100.これが隠居の醍醐味じゃ
「ふむ、余生を新たな領地で暮らすのも悪くない。クラリーチェ、わしは死んだものとして扱え」
「狡い」
クラリーチェ様がお祖父様を睨む。ぼそっと吐き出された一言は、短いだけに本音が滲んでいた。煽るように、ふふんと高慢な態度でお祖父様が言い放つ。
「羨ましいだろう。これが隠居の醍醐味じゃ」
「……っ、早々に代替わりしてやる」
クラリーチェ様の思わぬ発言に、フェルナン卿は肩を震わせて笑い出した。国主の進退を匂わせる大事な話なのに、なぜかしら。子どもの喧嘩みたいに聞こえた。いや、事実その通りだ。
「というわけじゃ。わしがこの国に引っ越す。最高の解決策だろ」
胸を張って、最高のアイディアだと誇る祖父に、私はぷっと吹き出した。そのまま笑ってしまい、咳き込んでようやく落ち着いた。背中を摩るお父様が嫌そうに呟く。
「まさか、我が家に住むおつもりでは」
「アリーと一緒に決まっておろう。この際だ、カリストと共に鍛え直してやる」
お父様は大きな溜め息を吐いた。にやりと笑うお祖父様は小柄なのに、体格の立派なお父様の方が小さく見える。しばらく、我が家の最高権力者はお祖父様になりそうね。
「カリストが跡取りなら、アリーには最高の嫁ぎ先を探してやらねばならん」
お祖父様の言い方に、ほんの少し違和感を覚える。お兄様に愛称がないのはともかく、「跡取りなら」と言った。以前にお父様の言葉に対しても同じような感覚を抱いた。あの時は「お前が女王になるか」と問われたのよね。
一般的には、小公爵であるお兄様が王になる。あの時は、お兄様が不甲斐ないと嘆いていたから、そのせいだと思った。でも二度目だわ。偶然ではない。
夕食の後にでも尋ねてみよう。そう決めて、私は曖昧に微笑んだ。
「詰め込み過ぎたな。アリーチェ、気分は平気か?」
「はい」
クラリーチェ様の気遣いに頷き、お祖父様のエスコートで下がることにした。王宮そのものを占拠したため、離宮へ戻るか迷う。今日は慣れ始めた離宮で休むことにした。
クラリーチェ様やお祖父様も離宮へ移動する。警備の関係らしい。話を聞いて、王妃様達も合流することになった。賑やかな夕食になりそう。貴族派の皆様に一礼し、両手を胸の前で組んだイネスに近づいた。慌ててカーテシーを披露する友人へ、私は笑顔を作る。泣きそうだわ。
「イネス、明日時間を作るからお茶に付き合って。リディアのお墓参りも一緒に行きたいの」
私はこの国に残る。フェリノスであった領地で、今まで通りの生活に戻るわ。だから、あなたも同じように振る舞ってほしい。リディアが足りないけれど、彼女の分まで幸せになりましょう。
様々な思いを込めた笑みに、驚いた顔をしたイネスも微笑んだ。その頬に涙が伝う。おそらく私も同じだろう。互いに涙に触れることなく、会釈をして別れた。
お父様が差し出したハンカチで涙を押さえ、顔を上げてお祖父様の手を取る。私が殺され掛けたことが、この国の命運を分けた。歴史に私はなんて記されるのか。暴君の悪政を止めた側? それとも稀代の悪女かしら。
「夕食は肉がいいのぉ。今日は疲れた」
呑気なお祖父様の希望に、背後に従うサーラが頷いた。きっと食事を用意する料理人へ伝えるのね。私の預けたトランクを離さない彼女は、問いかけるように首を傾げる。いいえ、今日はいいわ。日記を読むのはまた今度。私は首を横に振って、夕食の肉はステーキよりシチューがいいと声に出して希望した。