第二十六話 不死者の温度
「……ですから、人間が嫌いというのも、別に嘘というわけではありません。苦手と言った方が正しいかもしれませんね。私は地上に向かう気にはなれませんし、きっとその方がよいのでしょう」
ルナエールが言う。
無理もないことだ。
ルナエールは民衆のために命を張って魔王を討伐したのに、その後に凄惨な迫害に遭い、彼女が生き返った理由であった母親からも結局拒絶されてしまったのだ。
『私がここに住んでいるのは……私を裏切った人間が大嫌いだからです』
最初に会ったとき、ルナエールが言っていたことだ。
ルナエールも禁魔法の行使がどういう結果を招くのが、わかっていなかったわけではないはずだ。
だからこそ一度は四年間の努力を無に帰し、父親の死を受け入れることにしたのだ。
それに、優しい彼女のことだ。
きっと、民衆や母親に報復したりなどはしなかっただろう。
もしもそれほど彼らを恨んでいれば、同じ人間という分類で括った俺を、あれほど優しく受け入れてくれたりなどはしなかったはずだ。
しかし……千年経った今でも『裏切った』という言葉が出るということは、それだけ彼女が傷つけられたということは間違いない。
人間自体に嫌気が差して、外に向かう気になれなくなったというのも、当然のことだろう。
「……だから、あなたが私をリッチだと知りながらに普通の人間と同じ様に扱ってくれたのは、本当に嬉しかったです。私からしてみればほんの少しの時間でしたが、この一か月半は、毎日が楽しくて仕方ありませんでした」
ルナエールが寂し気に笑った。
無表情な彼女が、初めて見せてくれた笑顔であった。
「師匠……じゃ、じゃあ、俺をここに置いてください! 俺、ずっとここにいます! 俺は、師匠が大好きです! ですから……!」
ルナエールは切な気に唇を噛み、小さく首を振った。
「あなたの好意は、とても嬉しく思います。しかし、あなたはここにいるべきではありません。……それに、私などと一緒にいても楽しくはありませんよ。私はリッチで、冥府の穢れが纏わりついています。人間が触れれば、苦しんで死に至る猛毒となります」
……ノーブルミミックも言っていたことだ。
生きる死者は、肉も、血も、魔力も魂も、その全てが人間にとって猛毒となるのだ、と。
考えるより先に、身体が動いていた。
普段であればそんな大胆なことはできないし、しようとも考えられない。
しかし、今日は、きっとこのまま離れれば、ルナエールとはもう会えないと思ったからだろう。
俺は俯くルナエールへと駆け寄り、彼女の身体を抱きしめていた。
ルナエールは恐ろしく強いが、身体は思いの外に華奢だった。
彼女はかつて大きな使命を受け、その末に命を落とし、死後なお破滅の運命を辿ってこの《
しかし、それでも、過去にトラウマを抱えたか弱い一人の少女に過ぎないのだ。
「え……な、何をするのですか! そんなことをすれば、冥府の穢れが!」
ルナエールは慌てふためく。
肌に熱い痛みが走り、息が苦しくなってくる。
だが、堪えられないほどではないはずだ。
もっと苦しい時など、修行の中でいくらでもあった。
俺はより強く抱きしめた。
彼女の肌はすべすべとしていた。
「ほら……このくらい、平気です。俺なら、何ともありません。師匠が鍛えてくれたおかげです」
ルナエールは白い頬を真っ赤に染め、驚いた顔で俺を見つめていた。
俺は強がって笑って見せた。
……しかし、もう少し、レベルを上げた方がよかったかもしれない。
それならば、彼女の冥府の穢れより受ける影響ももっと軽減できていたはずだ。
「ですから、俺を傍に……!」
ルナエールはくすりと上品に笑い、それから目を閉じ、俺の体温を確かめるように身体を寄せて来た。
「……ありがとうございます、カナタ」
「師匠……!」
その後、ルナエールは俺を大きく突き飛ばした。
「えっ……」
俺の身体は軽々と宙を舞っていた。
このままでは、下階層行きの階段を転げ落ちてしまう。
《
そう思って俺が魔法陣を紡いだ時、目前のルナエールも魔法陣を紡いでいた。
間に合わない、ルナエールの魔法の方が先に発動する。
「時空魔法第十七階位《
ルナエールが紡いだ魔法陣を中心に、黒い植物の根の様なものが周囲一帯へと広がっていく。
黒い根は、床や石柱、階段を貫通していた。
次の瞬間、黒い根が輝き、周囲一帯のものをバラバラに断裂した。
俺も瓦礫の山と共に、裂けた床の狭間から下の階層へと落とされていく。
ルナエールは他の魔法を使っているらしく、宙に浮かんでいた。
「し、師匠……どうして……!」
「カナタ……私も、あなたのことが大好きですよ。しかし……だからこそ、あなたには、ゆっくりと人間としての生を謳歌して欲しいのです」
瓦礫の狭間から見えるルナエールの瞳には、涙が浮かんでいた。
「……それは、私ができなかったことですから」
ルナエールの姿が、瓦礫で見えなくなっていく。
俺は彼女の悲痛そうな様子と言葉の重みを前に、何を言えばいいのかわからず黙ってしまったが、すぐに歯を食いしばって大声を張り上げた。
「絶対に、またこの《
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(2019/07/26)