ハウ・トゥ・ビー・ア・プリンセス

作者: 篠崎京一郎

「ふぁ……いってきまーす」

 朝、眠気の抜けきらない八時丁度。私はいつものように家の扉を開いた。

 そのまま公道へと進む私はしかし、扉が閉まるや否や玄関先でしゃがみこむ。そのまま自分の鞄をゴソゴソとまさぐり、取り出したのは食パンだ。


 毎日、食パンを食べながら学校まで走る。


 これが私、森咲京華(もりさきけいか)の日課である。

 別に朝ご飯をいつも食べ損ねている訳では無い。今日もちゃんとご飯に味噌汁、ハムエッグと三点セットしっかり揃っていた。

 日課の目的はただ一つ。運命の王子様に出会うこと。


 ……おい今「は?」って言った奴手上げろ、怒るから。


 私が十五年かけて導き出した結論なのだ。

 出会いは唐突に。そしてそれはパンを咥えて登校している最中に曲がり角で。

 これはつまり、パンに王子様を引き寄せる力があると言っても過言ではない。


 おい、今「は?」って言った奴――。


 以下略。


 高校に進学してから五ヶ月ずっと続けているこの日課、今のところめぼしい収穫はないものの、なにせ今日はトクベツに期待値が高い。

 なぜなら朝のテレビ曰く、天秤座のラッキーアイテムはパン。そう、食パンである。これはもう王子様が現れると言っているようなものだ。

 その天秤座が十二位だったことだけは、ほんの少し気掛かりだけど……。


 とにかく、私はパンを咥えて今度こそ家を飛び出した。


 残念なことにこの通学路、距離はあるくせに曲がり角は四つしかない。つまりチャンスも四度だけということである。

 ちなみに曲がり角だからといってわざと当たりに行くようなことはせず、避けられる範囲では避けるという制約を設けている。なぜなら出会いは唐突に、だから。この鉄則は破れない。

 それに車に轢かれたら嫌だしね。


 走り出してから数分後。見えてきたのは一つ目の曲がり角だ。私はスピードを落とすことなく、曲がり角へ突き進む。


 ……ハズレ。まぁ、まだ始まったばかり。そう気を落とすべきじゃない。

 というか、なにも曲がり角の出会いだけが全てじゃない。例えば落とした靴を拾ってもらったり、危ないところを助けてもらったり。出会いの種はたくさんあるのだ。パンが関係なくなってるけど。


 さて、二つ目の曲がり角。

 ……ハズレ。これで半分だ。しかも最後の曲がり角はほとんど人が通らないような小道、到底期待できない。


 嫌な予感を振り払うように、私は次のチャンスへ駆け出した。


 三つ目の曲がり角が近付く。

 実質ここがラストチャンス。お願い神様、これからはちゃんと宿題するから。そう心の中で祈りながら、私は曲がり角へ……。


 ――ワオン!


 突然、予想外の方向から予想外の咆哮……というにはいささかかわいすぎる気がするけれども、とにかく私はその声の主に一瞬気を取られた。その次の瞬間。


 ゴチン!!


「むぐっ!?」

「あだっ!?」

 夢にまで見た曲がり角の出会いは、お世辞にもロマンチックとは言えないような声で始まった。


「いははいたた……もが?」

 声を出した事で、パンを咥えていたことを思い出す。正直ぶつかった後のことを考えてなかった。私はハムスターよろしく高速でパンを咀嚼して、一気に飲み込む。水が欲しい。

「ごめん、大丈夫?」

 頭がまだクラクラする。ボヤけた視界に、肌色のナニカが差し出されるのが見える。

 流れからして手だろう。二、三度空振りした後それを掴むと、強めの力で引っ張られた。

「少しよそ見しちゃってて……ごめんね」

 視界が、だんだんと明瞭に戻ってゆく。数秒を経てハッキリした世界で、私の前に立っていたのは。


「――王子様」


「うん?」

「い、いやいや! こっちの話」

 思わず声が漏れてしまい、手をブンブン振り回して否定する。だって仕方ない。スタイルよし、顔よし、中身は……分からないけど、転んだ女の子に手を差し伸べる程には紳士。


 とにかく、王子様という形容がとてつもなく似合う人間だったのだから。


「こっちこそごめんね、ゴン太が吠えたのに気を取られちゃった……」

「ゴン太?」

「えっと、あの犬の名前」

 私が指さした先には、未だワンワンと吠え続けるゴールデン・レトリバーの姿。飼い主にゴン太と名付けられた彼は、一部の生徒にやたら人気である。

「あぁ、なるほど。あの犬ゴン太って言うのか」

「うん。最近子供もできたみたいでっ……いたた」

「大丈夫? 足、捻ったのかな」

 よろけた私を彼はまた支えてくれる。いや、実を言うと全く痛くない。ただの演技である。

 だって彼も私と同じ、坂雲さかぐも高校の制服だったのだから。これを見逃す手は無い、どうせならこのまま学校まで一緒に行ってやる。


「……えっと、確か京華さんだよね」

 出し抜けに名前を呼ばれて、私はさっき始めたばかりの痛いフリも忘れて飛び上がりそうになった。

「ふぇっ!? え、な、なんで知ってるの?」

「あー……ま、まぁね」

 ポリポリと頬を掻きながら誤魔化す彼の様子を見て、私はハハンと悟る。さてはこいつ、前から私の事マークしてたな?

 やたら生徒の多い坂雲高校で一々人名を覚えているわけがない。現に私は彼を知らないし。

 これは好都合だ、このまま学校に着くまでにオトしてしまおう。内心目論む私に、彼はにこりと微笑んだ。


「紹介が遅れたね、僕の名前は五時冬馬いつときとうま。よろしくね」

「は、はひ、よろしくお願いします……」

 意気込む内心とは裏腹にここに来て、私自身忘れていた人見知りが発動し始めた。上ずった声で私はなんとか答える。それにしても名前カッケェな。


 「ひとみしり」【人見知り】

 知らない人を見てはにかんだり、きらったりすること。


 本来、人見知りとはこの意味を表すらしい。国語の授業で聞いた。が、当然私の人見知りはこれではない。俗に言う「内気」とか「コミュ障」である。

 そんな私が運命の出会いを果たしたとはいえ、全身から陽キャオーラ振り撒くイケメン相手にまともに話せる訳もなく。

 結局、大した進展もないまま学校に到着してしまった。得られた情報は……。


 一つ年上、二年B組でテニス部。終わり。


 天秤座の十二位はこれか。気を落としながら校門をくぐると、校舎の方から見覚えのある顔が近付いてきた。

「ぐっもーにん、おっはよー!」

 中村優菜なかむらゆうな、学校では見事ぼっちである私の唯一の友達だ。

 普段なら教室まで話す相手が出来て有難いのだが、今は事情が違う。優菜はお世辞抜きで可愛い。私とは比較にならないくらいに。

 そんな子が私の隣に立てば、冬馬君からすると……考えたくもない。

「あー、おはよ。えへへ……」

 とはいえあっちいけと言えるはずもなく、愛想笑いで誤魔化す。一方の優菜は弾むようにこちらへ駆け寄ってきた。

「もー、遅いよ。どうしたの? 冬馬」


 ……え?

 今、なんと?


 彼女はそのまま私を素通りし、真横の冬馬君と話し始めた。途中でようやく私に気付いたようで笑顔で挨拶される。

「あっ、おはよ! 怪我したんだって、大丈夫?」

「あ……うん、大丈夫。あの、二人って」

「えっとね、付き合ってるんだ!」

 友人。私が祈ったそんな薄い生命線は、勢いよく断ち切られた。

 かあと顔が熱くなる。頭の中がこんがらがって、口の中の水分が一気に乾く。


 気が付くと、私は痛いフリも忘れて下駄箱へ駆け出していた。


 ふらふらと、教室のある四階目指して階段を登る。上靴すらちゃんと履く気力すら湧かず、踵を踏み潰したまま。

「……あっ」

 つるり。

 次の段へ登ろうとした足から、上靴が離れる。そのまま階段をてん、てんと転がってしまった。

 ――なんだか、シンデレラみたいだ。私はそんなことを思いながら追いかけることもせず、上靴が落ちてゆくのを眺める。転がった先にはもしかすれば王子様が……。


 でも、現実はそうはいかない。悪い時には悪い事が重なるもので。

「コラァ! 森咲ィ!」

 靴を拾い上げたのは、王子様ではなくゴリラ。

 正式名称は忘れた。一昔前から来たとしか思えない、竹刀を振り回す体罰教師である。もちろん、生徒からは大不評だ。

「ちゃんと靴を履け!」

 怒鳴られながら上靴を投げられる。バシンと腰に当たり、靴はそのままそばの段差に転がった。


 その瞬間、胸が言い表せない感情でいっぱいになる。

 湧き上がる感情を必死で押しとどめながら、私は必死に階段を駆け上がった。


 逃げた先は女子トイレだ。手洗い場の前で、私はついに我慢の限界に達し泣き崩れる。

「ひぐっ……うっ、えぐっ……」

 悔しい。思い返せば私は彼女に負け続けてきたのだ。勉強も、恋も、何もかも。

 ああ、妬ましい。羨ましい。

「どうしてっ……どうして」

 どこで間違った。私はただ、プリンセスを夢見ただけなのに。どうしてこんな惨めな思いをしなければならない。

 悪くない。私は悪くない。だけどそうして泣きじゃくりながら睨みつけた鏡に映る私は、醜く嫉妬に歪みむしろお姫様に敗れる魔女のようだ。


 ……その時、脳内でプツンと何かが切れる音がした。同時に思わず笑いがこみ上げてくる。


「――あぁ、そっか」

 漏れた声は、依然として震えたまま。

 私が歪んでいるんじゃない。歪んでいるのはきっと世界の方だ。みんなが歪んでいるから、真っ直ぐな私が歪んで見えるだけ。


 私は、間違ってない。


「奪っちゃえば……いいんだ」

 私は呟き、鏡に映った醜い魔女を見つめながら、ゆっくりと目を閉じる。

 再度目を開くと、鏡の中の私は美しいお姫様の姿に変わっていた。