第六十話 一途な公爵
ユルゲン・フォン・ラインフェルト。二十六歳。
東部と南部の間を領地とするラインフェルト公爵家の若き当主。つまり公爵だ。
ラインフェルト公爵家は領地自体は大きくない。そもそも公爵家の中では比較的新しい公爵家だ。
とはいえ、特産物や鉱物の取引で大きく栄えており、そういう面では十分に姉上の結婚相手に相応しい結果を残している。
「とはいえ、そこまで家格を気にする人じゃないからな」
資料に目を通しながら俺はつぶやく。
ネックとなっているのはセバスが持ってきた資料に書いてある、武芸は苦手という言葉だ。
根からの軍人である姉上は、戦場で役に立つかどうかを重視する。夫にするならば単純に強い者を好むだろう。武芸に秀でているでもいいし、指揮官として優れているでもいい。とにかく戦場でアピールできる何かが必要だ。
「さて、どうするべきか」
「アルノルト様。報告がございます」
「どうした? セバス」
「皇女殿下の縁談相手であるラインフェルト公爵が帝都にお忍びで来ているそうです」
「はぁ!? 仮にも公爵だぞ!?」
「フットワークの軽い方だそうで、非公式に陛下にお礼を申し上げにきたそうです」
「お礼? 縁談を受け入れたことにか?」
「それが……ラインフェルト公爵は幾度も縁談を申し込んでいたそうです。その、十年以上前から第一皇女殿下に」
……十年以上前?
なんだ、それ。
ずっと片思いしててアタックし続けたのか?
そういう話が表に出なかったということは断られ続けたということだ。あの父上のことだ。姉上に話をもっていかないわけがない。つまり。
「十年以上、姉上はラインフェルト公爵を振り続けてるのか!?」
「そうなりますな」
「そうなりますなって……そんなのもうノーチャンスだろ!?」
「おそらく第一皇女殿下に縁談を持ちかけた公爵家はかなりあったはずです。そして今に至るまで断られても申し込み続けるラインフェルト公爵に心打たれ、皇帝陛下も積極的に動いたのではないかと」
「積極的に動いて断られたから俺に丸投げしているんだ。美談みたいに語るな」
予想外に無理難題だぞ。これは。
一体、どんな人なんだ? ラインフェルト公爵って。
よほど姉上の好みから外れているんだろうな。
「しょうがない。俺も会う」
「それしかないでしょうな。おそらく皇帝陛下もそう思っているはずです」
そう言った瞬間、扉がノックされた。
おそらく父上からの呼び出しだ。
さて、未来の義兄上候補に会うとするか。
■■■
うわぁ、きついなぁ。
それがユルゲン・フォン・ラインフェルトを見たときの第一印象だった。
父上がお忍びでユルゲンと会ったあと、俺もユルゲンが滞在している部屋を訪ねていた。
「お初にお目にかかります。アルノルト殿下。僕はユルゲン・フォン・ラインフェルト。少し前にラインフェルト公爵位を父より譲り受けました」
そう言って人の良さそうな笑みを浮かべるユルゲンの身長は俺より少し小さかった。
俺が平均くらいだから成人男性としてはやや小さいといったところか。
問題なのは横幅だ。確実に俺より体重があるだろうな。
見た目の印象は小太りの子熊って感じだ。人の良さそうな笑みを見ていると優しそうと感じるが、残念ながら姉上の好みとは真逆だ。
顔も不細工というわけじゃないが、特別イケメンというわけではないし、外見面ではかなり辛い。
「こちらこそお初にお目にかかります。第七皇子のアルノルト・レークス・アードラーです」
自然と敬語が出たのは人の良い笑みと雰囲気をユルゲンが持っていたからだろう。
この人相手に高圧的に出るのはちょっと俺には無理だ。
たぶん見た目どおりすごい良い人だ。それがにじみ出てる。
だけどなぁ。
「皇帝陛下より、アルノルト殿下がリーゼロッテ殿下との仲を取り持ってくれると聞いたのですが、それは真ですか?」
あの父はまた余計なことを……。
リーゼロッテ・レークス・アードラー。
第一皇女にして元帥。
皇族最強の将軍だ。
そんな相手との仲を取り持つとか俺にはだいぶ無理難題なんだが、理解しているんだろうか。
「ええ、まぁ……皇帝陛下からそう言いつけられていますが……」
「ならば安心だ。リーゼロッテ様はご兄弟の中ではクリスタ殿下とあなただけに心を開いていると聞いています」
「……失礼ですが、それは誰に聞いたのですか?」
「ご本人ですが?」
「……リーゼ姉上と連絡を取っているのですか?」
なんとなく嫌な予感を覚えた。
リーゼ姉上が皇族内で心を許しているのはたしかに俺とクリスタだけだ。
常に戦場にいたリーゼ姉上が帝都にいることは珍しい。だからリーゼ姉上はわりと手紙を出してくる。
かつては俺とクリスタ、そしてレオに手紙を送ってきたが三年前からレオには一枚も手紙を送ってこなくなった。
なにがあったのかレオに訊ねても答えないし、姉上も説明しない。
これを知っているのはごく一部の人間だけだ。
それを本人から聞くとか、この人はどういう立ち位置なんだ?
「ええ。僕のほうから手紙を何度も送らせていただいているので。最初は文通友達からと思ったのですが、意外に上手くいかないものですね。だいたい三通送ったら一通返ってくるかどうかですね」
「な、なるほど……」
い、意外に行動派だな。
あの姉上にそこまで積極的にアタックできるなんてある意味猛者だ。
とても真似できない。しかも三通送って一通返ってくるって、二通スルーされるってことじゃないか。耐えられないぞ、俺には。
「皇帝陛下から僕とリーゼロッテ様の出会いを聞いていますか?」
「いえ、父からは何も……」
「あれは二十年前のことでした」
「二十年!?」
出会いから二十年って。
この人、六歳頃から姉上と知り合いなのか!?
「ええ、僕が初めて帝都に来たとき、貴族の子供たちによる剣術大会がありましてね。しかし僕の相手は大柄で年上でした。完膚なきに打ち負かされた僕は、不公平だと泣いていたのですが、そこに小さな女の子がやってきて、こう言ったんです。努力もせず勝とうとするのが悪い、と。年も体格も関係ない。向こうのほうが努力している太刀筋だった、と。その少女は大会に飛び入り参加すると見事に優勝してしまいました。そこでようやく僕はその女の子が当時、五歳のリーゼロッテ殿下だと知ったのです。自分の未熟を棚上げし、泣いていた自分が無性に恥ずかしくなる一方、僕はリーゼロッテ様に見惚れてしまっていました。あの姿はよく覚えています。とても綺麗でした。今でも世界で一番綺麗な方だと思っています」
「……つまり一目惚れしたと?」
「ええ、そのとおりです。僕は一目で心を奪われたんです」
恥ずかし気もなくそうユルゲンは言い切った。
この人……意外なほど積極的か?
「それでその大会の後、僕はすぐに求婚しました」
「ん? え? え? その場でですか?」
「ええ、この人しかいないと思ったので。ビビッと来たんです。ただ容赦なく断られました。そして言われたんです。私に相応しい男になったら考えてやると。だからこの人の横に立てるほどの男になろうと決意しました。そこからはとりあえず実家を大きくすることから始めました。僕は武芸は全然駄目だったので、商いを学び領地を豊かにしました。そして成果が出始めた十五の頃。もう一度、求婚にいきました。今度は皇帝陛下を通じての縁談申し込みでした。しかし答えはノー。その後はその繰り返しです」
ユルゲンは苦笑するが俺はとても笑えない。
二十年も片思いしてずっと姉上を想っているのか。
柄にもなく感動してしまった。世の中にはいるんだな。立派な人が。
ただ残念ながらそれだけ駄目ならもはや望みはない。姉上は考えを変えない人だからだ。
「個人的に手紙を送ってみたり、貴重な剣を贈ってみたりしたんですがあまり効果はありませんでしたね。僕自身も軍に入ってみたのですが、すぐに追い出されてしまいました。どうやらリーゼロッテ様の耳に入ってしまったようで。それ以来、僕は軍の敷地には近づけないんです」
「……どうしてそこまでするのですか? 姉上が魅力的な女性だからですか?」
「そうですね。そうなのでしょう。あの方はお綺麗でお強い。僕の理想の女性だから僕も好きになったのでしょう。ですが、今はそういうの関係なく、リーゼロッテ様が好きなのです。愛しています。どうかお力添えを。僕はあの人しか愛せません」
お、重い……。
なんて重さだ。
二十年の片思いとか、普通は諦めるぞ。
断り続ける姉上も姉上だが、めげないこの人もわりとどうかしてる。
おそらく現在、姉上に求婚している公爵はこの人だけなのだ。この人が諦めれば、姉上の結婚はとんでもなく遠くなる。だから父上は焦ってこの縁談をまとめようとして俺に話を持ってきたんだろうな。
良い人だ。
それはわかる。二十年も姉を想ってくれているのは弟として嬉しいし、相応しい男になろうと色々とやって成果を出しているのもすごい。
たぶん姉上以外に目を向けることができたなら、嫁には困らないだろう。
それでもこの人は姉上以外見ない。
愛している。その言葉に真摯だからだ。
はぁ……難儀だな。
どうも一生懸命な人は放っておけない。
そういう性分なのかもしれないな。
「わかりました。やれることはやります。ですが期待はしないでください」
「いえ! 真に心強い! 大抵、手紙の返信がくるときは帝都に行くと伝えたときなのです。会わなくてもいいから、あなたやクリスタ殿下の様子を見聞きしてほしいとリーゼロッテ様は書いていました。文章からわかります。あなた方のことを心配しているのだと」
「そう、ですか……あの姉上が」
かつてはその中にレオも入っていた。
この問題に本格的に取り組むならそういうことも聞かなきゃ駄目かもしれない。
覚悟を決めて俺は深呼吸をする。
失敗しても父上は怒らないだろう。だが、花嫁姿が見たいというなら見せてやりたい。
この一途な公爵の力にもなってやりたい。
「ラインフェルト公爵。俺はあらゆる手を使って、あなたのことを姉上にアピールします。その対価として」
「帝位争いへの助力ですね。承知しました。元々、レオナルト殿下が帝位争いに名乗りをあげたと聞いたときから、あなたも参加したのだろうと思っていましたし、御助力するつもりでした。微力ながらラインフェルト公爵家はあなた方を支援しましょう。成功しなくてもこれは変わりません」
「それなら話は早い。では作戦会議といきましょうか。姉上は強敵ですからね」
そう言って俺は笑いながらユルゲンと会議を始めたのだった。
というわけで今度は恋物語で暗躍ですね笑
果たしてユルゲンの恋は実るのか!
現実でここまで積極的にアタックすると嫌われそうですけどね笑
すべて愛ゆえなのです!