第五十三話 地獄の始まり
俺は宿の一室にて、《
鏡面に被せていた、魔法陣の描かれた布を取り払う。
「こ、ここ、これは……? なんだか……その、濃密な邪気を感じます……これは、絶対によくないものです」
ポメラががたがたと身体を震えさせる。
エルフは精霊の機嫌や気の流れに敏感なのだという。
ハーフエルフであるポメラにもその力が備わっているのかもしれない。
「大丈夫です。ポメラさんに先ほど渡した《ウロボロスの輪》は、装備者の生命を強引に繋ぐ力を持っているんです。ですので、ポメラさんはちょっと死んだくらいでは死にません」
「ポメラ、ちょっと死ぬかもしれないんですか!?」
ポメラが悲壮な声で叫ぶ。
しかし、ちょっと死ぬといっても大した問題はない。
確かに魔力の消費は激しいし、体力が全回復するわけでもない。
復活時に大きな隙を晒すことにはなるが、その辺りのデメリットは俺が補ってみせる。
確かに修行内容として、百パーセントの無事は保証はできないかもしれない。
しかし、絶対に、俺はポメラを死なせるようなことはしない。
「ポメラさん……俺は、ポメラさんの力になりたいんです。ポメラさんは、師匠以外で初めて、純粋な善意で俺を助けてくれた人でしたから」
「カ、カナタさん……」
ポメラは一瞬目に涙を湛え、嬉しそうな表情を浮かべていたが……しかし、それからすぐにはっと気がついたように目を見開いた。
「で、でも! あの! 正直その、今のレベルで大丈夫なのではないかと! その……!」
迷いがあるのだろう。
ここ一週間でかなり緩和されたとはいえ、ポメラは今ひとつ自分に自信が持てずにいるようだった。
しかし、《歪界の呪鏡》でなければ、俺はこれ以上ポメラを鍛えてあげることができないかもしれないのだ。
俺はポメラの手を取った。
「ポメラさんの……冒険者として活躍して、友達をたくさん作り、エルフと人間の架け橋になる夢……凄く、素敵なことだと思います。だから、絶対に叶えて欲しいんです!」
ポメラは顔を赤くし、どこかうっとりとした目で、じっと俺の顔を見つめていた。
「カ、カナタさん……ありがとうございます。その……母さん父さん以外に、ポメラのこと、今までそんなふうに応援してくれた人がいなくて……」
俺はポメラに笑いかけ、《歪界の呪鏡》へと向き直った。
「では、行きましょう。鏡面を潜り抜ければ、悪魔の蔓延る、この世界の歪みへと向かうことができます」
「あ、あれ!? あ、いえ……確かにそういう流れだったんですけど、えっと……その、何かが、何か大事なところが違うような気がするんです!」
ポメラはまだ脅えていたようだったが、俺が鏡面を潜り抜けようとすると、大慌てで後をついてきた。
《歪界の呪鏡》の中へと侵入した。
足場や壁が虹色に輝いており、背後には黒い大きな歪があった。
ポメラが歪より現れ、俺の後を追いかけてきた。
「カ、カナタさん、こ、この、不気味なところは……?」
俺は《英雄剣ギルガメッシュ》を抜いた。
もう片手には、錬金魔法で作った《
「つ、使うんですか? その剣、威力がとんでもなさすぎて、大変なことになるから使えないと……」
「使わないと、俺も死にかねませんからね。《ウロボロスの輪》もありませんし」
俺が笑いながら答えると、ポメラがさっと青褪めた。
そのとき、天井に人型の蝋燭の様な悪魔が十体程並んで現れたのが見えた。
全身は真っ白で、髪の毛は黒く、目と口は真っ赤だった。
溶け出した白い肌が地面へと垂れている。
真っ赤な目が、俺とポメラを捉えていた。
「やばめの奴だ!」
俺は《
「きゃっ、きゃあっ! カナタさん?」
「ボォォォォオオオオオオオオ!」
十体の悪魔が豪速で落下してくる。
悪魔の突撃を受けた《
俺は近くの二体を纏めて斬って、態勢を整える。
どちらも、中央から綺麗に切断できた。
「カッ、カナタさん、カナタさん、な、なな、なんですか、こ、この、化け物は!」
ポメラががくがくと震えている。
「世界の歪みの中で生まれ、決して表の世界に出ることのない悪魔達です。俺も、それ以上はよくわかりません」
「そんな、出鱈目な……。で、でも、二体はもう片付いたんですよね?」
俺の斬った二体の悪魔の上半身が溶け出して合わさり形を変えて固まり、大きな白い頭へと姿を変えた。
「カナタさん、アレ! アレ!」
「ここではよくあることです」
周囲に落下してきた蝋燭悪魔達が腕を伸ばす。
指が真っ直ぐに伸び、俺達へと迫ってきた。
俺はポメラを抱きかかえたまま、大量の指を回避しつつ、避けられないものを剣で叩き斬った。
「ポメラさん、魔法で奴らを攻撃してください! 因みにここには精霊はいませんので、炎魔法でダメージを稼ぎましょう!」
「無理です……無理ですぅ……!」
ポメラが涙を流しながら俺へとしがみつく。
「大丈夫です、適当に魔法を撃ち続けてください! どんどん悪魔が増えていきますから、その内どいつかには当たるはずです」
「それも無理です! ごめんなさい、ごめんなさい! ポメラにこれは無理です! カナタさんの期待に応えられない、ダメな子でごめんなさい!」
俺はルナエールの様に、結界でこいつらを抑え込むことはできない。
その分、どうしても俺の時に比べてポメラの恐怖心が強くなってしまうのだろう。
この呪鏡の厄介なところは、多種多様の悪魔が無尽蔵に湧いてくるところにある。
悪魔の中には、結界を破るのが得意な奴もいるということだ。
それに、ここの悪魔はどいつもこいつも見かけがグロテスク過ぎる。
せめて、もう少しばかり可愛げがあればポメラの反応もまた違っただろうに。
しかし、逃げ回っていれば、ポメラもいずれこの悪魔達への耐性がついてくるはずだ。
「時空魔法第十七階位《
展開した魔法陣を中心に、黒い根が広がっていく。
空間ごとバラバラに引き裂く魔法だ。
頑強なここの床も、黒い根に蹂躙されて皹が入っていく。
指を伸ばしながら宙を飛んで追ってきていた蝋燭悪魔共が、《
「安心してください! 《ウロボロスの輪》は、万が一のための保険です。目を瞑って魔法を撃ち続けていてください。ポメラさんのことは、俺が守りきりますから!」
「カ、カナタさん……!」
そのとき、《
四方八方から俺達へと迫ってくる。
「こんなこともできたのか……! ダメージは通せてるはずだけど、こいつに《
俺は《英雄剣ギルガメッシュ》で奮戦し、無数の腕を打ち砕いていく。
「おっと……」
ポメラに肘打ちを当てそうになり、俺はさっと剣を引いた。
危ない、俺が彼女の頭を叩き割るところだった。
「あっ……」
ポメラの胸部を貫き、内側から白い腕が突き抜けた。
剣を引いた一瞬の隙を突いて、死角からやられた。
「カナ、タさっ……」
ポメラの口から血が溢れ、目から生気が消えた。
「ポメラさぁぁああん!」
俺は一度外へと撤退することにした。
外傷は死の淵へ落ちた時に《ウロボロスの輪》で再生されたようだが、ショックから意識を手放したままの様であった。
俺はポメラをベッドに寝かせ、口に霊薬を注いで目を覚まさせた。
「ごほっ、ごほっ……! ポ、ポメラ、生きてる……?」
ポメラが上体を起こす。
「カ、カナタさん、カナタさん、なんだか今、ポメラ、凄い悪夢を見た気がします……なんだか、悪寒が凄くて、ごめんなさい、カナタさん、手を握ってくださ……」
ポメラが部屋の中央に置かれた《歪界の呪鏡》を視界に入れると、表情が凍りついた。
それからそっと毛布を退け、自身の服の胸部に大穴が空いていることを確認すると、続いて目が死んだ。
「だ、大丈夫です! きっとすぐに慣れます! 俺は慣れました! 次は絶対、もう少し長く持つようにしますから! もう一回行きましょう!」
ポメラは窓の方を向き、青空へと目をやった。
「父さん、母さん、ごめんなさい……ポメラも、近い内にそちらへいくことになるかもしれません……」