第十七話 不死者の焦燥(side:ルナエール)
――カナタが《神の血エーテル》の素材捜しに難航していた頃、魔法都市マナラークの廃教会堂を一人の人物が訪れていた。
彼女は厚手の黒のローブを纏っていた。
ローブは表面に赤い魔術式が羅列しており、不吉な外観をしている。
不気味なローブとは対照を成すかのように、そこから覗く顔は人形の様に愛らしい。
廃教会堂を訪れた少女、ルナエールは、よろめく様に壁へと凭れ掛かった。
しばしそのまま固まっていたが、彼女はふと思い出したようにフードを脱ぎ、何もない空間へと手を翳す。
「時空魔法第八階位《
手の先に魔法陣が浮かぶ。
魔法陣の中央より一つの箱が転がり落ちてきた。
黄金で縁取られ、装飾に宝石を鏤められた見るからに高級なその宝箱は、くるりと宙で回って綺麗に着地をする。
ルナエールの相棒ノーブルミミックである。
「ドウダッタ、主。カナタ、イタカ?」
ノーブルミミックが問うと、ルナエールの無表情な瞳に涙が滲んだ。
「……《
「モウ!?」
ノーブルミミックは、ルナエールの言葉に驚いて身体を大きく跳ねさせた。
ノーブルミミックの反応に、ルナエールは弱々しく頷いた。
「イ、イヤ、主……アンナ苦労シテ、外套作ッタノニ……」
ルナエールの現在纏っているローブは、不死者である彼女の冥府の穢れを抑制する効力を持っている。
もっとも、フィリアが危機を感じ取ってルナエールへの攻撃に出たように、完全に遮断できるわけではない。
通常の状態のルナエールが都市を訪れていれば、彼女から発せられる冥府の穢れにより、あっという間に都市全体が混乱に陥っていたことであろう。
この《穢れ封じのローブ》は、不死者の魔力を制限し、冥府の穢れを抑えることができるのである。
ルナエールが持て余した知識を総動員させて設計し、《
何分急であったため不完全な面はあるが、しっかりとその効力を発揮している。
「もう、いいのです、もう……。私はカナタのように、純粋な生者ではありません。外に出るべきではなかったのでしょう。これを纏っていても、結局ちょっと勘のいい人間がいれば騒動を引き起こしてしまうようですしね」
「外ニ出テカラ、アンナニ嬉シソウニシテタノニ……」
ルナエールは《穢れ封じのローブ》を完成させたその日に《
今日はカナタに会えるか、明日はカナタに会えるか、カナタに会ったらどう説明すればいいのか、そもそもカナタに会ってからどうすればいいのか、カナタは今何をしているか、そんな話にノーブルミミックは延々付き合わされていた。
ノーブルミミックはそんな話を適当に返しながらも、主が一喜一憂しながら話す様を、微笑ましく見守っていた。
この魔法都市マナラークに向かったと聞いて、今度こそ会えるはずですとルナエールが大喜びしていたところであったのに、突然この調子である。
「何故だか止まっているはずの心臓が痛くて仕方ありません。ノーブル、私はもう駄目かもしれません」
ルナエールは露骨にいじけてしまっている。
彼女は苦し気に自身の胸部を押さえ、床に三角座りを決め込んでいた。
「デ、何ガアッタンダ、主?」
「…………」
ノーブルミミックの問いに、ルナエールは少し沈黙を保つ。
「……カナタの横に、女の子がいました。金髪の可愛らしい子で……凄く、仲が良さそうでした」
「ソレデ?」
「それで……とは?」
「仲良サソウナ女ガイタノハワカッタガ、ソレデ?」
「…………」
ルナエールが再び沈黙する。
「……何事カト思ッタラ、マサカ……何トナク仲ガ良サソウダト思ッテ、ソレダケデ飛ンデ逃ゲテ来タノカ……」
ノーブルミミックは、ルナエールのあまりの純情さに呆れ果てていた。
ノーブルミミックはルナエールの長年の相棒ではあったが、そもそも《
「違います! わ、私も、もう少し様子を見ていようと思ったのですが……その、冥府の穢れに敏感な子……
「……外套ガアッタノニ、攻撃ヲ?」
ルナエールには《穢れ封じのローブ》がある。
確かに、今の状態であっても嫌悪感や恐怖を抱かせる恐れはある。
だが、街中でいきなり攻撃を仕掛けられるようなことがあるのだろうか、とノーブルミミックは身体を捻った。
「マサカ、ソノ女ヲ、殺気込メテ睨ンデイタワケジャナイダロウナ、主ヨ」
ルナエールがびくりと肩を震わせる。
ノーブルミミックは大きく溜め息を吐いた。
「……事件起コス前ニ帰ッタ方ガイイカモ」
「さ、殺気なんて、そんな……込めていません。少ししか」
「……少シ?」
「カ、カナタとどういう関係なのだろうと気になって、様子を窺っていただけです。本当に」
ルナエールが弁解する。
ノーブルミミックは訝し気にルナエールの方へ身体を向けていた。
「マァ……折角来タンダ。カナタト話シテミタラドウダ? 今ノトコ、ソノ女、カナタトノ関係モ何モワカラナイシ」
ルナエールは俯き、ゆっくりと首を振った。
「駄目です……。カナタに中途半端に姿を見られて、私もよくわからないままについ逃げてきてしまいました。元々《
「ジャア、カナタヲ諦メテ《
「それは……」
「ナラ、話ヲシテミルシカナイダロ」
ルナエールははっとしたように顔を上げる。
諦める選択肢がないのであれば、カナタ本人に会いに行く以外に方法はないのである。
うじうじと先延ばしにしていても、どうにもならない。状況は悪くなるばかりである。
「しかし……もしも話し合って、あの金髪の子が恋人だとカナタ本人に告げられたら……」
ルナエールが立ち上がり、壁に手を触れる。
そのまま指を曲げる。
石の壁に、五本の抉れた筋がくっきりとできた。
「……私はどうしたらいいのかわかりませんし、自分が何をしでかすかもわかりません。こんなことが起きないように、急いでローブを作って追いかけて来たのに……」
ルナエールの冥府の穢れが、一気に濃度を増した。
ノーブルミミックはぴんと身体を縦に伸ばした。
「……とりあえず、隠れてカナタの様子を、もう少しだけ見張ってみようと思います。あの子……感覚が鋭いみたいでしたし、カナタに気づかれるわけにもいかなくなってしまったので、もう少しローブの効力を高めた方がよさそうです。これ以上冥府の穢れを抑えようとすると力を制限しすぎるので、あまり取りたい手ではなかったのですが……」
ルナエールが頭を押さえながら言う。
「ソレ……タダノ、ストーカ……」
ノーブルミミックはそう呟いたが、ルナエールの耳には届いていないようであった。
彼女はまた《
「ヤッパリ、何カヤラカス前に帰ッタ方ガイインジャ……」