!」
「ほぉ……おいしいとな?」
「にゃはは! 期待に満ちた目をしてるにゃ。そう慌てるでにゃい。自分がパパっと料理してやるからにゃ」
「なぬ!? お、お主、料理ができるのか!?」
「あったりまえだにゃ! それが本職だにゃ!」
「おぉ!」
「まずはこうして下処理を済ませて……。この棒で刺すにゃ」
棒で刺されたアユを見て、マオは首を傾げた。
「そ、それが料理か?」
「にゃ!? 立派にゃ料理にゃ! これに塩塗り込んで焼いたら絶品だにゃ!」
「……ほんとか?」
「疑うにゃら食べにゃくていいにゃ」
「うぬぅ。す、すまぬ」
棒に刺したアユを七輪の火で焼くと、徐々に表面に焼き色がついてきた。
「むむ! な、なんじゃ!? 焼いとるだけでこんなにうまそうな匂いが! タレもつこうとらんのに不思議じゃ……」
「にゃはは! これがさかにゃにゃ!」
獣人はアユを一口頬張ると、満足そうに笑みをこぼした。
「にゃ~。さすが天然物にゃ。しっかり身がしまっててうまいにゃ」
「わ、わしにもくれ!」
「にゃはは。食うにゃ食うにゃ」
パク。
「んー! うまし! こ、このホクホクの魚の肉のうま味を、さっき塗った塩がよぉ引き立てておる! それにこの独特な草のような匂いもよい! お主、よい腕をしておるな!」
「にゃはは。あたりまえだにゃ。自分は料理一筋で生きてきたからにゃ! ……はぁ。それがまさか、トラックにひかれて終わるとはにゃ……。ん? もうすぐ日が落ちるにゃ」
獣人はいそいそと七輪の火を消した。
「む? お主、もう帰るのか?」
「そうにゃ。今日もこれから弟子に料理を教えに行くにゃ」
「おぉ。お主ほんとに料理がうまいんじゃな。むむ。そう言えば、わしはお主の名前を聞いておらん。わしの名はマオ、お主はなんという?」
「自分か? 自分はタニャカ……。いや、こっちではみんにゃ、自分のことを師匠と呼ぶにゃ。最初は抵抗があったけど、今はそっちの方がにゃれてるにゃ。お前もそう呼ぶにゃ。お前が望めばいつでも料理を教えてやるにゃ」
「師匠とな……? むむ。どこかで聞いたような……」
「じゃあにゃ、マオ。またどこかで会うにゃ」
「うむ。またの、師匠」
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〇本日の献立
・アユの塩焼き:自然の川で育った天然のアユに塩を塗り込んで焼いたもの。身が引き締まっていて、スイカやキュウリのような香りが特徴的。『香魚』とも称される。内臓は苦みがあるが、好んで食べる人も多い。ちなみに師匠は最初の一口で全ての内臓を先に平らげた。