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第七十三話 崩壊の叫び


 帝国南部の街、バッサウ。南部の数ある領都の中でも、下から数えたほうがいい大きさのこの街にある小さな屋敷。

 そこでリンフィアたちの村を本来ならば領地とする領主、デニス・フォン・シッターハイム伯爵は苦境に立たされていた。


「つまり……クリューガー公爵は私を助ける気がないということか?」

「そうなりますな」


 スヴェン・フォン・クリューガーの下から来た使者の言葉を聞き、デニスは苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべる。


「では私はどうせよと?」

「事件の首謀者となっていただきたい。すべてはあなたが仕組んだこととするのです」


 そんなことを言う使者は笑顔だった。

 デニスがそれを受け入れると信じ切っているのだ。


「南部のためにか……」

「そのとおりです。あなたを含めて南部貴族の三分の一がクリューガー公爵に協力しています。多くの南部貴族を守るために犠牲になっていただきたい。もはやあなたへの追及は免れないのですから」


 どうしてこうなったのか。

 デニスは深くため息を吐いた。

 デニスは今年で三十三歳。今から十年前に領主となったが、今はそのことを恥じるばかりだった。

 最初は父の遺言だった。

 流民を帝国臣民とするという皇帝の宣言から一年後、デニスの父は亡くなった。そのとき、デニスの父はデニスに流民は帝国臣民だとしても決して我が領民ではないと言い残した。

 デニスの父はかつて暴れている流民によって足に傷を負わされ、それ以来、ずっと不自由していた。そのことからくる恨み言であり、若いデニスはそれを受け入れた。

 そして数年し、その事がクリューガー公爵に露見してしまった。事が発覚すれば領主の地位を追われると脅され、人攫い組織の手伝いをすることとなった。

 今では屋敷の地下に人攫い組織の拠点が作られており、デニスの裏切りを防ぐためにクリューガー公爵の息がかかった騎士たちが屋敷を闊歩している。

 後戻りなどできない状況まで追い詰められ、今、切り捨てられようとしている。


「私が素直に従えば、領民の安全は保障するのか?」

「もちろんです」


 使者の言葉はひどく嘘くさく聞こえた。

 かつて、デニスは一度良心から皇帝に訴え出ようとしたことがあった。そのとき、シッターハイム伯爵領は南部の貴族たちによって流通を妨げられて、農作物を荒らされるという盛大な嫌がらせを受けた。農作物は満足に育たず、流通も妨げられては飢えるほかない。

 デニスはクリューガー公爵に謝罪し、忠誠を誓った。領民を守るためだった。

 今回も裏切ろうとすれば領民がどんな目に遭うか。

 だからデニスは半ば諦めかけていた。


「ならばいい。私が首謀者ということで捕まろう」

「ありがとうございます。南部のために犠牲になったあなたを忘れはしません」

「そのような言葉はいい。素直にクリューガー公爵のためと言ったらどうだ? 南部のほとんどを掌握し、王のように振舞い、何を考えている?」

「それはあなたには関係のないことです」

「関係ないことはない。クリューガー公爵の踏み台となるのだからな。簒奪でも考えているのか?」

「ふっ……そのようなことを我が主は考えません。ただすべては帝位争いのためと言っておきましょう」

「なるほど……いざとなれば南部の反乱をチラつかせて、ザンドラ殿下を帝位につかせるつもりか。そうなればクリューガー公爵家は最有力の外戚。第五妃様のことだ。クリューガー公爵家の者を周りに登用するに違いない。たしかに簒奪ではないな。それは乗っ取りだ」


 痛烈なデニスの批判を受けても使者は動じない。別に帝国の歴史上であれば珍しいことではないからだ。しかし、そういう風に外戚を重んじた皇帝は長続きしない。ほかの貴族の求心力を失うからだ。

 そこに対してクリューガー公爵はどう考えているのか。

 人攫いの組織を裏で操り、巧みに南部の貴族を取り込んだ男だ。何かしらは考えているだろう。

 しかし、それは自分に関係ないことだ。そうデニスが自嘲したとき、使者の体からいきなり刃が生えた。


「ごほっ……」

「なっ!?」

「ごめんなさい……領主様」


 そう呟いたのは若い女騎士だった。

 オレンジに近い明るい茶髪を肩口で整えたその騎士は、デニスにとってはただの騎士ではなかった。


「レベッカ!? 何のつもりだ!?」

「こいつらの言うことを信じてはいけません! こいつらは領主様を殺す気でした!」

「なに!?」

「奴らは領主様に自白の書状を書かせたあとに殺し、レオナルト皇子に突き出す気なんです! 早く逃げましょう!」


 見ればレベッカ以外にも数名の騎士が部屋に入ってきていた。

 もはや屋敷では数少ないシッターハイム伯爵家に忠誠を誓う騎士たちだ。


「レオナルト皇子の下に行き、公爵の悪事を告発しましょう! 皇子はアルバトロ公国でも遭難者を見捨てなかったほどの人格者! きっと助けてくれます!」

「……」


 デニスはレベッカの言葉を聞いてしばし押し黙る。

 この街から逃げることはできるだろう。

 だが、果たして逃げ切ることができるだろうか。

 この重要な局面で裏切りを警戒しないわけがない。なにせデニスは一度、裏切ろうとしている。

 間違いなくレオナルトの下に向かう途中には伏兵がいる。

 デニスはそう読み、深く息を吐いた。

 そして自分の愚かさを笑った。


「はっはっは……私は駄目な男だな」

「領主様?」

「……騎士レベッカ。任務を与える」


 そう言ってデニスは部屋の隅にある床を踏む。

 するとそこがパカリと開いて、中から書状が出てきた。デニスがしたためた書状で、クリューガー公爵を始めとする南部貴族の悪行を記したものだ。

 ちゃんとデニス自身が書き、特殊な契約時に使われる魔法の血印が押されている。その血印があることでこの書状の信ぴょう性は一段増す。


「この書状を持ち、帝都へ向かえ」

「そんな!? あたしにだけ逃げろっていうんですか!?」

「お前は私の親友の娘。子のない私にとってはお前は娘のようだった……だから託すのだ。どうか帝都に向かい、この書状を皇帝陛下に」

「嫌です! あたしは領主様と!」

「ならん。お前は若いのだ。ここで命を散らすべきじゃない」


 そう言ってデニスは立て掛けてあった剣を手に取る。

 それを見て、レベッカはデニスが死ぬ気なのだと悟った。

 幼い頃に両親を亡くしてから、十数年。親代わりとなってくれた自分の主が死のうとしている。

 レベッカにはそんなこと許容できなかった。


「あたしも戦います! 育てていただいた御恩に報います!」

「死なせるために育てたわけじゃない! 生きるのだ……どうか情けない私の頼みを聞いてくれ」

「嫌です! 聞けません! せめて領主様も一緒に逃げてください!」

「多くの子供を見捨てたのだ……今更生き永らえようとは思わん。もちろん名誉の死というわけではない。もはや我が家に名誉などない。だが、せめて最後くらいは貴族としての責務を果たさねば」


 そう言ってデニスはレベッカ以外の騎士たちを見渡す。

 全員が覚悟を決めた顔をしていた。元々、死んでも領主を逃がす腹積もりだったのだ。その領主が最後にしたいことがあるというなら、止める者はいなかった。


「貴族の責務って……死ぬことが責務なんですか!?」

「違う、救うのだ。南部から集められた子供たちは一度、ここに集中する。ここでどれほどの価値があるか見定めるからだ。まだ多くの子供がこの屋敷にはいるのだ。私が逃げてよいはずがない。そうだろ?」

「でも……それなら私も騎士として!」

「騎士の務めは主の命を守ることだ。もはや我儘は許さん! 行け! 騎士レベッカ!」


 有無を言わせぬ強い口調だった。

 命令を受け、レベッカは涙を流しながら膝をついて恭しく書状を受け取る。

 そして外から足音が聞こえてきた。

 それを聞いたデニスは最後の指示を飛ばす。


「窓から出ろ。私たちが戦っている間に街に反乱だと触れ回れ。その混乱の隙に帝都へ向かうのだ!」

「はい……」


 指示を受けたレベッカは窓の傍で待機する。

 そしてデニスは扉を蹴り破ると駆けつけてきたクリューガー公爵の息がかかった騎士たちと交戦し始めた。

 その後ろ姿を目に焼き付け、レベッカは窓から外に出た。

 そして。


「反乱だ! 領主の屋敷で反乱が起きた! 皆、逃げろーー!!」


 屋敷の外に出たレベッカはそう叫びながら帝都への長い道のりを走り始めたのだった。




■■■




「うぉぉぉぉ!!」


 デニスは一人の騎士を切り伏せ、もう一人の騎士に体当たりを仕掛けた。

 すでにデニスたちは屋敷の地下に侵入していた。

 デニスに忠誠を誓う騎士たちは、デニスが思っていた以上に屋敷におり、彼らは領主のために獅子奮迅の働きをして我が物顔で自分たちの屋敷を歩いていたクリューガー公爵家の騎士たちを倒していった。


「ひぃぃぃぃ!!??」

「邪魔だ!」


 屋敷の地下にいた奴隷商人たちが腰を抜かすが、デニスはその首を躊躇わず刎ねる。

 彼らは屋敷の地下で子供たちを選別していたクリューガー家のお抱えだ。

 掛ける情けなどデニスは持ち合わせていなかった。

 そしてデニスは数名の騎士と共についに子供たちが入っている牢屋へたどり着いた。

 薄暗い牢屋の中には数十名の子供たちが首輪をつけられていた。

 不衛生な牢屋で、全員がやせ細っているのを見て、デニスはどうしてもっと早く行動しなかったのかと後悔に襲われた。


「もう大丈夫だ! 助けにきた!」


 そう言ってデニスは殺した看守から鍵を奪い、牢屋を開ける。

 だが、子供たちは端で固まったまま動こうとしない。

 それを見て、デニスは剣を鞘にしまい、ゆっくりと牢屋に入った。


「もう大丈夫だ……ここから出してあげる……」

「本当……?」


 一人の少女が呟く。

 十歳前後のその少女の目は赤と青の虹彩異色オッドアイだった。

 おそらく流民の村の子だろうと察し、デニスは唇を噛み締める。


「ああ、本当だ……」

「村に帰れる……?」

「ああ、帰れる……」

「リンお姉ちゃんに会える……?」

「ああ、会えるさ。レオナルト皇子っていう優しい人が近くまで来てる。その人が君たちを助けてくれる」


 そう言ってゆっくりとデニスは少女に近づく。

 そして汚れたその少女をデニスは優しく抱きしめた。


「すまない……すまなかった……」

「帰りたい……帰りたいよぉ……」


 すすり泣く少女の髪を撫で、デニスは深くうなずく。

 デニスはほかの子供たちも見渡し、宣言する。


「全員、帰してあげよう。必ずだ」


 その言葉に子供たちの顔に笑顔が浮かぶ。

 だが。


「そう言うわけにはいかん」

「ごほっ……」


 後ろから来た黒い服に身を包んだ男がデニスの胸を背後から貫いた。

 デニスは血を吐くが、力を振り絞って剣を引き抜き、男に斬りかかる。

 しかし、その攻撃は当たらない。

 この男は素質のある子供を暗殺者に仕立てあげる教官であり、多少の剣の心得がある程度では敵う相手ではなかった。

 ましてや胸を貫かれ、瀕死の状態では火を見るより明らかだった。

 しかしデニスは諦めない。

 諦める資格など自分にはなかったからだ。

 とはいえ。

 気持ちだけではどうにもならない実力差がそこにはあった。

 デニスは決死の覚悟で突きを繰り出す。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

「無様だな」


 その突きを躱し、すれ違うように教官はデニスの首を刎ねた。

 その首は宙を舞うと、コロコロと虹彩異色オッドアイの少女の下に転がっていた。

 自分たちを助けてくれると言った男の生首を見て、少女は一瞬何が起きたかわからなかった。

 しかし、薄く開いたデニスの目と目があった瞬間。

 淡い希望が砕け散り、恐怖と絶望が少女の心を支配した。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 少女の叫びは高く、広く響き渡る。

 それと同時に少女の両目が輝き、牢屋は黒い何かに包まれたのだった。

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