第二十四話 卒業
俺は《歪界の呪鏡》でのレベル上げを終えてから、ルナエールの小屋へと戻って来た。
そこで魔法の簡単な復習をして、瞑想や薬の調合、《双心法》の鍛錬を行い、今日の予定を終えて料理に取り掛かっていた。
「オレヨリ強クナッチマウトハナ、カナタ!」
ノーブルミミックが感心した様に言う。
確かにレベルからいっても、今の俺とノーブルミミックがまともにぶつかれば勝つのは俺の方になるだろう。
前にノーブルミミックのレベルを確認した時にはなんだこの化け物はと脅かされたものだが、まさかこの短期間で超えることになるとは思わなかった。
「ええ、よくここまで頑張りましたね。その……カ、カ……」
ルナエールが途中まで言い、顔を赤らめて言葉に詰まる。
「あ、あなたは」
ルナエールはそう言い、誤魔化す様に咳払いをした。
な、何を言い掛けていたんだ……?
「許シテヤッテクレ、主、人ノ名前呼ブノニ慣レテナインダ」
「違います! 少しぼうっとしていただけです!」
ルナエールがノーブルミミックへと怒る。
……そういえば、一度もルナエールから名前で呼ばれたことがないかもしれない。
いや、ない。思い返してみれば皆無だった。
ノーブルミミックの言う通り、名前呼びが慣れていないので意図して避けていたのだろうか。
「一度、師匠から名前で呼ばれてみたいです」
ふと俺が思い付きで喋ると、ルナエールがジト目で俺を睨んでいた。
「……あなたまで私をからかうつもりですか?」
「違います! ただ、こう、純粋に師匠から名前で呼んでもらいたいと思っただけです!」
「べ、別にそんな機会は、いくらでもあったと思いますが……ま、まぁ、いいですよ」
……あっただろうか?
俺が覚えていないだけなのかもしれない。
ルナエールが目を瞑り、息を整える。
め、滅茶苦茶準備している……。
変に意識されると、名前一つでこっちまでどぎまぎしてくる。
唇を少し開いたが、口に出すのかと思えば、そのまま固まってしまった。
な、なんだ、今のフェイント。
俺まで顔が熱くなってきたのを感じる。
「カ、カ、カナタ…………さん?」
ルナエールが顔を伏せて隠しながら言う。
俺も名前を呼ばれたのは嬉しかったが、気恥ずかしくてつい手で顔を隠した。
「さ、さんは別にいりませんよ」
ノーブルミミックがきょろきょろと小屋内を見回す。
「……オレ、何ヲ見セラレテイルンダ?」
どこかふわふわとした空気のまま、俺は料理の方を進めていた。
普通にしていても、顔が緩んでいないか不安になってくる。
俺は途中、何度か自分の頬をビンタして引き締めていた。
俺が料理を運んでいた時のことであった。
俺を手伝おうと立ち上がったルナエールに対し、ノーブルミミックが正面を向ける。
「ソレデ、次ハ何ノ修行、サセルンダ?」
ノーブルミミックがからかう様にルナエールへと言う。
俺もその言葉を聞いて息を呑んだ。
今日の《歪界の呪鏡》のレベル上げが終わって以来、ルナエールとも避けて来た話題だったからだ。
『もう、レベル上げは……いえ、私は必要ないかもしれませんね。おめでとうございます』
……それが今日のレベル上げが終わった際の、彼女の言葉だった。
この言葉は、俺の修行が終わったことを示している。
修行が終わればすぐに出ていくようにと、これまでもルナエールは何度も俺に対して口にしていた。
ルナエールは目を閉じて、黙っていた。
ノーブルミミックもルナエールの様子から察してか、身体の動きを止めて、静かに彼女を眺めていた。
やがてルナエールがゆっくりと目を開く。
「……ここまで、ですよ。もう十分でしょう。私がいなくても、あなたは外の世界でも通用するはずです。修行は、ここでお終いですよ」
ルナエールの言葉が重く圧し掛かって来た。
……わかってはいたことだが、改めて言い直されると寂しかった。
俺は返す言葉を考えることも忘れ、つい俯いて黙ってしまっていた。
ここを出ることが目標だったはずなのに、ルナエールとノーブルミミックと笑いながら過ごす修行の毎日が、いつの間にか俺にとって大切な日常になっていたのだ。
ここを出れば、きっともう彼女達と会うことはなくなってしまうだろう。
「ツイニ卒業カ! ヨシ、コレカラ七日間、カナタノ門出ヲ祝ウ宴会ヲ……」
「いえ、今日の間に出て行ってもらいます」
ルナエールが冷淡な言葉でノーブルミミックを遮った。
ノーブルミミックは身体を伸ばして喜びを表していたが、身体を小さくして俯いてしまった。
「私もあなたに時間を取られていたせいで、やりたいことが山積みですからね。あなたとの日々が、なんとも思わなかったといえば……それは嘘になるのかもしれませんが、これ以上無用に居座らないでください」
「師匠……その……」
「そこまで気にしなくても大丈夫ですよ。元々私の気紛れと暇潰しのようなものですし、悠久の時間を生きる私にとって、ここ何十日は微々たる時間ですからね。もっとも、その分、あなたよりもずっと思い入れは薄いですから、変な勘違いを起こされても困るのですが……」
……俺は、なんと返せばいいのかわからなかった。
ルナエールの言葉は、どこまでが本心なのだろうか。
彼女は照れ屋で口下手なのだとは思っていたが、だとしてもここまで言う理由にはならない。
それとも……それも含め、ただの俺の勘違いだったのだろうか。
「主、ソレデイイノカ?」
「何がですか、ノーブル?」
「イ、イヤ……」
ルナエールが動き出し、皿を食卓へと運んでくれた。
その間も俺は、呆然と立って彼女を見つめていた。
「……最後に向かいたいところがあるのですが、食事が終わってからついて来てもらって大丈夫ですか?」
ルナエールが固まっている俺へと声を掛けて来た。
さ、最後に、向かいたいところ……?
ノーブルミミックが「オレモ付イテッテイイ?」とルナエールに聞いて、彼女より指先を向けられてすごすごと下がっていた。