第三十二話 できない決断
まずひとーつ!
「殿下。容態が不安定な者が多すぎます。ここではできることが……」
初老の船医がそう報告してきた。
どうにか公都の目前まで来たが、長く漂流していた生存者の中には容態がまずい者が多かった。そもそも漂流前に怪我をしている者もいたし、それに加えての漂流だったのがまずかった。
俺も治癒魔法は使えるが、治せるのは怪我だけだ。病気や内面の異常は専門外だ。
「わかってます。どうにか持たせてください」
「もちろん全力を尽くしますが……保証はしかねます」
「わかりました……苦労をかけます」
「いえ、殿下ほどではありません」
船医はそういって部屋を出ていく。
それを見て、俺は盛大な舌打ちをした。
そんな俺にたいしてマルクが苦笑する。
「こればかりは仕方ありません。船医に任せるほかないでしょう」
「仕方ないで済ますな。俺は言ったはずだ。今、生きている者は絶対に死なせないと」
「しかし……我々にも限界があります。何もかも救うことは不可能です」
「諦めたら不可能だが、諦めなきゃどうにかなる。世の中、大抵のことはどうにかなるように作られてるんだ。全人類の人口を考えればたかが数人の命。救えるように作られてないなら、この世界は理不尽だ。なにせ俺たちはもう対価を払った」
そう言って俺は捨ててきた財宝を思い出す。
あー、もったいない。あれがあればいろいろできただろうに。
まったくもってもったいない。マルクには惜しむなと言ったが、惜しくないわけがない。
あれに取って代わる価値が生存者たちにあるだろうか? いやない。これは断言できる。彼らを助けたところで帝国に利益はなく、帝国に利益がないなら評価されないからレオにとっても価値はない。
それでも助けたんだ。損を承知で助けた。彼らの命を俺は多くの財宝で買ったんだ。なら彼らの命は俺のものだ。勝手に取られてたまるか。
「そろそろだな。甲板に上がるぞ」
「ですね。そろそろ防衛ラインに引っかかる頃です」
そうマルクが言った瞬間、声が俺たちに届いてきた。
拡散された声特有のノイズが若干混じっている声だ。
「接近する帝国船へ告げる。目的を明かされよ。我が国は貴国から何の連絡も受けていない。繰り返す。目的を明かされよ。我が国は貴国の船が来ることを知らされていない」
公都を警備をしていた軍船だ。
情報のない帝国船を見つけて、こちらに情報を求めてきたんだろう。
いきなり発砲しないあたりはさすがはアルバトロ公国の海軍だ。教育が行き届いていて助かる。
甲板に上がった俺は魔導具の受話器を取る。
「僕の名は帝国第八皇子レオナルト・レークス・アードラー。ロンディネ公国に向かう途中、海難事故に遭遇した貴国の船を見つけ、生存者を約八十名救助した。その中には貴国の公女殿下と公子殿下も含まれている。入港許可をいただきたい」
魔導砲がギリギリ届くかどうかの距離にいた軍船が目に見えて慌ただしくなる。
出航した三隻の軍船が帰還していないことは彼らも承知だろうし、そこにエヴァとジュリオが乗っていたことも知っているからだ。
その間も俺たちは港へ向かって進行していく。
少しでも近づいておけば、それだけ早く生存者は陸に上がって専門的な治療を受けられるからだ。
「貴船の目的は了解した。安全のため、貴船に本当に生存者がいるのか確認させていただきたい。ですので停船を」
「了解した。それと容態が不安定な生存者が数名いる。彼らはすぐに治療を必要としている。彼らだけでも貴船に移して、すぐに港へ運んでいただきたい」
「了解したいところですが、決まりにより許可がなければ貴船に乗っている者を港に入れることはできないのです。公王陛下の判断をお待ちいただきたい」
何を悠長な!
思わず近づいてくる船を睨んでしまう。
今は間諜のことを考えている場合じゃないだろうが。
こっちにはジュリオやエヴァもいる。彼らと一緒にいるのが船の乗組員だったことの証明だろうが!
「公女と公子は?」
「まだお目覚めにはなっていません……」
「ちっ!」
ここで二人のどちらかが意識を保っているなら、独断で港へ入ることを許可してもらうという手もあったが意識がないのでは手の打ちようがない。
このまま許可待ちでここにいるのか?
一体、城から港までどれほどかかる? 公王の決定はどれくらいで下る? それから移送して間に合うのか?
時間との勝負だというのに、面倒な手続きが俺たちの前に立ちはだかる。
「もはや向こうの問題です。我々がどうこうする問題ではありません。ここまで運んできた時点で、彼らへの責任は向こうに移っているのです」
「そんなのは今に始まったことじゃない……! 初めから向こうの責任だ! そこに首を突っ込んだ以上、最後まで面倒は見る!」
俺はマルクにそういうと受話器をきつく握りしめる。
ここで無理やり進めば、アルバトロ公国の軍船は俺たちを攻撃せざるをえない。
やはり向こうに動いてもらうしかないか。
「どうか聞いてほしい。死にかけている者がいる。地獄のような漂流をなんとか生き延びた者たちだ。その命を救えるのはあなた方しかいない。どうか入港許可を待たず、彼らを運んでほしい」
「……我が国の者のためにそこまで言っていただけること、感謝に堪えません。しかし決まりなのです。許可なき船に乗っていた者を港に入れる場合は、たとえ公族の方でも公王陛下の判断を仰がねばなりません」
「その船の船長は……?」
「私です。殿下」
「……船長。僕は多くのモノを犠牲にして彼らを助けた。危険も冒した。今も冒している。理由は一つ。彼らを死なせたくなかったからだ。海に生きるあなたならば漂流がどれほど恐ろしいことかわかるはずだ。どうか英断を」
俺の言葉を聞き、船長の返答が遅れる。
向こうの船は着々と進んでいるが、おそらく悩んでいるんだろう。
そして。
「……殿下。出航した三隻には二人の息子が乗っておりました。今は生きていることを強く願っております。しかし……私は軍人なのです。たとえ何があろうと決まりには逆らえません。お許しを」
「分からず屋が……!」
「殿下。ここまでです。もう我々には」
半ばキレ気味の俺は受話器を投げつけた。
マルクが俺を諭そうとしたとき、船医が悲鳴のような声をあげる。
「殿下! 容態が!」
急変したのだ。
そう悟った瞬間、俺はすぐに決断した。
「船長! 港へ入港する!」
「はいぃ!? 何言ってるんですか!? 入港許可は出てませんよ!?」
「わかってる。けど、入港して専門的な治療を受けさせないとまずい」
「ま、待ってください! そんなことしても公国は感謝しませんよ!? 向こうの決まりなんです! ここは公国。公国のルールがあります!」
「従っていたら人が死んでしまう」
「公女でも公子でもありません! 政治的価値のない乗組員です! そのために公国の警告を無視して、無許可で入港すると!? 撃沈されても文句は言えませんよ!?」
「公子と公女がいる以上、撃沈はされない。今は目の前の命を助けることに全力を注ぐ。命令は変えない。入港だ」
俺の決断に誰もが押し黙る。
ただ一人、マルクだけが顔をよせて小声で俺を諭す。
「やりすぎです……! レオナルト皇子はここまでしません……! いえ、レオナルト皇子にはそのような強引な手段は取れません……!」
「ああ、そうだろうな。だからどうした……?」
「どうしたって……」
「いい機会だ。レオの代わりに多くの者に印象付けてやる。レオナルト・レークス・アードラーは決断したら止まらないと。ただの甘ちゃんではないのだと。それがレオ本人にできない決断だったとしても、そういう評判があればレオへの見方が変わる」
「そのようなことをすれば、より難しい決断をレオナルト皇子はいつか迫られます……!」
「平気さ。俺の弟だ。俺にできてあいつにできないことなんて何一つとしてない」
断言し、そして目で威圧する。
押し黙ったマルクの横を通り、俺は船長に向かい合う。
船長は複雑そうな表情を浮かべていた。
「お分かりですか……? 殿下。たしかに敵は撃ってこないでしょう。ですが、入港したが最後です。逃げられません」
「分かっているよ」
「あなたが一番まずい立場に置かれます! ここで入港すれば不法入港で最悪、投獄されますよ!? ここは海上で食料や水を受け取り、ロンディネに向かうべきです! 数人の命のためにあなたが危険を冒す必要はないでしょう!?」
「僕らにとって数人でも、彼らの家族にとっては大切な一人だ。それに決めたんだ。助けると決めたときに見捨てないと。ここで見捨てたら、この船のすべての乗組員を危険に晒したことが無意味になる」
「……帝位争いをされているのでしょう? 政治的材料にされれば皇帝の座は遠のきますよ?」
「それはそのとき考えるよ。どうか命令を聞いてほしい、船長。この船はあなたの船だ。すべての乗組員はあなたに命を預けている。そんなあなたから舵を奪い、勝手に船を操作する無礼をさせないでほしい」
船長はしばし考えこむ。
しかし、一度フッと笑うとスッキリした笑みを見せた。
「あなたのことを甘ちゃん皇子だと思っていました。ですが……それだけではないようだ。あなたのことが少し好きになってきましたよ。総員! 入港準備! これより我々は入港する!」
船長の決断に乗組員たちも応じた。
帆を張り、進み始めた俺たちに向かって公国船が呼びかける。
「お待ちください! 殿下! 何をなさっているのです!?」
「これより我々は入港する。もはや一刻の猶予もないんだ」
「そのようなことを見逃すわけには参りません! 不法入港するというなら私は公女殿下や公子殿下が乗っているとしても貴船を撃沈させます!」
そう言って公国船が並走するような形をとった。
向こうの魔導砲が俺たちに向く。同時に港全体にサイレンが鳴った。緊急事態を告げるサイレンだろうな。
港からは続々と軍船が俺たちのほうへ向かってきている。
そんな中、船長が舵を取りながら提案してきた。
「殿下! 私に妙策があります!」
「どんな案だい?」
「白旗をあげます」
それを聞いた瞬間、乗組員たちは一斉にギョッとした表情を浮かべた。しかし船長は楽しそうだ。
俺はその提案に苦笑する。まさか海軍側から提案してくるとはな。
「我が帝国海軍が一度も白旗をあげたことがないのは承知の上で言ってるかな?」
「無論です。記念すべき第一号船は我々です」
「たしかに白旗をあげた船を撃つことはないだろうけど、必要かい?」
「あれだけ船がいれば中にはとんでもなく頭の固い船長もいるでしょう。用心のためと、向こうにも言い訳を用意してあげましょう。同じ船長として彼らの辛さもわかりますから」
「そうか……では白旗をあげてくれ。僕は僕のできることをする」
すると心得たとばかりに乗組員がスルスルと白旗をあげた。
それに驚いたのは公国船だった。
帝国は大国だ。その帝国が一隻とはいえ公国相手に白旗をあげる。それは大事件なのだ。
そんな彼らに追い打ちをかけるようにして、俺は音量を最大にして港全体に呼びかける。
「港にいるすべての者に告げる。僕は帝国第八皇子レオナルト・レークス・アードラー。現在、我が船は漂流していた貴国の船の生存者を乗せている。生存者の一部の容態が悪化したため、これより港へ不法入港する形をとるが、我が船に攻撃の意思はない。もしも港周辺に医師がいれば協力してほしい。ほかの者もできるなら温かい飲み物や食べ物を用意してほしい。彼らは地獄を生き延びた。どうか手を差し伸べてあげてほしい。そして――周辺にいるすべての公国海軍の船長たち。今、危機にあるあなた方の同胞の生命はあなた方の判断にゆだねられている。精鋭たる公国海軍の船長たちの賢明な判断に期待する」
俺の呼びかけを聞き、港が騒がしくなる。
同時に行く手を阻もうとしていた船が動きを止める。
そして数隻の公国船とゆっくりとすれ違いながら、俺たちは公都の港へと入港した。
「負傷者たちの搬送を最優先にしろ! とにかく急げ!」
指示を出すと乗組員たちが負傷者を運び出す。
そんな彼らを手伝おうと港には多くの人が集まっていた。
当たり前だ。ここには彼らの家族がいるのだから。
「急げ! 道具の揃った場所が必要だ!」
「私の医院には揃っている! こっちへ!」
「温かい飲み物よ! 食べ物もあるわ!」
生存者たちを降ろすと彼らは温かい食事にありつけた。俺たちも彼らに食べ物は与えたが、陸地で食べる温かい物は彼らの心すら温めたのだろう。
だれもが泣きながら食べていた。
「これで一段落ではありますが……捕虜ですね」
「そうだなぁ。白旗あげたしな」
遠くから鳴り響く馬の足音を聞きながら、俺は空を見上げる。
全権大使でありながら捕虜というのは前代未聞だ。しかし、醜聞にするか美談にするかはこれからの行動次第だ。
「行くぞ。海竜について公王と話す必要がある。向こうもそれを望んでいるだろうしな」
そう言って俺はマルクを引き連れてアルバトロ公国の大地を踏んだのだった。