第七十四話 覚悟の決闘
ここから第十一章です
姉上が屋敷にやってきてから三日が経った。
結局、あの日はあの後すぐに姉上は屋敷を後にした。元々、新兵の練兵で来ていたためだ。一区切りついたらまた来ると言っていたため、俺たちは準備を重ねてきた。
そして昨日の夜。明日の朝、会いにいくという伝令が届いた。
いよいよ勝負のときだ。
「ど、どうでしょうか? 行けるでしょうか?」
「大丈夫です。弱気にならずに行きましょう」
「そ、そうですね」
屋敷の中庭。
そこでユルゲンはハルバードを準備していた。もちろん練習用だが、これからユルゲンはこいつで戦うことになる。
相手はもちろん姉上だ。
ここで姉上と決闘し、最低限の力はあるということを認めてもらう。それが狙いだ。
「前回のやり取りを見れば姉上は公爵を嫌ってはいません。むしろ気に入っている部類でしょう。ならば力さえ見せれば問題ありません」
そう言って俺はユルゲンを励ます。
皇帝をも巻き込んだ今回の一件。
ここでの成果次第で縁談は進む。だが、失敗すればユルゲンは大きなチャンスをフイにすることにもなる。そのせいか、ユルゲンはやや緊張気味だった。
ここまでやったわけだし、俺としてはこのチャンスを是非モノにしてほしい。というか、モノにしてもらわないと困る。
姉上の縁談をまとめれば、これから身内の問題は俺に相談されやすくなる。俺はあくまで帝位争いの協力者であり、当事者ではないから父上も使いやすい。厄介事はごめんという気持ちはあるが、有利に運ぶためには仕方ない。
なんとかして、父上の信頼が欲しいところだ。
俺とユルゲンの利害は一致している。
「勝つ必要はありません。力を見せれば認めてくれるはずです」
「そうですね。そういうお方です」
そうユルゲンが言ったとき、入口の方から足音がしてきた。
規則正しい足音と共に現れたのはリーゼ姉上だった。
姉上は中庭の中央でハルバードを構えるユルゲンを見て、呆れたようにため息を吐いた。
「出迎えがない時点で察してはいたが……またか?」
「またでございます。殿下」
「懲りん奴だな」
そう言いながら姉上は執事が用意していた練習剣を受け取る。
そしてその感覚を何度か振って確かめると、無造作に構えた。
「来い。努力の成果とやらを見せてみろ」
「はい!」
まるで教師と生徒だ。
これで縁談を申し込んだ相手と、それを断った相手というんだから呆れてくる。
二十中盤の男女にしてはあまりにも色気がない。
しかし、どこで火がつくかわからないし、火をつけるのも俺の役目だ。
「では、開始の合図は俺が。姉上に一撃でも加えればラインフェルト公爵の勝ちということでよろしいですか?」
「構わん。まぁ無理だと思うが」
「油断とは元帥閣下らしくありませんね」
ユルゲンが珍しく挑発的な笑みを浮かべる。
技量の差は埋めがたいため、挑発することを俺がすすめたのだ。
ユルゲン自身はそういう手に難色を示したが、戦略ということで納得させた。
そしてそれは見事に効果を発揮した。
「ほう? 言うようになったな? 私に油断などという言葉を使うとは、よほど自信があると見える」
「自信ではありません。冷静な判断ですよ、閣下」
「よろしい。私が油断していると言うなら証明してみろ。私は利き手じゃないほうの手だけで戦ってやる」
そう言ってリーゼ姉上は剣を左手に持ち替えて、右手を背中に回した。
その瞬間、思わず俺はガッツポーズが出そうになった。挑発されたりすれば、負けず嫌いの姉上のことだ。絶対に張り合って変な条件を出すと思ってた。
どれほどの強者でも片手で戦えば多少は鈍る。利き手じゃないなら猶更だ。それでもユルゲンと姉上の技量差は埋めがたいが、ユルゲンが一撃を当てる可能性は高まるし、姉上もユルゲンの実力を認めやすくもなる。
多少なりとも苦戦すれば認めざるをえないし、自分が出したハンデを理由にするほど器の小さい人ではない。まぁお菓子はくれないが。
「姉上。確認しておきますが、ラインフェルト公爵が姉上の納得のいく一撃を繰り出した場合も」
「もちろん認めてやる。それほどの男に成長したなら妻になってやろう」
言質は取った。
俺はわかりましたと返事をすると、両者の間に右腕を出す。
そして二人の準備が整ったのを見て、俺は合図を送った。
「始めっ!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
開始と同時にユルゲンは全力の一撃を放つ。
それを姉上は避けたりしない。利き手ではない手で、しかも重量で劣る剣でその一撃を受け止めに掛かった。
大きな激突音。
ハルバードは見事に姉上に受け止められていた。
「どうした? その程度か?」
「まさか。あなたが受け止めることは予想しておりました。あなたは逃げない方ですからね」
そう言ってユルゲンは両腕に力を込めて押し込んでいく。
さすがの姉上でも単純な力比べでは分が悪そうだ。体全体を使って、最初の一撃は受け止めたが硬直状態に入ってからユルゲンは重さに任せて押し込んでくる。
「ふん! アルの入れ知恵だな? 多少は戦術的になったようだ」
「それでどうなさいますか?」
「追い詰めたつもりか? よく覚えておけ。攻撃の瞬間こそもっとも無防備になるのだ」
そう言って姉上はフッと力を抜くと体を回転させる。
重さを支える者がいなくなったため、ハルバードは床まで一直線で落ちていく。その横で華麗な回転を見せた姉上はその勢いのままにユルゲンに一撃を加えた。
まずい。
そう思ったときに再度、激突音。
見ればユルゲンは姉上の剣を柄の部分で受け止めていた。
「ほう?」
「何も重さだけでこの武器を選んだわけではありません」
「なかなかどうして成長したじゃないか。だが、攻撃を受け止めた程度で満足か?」
二人は互いに距離を取る。
ユルゲンはゆっくりとハルバードを回し始めた。
遠心力を加えた一撃で防御ごと吹き飛ばす気か。
姉上もそれを警戒してか、ユルゲンの間合いには入らない。
だが、ユルゲンはそれを許さずに自分からじりじりと間合いを詰めていく。
「器用に回す奴だ」
「僕自身が重くなったのでね。やりやすいですよ」
「おかしな奴だ。そこまでして私を妻にしたいのか?」
「まさか。僕はあなたの隣にいたいだけです」
「同じことではないか?」
「残念ながら大きく違います。それがわからないならば、殿下もまだまだですね」
「むっ……安い挑発だな」
言いながら姉上は下がるのをやめた。
ユルゲンの挑戦を受けて立つ気だ。まったく。自分の将来がかかっているのに不利な状況に身を置くとは。
元帥として軍を指揮しているならこんなことはしないだろうが、これは個人的な戦い。
だから姉上は自分の主義を貫く。
よく姉上をわかっているなぁ。さすがに。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
ユルゲンはハルバードを大きく回し、間合いを詰める。
そしてユルゲンはハルバードの回転をうまく制御し、突きの体勢に移った。
上手い。
完全に意表を突いたはず。
そう思ったのだが。
「甘い」
姉上が突き出した剣が勢いに乗り切る前のハルバードの切っ先を抑え込む。
点と点を合わせる達人芸。
だが、それよりもどうして突きだと読めた?
あれだけハルバードの威力を意識させたし、そもそもユルゲンがハルバードを選んだのも威力と重さを重視したからだ。経緯を知っているからこそ、姉上も叩き切るような動きを予測するはずなのに……。
「なぜ……」
「ふっ、さすがにぐうの音も出まい」
「まさか……張ったのですか?」
「そんな馬鹿な真似はせん。読んだだけだ。お前はロマンチストだからな。絶対にかつて私が軽いと断じた突きで来ると思っていた。お前が私の性格を知っているように、私だってお前の性格を知っている」
「くっ……」
ユルゲンは再度、距離を取る。
しかし表情を見ればわかる。あれは秘策中の秘策。切り札だ。
それを完全に封じられてしまった。
打つ手はもうないだろう。
「終いだな。また私の勝ちだ、ユルゲン」
「……はい。負けました……」
ユルゲンは項垂れて負けを認める。
リーゼ姉上はそんなユルゲンをフッと笑って勝ち誇る。
「まぁ、悪くはなかったぞ」
「じゃあ、納得したということですか?」
「それとこれとは話が違う。私を納得させる一撃はなかった。だからユルゲンとの縁談はなしだ」
そう姉上は残酷に告げた。
ユルゲンは茫然とした様子でその言葉を聞いている。
「姉上……! 何が気に入らないんですか……!?」
「なんだ? 随分と肩入れするな?」
「肩入れもします。あれだけ努力をしているのに、無下に扱うのはやめてあげてください。気に入っているのは見ればわかります。何か理由があるなら、それを言ってあげてください。振り回される公爵が可哀想です」
俺がそう訴えるとリーゼ姉上は少し考えたあと、寂しそうにフッと笑う。
その笑みは俺が見たことのないタイプの笑みだった。
そして姉上は小さくうなずき。
「そうだな……ユルゲン。よく聞け」
「はい……」
「もう私に関わるな。迷惑だ」
ありえない言葉を口にした。
一瞬、俺は自分の耳を疑ってしまう。
今、この人は何と言った?
ユルゲンも驚いているようだ。
だが。
「……そう、ですか……ご迷惑ですか……」
「ああ」
「……身の程をわきまえず申し訳ありませんでした。以後、縁談を申し込むような真似は致しません」
そう言ってユルゲンは深々と頭を下げた。
一瞬、イラっとして姉上を見るが、すぐに苛立ちは霧散する。
姉上が見たことがないくらい沈んだ表情を浮かべていたからだ。
「では失礼する。アル、ユルゲンを頼む」
「え? ちょっ! 姉上!」
姉上は覇気のない後ろ姿を見せながら歩いていく。
振り返ればユルゲンはユルゲンで両膝をついて放心状態だ。
なんだ、この状況!?
どっちを見ればいい!?
レオがいればと思いつつ、俺はしばし二人を見比べて。
姉上の後を追った。
きっと何か理由があると思ったからだ。
本当に迷惑ならばあんな表情を見せるわけがない。