第二十五話 不死者の過去
俺はルナエールに並び、《
「その……連れて行きたい場所というのは」
「…………」
ルナエールはやや黙って、ほんの少しだけ目を細める。
「……すぐに、つきますよ」
ルナエールはこちらを見向きもしないでそう言った。
その返事だけで何となく、これからあまり良くないことがあるのだなと俺は察してしまった。
ルナエールは無表情なようで、意外に顔に出る方だ。
ここ一か月半近くにいたので、さすがに顔の変化の機微が読めるようになっただけなのかもしれないが。
黙々と二人で歩く。
途中で何度か魔物の襲撃を受けたが、ルナエールは歩いたまま結界魔法で攻撃を遮断し、時空魔法で相手の身体を削って殺していた。
顔さえ向けずに対処しているときもあった。
この辺りの魔物は俺でもどうにか戦えるようになってきたが、さすがにこうは行かない。
「師匠、その……」
「もう、師匠ではありませんよ」
……気まずい、というか、ルナエールがわざと会話を途切れさせるようにしているようだった。
何を尋ねても素っ気ない態度なので、その内に、俺の方からも特に話を切り出さなくなっていった。
白い大きな柱が左右に並んでいる場所に出て来た。
時折、よくわからない化け物の石像も設置されていた。
いよいよルナエールの連れて来たい場所が近いらしいと、そう考えていると、大きな降り階段へと辿り着いた。
ルナエールが足を止める。
「ここは……?」
ルナエールが青い布袋を取り出して、俺へと渡した。
魔法袋だ。
見かけの十倍以上のものを入れて、簡単に運ぶことができる。
ただ、俺は以前ルナエールから同じものをもらっているし、《
なぜ今更になって俺に二つ目の魔法袋を渡すのかが、全く理解できなかった。
俺がぽかんとしていると、ルナエールは魔法袋を俺へと投げて渡した。
俺は慌ててどうにかそれを受け止める。
「霊薬や予備の武器、魔導書を詰めておきました。《歪界の呪鏡》も入っていますが、扱いを間違えて悪魔を世に放たないように気をつけてください」
「そ、それって……」
「当初は地上に向かうつもりでしたが、最下層まで行ってから、設置されている転移魔法陣を使った方が早いでしょう。今のあなたなら、充分それが可能ですよ」
「ちょっと待ってください!」
俺は大声を出してルナエールの話を遮った。
「ここで、もう……お別れということですか?」
「ええ、そうです。ノーブルが寂しがって、しつこくあなたを引き留めるかもしれませんでしたから。時間を許すと、いつまでもここに残ってしまいそうでしたからね」
「そ、そう、でしたか……」
……何となく、ここに来るまでの道中で、そういうことではないのかとは思っていた。
しかし、まだ心の準備ができていなかった。
「では、お元気で。もう会うことはないでしょう」
ルナエールは素っ気ないふうにそう言いながら、その場で俺に背を向けて立ち去ろうとする。
「ま、待ってください!」
ルナエールは足を止め、俺を振り返る。
呼び止めはしたものの、続く言葉がない。
ルナエールの善意で同居させてもらっていた身であるため、目的を達成して彼女からも跳ね除けられた今、これ以上俺がこの階層に留まる道理はない。
「し、師匠は……その、外に興味がないんですか? ずっと、《
「……ですから、私は人間が嫌いなんです。あなたを助けたのも、ほんの暇潰しのようなものですから、これ以上気に留められても迷惑……」
「お、俺にだって、それくらい嘘だってことはわかります!」
俺が大声を出すと、ルナエールが驚いた様に目を開く。
ルナエールは少し黙っていたが、やがて大きく息を吐き出した。
「……昔話に付き合ってもらってもいいですか? あまり短くは、ないかもしれませんが」
俺は頷く。
修行が終わってから堅かったルナエールの表情が、やや和らいでいた。
それからルナエールは、彼女が不死者になる以前のことについて、ゆっくりと語り始めた。
「そうですね……私が生まれた、千年前のことから話さなければいけません」
――ルナエールは千年前、魔術師として高名な家系に生まれたらしい。
幼少期より徹底した教育を父より受けており、元々の才覚もあって、十歳の頃には一族の歴代でも最強格の魔術師として扱われていたのだそうだ。
そんな折、ルナエールの師でもあった父親が亡くなった。
ルナエール本人が哀しかったこともあるが、何よりも憔悴する母親の様子を見て、彼女は周囲に隠れて死霊魔法の研究を進めるようになった。
自力での研究に限界を感じて非合法の禁魔法組織に入り、実力で他の魔術師を黙らせてトップに立って方針を変えさせ、四年間掛けてついに死霊魔法による死者の蘇生を習得した。
ただ、四年の間に十歳だった彼女も十四歳になり、物事の分別もつくようになっていた。
死者の蘇生がどれだけ許されないことかもわかっていたし、死霊魔法によるアンデッドとしての蘇生がどれだけ悲惨な結果を招き得るかも理解していた。
母親も前向きに持ち直してきたところであり、結局その死霊魔法はそのときは使わなかった。
問題は、その三年後、ルナエールが十七歳の頃に起こった。
魔王が国内に現れたのだという。
魔王とは、自己進化を重ねて急速に強くなる魔物であり、往々にして配下となった魔物の潜在能力を引き上げる力を持っている。
それは何の前触れもなく自然発生し、放置していればやがて魔物の軍団を築き上げて人里を襲撃し、殺戮を引き起こし続ける。
歴史を遡れば栄えた国がたったの数年で滅ぼされたこともあり、今なお世界が魔王に支配されていないのが不思議なくらいだといわれている。
かつて魔王と接触した人間は、魔王が『世界に選ばれた』と口にしていたというが、その意味や真偽は定かではない。
優秀な魔術師であったルナエールも魔王討伐の戦士として選ばれ、戦いに向かうことになった。
魔王の中ではせいぜい中の上程度の格だったというが、それでも激しい戦いになったそうだ。
表で合戦になっている間に精鋭二十人で魔王の居城に潜り込んでの暗殺を目論んだが、魔王によって半数以上が殺され、残ったものも大怪我を負って逃げ出した。
ルナエールは相手の油断を突き、ほとんどの相打ちといえる形でどうにか魔王を仕留めることに成功した。
十歳から隠れて伸ばしていた死霊魔法が最終的に役に立ったそうだ。
魔王は頭がいいため、人間社会のことも理解していた。
まさか魔法の名家のお嬢様が、国内最上位の死霊魔法の担い手だとは思っていなかったらしい。
自身を餌に相手の行動を誘導して、特定の手順を踏むと発動する死霊魔法を発動させ、魔王の心臓を生きたまま引き抜いたのだという。
ルナエールもそのまま死に至るところだったが……自分が死んだ後、母親がどうなるのかが怖かった。
父が死んでからどうにか母が持ち直したのは、自分の存在が大きいということを彼女も自覚していた。
このまま自分が死んでは、昔の錯乱していた時期よりもずっと酷くなると、そのことがわかっていた。
死霊魔法によるアンデッド化の蘇生には、まだ動いている強大な魔物の心臓が必要であった。
幸か不幸か、ちょうど彼女の手には魔王の心臓があった。
他の材料は時空魔法で保管しており、ルナエールはそれを実行できる状況にあったのだ。
ルナエールは迷いもあったが、母親のことが心配であったし、無論自分が死ぬということも怖かった。
何より、彼女にはゆっくりと考えるだけの時間が残されていなかった。
ルナエールは他のアイテムを用いて、月が昇るのに合わせて死霊魔法が自動発動するように仕掛けた。
まだ死んでいない者を蘇生することはできなかったし、死んだ後は自分の力では魔法を発動することはできないからだ。
――そうしてルナエールは、人間の枠を脱し、時間から忘れられた不死者となった。
「それで……その、母親とは……」
俺が問うと、ルナエールは小さく首を振った。
「冥府の穢れが、ありますからね。そうでなくとも、生死の境目を明確に越える魔法は、宗教と倫理の観点から忌み嫌われていましたから。そんなこと、わかっていたのに。もう私は人間ではなくなってしまったのだと、そう深く理解することになりました」
ルナエールは深く語らなかった。
……だが、その言葉だけで、何があったかは想像がついた。
きっと、大衆やかつての知人達からのみではなく、ルナエールが生に執着した理由であった母親からも受け入れてはもらえなかったのだ。