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第二十七話 誰にでも苦手なものはある

ここから第五章です。



 フォーゲル大陸は翼を広げた鳥と評されることがある。

 左右に広がった大地と上下に少し飛び出た大地が、翼と頭と尻尾に見えなくもないからだ。

 そんなフォーゲル大陸の中央、つまり胴体部分を領土とするのが俺たちアードラシア帝国だ。

 そしてそこから俺とレオが派遣されるのは尻尾の部分。

 大陸南にあるその国の名はロンディネ公国。尻尾部分にある二つの国の一つだ。


「南部戦国時代を勝ち抜いた二つの国の一つか……」


 これから向かう国の資料を読む俺がいるのは船の上だった。

 全権大使であるレオをトップとする帝国使節船団だ。二隻からなり、それぞれロンディネに対する手土産を積んでいる。

 一応、片方にレオが乗り、もう片方に俺が乗っている。万が一、事故が起きたときのためだ。まぁここらへんはそれなりに穏やかな海だし、万が一なんて起きるわけないんだが。

 俺が乗っている船に一人だけ壮絶に震えている奴がいる。


「こんな穏やかな海で震えてたら他所の海に行けないぞ?」

「い、行かなくていいわよ……」


 ベッドの上で布団をかぶって震えているのはエルナだった。

 どうしてこいつがここにいるのか、そして震えているのか。

 まぁ話したところで長くはならない。

 単純に全権大使の護衛には慣例として近衛騎士が当てられる。それに兄姉がエルナを推挙しただけの話だ。俺たちに協力的な人物は一人でも帝都から引き離したかったんだろう。まぁその程度のことは見越していたし、備えとしてフィーネの傍にはリンフィアを置いてきた。大丈夫だろう。

 まぁ聖剣を使える勇爵家の者を国外に派遣するというのはかなり問題があるんだが、それはそれで今回の親善への本気度を示せるという利点もある。

 結局、父上も三人の推挙を受け入れた。父上自身も一つの手として考えていたんだろう。

 ちなみに問題というのは、そもそも聖剣を使える勇爵家の者は帝国の最重要戦力の一つ。それが派遣されてはほかの国では防ぐ手段がない。そういう意味での問題が一つ。もう一つは国外では皇帝の許可なく聖剣を使えないということだ。これは勇爵家の者が裏切ったりして他国に渡ったときのために、初代勇爵が付けたセーフ装置だ。

 これについてはあまり知られていない。そもそも勇爵家の者が国外に出ることは珍しいからだ。


「呪ってやるわ……! 恨んでやる……! あの三人、絶対に許さないわ……!」

「ガタガタ震えながら言っても説得力ないけどな」


 んで、こいつがどうして震えているかというと、普通に海が怖いからだ。

 エルナは風呂は平気だが、川とか海とかは駄目なタイプの人間なのだ。水恐怖症と言ったやつだな。完璧に近いエルナにとって唯一の弱点といってもいい。正確には負けず嫌いなエルナが克服できなかった弱点というべきか。

 海を見ると不安感から吐き気、めまいに過呼吸の症状が出てくるし、船に乗ったら乗ったで異常な恐怖で体の震えが止まらなくなる。これで外に出て大海原を見たらたぶんショックで気絶する。


「しかしまぁ、よく今までバレずにいられたな? てっきりバレてるもんだと思ってたぞ」

「せ、聖剣を持つ勇爵家の人間は滅多に国外に出ないもの……帝国は陸地が多いし、わかっていたから十二歳の時に死に物狂いで聖剣を召喚できるようにしたのよ……船乗りたくなかったから……」


 エルナはホロリと小さく涙を流す。

 そんなしょうもない理由で聖剣を召喚したのはエルナが初めてだろうな。しかもその努力が水の泡とか笑えてくる。


「い、今笑ったわね……!? 幼馴染が怖がってるのにひどいわよ……!?」

「その水恐怖症になった経緯を思い出せば笑うだろ。特に俺は」

「あ、アルにも責任の一部はあるのよ……!? 私が水を怖くなったのはアルが溺れたところを見たからなんだから……!」


 そのとおり、八歳ぐらいの頃。俺はエルナと一緒に風呂へ入っていた。そのとき、なにかエルナの気に障るようなことを言ったようで、俺はエルナのボディーブローを喰らう羽目になった。そしてそのまま気絶して風呂の中に沈んでいき、溺死しかけたわけだ。

 そして何を血迷ったのか、こいつはその様子を見て水が怖いと思ったようで、水恐怖症になった。

 過去最高に理不尽極まりない理由だ。どんな暴虐な王でもここまで理不尽ではないだろう。


「自業自得だし、あれなら俺が水恐怖症になってもおかしくなかった。天罰だ、天罰」

「ううぅ……あんまりだわ……」


 いつになく弱弱しい感じでエルナが半泣きになる。

 まったく、そんなに怖いなら辞退すればいいものを。

 なんでついてきたんだか。


「父上に言えば考慮してくれたと思うぞ?」

「ゆ、勇爵家の跡取り娘が海が怖いなんて知れたら醜聞じゃない……! そ、それに海が怖いって言ったらなんか負けたみたいじゃない……」

「何と勝負してるんだよ、お前は……」


 呆れていると船が少し揺れた。

 それは大した揺れじゃなかったが、エルナには衝撃的な揺れに思えたらしい。


「きゃぁぁぁっっ!!?? 痛い!?」


 小さなベッドの上で転がったあげく、頭を打って蹲っている。

 その様子は陸地では絶対にありえないもので、新鮮だから気分がよかった。


「お前、水の上じゃ本当に役立たずだな。ここで海賊にでも襲われたら一巻の終わりだな」

「ば、馬鹿にしないで……! いざとなったら……! きゃぁぁぁ!!?? 今の揺れは大きかったわ!? 船の底に穴が空いたんじゃないのかしら!?」

「いざとなっても役立たずだろうな。空くわけないだろ。海竜でも出現すれば別だろうがな」


 海の上で一番恐ろしいのは海の王者である海竜だ。

 海に適応した竜であり、ただでさえ最上級モンスターである竜が海で暴れまわるのだ。その恐ろしさは陸地以上だ。船を沈められて死んでいった船乗りは数知れない。

 海戦を行っていた二つの国の艦隊がまとめて沈められたことだってある。当然、その恐ろしい話はエルナも知っていたのだろう。

 海竜の話が出た途端、完全に心が折れたような表情を見せた。


「私……ここで死ぬの?」

「死ぬわけないだろ、あほ。もはや別人だな。近衛騎士としてどうなんだ、それ。任務に支障が出るのに引き受けちゃあかんだろ」

「だってぇ……」

「はぁ……」


 まぁ弱みを見せたくないって気持ちはわからんでもない。それに海の上で戦闘をするわけじゃないし、わざわざ護衛が厳重な使節船を襲う海賊もいない。

 陸地に戻ればいつものエルナだろうし、イジメるのはこのくらいにしておくか。

 いつもの仕返しをしてすっきりした俺は、エルナに内緒で結界を張る。外部と遮断する結界だ。これで少しは揺れもましになるだろう。普段ならとても使えないが、今のエルナじゃ気づくことはないし平気だ。 


「す、少し揺れが収まったみたいね……」

「元々大して揺れてないけどな」

「あ、アルは鈍感すぎなのよ……。もしも船が沈んだらとか考えないの?」

「帝国の使節船が沈んだのは長い歴史で二回しかないぞ」

「だけど三回目が今日じゃないって保証はどこにもないのよ……?」


 いつもとは違い、面倒なくらいマイナス思考だな。なんで安心させるために言った情報で怯えてるんだ?

 もう何か言うだけ無駄だな。好きなだけ怖がらせておこう。

 そんなことを思っていると、控え目なノック音が聞こえてきた。

 エルナはそのノック音にすらビクリと反応する。返事ができる状態ではないので俺が代わりに返事をする。

 するとエルナの部下である壮年の騎士が入ってきた。


「どうぞ」

「失礼します……あの、隊長は?」

「い、生きてるわ……」

「甲板に上がれますか?」

「私に死ねと言いたいの……!? 風で飛ばされたら溺れるじゃない……!」

「お前の中では外は嵐か何かか? 今日は晴天だぞ。まったく……見ての通りだ」


 呆れて部下を見ると向こうも苦笑している。さすがに直属の部下は知っているらしい。まぁ隠し通せるわけがないしな。


「ではご報告だけ。アルバトロ公国の船が会談を求めています。一応、我々もレオナルト皇子の船も錨を降ろしましたが、どうしましょうか?」

「アルバトロ公国か。もうあの国の海域に入ってたんだな」


 アルバトロ公国はロンディネ公国の隣にある国だ。海洋国家であり、手広く海洋貿易をしている国でもある。かつて帝国が他国と戦争中に、その他国へ協力したため帝国とは疎遠になっている。

 このタイミングで会談とはな。ロンディネに行ってほしくないんだろうな。会談といいつつ、実質は臨検だ。


「き、騎士は全員、部屋の中へ……刺激するのはよくないわ……」

「賛成だな。レオは何と言ってる?」

「それが……レオナルト皇子も気分が悪いようでして……それで隊長に意見を訊こうかと」

「はぁ……仕方ない。俺がレオのフリをして対応する」


 そう言って俺は部屋を出た。

 隣にはレオが乗る船がある。このまま会談を受けるサインを出せば、アルバトロ公国が乗り込んでくるだろう。

 まぁさすがに帝国の使節船を隅々まで調べるってことはないはずだし、大丈夫だろう。

 隣の船に移ると俺はレオの部屋へ向かう。

 そこには少し青い顔のレオがいた。さすがにこの顔で会談は受けられないな。


「よう、具合悪いらしいな? 船酔いか?」

「うん……そうみたい……」

「エルナじゃあるまいし、しっかりしろよな」

「ごめん……」

「今は俺がお前のフリをしてやる。お前は適当に隣の船で休んでろ」

「でも……」

「いいから行け。アルノルト皇子が気分悪くなったって言っておいてくれ」

「ですが、そのようなことを言えばまた殿下の評判が……」

「いいんだよ。今更変わらないから」


 エルナの部下に伝えると、俺はレオを隣の船に移す。もちろん周りにはアルノルト皇子としてだ。

 残った俺は髪と服装を整えて、締まった表情で部屋の外へ出る。


「会談の申し出を受ける。準備してくれ」

「はっ」


 こうして俺は海の上でレオと入れ替わったのだった。

さて、これから異国でどう立ち回るのか。

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