海辺の吸血鬼-Anfang-

作者: K2

本編『海辺の吸血鬼』を執筆中、過去に触れるところがあり今回「過去編」を先に掲載しました。時代風景と少々堅苦しい(分かりにくい)描写をご容赦下さい。

歴史×恋愛と普段書かないジャンルで、お見苦しい点多々あるかとは思いますが最後までお付き合いお願い致します。     -2014.10.9 神崎 かつみ-

1943――

帝国海軍の英雄『山本 五十六』元帥海軍大将戦死

これを引鉄に戦況は大きく暗雲にと突入する事となる。

翌年「マリアナ沖海戦」「レイテ沖海戦」にて大敗を喫した帝国海軍は

大半の空母艦を失い 戦況は悪化の一途を辿る――

そんな時代 彼女は何かを失い 何かを得た――



 海辺の吸血鬼 ―Anfang ―


太平洋戦争中頃 一人の造船技術者が その町を訪れた。

静かで小さな港町 略拠点と言う事もなく ただ何もない田舎町だった。

技術者の名は【Langley Fitzgerald】(ラングレー フィッツジェラルド)

かの超弩級戦艦製造にも関わった技術者で

この地で秘密裏に戦艦を建造する為にやってきたのだ。

そう あくまで軍部の命令は――軍艦製造の為――


彼は長身で金髪 その頃この国は決して外国人に対し好意的ではなかった。

蒼い瞳をした大きな髪の色の違うモノ。

彼自身 自分の風貌が目立つ事は理解していた。そう自分に好意的で無いことも。

「帝国海軍造船科 造船大尉」それが彼が技術者として

この国にやって来た時に与えられた肩書であった。異例の措置であるが

外国人に教えを乞うなど・・・・などと言った前時代的思考の中

彼に肩書を付けざるを得なかったという背景があったのだ。

当の彼は そんな事もお構いなしにこの国の技術者達と造船に携わった。

結果結局のところは 餅屋は餅屋 技術屋は技術屋。

この国の技術者達と意気投合し より良い関係を築きつつあった頃には

軍の上層部に煙たがれ――結果彼はこの田舎町を訪れる事となった。

彼自身ソレは「厄介払い」だと十二分に理解できていた。


目立つ風貌を考え 夜間に町の外れまで軍用車を走らせたまでは良かったのだが

路と呼べるほどの路ではなく 畦道にタイヤを落とし 立ち往生していた。

仕方なく深夜の田舎道を 星空を肴に歩を進めるのであった。

「・・・・・・のぅ妙 アレはなんじゃと思う?」

「行き倒れかと」

「そんな事は見れば分かるわ!」

「では 大きな男性らしき行き倒れでは?」

「・・・・もうよい。妙に聞いた妾が莫迦であった。」

「・・・・否定は致しません」

「・・・・・給金止めようかのぅ」

「お嬢様は心優しく 頭の良い御方でいらっしゃいます」

午前二時を回った深夜の田舎道。着物姿の二人の女性がソコに行き会った。

手に手に行燈を持ち 一人は割烹着姿であった。

「頭の良いお嬢様。アレをいかがなさいますか?」

「・・・・・・どうやら異国人のようじゃな」

「流石は頭の良いお嬢様。わたくし驚愕でございます」

「・・・・おい そこの割烹着。息を確かめい」

「嫌でございます」

即答をする割烹着姿の女性【妙】(たえ)に その主人と思わしき女性。

「・・・・・お主なぁ」

「わたくしは お嬢様をお守りする義務がございます」

「そのわたくしが 自ら危険に飛び込み 義務をおろそかには出来ません」

「では 妾にその危険に飛び込め そう言うのか?」

「お嬢様の身に危険が及ぶのなら 全力でお助けいたします」

「そもそも得体の知れる異国人に触れるなど 我慢できません 汚らわしい」

「妙・・・・お主妾を何だと思っておるのじゃ・・・・・」

「心優しく 頭の良いお嬢様とお慕いしております。が ナニか?」

「はぁ・・・・もうよいわ」

そう言うが先か 割烹着の主人と思わしき小柄な着物姿の少女が

件の「行き倒れ」に近寄った。

「お嬢様!いけません! キケンです!」

呆れた顔を割烹着に向け 言葉を掛けようとした背後で

ぬぅっと大きな影がよろめいた。

「ひっ・・・・・・」

少女が背後のモノに気が付き後ずさる その刹那 割烹着が地を蹴った。

手にしていた行燈はその手になく 代わりに袈裟懸けにしていた長モノが

大きな影の喉元と思わしき部位に突きつけられる。

「下がれ下郎!」

割烹着が吼える。どうやら「お嬢様を守る」は伊達や酔狂ではなかったらしい。

虚を衝かれ後ずさった少女もまた ゆらりと小太刀に手をかけていた。

目の前には 身の丈六尺五寸は有ろうかという巨大な影が揺らめく。


――音の無い世界 永遠とも感じられる極度の緊迫感が場を支配し

誰もが動かない いや動けない。

その静寂の中 静かに瞳を閉じ少女がゆらりと腰を落とし動きを見せた。

割烹着は その一挙手一投足を見逃さない。仕掛ける合図だ。

月明かりを背にした巨躯を前に 彼女たちは互いの視線のみで会話を済ませた。

その瞬間――

「ぐぅぅぅぅ~」

・・・・・・大きな嘘の様な「腹の音」が鳴った。

巨躯は両の手を上げ 尻もちをつく形で座り込んだ。

「んん・・・くくく・・・・ぷっ・・・・あははは」

月夜に華の様な笑顔が咲く。

「あはは・・・はぁはぁ・・・なんなんじゃコヤツは・・・・ぷっ・・・ははは」

「・・・・むしろ「ひっ・・・」などと声を上げていた方が居た堪れません」

「あ・・あれは仕方ないじゃろ 誰しも驚きぐらいするわ」

「それで?お嬢様 いかがなさいますか?」

「『夜食』をこの者に振る舞え かまわん」

「ですがコレは当主様たちの・・・・」

「妾から父上様には言づける 良い与えよ」

「それに この様なところに捨て置くわけにもいかぬじゃろ?」


静寂の月夜 何もない田舎道 彼女は異国の大男に出会った。

男はがむしゃらに 握り飯を頬張り 茶を煽り また握り飯に手をかけている。

「あ~妾は【美波 すず】(みなみ すず)と言う 分かるか?異人」

「横の割烹着は侍女の妙と言う。」

異人は こくこくと首を縦に振るが 食事が優先のようだ。

「どうやら 言葉はわずかしか通じないようですね 全く分からないわけではないようですが」

妙がそう言うと 異人は頬を膨らませ またこくこくと頷いた。

丑三つ時を前に 月は大きく朱く笑っているようで 三者の影を落としていた。


「さて 妙。異人はもう大丈夫じゃろう?父上様の元へ急ぐぞ」

「はい。かしこまりました」

彼女はひとしきり 握り飯を嬉しそうに頬張る異人を観察した後言った。

彼女らが立ち去ろうとすると 異人は立ち上がり深々と頭を下げた。

「・・・・ほう。礼は弁えているようじゃの」

「どこかのお嬢様にも弁えて頂きたいものです」

「妙・・・なにか言うたかの?」

「いえ何も」

頭を下げ礼を取る異人を後に 彼女らは先を急いだ。

十一月の中ほど この町の冬はそれなりに厳しい。

時間は既に午前三時を過ぎている そんな時間に何処へ行こうというのか。

街外れの街道まで出たところで 彼女らは軍用車に立ち会った。

「妙 どう思う?」

「軍用車が傾いておりますね」

「お主・・・妾をからかって遊んでおるだろう?」

「で・・・お嬢様は「ナゼこの様な所に軍用車が?」と仰りたいのでしょう?」

「分かっておるなら 遊ぶでない」

「人の気配はありません ですが外から誰かが来たのは確かな様ですね」

「この様な田舎町に 軍人が何の用があるというのだ?」

「解りかねます。当主様は何かご存じなのでは?」

「確かに父上様は 軍部の高官と親しいが・・・・・・」

「軍人であるなら 否が応にも目立ちます。昼にでも噂となるでしょう」

「・・・・そうじゃな。今は考えても仕方あるまい。目立つ風貌であれば・・・・」

そこで二人が思い当った。「目立つ風貌」そう先ほどの異人だ。

二人は『彼』の行動に すっかりと毒気を抜かれ失念していたが

こんな深夜に 異国の男が行き倒れているなど どう見積もっても不自然である。

「妙! 先ほどの異人じゃ! 階級章は付いておらなんだか?」

「わざわざ隠密行動に 階級章をぶら下げる莫迦はおりません」

「くぅぅ・・・要は付いておらなんだのだな?」

「はい。ですが 捨て置けぬ者かと存じます」

「戻るぞ! あやつを町に入れてはならん!」

「かしこまりました」

二人は踵を返し駆け出した。

しばらく走ったところで ソレを見つける事が出来た。

異人は呑気に畦道の脇に腰を掛け 葉巻を吹かしていた。

「おったぞ! 妙」

「見れば分かります」

肩で息をする彼女に 息一つ乱れぬ割烹着。

彼女らに気づき 異人はぺこりと頭を下げた。

「お・・・お主 軍の・・・もの・・・だな?」

「お嬢様 息を整えてからになさいませ。はしたない」

「や・・・やかましい。わ・・・妾は・・・はしたなくなど・・・・ないわ」

そうして一呼吸。不思議そうに彼女らを異人は見上げ にこにこと先を待った。

「お主 軍の者だな?所属と階級を述べよ!」

「お嬢様・・・・先ほども同じ事を・・・」

「えぇい! 茶化すでないわ!」

「とにかく異人。お主は軍の人間であろう? 目的はなんじゃ?」

「事と次第によっては お主の身柄を拘束せねばならぬ 包み隠さず申せ!」

堰を切った様に捲し立てる彼女に 異人の表情が変わり 立ち上がった。

「な・・なんじゃ? 妾らと一戦交える気か?」

「お嬢様 静かに」

「なんじゃなんじゃ! 妙まで!」

異人は彼女らに背を向け 腕を水平に伸ばした。

その異人の先には 紅い目をギラつかせた野犬の群れがあった。

異人は胸元より小銃を取り出し 静かに構える。

「いけません異国の方。コノ辺りの野犬は音に敏感です」

「そんな物を使えば 威嚇どころか仲間を呼ぶ事になります」

異人の横に並び立ち 割烹着が告げた。

「不可思議に思われるでしょうが コノ辺りの野犬は狼との混血種が多く 人を襲いその血肉を喰らう「あやかし」とまで言われております」

割烹着の言葉に異人は肩をすくめ 小銃を懐に収めた。

その頃には野犬の数は 二十数匹まで膨れ上がり

彼女らを囲むように散開し 牙をギラつかせ獲物を凝視していた。

「ちっ・・・・多いのぅ」

「はい・・・少々厄介かと」

「妙! 異人を死なせるでないぞ。その者には聞く事が山ほどある」

「御意に」

割烹着は薙刀を 少女は小太刀を 異人は己が肉体を構えた。

野犬の一匹が痺れを切らし まずは と少女に襲い掛かる。

艶やかな着物が月夜を舞う。

「はっ・・・駄犬がっ・・・」

美しく優雅に 野犬を切り伏せる少女。その姿は舞子の様であった。

ソレが合図かの様に 次々と野犬の群れが三者に襲い掛かった。

割烹着が薙ぎ払い 少女が切り裂き 異人が吹き飛ばした。

野犬は絶命し 逃げまどい 再び襲い掛かり 場は乱戦を呈していた。

十匹足らずの野犬がその場から退場した頃 少女がガクりと膝を附いた。

「お嬢様!」

割烹着の声が響く だが数匹の野犬の相手で駆け寄る事は叶わない。

「心配ない・・・・少々出来損ないの躰が悲鳴をあげとるだけじゃ・・・」

「今御傍に!」

そう声を上げるも 割烹着も身動きが取れない。

膝を附いた少女を取り囲むように 野犬が集まりつつあった。

懸命に立ち上がろうとする彼女だったが 肩で息をし どうにも立ち上がれない。

その刹那――

数匹の野犬が一斉に少女へ飛びかかった。

少女は恐れる事無く 野犬を睨みつけ 自身の最後を覚悟した時。

「すず!」

そう聞こえた。その次の瞬間少女は月明かりを背に 優しく微笑む男を見た。

異人が咄嗟に野犬と少女の間に割って入ったのだ。

肩と腕には野犬の牙が刺さり 頬には赤い血が流れていた。

「お主・・・・・」

「下がって・・・あとは片づける」

そう告げて異人は 喰らいついた野犬を振りほどき 殴りつけ 蹴り飛ばし

野犬の群れを割っていく。遅れて割烹着が少女に駆け寄った。

「お嬢様! ご無事ですか!」

「あぁ・・・無傷じゃ ただ・・・躰が言う事を利かぬ」

「ご無理をおかけして 申し訳ございません・・・・」

「案ずるな・・・いつもの事じゃ」

「そんな事よりも妙。アレに借りっぱなしでは美波の名が廃る 加勢せよ

そして駄犬どもを殲滅せよ」

「・・・・御意!」

少女を背に庇い 割烹着が薙刀を手に場を睨みつけた。

「異国の御方よ! 主を救って頂いたこと深く感謝いたします」

「されどこれよりは『美波』の戦。道を開けて頂きたい!」

凛々しくも華のある口上に 異人が道を譲った。

返り血か自身の血か 所々赤く染まった割烹着を翻し地を駆る。

野犬の喉を切り裂き 頭蓋を叩き割り 腹を貫き 

まさに鬼神の如く野犬の群れを蹂躙していく。

残り数匹となった野犬を狩り尽くし ブンっと薙刀に付いた血を払った。

「完遂いたしました」

「うむ・・・大事ないか?」

「この程度舐めておけば治ります」

「ははは・・・やはり妙は強いのぅ 異人 そなたは大事ないか?」

「あぁ体は丈夫なんだ 大したことは無いよ」

「そうか・・・・?」

何か忘れていた様に 少女は割烹着と顔を合わせた。

「って・・・キサマ! 話せるのではないか!」

「ん?話せるよ? 話せないなんて言ったっけ?」

「先刻施しを与えてやった折には 一言も話さなかったではないか!」

「あぁ・・・食事中にお喋りはマナー違反なのさ」

地団駄を踏むかの如く やりようのない怒りを露にする少女の前に

割烹着が割って入り 主をなだめるように異人に問いかけた。

「言葉が話せるのなら好都合です。改めまして わたくしは美波家侍女 妙と申します異国の御方よ貴方は?」

「私は『ラングレー フィッツジェラルド』長いから ラングレーでいいよ。軍属の造船技術者だ。えーっと階級?は確か・・・造船大尉だったかな?ほらコレ」

そう言って異人は ごそごそと階級章を差し出した。ソレは確かに大尉章である。

「大尉殿がこんな田舎町に・・・こんな夜分に何様でいらっしゃったのです?」

「あぁ・・・いや簡単に言えば厄介払い?こんななりだから人目を避けて夜に来たんだけど 途中で車が動かなくなってさ・・・・」

「・・・・大尉殿は莫迦なのですね」

「おい! 妙! 仮にも大尉に向かって莫迦は無かろう?」

「ご当主様は 海軍技術大佐 正式な階級は造船中佐であられます。大尉如きどうと言う事はございません」

「すまんな らんぐれぇ大尉。気を悪くせんでほしい」

「ははは! いいよ 実際よく莫迦って言われるしね!」

「でさ そのトウシュサマ?造船中佐殿に会いたいのだけど 出来れば案内頼めないかな?」

彼はそう言ってごそごそと鞄を漁りだした。

ガラクタの様な物から 木彫りの熊まで色々な物を散らかし「あったあった」と

一枚の皺くちゃな封筒を取り出した。

帝国海軍の印が施されたその封筒を開け 皺くちゃな一枚の用紙に目を通した。

そこには この異人『ラングレー フィッツジェラルド』の異動命令書であり

彼女の父【美波 雅純】(みなみ まさずみ)造船中佐の元で

技術指導にあたれ とあった。驚くべき事に戦艦を秘密裏に建造せよ ともある。

「はぁ・・・なんじゃコレは・・・・」

「機密文章ですね・・・・皺くちゃですが」

「うむ・・・確かに皺くちゃじゃな 機密文章じゃが」

「アレ?なにかマズイ事でもあった? 無くしていないだけマシでしょ?」

すずと妙は顔を見合わせ 深いため息をついた。

「くっくくく・・・ぷっ あ~はははは! こやつ莫迦じゃ! 紛れもなく莫迦じゃ」

「くくっく・・・で ですね。清々しく莫迦でいらっしゃいます」

二人が大笑いする理由も分からず とりあえず自分も笑って見せる

異人ラングレー フィッツジェラルドであった。


「おぅすず! おせーなおい?」

「遅くなり申し訳ありませぬ 父上様」

「んぁ?・・・妙の様子からして 犬ころにでも出くわしたか?」

「・・・はい。少々手こずってしまい・・・」

「妙! 怪我ぁ大丈夫か?」

「問題ありません。 お心遣い痛み入ります当主様」

「んで?そのでけぇ黄色いのはなんだ?言うかだ あの軍用車はどんな要件だ」

帝国海軍技術大佐【美波 雅純】この町の名士であり大地主。

古くからこの町に根を下ろし 代々造船を営む一族の現当主である。

「わたくしからご説明させていただきます」

そう言って妙が ラングレーより預かった機密文章を雅純へと手渡し

ここまでの経緯を簡潔に説明した。

「がっははは! んだぁ?高官共は俺様に戦艦級こさえろときたかぁ」

妙の説明の後 ラングレーが姿勢を正し雅純の前へ立った。

「遅ればせながら ラングレー フィッツジェラルドただいま着任いたしました!」

そう 形式に則った挨拶と 敬礼を雅純に送った。

「硬てぇ硬てぇ んなもんいらねぇよ。ここで必要なのは腕っぷしと根性! あとはオマケで技術がありゃぁ御の字だ」

「おう! てめーら! 新入りが来たぞ! 酒だ!宴会すんぞ!!」

「・・・・全く父上様は・・・・」

「でわ わたくしは少々着替えて配膳の準備をいたします」

「宴会ですか! いいですね!」

「・・・・・どいつも こいつも・・・・」


日が昇り始める頃 造船所内は一升瓶と酒樽 食い散らかした肴で散乱していた。

酒樽を抱いて寝こける者や 何やら説教じみた事をしている初老の男

彼女の父雅純も 豪快ないびきと共に大の字で眠ってしまっていた。

「お嬢様 少々片づけに行ってまいります」

「妙・・・・お主も休むのだぞ?」

「はい 終わりましたら寝かせて頂きます」

「そうするとよい」

「かしこまりました」

妙はそう言い残し 会釈をして炊事場へ向かった。

朝焼けが眩しく造船所の一角を照らす。そこに彼が居た。

「大尉殿 お主は眠らんのか?」

「ラングレーでいいよ。どうせお飾りだ」

「ふむ・・・では らんぐぇ・・・」

「ははは・・・「ラング」それなら言いやすい?」

「うぅ・・・・もうよい」

「キミはよく怒るね 見ていて飽きないよ」

彼はそっと彼女の手を取った。

「な!なな・・・何をするんじゃ? この破廉恥者!」

「やっぱり・・・・手擦りむいてるね 野犬の時?ずっと隠してたでしょ?」

「・・・・・・妾が怪我をすると妙が悲しむんじゃ・・・・」

「君は気高く 美しい。そしてちゃんと人を思いやる事が出来る女性だ」

すずは顔を真っ赤にし ただ美しい蒼い瞳に見入っていた。

彼はそっと彼女の擦りむいた手の甲に口づけをし ぺろっと舐めた。

「~~~~~!?」

彼女は更に顔を赤くし 声にならない声で精一杯の抗議を試みた。

「ほら 妙さんが言ってたでしょ?「舐めておけば治る」ってさ」

限界だった。いや限界を超えた。

「おっ・・・・・お主はぁ!! そこへ直れ! その首切り飛ばしてくれる! この破廉恥者がぁ!!」

すずの平手打ちを ふらりと避け彼が退散していく。

「待たんかぁ~ この助平がぁぁ!」

「ちょっと・・・なんで直ぐに怒るかなぁ~」

「不埒者は成敗じゃ! 待て「ラング」」

「そのうちセーバイされたげるから 今日はもう寝かせてよ~」


こうして【美波 すず】は【ラングレー フィッツジェラルド】と言う異人と出会った。

1942――初冬――


異人【ラングレー フィッツジェラルド】がこの町に来た夜から

早一ヶ月程が過ぎ 本格的な『冬』を迎えた頃。


「あの…すず」

「なんじゃ?」

「どうして私は建物の図面を書いているんだろう?」

「仕事だからじゃろ?」

「いや…何かを作るのは好きなんだ だから決して嫌ってワケじゃないんだ」

「ならさっさと手を動かせ 破廉恥異人」

「あの…すずさん?私は船を作りに来たハズなんだけど?」

「はぁ…面倒なヤツじゃの」

「良いか?莫迦なお主にも解る様に説明してやろう」

「はいはい 助かります」

「この町には軍が駐留出来る様な施設は無い」

「ないね」

「何もない田舎町じゃが戦況によっては 軍が駐留する事もあるじゃろう」

「まぁ無い話ではないね」

「軍部から有事の際に使用できる施設の建設をせよ とのお達しが来ておる」

「そうなんだ? でも美波の屋敷でも良いんじゃないの?広いんだし」

「はっ・・・・笑えぬ冗談だな」

「いや でも実際に私はこの屋敷にお世話になってるよ?」

「お主は『軍属』の技術者じゃ妾らの嫌う『枠』ではない。じゃがの軍部の高官共が この屋敷を我が物顔で闊歩するなど 吐き気がするわ」

「へぇ~色々あるんだね」

「それにの この仕事はお主の腕を測る意味もあるんじゃ」

「ははは・・・つまりオヤカタからの試験ってワケなんだ」

「そういう事じゃ 分かったらさっさと手を動かさんか」

大広間で二人はそんな事を話していた。

美波の屋敷は大きく分けて「本邸」と呼ばれる純和装家屋と

「別邸」と呼ばれる洋風造りの建物から成る。

町外れの丘に位置し 丁度山の麓の様な場所にあり

敷地面積は広大だが 周りには何もないところであった。

ラングレーは別邸の一部屋と 仕事用に大広間を貸し与えられていた。


「ところでさ すず?」

「はぁ・・・・呼び捨てにするでない・・・・で なんじゃ?」

「私がこの屋敷から出てはいけないって どうしてなんだい?」

「お主の風貌が 目立ち過ぎるからに決まっておるじゃろう?」

「それは理解できるよ。でも できればあの造船所に行きたいんだ」

「アレは我が美波の一族が 三代かけて作り上げた『隠港』じゃ おいそれと人を招き入れる場所ではない」

「あの造船所は素晴らしい 今まで見てきたどんな造船所よりも華があり 無駄がない それに設備もしっかりしていると思う」

「む・・・まぁ・・そうじゃろうな 我が一族の栄光の証じゃからな!」

すずは鼻を鳴らし 得意気に言った。

すずにとって家や一族を褒められるのは 無性に気分が良いようだ。

「一度行った時も 目隠しはされるし 車まで取られちゃうし おかげで場所も分からなかったよ・・・・」

「当たり前じゃ 分からん様にしとるんじゃ。本来なら入れただけでも運が良かったと思うがいい」

一族とその関係者以外には 門外不出を貫いた『隠港』

表立っては漁港の片隅にある小さな造船所と報告をしていた。

そんなモノが軍部の目に留まっては すぐさま軍の管轄にされてしまう。

ソレを嫌い『隠港』は 口外無用の掟が厳守されていた。

その引き換えに 本来前線に徴兵されるハズであった町の男達を

「造船作業員」とし「軍属帰化」させる事で この町での生活を保証したのだ。


「軍の報告書じゃあ 駆逐艦程度の建造がやっとの造船施設ってあったから  アレを見た時は正直目を疑ったよ」

「ふふん・・・凄いじゃろ?」

すずのご機嫌は最高潮であった。

それもそうだろう あの造船施設は美波家の財力と総力を結集させ

来る有事に備えたモノであった。

結果的には 美波家で町の人々を匿う絶好の隠れ蓑ともなった。

のだが・・・・一族の秘密として三代に渡り守り続けたモノを

現当主【美波 雅純】は一族の反対を押し切り 条件付きとはいえ

町の人々に開示し解放したのだ。

本家当主とはいえ 秘密を知る分家の家々はこぞって 雅純を非難し

敵対し 離れ 疎遠となりつつあった。


大広間に凛と通る声が聞こえる。

「お嬢様 そろそろお時間です」

礼儀正しくノックの後 一時の間を空け すずの侍女である妙が入室した。

「もうそんな時間か 支度を」

「かしこまりました ではお部屋へ」

「すず・・・・さんは 今日も病院?」

「まぁの さして意味はないが 医者に顔を出さねばならん」

「心臓の病気だった?」

「うむ・・・母上と同じ・・・癒えぬ病じゃ」

「お嬢様 お時間です」

「分かっておる。直ぐに行く」

せかされるよう部屋の扉まで歩を進めたすずが振り返り 一言添えた。

「じゃがの 母上にお会いできるのは楽しみの一つじゃ」

そう 太陽のように輝かしく笑ってみせた。

すずに続き退席しようとした妙が すずとは対照的なひやりとする微笑で

「あまり詮索なさいますな」

その一言と会釈をラングレーに済ませた。

ラングレーにとって屋敷での生活は退屈でしかなかった。

愉しみととするのなら 進捗状況の確認と言う名目で この日の様に

すずとの会話をする事ぐらいであった。


翌年――

慌ただしく 過ぎ去る時間の中 駐屯地建設計画書がラングレーの手より

雅純に手渡され ようやく雅純の御眼鏡に叶い この地を訪れ数か月

ラングレーは 美波家との信用と信頼を少しずつ積み上げていった。

平穏な日々――雅純はラングレーと共に 未だ見ぬ自らの夢の戦艦製造に着手する。


「ラング! 今日は時間あるかのぅ?」

「ん? オヤカタと打ち合わせと機材の搬入手配ぐらいかな?」

「そうか・・・・」

「どうかしたの?」

「妾は今日は病院へ行かねばならん・・・・」

「うん。それで?」

「う・・・妙が少々別件で供をできぬのじゃ」

「うん」

「わっ・・・妾は車の運転が出来ぬ・・・」

「他の使用人の人達は?」

「居るには居るが 当家で車の運転が出来るのは 父上と妙だけなのじゃ」

「それで私に連れて行けって事?」

「~~~~~」

「あははは 良いよ 道案内よろしくね?」

「本当か! ラングに母上も紹介したかったのじゃ!」

「そっか・・・まだご挨拶してなかったね。当主夫人に失礼しちゃったね」

「そんな事は無い! 母上は病床の身 ラングに非などない」

「すずがそう言ってくれるなら大丈夫かな」

「うむ! 支度をしてくる 半刻後 大広間で待っておれ」

「急がなくても大丈夫だよ? 私は車の手配とオヤカタに言づけしておくから」

ラングレーの言葉を聞く間もなく パタパタとすずは自室へ駆けていった。


【美波 鈴音】(みなみ すずね) ―当主夫人 すずの母であり雅純の妻。

生まれつき体が弱く 若くして生家を追われたやんごとなき令嬢の娘だった。

病院へと向かう車内で すずの「母上話」は尽きる事は無く

そこには年相応の少女の笑顔が絶えなかった。

楽しく話すすずに ラングレーも笑いそして想う。

自らの故郷と『呪い』とも言える自分の躰。

家族の貴さと重さを感じ いつになく彼は戸惑っていた。

彼は――


病院に到着しほどなくして病室の扉が開かれた。

ベットに上半身を起し こちらに微笑む女性。

肌は目を疑うほどに白く 髪は艶やかな長い黒髪。

鮮烈に それでいて艶やかに 白と黒のコントラストが視界を覆い尽くす。


「母上!」

母に抱きつき嬉しそうに 華の様な笑みがこぼれる。

「あらあら 相変わらずの甘えたさんぶりね すず」

「は・・・母上とお会いするのは嬉しい事ですので・・・・」

「この前は検査で会えなかったものね」

「そっ・・・そのとおりです! お会いするのは半月ぶりです!」

「それで? 今日は珍しい方とご一緒なのね?」

「!?」

「はじめまして 奥方様。わたしは帝国海軍造船科所属 造船大尉ラングレー フィッツジェラルドと申します」

「この様な不作法で申し訳ありません。私はコレの母で雅純様の妻 鈴音と申します」

「オヤカタには いつもお世話になっています」

「こちらこそ雅純様のやんちゃにお付き合い頂いてありがとうございます」

「やんちゃ・・・・ですね あははは」

「この娘も随分とお世話をかけている様ですね」

「いえいえ こちらこそ日々楽しく振り回されていますよ」

「ふふふ 正直な御仁ですね」

「えええぃ! 母様もラングも妾を差し置いて盛り上がるでない」

「はしゃいでないで 自分の診察に行きなさい」

「・・・・・・はい」

「ごめんなさいラングレー大尉 騒々しい娘で」

「いえいえ 楽しくやっていますよ」

「わざわざ来て頂いたのに 何の持て成しもできず申し訳ありません」

「・・・・こちらこそ 手土産の一つもなく・・・・」

「ふふふ・・・・やめましょう。楽にしてくださいな」

「はぁぁ・・・・助かります」

「ふふふふ 本当に実直な方ですね」

「すみません この国の作法には まだ分からない事も多くて」

「大丈夫ですよ 大尉は誠実で素直なお方です」

「あっ・・・「大尉」はちょっと・・・ラングレーで構いません どうも呼びなれなくて」

「はい わかりました。すずから聞いた通りの方ですね」

「えっ? すずが何か私の事を?」

「えぇ 私のところへ来るたびに すずが楽しそうに貴方の事ばかり話していますよ」

「それは・・・・ちょっと すみません」

「あの娘は・・・美波の一人娘・・・今まで対等に話を出来る 近しい人間も居なかったのです 私や雅純様もなかなかあの娘の傍に居れないもので・・・・」

「いつも妙さんが控えているイメージがありますけどね?」

「お妙さんは・・・・色々と事情があり今は 侍女・・・使用人と言った形ですが 彼女自身すずとは主従の関係と割り切られているところもありますので」

「どこの国でも 家柄や世間体 変わらず厄介な事です」

「ラングレー様も どこかの名のある家の方なのです?」

「・・・・・古いだけの家ですよ 名も知られる事もない ただ古いだけの」

「ふふふ・・・・すずとは恋仲なの?」

「・・・・いきなりですね 残念ながらそう言った関係では」

「そう? それは本当に残念ね」

「からかわないで下さい。そう言った話は 正直分からなくって」

「あら ホント残念。でも すずの事よろしくお願いしますね」

「はい 出来る限りには」

そんな微笑ましい一時が 鈴音とラングレーの初めての邂逅であった。

「水仙・・・もうそんな季節なのね・・・・」

「・・・・・・ナルシサス。私の国ではそう言います」

「花言葉と言うものをご存じかしら?」

「花言葉?ですか?」

「そう 水仙の花言葉は『思い出』」

「・・・・今日の出来事が 奥方様やすずの良い思い出となれば良いですね」

「そうね・・・・」

「・・・・・・不躾ですみません」

「ええ・・・私はもう長くはありません」

静かに鈴音は告げる その言葉にラングレーは返す言を見つけられない。

今日会ったばかりの人間に「自分はもうじき死ぬのだと」そう言われたのだ。

そして今日会ったばかりの人間に 自分の死期を告げたのだ。

そこには 残していくものを貴く 何よりも大切に想う気持ちと

目の前の異人に対する 敬意の表れでもあった。

嘘偽りを持たない純朴な異人に 自身の真実を告げ そのうえで

もう一度鈴音は口にした

「すずを・・・私の娘をよろしくお願いします」

「はい」

「辛気臭いお話はやめましょう」

「・・・・・・」

「想いは言葉に紡ぎました」

「・・・・・奥方様の望みは無いのですか? 生きる事に執着は無いのですか?」

「ありますよ? でもね私は あの方と娘を授かり 一番の幸を得ました。諦めでは決してありません。これは私の覚悟なのです。 私は・・・・幸せ者なのですよ」

「・・・・・真っ直ぐな方です」

「望みは・・・・もう一度家族で櫻を見たかった かな」

少女の様な笑みを浮かべ 鈴音は少し照れたように言った。

その言葉にラングレーは「必ず」と小さく呟いていた。



「おう! ラングレーよぅ ここんとこの図面なんだがよぅ」

「オヤカタぁ・・・だからココは・・・・」

「おめぇ 英語で書くなっつったろぅが」

「この国の字は まだちゃんと書けないんですから 仕方ないでしょ」

「だぁ~ 口で説明しろぃ その方が早ぇわ」

この造船所では「秘密裏に」が原則の為 昼夜が逆転している。

作業員達の大半は 夕刻に目覚め 陽が昇り切る前に眠りにつく生活をしているのだが

雅純とラングレーは 夜間は造船所で過ごし 日中は屋敷で

造船所に居る時と変わらず同じような事をしていた。

周りからは 二人がいつ睡眠を取っているのか?そんな声も上るほどに

大の大人が時を忘れたように 語り明かしていた。

「当主様 お食事のよう・・・ぃが・・・」

そう告げて妙が別邸の大広間を訪れた時には

遊び疲れて眠ってしまった 大きな図体の子供が二人。

図面や紙とインクがそこらじゅうに四散し 轟音なイビキが鳴り響いていた。

この惨劇が美波の家では週に二・三度訪れる。

その度に妙は 眉間に皺をよせ ため息交じりに部屋を片付けるのである。

「妙 今日の昼食は妾だけか?」

「はい・・・・いつものアレでございます」

「はぁ・・・・またアレか」

「アレでございます」

「妙も気苦労が絶えんのぅ」

「全くです」

美波の使用人は決して多くはなかった 妙を筆頭に侍女が三名

料理人兼世話役が一名 あとは通いの庭師が一名だった。

「妙 共に食事をとろう」

「また・・・わがままを・・・・」

「妾と妙しか居らんのじゃ 構わん座れ」

「はぁ・・・わかりました」

「一人での食事はどうも箸が進まん 許せ」

「いつまで経っても貴女は・・・・」

「たまには昔の様に・・・・良いじゃろう?」

「分かったから 冷めないうちに食べなさい」

「うむ。感謝する」

「ほら 食べながら話さないの」

「やはり妾は その「妙姉」が好きじゃ」

「その も どの も無い 私は私 使用人で侍女も私だし 貴女を「すず」って呼ぶ私もやっぱり私なの」

「無理をさせておらんか?」

「?別に? 雅純様も私の事情は知って頂いているし 一応人様の前では ちゃんとしてるつもりだしね?無理はしてないよ?」

「そうか・・・・いつもありがとう「妙姉」」

「ぶっ・・・・味噌汁吹いちゃうから そんな事言わないの 血は繋がってないけど すずは私の大切な妹だと思ってる。だから当然で当たり前なの」

「うん!」

「で・・・さぁすず? 大尉さんとはどうなのよ?」

「ぐふっ・・・・けほ けほ・・・・どっどど どうとはなんじゃ?」

「あらぁ・・・顔真っ赤にしちゃって」

「こっこれは・・・妙姉が荒唐無稽な事を言うから咳き込んで・・・」

「あらそうなの? 大尉さんいい男じゃない?ちょっと莫迦だけど」

「そうじゃの・・・莫迦は同意する」

「すずにその気がないなら 夜這いでもかけちゃおうかな」

「よ?よよ夜這い!? いかん!それはダメじゃ!!」

「あははは わっかりやすいなぁ 冗談よ冗談」

「妾は・・・・そんな・・・」

「ゆっくりで良いのよ ちゃんと自分の気持ちを見なさい」

「うぅ~・・・・」

そこで食堂の扉が開いた。

「おはようございマス・・・・何か食べる物あります?」

「わぁぁ!! ラング!お主いつからソコに!?」

「へ? 今上から降りてきたところだけど?」

「おはようございますラングレー様」

「(き・・・切り替え早っ・・・・流石は妙姉)」

「で・・・なんだっけ?」

「いや・・・いや何でもない! もう昼食中じゃさっさと座れ」

「ラングレー様は紅茶とパンでよろしいですか?」

「ん~・・・今日は珈琲でお願いシマス」

「かしこまりました」

そう言って妙は自分の食器を 何事もなく持ち去って炊事場へと立った。

「ごめん 今日も一人で食事させちゃってたね。オヤカタとずっと話しててさ」

「はぁ・・・いつもの事じゃ気にするな。でっ・・・その父上様は?」

「凄いイビキでまだ寝ているよ。おかげで私は起きちゃったけどね」

「それは災難だったな」

「まぁ そこそこ慣れてきちゃったけどね」

「妾も今夜は造船所へ行く その時までには その寝ぼけた顔をなんとかせい」

「ははは・・・そうだね ふぁぁ・・・まだ眠いや」

「食事中じゃ」

「ごめん・・・・」


その夜――


雅純やラングレー達に夜食を運んできた 妙とすずと時を同じくして

馬に乗った一人の少女が造船所に駆け込んできた。

「八重?どうしました?」

「た・・・妙さん奥様が・・・・」

駆け込んできたのは美波家の侍女【八重】(やえ)であった。

「お嬢様達がこちらへ向かわれたあと 直ぐにお医者様から・・・・」

「おい! 八重 アイツが鈴音がどうした?」

「八重・・・落ち着いて話なさい」

「は・・はい・・お医者様より使いの者がお屋敷に来られて 奥様が危篤状態だと」

「おい! 今すぐ誰か車をまわせ! すず!行くぞ!」

「承知いたしました。八重 貴女は屋敷の者達を」

「はい!」

「おら すずさっさとしろ!」

「あ・・・・は・・・はい」

慌ただしく それぞれが声を上げ 急ぎめまぐるしく動き回る中

ラングレーは静かにその様子を見守り 静かに皆の前に立った


「落ち着いて」

そう言って手を二回ほど叩いた。

「あぁ? ラングレー落ち着いていられるか! そこをどけ!」

「花見をしましょう・・・盛大に」

「はぁぁ? おめぇナニふざけてやがる!」

言うが先か雅純は ラングレーの襟首を掴みあげ怒鳴りつけた。

「今はそんな事やってる場合じゃねぇんだ おめぇだって分かるだろ?」

「わかりません」

「てっめぇ!」

「みなさんはこの町で一番綺麗な『櫻』の元へ行ってください」

「いい加減にしやがれ!」

ついには雅純はラングレーを殴りつけ 押し退けようとした

だが頑固としてラングレーは膝を折る事は無く 真っ直ぐに雅純を見た

「オヤカタ・・・貴方の友として願います。櫻の元へ行ってください。もしも貴方にとって不幸があるのなら 私はこの命を差し出しましょう」

「わっかんねぇ! おめぇが命賭けてまで花見に行かせてぇ理由がよぉ!」

「今は理由を語る時間が惜しい どうか私を信じてほしい」

「・・・・おめぇとはよ 酒を酌み交わすのも良いと思ってる。だがな ここで「はいそうですか」なんて言えるわきゃねぇだろ!」

雅純の鉄の拳が容赦なくラングレーに叩きつけられる。

何度も何度も それでもラングレーは倒れる事を良しとせず

頑なに道を譲らず ただ「櫻の元へ」そう言い続けた。

「や・・・・やめてください父上!」

たまらず すずが雅純とラングレーに割って入った。

「わ・・・妾にはラングが何故そのような事を言っているのか分かりかねます・・・ですが・・・・・父上 ラングが妾達に今まで一度たりと不義理を働いたことはありませぬ!」

「そこをどけ・・・すずおめぇは黙ってろ!」

「どきませぬ! どうしてもと言うのなら その拳で妾をも薙ぎ払えば良い!」

「・・・・・すず・・・おめぇ・・・・」

「この者は・・・ラングは・・・自らの命をも賭け懇願しております どうか・・・・」

「かぁ・・・クソ。すず泣いてんじゃねぇよ 今から宴会だ笑え」

「お父様!」

「オヤカタ・・・・」

「野郎ども! 酒だ!宴の準備をしろ!」

「当主様!しかし!」

「しかしも案山子もねぇ 妙おめぇも支度しろ」

「ですが・・・・」

「あの小さかったすずがよぅ・・・歯ぁ食いしばって 男守んのに俺の前に立ったんだ・・・それで俺の負けだ。ナニ考えてやがんだが正直わかんねぇ 野郎の男気とすずの女気 それ見せられちゃぁ・・・・な?」

「・・・・かしこまりました」

「おぅ かしこまっとけ」


病に伏せる鈴音の元へ――

一人の異人が訪れた そこに人気は無くただ寂しく月影だけがあった。

「こんばんは 良い夜ですね奥方様」

「・・・・・ふふふ・・・貴方に見送られるなんて意外ね」

「見送るのは私ではありませんよ」

「見ての通り・・・もう体は動かないわ・・・話せるのが不思議なぐらい」

「不思議ついでに夜櫻でもいかがですか?」

「良いわね・・・あの方と・・・娘と・・・・」

「承知!」



真夜中の櫻並木・・・・その所々で酒を煽り歌を口ずさみ あの造船所の男達が

送り火の様に騒がしていた その奥の一番大きな枝垂れ櫻の下

雅純とすずは静かに月と櫻を愛でている。

「今日は お静かですね父上」

「静かに飲みたい時もあらぁな・・・・」

「皆も気を使っている様です 誰もこちらに来ようとしませんから」

「けっ・・・辛気臭ぇな」

「妙も給仕で忙しい様ですし 妾の酌では なにぶん役不足だとは思いますが 今宵はどうかご容赦を」

「はっ・・・ガキに晩酌されるたぁ俺も焼きが回ったもんだ」

――櫻吹雪が舞い散り 一陣の風が吹き去る――

「また・・・アナタは・・・娘に晩酌なんて父親冥利に尽きるじゃない」

「・・・・鈴・・・音・・・・」

「お・・かぁ・・・さま・・・」

白く艶やかな着物姿の大和撫子 それは紛れもなく鈴音であった

病に伏せ危篤状態であったハズの・・・あの美波 鈴音がそこに居た。

「ふふふ 鳩が豆鉄砲ってこういう顔なのね」

「鈴音・・・おめぇ・・・」

「かぁさまぁ!!」

「もぅほら 抱き着いてないで 場所を代わりなさい ソコは私の席よすず?」

「がははは! 粋だねぇあの野郎!」

「そうね・・・・不思議な事よ・・・あの異人さんがね「不思議なら その不思議を存分に楽しんで下さい」なんて言うのよ」

「・・・・・・・あいつぁなんなんだ?」

「さぁ?分らないわ でもコレが私の最後の望み・・・・だから今宵は心行くまで ね?」

「そうか・・・笑って送れるたぁ旦那冥利に尽きるってもんだ! 酌だ!」

「はいはい・・・もぅ・・・すずもくっついてないで 手伝いなさい」

「はい!かぁさま!」

真夜中の宴会は愉しげに どこか寂しげに

一夜限りの夢の花見。

大切な人と肩を寄せ合い 膝には笑みを浮かべた最愛の娘の寝顔。

「もう・・・すずは寝ちゃいましたね」

「おう」

「私は・・・ね。鈴の音・・・形もなく触れられない・・・あやふやなモノ」

「だが俺ぁ その音にイカレちまったんだよ・・・・」

「ふふふ・・・ありがとう。娘は『鈴』形あり触れられる・・・そんな娘よ」

「あぁ・・・俺らの宝だ」

「貴方と出会い幸せでした・・・・ありがとう」

「おう・・・」

「貴方を愛せて・・・貴方が私を愛してくれて ありがとうございます」

互いにもう顔を見れなかった・・・・「その時」はもう・・・・直ぐなのだと。

「ぉ・・・・ぅ・・・」

「ありがとう 愛してます心から・・・泣かないで ほら笑ってよ・・・」

「顔みねぇで誰が泣いてるてぇ?おめぇだろうが!」

「ふふふ・・・そうね・・・貴方がそう言うなら・・・きっと・・・そうね」

「逝っちまうのか・・・・」

「ええ・・・もう夢の時間はおしまい」

「せめて・・・・俺の腕の中で逝け・・・・」

「ええ・・ありがとう・・・私は幸せよ・・・・愛してるわ・・・誰よりも・・・雅純・・・・」


静かに夜が明ける頃 美波家当主夫人『美波 鈴音』はこの世を去った。

生涯の大半を病床で過ごし 最愛の人の腕の中 静かに――


1943――春――


鈴音の死よりほどなくし 帝国を揺るがす惨事が起る。

四月十八日――海軍甲事件――

帝国海軍の英雄であり 最も優れた指揮官と称された元帥閣下の戦死である。

皇族 華族以外での国葬はこの一例のみである程に

帝国にとって その死はそれほどまでに大きなものであった。


その悼報が雅純らまで伝えられ 国葬に足を運ぶ事にもなった。

自身の最愛の妻の喪も空けぬ内に 家を空ける事を雅純は嫌ったが

軍属である以上は従わぬワケにもいかなかったのだ・・・・・

一方のすずは 数日間自室に籠り 涙枯れるまで母の死を嘆いていた。


「お嬢様・・・お食事をおとりくださいませ」

「・・・・・・・」

「お嬢・・・・・・すず・・・入るよ」

「・・・・」

「明かりも点けず 泣き散らして・・・いつまでこんな事してるつもり?」

「たえ・・・ねぇ・・・」

「はぁ・・・情けない。それでもアンタは『美波 鈴音』の娘か!」

「かぁ・・・さまが・・・・かぁ・・・さま・・・・」

「あの寝坊助のラングレーは あの日から一日も欠かさずアンタを待ってる。当主様だって可能な限り食卓について頂いてる。アンタは?何をやっているの?」

「妙・・・妙ねぇ・・・・グス・・・」

「はぁ・・・・私も甘いわ・・・今日だけ 今日までよ? 泣き枯れるまで・・・・そうして明日には自分にお戻りなさい。そこまで付き合ってあげるから・・・・」

「あああああああぁぁぁ・・・・・」

堰を切った様に声が・・・嘆きが木霊する。

母の死を受け入れる為 向き合うために。


猛暑の続く真夏の夜。

陰りは消えぬものの すずは次第に表情を取り戻し

雅純は以前にも増して造船に打ち込んでいた。

お国の情勢は芳しくなく 目に見え『敗戦』の二文字が誰の脳裏にも浮かんだ。

「オヤカタ! こっちの装甲ですが このままだと強度に不安が・・」

「んぁぁ・・・そうだな だがよココんとこ厚くすりゃ砲台の邪魔になっちまう」

「若干砲台の高さを変更しましょうか?」

「かぁ・・・やっぱこの図体じゃ45口径三年式41cm砲が限界かぁ」

「流石に45口径九四式46cm3連装砲を搭載となると・・・・」

「飛行甲板の方も難航中だしなぁ まぁアレはお飾りでも構やぁしねぇが」

「世界一の戦艦ってオヤカタの夢は分かりますが ちょっと詰め込み過ぎですよ」

「世界一たぁいわねぇよ 負けねぇ戦艦にしてぇんだよ」

「同じ事ですよ・・・・」

「だぁぁ・・・クソ まとまらねぇ・・・」

「何を焦ってるんです?オヤカタ?」

「・・・・元帥大将が逝っちまったろぅ?」

「ええ・・・」

「俺ぁ好きじゃなかったが ありゃ間違いなく英雄様だよ。今の帝国に元帥を超える人間はいねぇ・・・こっから先は 数多くの戦艦が沈む」

「それは・・・・だからと言って焦っても仕方無いでしょう?」

「わぁってるよ だがな戦火でこの町を焼くなんざぁご免なんだよ」

「こんな田舎町まで空襲もないでしょう?」

「悪かったな!田舎町でよ 戦争てぇのは何が起こるか分からねェんだ・・・・すずの・・・娘の居るこの町を・・・・壊したくねぇんだ・・・・」

「分かりました 私としてもソレは是が非でも避けなければなりません。もう一度見直しましょう」

「っておめぇ すずとはどうなんだ? まさか手ぇ出してねぇだろうな?おい!」

「オヤカタ とりあえず食事にしましょう。ワタシ モウ ウゴケマセン」

「おい!ラングレー ちょっと待て おい!」


緩やかな暑さとなる頃 美波の屋敷の庭に蛍がチラホラと舞い

依然として困難を極める造船が続き 国はますます疲弊していった。

「・・・・・・・・・」

「こんばんは すず」

「・・・・ラングか・・・」

「どうしたの? こんなところで」

「蛍を・・・・眺めていたのじゃ」

「フウリュウだね」

「・・・・知っておるか? 蛍にはな毒があるんじゃ」

「そうなんだ あぁコトワザにもあるよね?「綺麗な物には毒がある」とか」

「妾はな・・・・母上の様にいつしか自分の足で立てぬ様になるのが怖い」

「・・・・うん」

「美波と言う綺麗な輝く家にあって妾は『毒』なんじゃ・・・・」

「どうしてそんな事を?」

「妾は子を宿すことは叶わんかもしれぬ・・・・それでなくとも代々男子が当主を務める美波の家に『一人娘』として生まれてしもうた・・・その娘は子を宿せぬやもしれんポンコツじゃ・・・・父上の代で美波の家は終わってしまうじゃろう・・・」

「そんな事を考えていたの?」

「そんな事か・・・・お主に愛する男の子も産めぬかもしれぬ この惨めさが分かるか? この様な躰で・・・・愛しき者に想いを告げられようか・・・・子を授かる事のできぬ女など 家にとって毒でしかないではないか・・・・」

「すずは「毒」なんかじゃないよ・・・私にとっての希望だ」

「希望?なんじゃそれは・・・お主に希望を持たれるような覚えは無いぞ・・・」

「うん ただソコに居てくれるだけで ただ話してくれるだけで 私は救われたよ。私がこの国に来た頃 みんな私をまるで人ではない様に見たよ。でも すずは始めから違ったよね?」

「まだ一年やそこら前の話じゃ・・・じゃが懐かしいの」

「そうだね懐かしい あの時の握り飯美味しかったなぁ・・・形悪かったけど」

「・・・・そうか そうじゃの妾はお主の瞳の色が好きじゃ・・・澄んでいてとてもきれいに思えたんじゃ・・・・」

「そうかな? それこそ「毒」だよ。私はこの瞳の色を 親兄弟一族からも疎まれた。だから私は私を知らない土地へ旅立ったんだ」

「そうじゃったのか・・・・じゃが お主が毒なら妾は進んで手を伸ばそう たとえ毒され命を落とすとしても・・・・お主の毒が誰かを傷つけぬ様に・・・」

「じゃあ すずが自分を毒だと言うなら 私が手を伸ばし毒じゃないって証明してみせるよ ほら?なんだっけ? サラ食わば毒まで?って言うんでしょ?」

「くくくく・・・・あははは・・・本当にラングは莫迦じゃな! 「毒を食らわば皿まで」じゃ覚えておけ。そもそも悪事を働いたモノが使う言葉じゃ莫迦者め」

「うん やっぱりすずは笑ってる方が良い」

「・・・・・・毒を喰らわば皿まで・・・か・・・」

「うん?どうしたの?いつもなら「うるさい」とか言うのに?」

「多少の違いはあるが・・・・その言葉は 始めた事を最後まで貫き通すことでもあるのじゃ・・・・」


――ふわり ふわり 少女の貌は――

  ――ふわり ふわり いつしか女の貌へ――

     ――金色の髪と蒼い瞳に吸い寄せられ――

        ――その唇に 甘い 甘い毒を交わした――


「妾は・・・・お主を・・・・ラングレー フィッツジェラルドを・・・愛しています」

「私も君を 美波 すず を心から愛してる」

遠く 遠く未だ戦火は止まぬ

近づいてくる足音に まだ誰も気づく事さえ叶わない。

二人を祝福するは ただ静かに舞い踊る蛍の群れと 満月。


1943――夏の終わりと共に――


二人の逢瀬は長くは続かず わずか一年にも満たぬ内に時代に翻弄される事となる。

六月 マリアナ沖海戦にて 一方的な大敗を喫した帝国は

その数か月後 十月に致命的なまでの打撃を被る事となる。

レイテ沖海戦である。

この海戦を最後に事実上帝国艦隊は壊滅 以降大規模かつ組織的行動が不可能となった。

この敗北を機に 国内全土に異国人達の強制送還が始まった。

帝国は「強制送還」としたが 事実は技術者達の本国よりの帰還命令であった。

敗戦の色は この田舎町にも映るほどに色濃く影を落としていた――


「ラングレーよ おめぇココ一月ばかし軍の招集に出てねぇな」

「行けば国に連れ戻されます」

「そりゃ・・・まぁそうだろうな」

「私はオヤカタとこの戦艦を完成させたい」

「そりゃ願ったりだがよ・・・・もう物資の供給すらおぼつかねぇ・・・」

「最後まで・・・・見届けます」

「・・・・なぁラングレー すずを連れて行っちゃぁくれねぇか?」

「・・・・・・」

「この国は負ける」

「そんな事は!」

「まぁ・・・そう言うな 娘の未来ぐれぇ何とかしてやんのが 親父だろ?」

「オヤカタ・・・・」


その冬は例年になく 厳しいものとなった

雪は降り積もり 凍てつく手を誰もが握りしめていた。

ラングレーは軍の高官より直々に招集され 旅立つ日が近づいていた。


「すず・・・・私と共に来るかい?」

「妾は・・・・父上と母上の墓を踏み台になど出来ぬ・・・・」

「そうだね・・・・」

「父上に言われたのか?」

「うん。そういうのは相変わらず鋭いね」

「ラングの言葉には思えんでの・・・・」

「私だって すずを連れて行けるのなら そうしたい」

「感謝する その言葉だけで妾は生きて行ける。すまぬ・・・妾もラングと共に お主の故郷へ旅立ちたい・・・・じゃが・・・・妾とてこの町を この国を愛しておるのじゃ・・・自分だけが助かり 笑ってお主の傍に居れるほど強うないんじゃ・・・」

「うん きっと すずはそう言ってくれるって思ってた・・・・私も傍に居たい・・・・逃げ回る事はもう出来そうにない・・・・だから約束しよう」

「約束?」

「うん約束だ 違える事のない約束。何があっても生き抜いて 戦争が終われば必ず迎えに来る」

「うん・・・・まって・・・おる・・・・」

「もしも・・・死を覚悟したならコレを その時は私が すずを殺す。他の誰にもすずを殺させはしない」

「・・・・ラングに殺されるのなら・・・・仕方あるまい・・・・」

「ソレは私の「毒」だ。私がもしもの時は すずって言う毒を胸にこの世を去ろう・・・・・お互いが毒なんかじゃないってそう誓ったよね?」

「う・・・ん」

「だから 生きよう 必ず生きてまたココで会おう」

「その時は ちゃんとした指輪を贈らせて。今はこれしかないけど・・・・私の家に古くからある指輪だ お守りにしてほしい」

「う・・・ん・・・・お願いじゃ・・・妾がまだラングに 寄り添えるうちに・・・まだ自分の足で・・・お主の胸へ飛び込めるうちに・・・・どうか・・・迎えに・・・・」

「うん・・・約束しよう。私達は「毒」なんかじゃない だから必ずまた会える」

「う・・む・・・約束じゃ・・・」

「・・・・いってきます」

「・・・いって・・・・らっしゃい・・・・」


十二月 本格的な冬の到来を前に

異人ラングレー フィッツジェラルドはこの町を去った。

永遠だと思われた わずか二年。

男達の夢の跡と 愛すべき人を残し・・・・

1944――冬の到来――


ラングレーが故郷への旅路につき わずか四十八日

貧困が国民を襲い 村々は食料を求めた人々が溢れかえり

わずかな食料を巡り 悲惨な殺し合いが各地で多発していた。

各主要都市への大空襲が行われ 本土は飢餓と焼野原が蔓延していた・・・・


「当主様・・・もう これ以上疎開者や難民を受け入れられません・・・」

「受け入れられん つっても流れて来るもんはどうしようもねぇ・・・・」

「ですが・・・・」

「わぁってるよ・・・・アイツらも 家を 家族を焼かれ逃げてんだ・・・」

「それは理解できます・・・・ですがこのままでは・・・・」

「隣町じゃぁ 食いもん求めて殺し合い 焼き討ち そんなとこまで来てやがる」

「はい・・・・このままでは いずれこの町も・・・・」

「町の者集めて 造船所で凌ぐしかねぇか・・・・」

「はい・・・・それしか方法が・・・」

「この屋敷をくれてやるのは癪だが・・・・背に腹はかえれねぇか・・・」

「今 八重が町外れまで見回りに出ています 帰り次第支度を・・・」

「クソッタレ・・・・同じ国の人間に追い回されるたぁ・・・・」

大広間の扉が 鈍い音と共に開く・・・・

「ご・・・・ご当主さ・・・ま お逃げ下さい・・・・」

「八重! どうしました?」

「町は火の海です・・・近隣の町々から・・・・数え切れ・・・ぬ者・・達が・・・」

「八重!八重! しっかりなさい!!」

「・・・・妙 ゆっくり寝かしてやれ」

「・・・・かしこまりました・・・・」

「おめぇは すず連れて造船所まで走れ!」

「ですが!」

「ですが じゃねぇ! これは命令で俺の願いだ!とっとと行け!」

「・・・・・御武運を・・・」

雅純は屋敷内全ての銃火器と 刀や弓を屋敷の門へと集め

朱く火の手の上がる町を睨みつけた。

「食いもんなんて とうに尽き果てちまってらぁ・・・・哀れなもんだなぁおい・・・なぁ・・・ラングレーよ・・・ やっぱお前に連れてってもらうべきだったんだよ・・・アイツぁよ・・ふぅ・・・・どうせ殺り合うならよ・・・戦艦でぶっ放したかったなぁ」

ほどなくして――――機関銃と阿鼻叫喚の惨劇が美波の家を襲った。


同じ頃 ラングレーの忘れ形見の軍用車を駆り 妙とすずは造船所へと疾走していた。

道々には 夥しい死体の山・・・それはまさに地獄絵図であった。

町の人々と争い死んだ者 殺された町の人々 中には死体を喰らう者まで見て取れた。

幾度となく車で死骸を轢き 跳ね飛ばし まとわりつく亡者の群れを振り落した。

「ちっ・・・・・」

「妙? どうしたのじゃ? なぜ車を止める?」

「これより先は お嬢様の足でお行き下さい」

「・・・・・・・妙もいっしょじゃろ?」

「申し訳ありません・・・・このままではアレを造船所へ招き入れてしまいます・・・・車ではこれ以上進めません・・・・裏手よりお急ぎください」

「まて・・・妙 ダメじゃ! 妾だけが行くことなど出来ぬ!」

「甘ったれんな!! アンタ生かすのに何人が命賭けてると思ってんの! 走れ!生きてあの莫迦に文句の一つも言ってやれ!」

「た・・・え・・・ねぇ・・・」

「早く! 走り抜けて!」

すずは泣きながら ただただ走った・・・愛する人達をその背にして

奇しくも月はあの異人と出会った夜の様に ただ静かに寂しく影を落とす。


「ふぅ・・・まさか人を斬る事になるとは・・・・ね」

あの夜 異人に突きつけた刃を 妙は躊躇なく人の形をしたモノに突きつけ薙ぎ払う

大切なモノを守る為 彼女は――目の前の『人型』斬る鋼と化した。

その腹を 頭蓋を貫き 首を 四肢を薙ぎ払い 亡者の群れを十とも二十とも数えれぬ数を

ただ薙ぎ払い続けた。髪は引きちぎられ 四肢には無数の歯型と

ぼろ雑巾のような衣服を纏い 薙刀をふるい続ける。

彼女の後ろに亡者の姿は無く 前には無数の屍と未だ迫る餓鬼の群れ。

「はぁ・・・はぁ・・・・こ・・・こんなところで・・・死んで・・・たまるか・・・・あの子を・・・・一人で・・・なんて・・・心配過ぎて・・・・寝てられるかぁぁぁ!!!」

月に吠え そしてギラリとその眼光に生が戻る。

「矢尽き・・・刀折れるその時まで・・・・」

そう心に刻み込み 薙刀を振るう手が朱く朱く染まり 返り血と自らの流血に

彼女自身も 朱く染め上げて行った――

どこをどのように走ったのか分からない

ただ一心不乱に走り抜けた。何度も転び 美しい黒髪は土に汚れ

艶やかな着物は薄汚れ 体中擦り傷ららけだった。

何度も心臓の痛みに耐え 立ち止まる事を良しとせずここまで来た。

たどり着いた造船所には誰一人として居なかった。

鉄の扉に背を預け やっと腰を下ろした・・・・・

東の空は薄らと陽が射し 彼女はこんな朝焼けを

共に笑い合い見た愛する男を想う・・・頬には涙が流れ朝焼けは彼女を照らす。


「のぅ・・・ラング・・・妾は頑張ったじゃろ?・・・こんなに走ったのは 生まれて初めてじゃ・・・沢山転んでしもうたが ここまでたどり着いたぞ。」


「なぁ・・・ラング・・・妙がの・・・お主に莫迦と伝えよと 息巻いておったぞ・・・・またお主の事じゃ・・・・妙に叱られる事でもした・・・・いや・・・いつもの事じゃの・・・・」


「すまぬ・・・・お主との約束・・・・守れんかった・・・・あの屋敷での再会は・・・どうも難儀な様じゃ・・・お主は・・・・許してくれるかの・・・・」


「いつからじゃろうか・・・・お主に惹かれ始めたのは・・・・もう 思い出せぬ・・・お主と話すのが好きじゃった・・・いつしかお主の笑う顔が好きじゃと思うた時は・・・・顔から火が出るかと思うたものよ・・・・ラング・・・・お主に・・・・今一度逢いたい・・・ラング・・・・愛おしく・・・・誰より・・・・」


――パァァン・・・・――

甲高い嫌な銃声が響きた・・・・

「はぁ・・・はぁ・・・・おめぇ・・・・美波の娘か?・・・・」

そこには かつてこの場所で 父雅純と共に造船に尽力を尽くした

一人の男が小銃を携え 命からがらやって来た・・・・

そう すずの胸を打ち抜いた弾丸を発射した 小銃を握りしめ・・・・

「お・・・・お主は・・・・」

「はぁ・・・はぁ・・・あぁそうだ 親方に世話になった造船技師だ・・・・他の連中は美波の家・・・親方を守る・・・とか・・・言いやがってなぁ・・・はは・・・俺も行ったんだぜ?・・・・・だが・・・ありゃダメだ・・・十や二十じゃねぇ・・・百や二百って亡者どもが・・・・押し寄せてんだ・・・・無駄死にはご免だ・・・・」

「がっ・・・ごっ・・・ゲホ・・・キサマ・・・」

「あぁ・・・悪ぃなぁ・・・はぁ・・・ここにゃ食い物も・・・・・あんだろ? なんとか凌げりゃまだ生きられる・・・・おめぇにゃ悪ぃが・・・くたばってくれや・・なぁ?」

「き・・・キサマ如きに・・・がっ・・・・こ・・・この命 くれてやる訳には・・・いかん・・」

「はぁ・・・頭ぶち抜きゃ・・・そんで終いだ・・・」

「このぉ・・・・下衆がぁ・・・」

左胸を打ち抜かれ 夥しい吐血を押し殺し 頭を打ち抜かんと銃口を向ける

かつては 父雅純と苦楽を共にした男の首を引き裂いた。

「はぁ・・・・はぁ・・・・ひ・・・人を殺める日が・・・来る・・・とは・・・・・の・・・・じゃが・・・ごほっ・・・はぁ・・・この・・・いの・・・ち・・・はラン・・・グのもの・・・他・・・に・・・くれてやる・・・・はぁ・・・ワケに・・・いかぬ・・・・」


銃創と吐血によって 深紅に染まった着物姿は 儚く崩れ落ち

最後の約束を果たす――

ラングレーより手渡された小瓶に手をかけ 最後の力を振り絞りソレを飲み干した。

『すまぬ・・・ラング・・・・どうか妾を許してほしい』


こうして長く続いた美波の一族は 全てを失い終焉を迎えた――

――そう『終わり』を迎えたハズだったのだ。


―――汝の望みを叶えよう 求め訴えそして手に掴め。

 夜の帳と共に我は顕現せし 世の理の狭間を路とする住人也。

―――Ich Ein ewiger Reisender―――


懐かしい・・・・優しい声をすずは聞いた。

それは紛れもなく・・・・ラングレーの声であった。

心に直接語りかける そんな優しい声を聞き すずは意識を手放した。


朝焼けが眩しく 一人の戦乙女を照らしていた。

満身創痍 息をしているのが奇跡だった。美しかった四肢は どす黒い血にまみれ

片目は潰れ 手や足は最早人の形ではなかった 軍用車を背に

かろうじて腕に括り付けた薙刀を杖に 未だ膝を折らなかった・・・

百を超える屍を築き 亡者の群れを退けた その代償はあまりに大きく

彼女自身すら 自分が生きているのか 死んでいるのか それすら判断できなかった。


朝焼けの中 彼女は独り想う

大切な大切な 自分の妹の様な存在。

ホントは 泣き虫で甘えん坊で 優しいあの娘。

あぁ…無事で居てくれるだろうか?

こんな時代でなければ きっと幸せになれただろう…

今もきっと愛する人と笑いあっていたであろう。

だが彼女等は この時代に生を受け その命を精一杯生きた。

誰かは誰かを守る為に その命を燃やし

誰かは愛する者の為に その生涯を燃やし

誰かは…華のように儚く その命を散らした。


もう 彼女の視界は半分しか見えない。

その半分も次第に薄れ 躯の感覚など とうになかった。

痛みや恐怖は無い 深く闇に落ちる視界に ただ…一つ心残りを感じる。

『すずを…独りにさせてしまう…』そう 深く未練を感じずには居られなかった。


どうか…どうか あの娘をお願いします。

莫迦で純粋な異国の方…


そこで 彼女は意識を手放した…


遠くでナニかの気配がする。

されど彼女は もはや死体と区別もつかぬ。

意識はとおに無い。虚ろな瞳で気配に向かい手を伸ばす。


「こんなになるまで・・・・ありがとう・・・・妙ねぇ・・・すまぬ・・・・」

そっと抱きしめ・・・その首筋に・・・・牙を突き立てた・・・・


―――遠き落日

走馬灯のように懐かしき日々が廻る・・・

夢の様な日々と 悪夢の様な現実 胸の痛みと握り締めた手より流れる鮮血。

父の優しさと 母の愛 一族の誇りと 最愛の人―――

そこで夢は星空に飲み込まれた。

―――妙・・・・

「・・・・・・?」

「動けるか?」

「お嬢・・・様?」

「うむ・・・・少々屋敷を片しに戻りたいのじゃが 供を頼めるか?」

「・・・・・ですが・・・・わたくし・・・は・・・・・・?」

妙は訳が分からなかった 肉は剥がれ 骨は折れ 片目は何匹目かの亡者にくれてやった

ハズだった・・・・その手は以前と変わらず五指があり 星空を眺める両目は健在であった。

辺りは死臭に溢れ 衣服には夥しい血痕が染みついている。

だが・・・体は至って標準運転 違和感が無いどころか 調子が良いほどであった。

ただ一つ・・・・首筋に鈍い痛みがある程度である。

「車の後ろに着替えがあるであろう? その嫌味なモノをしまえ」

「・・・・・わたくしは・・・・ナゼ・・・」

「なぜ? 衣服の乱れなら 妾の仕業じゃ 許せ」

「いえ・・・なぜ生きているのでしょう?」

「妾が妙を必要だからじゃ 他に理由が要るか?」

「・・・・・要りませんね」

「うむ。では準備せよ。屋敷に帰還する 美波家当主として」

「・・・・・かしこまりました」


1945―――

その年の八月 人類史上初めての原子爆弾が帝国本土に投下される・・・

帝国がポツダム宣言を黙殺し 十一日目の事であった。

その三日後 二発目の原子爆弾の投下により 帝国はポツダム宣言を受諾する。

1945.08.15

玉音放送―――事実上ココに戦争は終結を迎えた。

尊い犠牲と 深い傷跡を残した大戦は 帝国の降伏により敗戦と言う形で幕を閉じる。

片田舎の町々も 大きな被害があり 戦後の復興は容易ではなかった。

主要都市の殆どは焼野原となり ほぼ全ての軍事兵器は解体処分となった。

帝国陸軍 海軍 空軍 全ての軍隊は解体され 軍属であった雅純らも処罰対象であったが

この時既に雅純は「名誉の死」を遂げたとされ

旧帝国帳簿には その娘『美波 すず』によって手厚く葬られたと記録されている。

「美波家」への処罰は免れ 復興に尽力を尽くす様にと 地位の剥奪も行われなかった。


―――彼女は

多くを失い 一つの希望と たった一つの命を守った。

彼女の生きた時代 決して平和ではなかった時代。

それでも愛を知り 愛に生き全てを賭け 走り抜けた。


あの櫻の下 彼女は今も 愛しき者を想う―――



――――――――― Ende ―――――――――



最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

今後のお話、まだ語りきれない沢山のお話。そんな『先』を想って頂けましたら幸いです。


ご意見/ご感想など頂けましたら、よろしくお願いいたします。