第十五話 貴き者
「怖い……!」
「大丈夫ですよ。皇女殿下。すぐに騎士さんたちが来てくれますから」
屋敷の中でそうクリスタを宥めたフィーネは、優しくクリスタの髪を撫でる。
そんなフィーネのところに侍女たちが困ったような顔でやってきた。
「ふぃ、フィーネ様……あの……」
「どうかしましたか?」
「それが……領民の多くが屋敷に入りたいと……」
皇帝の命により領民たちは家や宿屋から出ることを禁じられている。
しかし、近くで戦闘が起きて不安から安全と思われる屋敷に入りたいと思ったのだろう。
そのことを責めるようなことをフィーネはしなかった。
「領主様の奥様は?」
「判断しかねるのでクリスタ皇女とフィーネ様にお任せすると……」
「そうですか……殿下。どうされたいですか……」
「……わからない……でも、怖い……」
不安からフィーネの服をギュッとクリスタは握る。
その小さな手を握り返し、フィーネは諭すように言葉を返した。
領主は皇帝と共に戦っている。その奥方が決定をゆだねた以上、ここではクリスタの意見が優先されるからだ。
「なるほど……。では同じ思いをする人たちを見捨てますか?」
「それは……駄目……」
「なぜです?」
「……兄様が怒る」
「ええ、そうですね。では老人、子供、病人を優先して屋敷に入れます。うるさくなりますが構いませんか?」
「大丈夫……」
「少し外します。それも構いませんか? 皆、不安なのです。安心させなければ」
「……うん……」
顔に嫌だと書いてあったが、フィーネは笑いながらクリスタを椅子に座らせて、その場を侍女に任せた。
そして屋敷の入り口へと向かう。
そこでは警備に残った僅かな兵が剣を抜いて民に向けていた。
「早く家に戻れ! 陛下の命令が聞けないのか!?」
「頼むよ! 入れてくれよ!」
「このっ!」
「やめなさいっ!」
今にも一触即発の状態の中、フィーネはぴしゃりと兵士たちを一喝した。
フィーネ自身、立場は公爵の娘だが蒼鴎姫としての知名度と皇帝自らが皇族と同等の待遇を施していた。
この場においては皇族クラスの発言力があったのだ。それ故に兵士たちはすぐに剣を置いてフィーネに跪いた。
「ふぃ、フィーネ様……」
「剣を抜く相手は民ではありません。そうでしょう?」
「はい、おっしゃるとおりです。軽率でした……」
兵士の言葉に満足したフィーネは門の前に群がる民を見た。
その数は百や二百ではくだらない。
平民もいれば旅行に来た貴族、商人の姿も見える。誰もが不安を顔に浮かべていた。
「私はフィーネ・フォン・クライネルト。
そう言ってフィーネは蒼い鴎の髪飾りを指さす。
それは皇帝が贈った絶世の美女の証。
皇帝が娘のように寵愛する公爵の娘だと理解した民は、一斉に跪いた。
しかし、そんな中、民をかき分けて前に出てくる青年たちがいた。
「おお! フィーネ嬢! 私です! ギードです!」
フィーネにとってそれは最も聞きたくない声だった。
アルノルトを殴るという、フィーネにとって看過できぬ行いをしたアルノルトの幼馴染。ギード・フォン・ホルツヴァートとその取り巻きがフィーネを見つけて、笑顔を見せていた。
民をかき分け、自分たちが入れると疑わない身勝手さ。戦いにいくわけでもなく、ただ安全な場所で偉そうにする姿。
それを見て、自分の中に流れる貴族の血が穢されたような気がフィーネはした。
父を見てそんな思いになったことはない。ぐうたらな兄ですら、危機に際して自分だけ助かろうなどと行動したりはしない。それをしては貴族の意味がないからだ。
貴ばれるのはそれに値する行為をするからだ。
だからフィーネはギードを無視した。
「屋敷には子供と老人、そして病人を優先して受け入れます。健康な方はできるだけ大きな建物で一緒になって、入り口を固めてください。津波はモンスターの大移動。人間の命が目的ではありません。万が一、このキールにモンスターが侵入したとしても時間を稼げばなんとかなります。ご了承いただけるなら門を開きます」
「ふぃ、フィーネ嬢? 私です! ギードです! お忘れですか?」
「よく覚えていますよ。ホルツヴァート公爵家のギード様」
「ああ、よかった。では入れてもらえますか?」
当然だと言わんばかりの態度にフィーネもさすがにカチンと来た。
アルノルトのことを思えば、ここでギードを迎え入れたほうがいいだろう。対立することに意味はない。
だが、フィーネはそれをしなかった。それはアルノルトの意にそぐわないと思ったからだ。
だから。
「恥を知りなさい!! 皇帝陛下と共に戦うでもなく、自分だけが安全な場所にいようとする姿を自分で見つめ直してみなさい! 由緒正しきホルツヴァート公爵家を作った先人たちに申し訳ないと思わないのですか!?」
「なっ……!? このっ! 僕をだれだとっ!」
「誰だろうと関係ありません。屋敷が受け入れるのは子供と老人と病人です。それ以外の方は別の場所へ。これはクリスタ皇女殿下の決定です。これ以上、無駄な時間を費やすというなら後日、皇帝陛下に非道を訴え出ればよろしいでしょう。ただ、そのときに罰せられるのはどちらであるべきか、私には火を見るよりも明らかだと思いますが!」
「くっ……! いい気になるなよ! レオナルトが後ろにいるからって! 覚えていろよ! 絶対に許さないぞ!」
そう言ってギードは取り巻きと共にその場を後にする。
立ち去るギードたちを見送ったフィーネは深く息を吐いたあと、柔らかな笑みを浮かべて門を開けることを命じた。
そんなフィーネの姿を見た民たちは、誰に言われるでもなく声を掛け合い、子供と老人と病人だけを屋敷内に入れて、ほかの者たちは別の場所へ去っていった。
優先的に民を受け入れたあと、フィーネは屋敷の中にいる使用人に命じて屋敷の入り口を家具で固めさせた。
「できるだけ厳重に封鎖してください! モンスターが来たときは皆で押さえましょう! 諦めて進路を変えさせることができればそれで構いません!」
「はい! フィーネ様!」
「フィーネ様! クリスタ皇女殿下がお呼びです!」
「すぐに行きます。皆さん、怖がらなくて平気ですよ。必ず騎士の方たちが来ますからね」
屋敷の中に入った民たちにそう声をかけたフィーネはできるだけ明るく振舞う。
せめて自分だけは笑顔でいなければと思っていたからだ。実際、それくらいしかできることがなかった。
フィーネも公爵家の娘として魔法の心得はあったが、回復魔法は得意でも戦闘で使うような魔法はからっきしだった。
エルナのように華麗に戦うことはできない。
そのことを心苦しく感じてはいた。役に立ちたいと願って、領地を離れたというのにアルノルトの役に立ったことが一度もないからだ。
そんなフィーネにとって、クリスタの傍にいることは初めてアルノルトに任された仕事である。だからこそ、なにがあっても離れないと思っていたのだが。
「笛を取らないと!! モンスターが一杯来ちゃう!!」
そう泣き叫ぶクリスタを見て、フィーネはあることを思いだした。
扉の向こうで聞いてしまったアルノルトとクリスタの会話。
キールの街がモンスターに囲まれるとクリスタは言った。実際、そのとおりとなった。
アルノルトもその言葉を真剣に聞いていた以上、何かしら根拠のあることなのだとフィーネは判断した。だからフィーネはクリスタをしっかりと抱きしめた。
「皇女殿下。大丈夫です。笛をお探しならフィーネが取ってまいります。教えていただけますか?」
「だめ……死んじゃう……」
「大丈夫です。私は運のいい女ですから。それに危なくなったらアル様が助けてくださいます」
「……ほんと?」
「ええ、本当です。ですから教えてください。笛はどこにありますか?」
「……時計塔に落ちてくるのが見えた……あれが原因……」
「かしこまりました。では私が取ってまいりますね」
そう言ってフィーネは侍女たちが止めるのも聞かず、街の中央にある最も高い建物である時計塔に向かったのだった。
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キールの街にある時計塔はほかの街の時計塔とはスケールが違う。
数十メートルもあるその時計塔はキールの街の観光名所であり、貴重な観光資源だった。
そんな時計塔をフィーネは息を切らしながら登っていく。
一方、上空ではエルナがサムとディーンと互角の戦いを繰り広げていた。
「ちっ! 鬱陶しい!」
ディーンは正攻法でエルナを撃退することを断念した。二人がかりならば倒せないことはないが、時間がかかりすぎる。
ここは搦手を使うことを決意したのだ。
ディーンが取り出したのはモンスターを操る魔笛〝ハーメルン〟。これでモンスターを増やせば、騎士であるエルナは皇帝の護衛に回らなければいけなくなる。
そうなればディーンたちは高みの見物をしていればいい。
さらなるモンスターをキールに招こうと、ディーンはハーメルンに口をつけるがエルナは直感的にそれがまずいと感じてディーンに向かって攻撃した。
「させない!」
「くっ!?」
咄嗟に回避したディーンだったが、ハーメルンはディーンの手から落ちてキールの街へ落ちていく。
それを見てディーンは慌てて後を追った。
「まずい!」
「待ちなさい!」
笛はディーンのモノではない。ディーンたちの協力者がディーンに渡したものだ。それを使って、ディーンたちはカルロスを巻き込んで今回の策謀を考えた。
しかし、ディーンたちの協力者からは必ず処分しろと言われていた。それが協力者との約束だった。
協力者の助けがなければ万が一、ここで生き残っても逃げのびることは難しい。笛を確実に処分することは、ディーンたちの命を助けることに繋がるのだ。
だからディーンは必死に後を追った。そんなディーンの姿を見て、エルナもただならぬモノを感じて、その笛の後を追う。
両者は空中で何度も激突し、その間に笛はどんどん落下していく。
そして時計塔に差し掛かったとき、そこから伸びた白い手が笛を受け止めた。
「っっ!?」
勢いあまって落下しかけたフィーネは、なんとか体を時計塔に残すことに成功する。
そして笛をキャッチしたことにホッと息を吐くが、すぐにエルナの鋭い声が飛んできた。
「逃げなさい! フィーネ!!」
ハッと顔をあげたとき、ディーンが放った魔力の塊が時計塔の上部に直撃する。
それによってフィーネは足場を失って、そのまま落下していく。
しかし、フィーネはそのことを無視した。
初めから危険は覚悟の上だった。だからこそ、フィーネはこちらに向かってくるエルナに向かって笛を投げた。そしてその笛をエルナが驚いたようにキャッチするのを見て笑う。
「ああ……お役に立てた」
「小娘が!!」
怒りのあまり、ディーンは落下するフィーネに魔力の塊を投げつけた。
迫る魔力の塊を空中で避ける術をフィーネは持ち合わせていない。
「フィーネぇぇぇぇ!!??」
エルナの叫びが木霊する。
アルノルトのことをエルナに託しながら、フィーネはそっと目を閉じた。
目を閉じる瞬間。空の奥で何かが光ったような気がしたが、それを気にする余裕はフィーネにはなかった。
覚悟を決めて目を閉じたフィーネだったが、想像していた痛みや衝撃はやってこなかった。
むしろ感じたのは温かさだった。
恐る恐る目を開けると、フィーネは銀の仮面の冒険者に抱かれていた。
フィーネは驚きで言葉を失う。助けに来てくれるとクリスタにいったのは、クリスタを安心させるためだった。まさか本当に助けに来てくれるとは思いもよらなかった。
そんな中、フィーネ同様に驚く者がいた。
ディーンだ。
「貴様ぁ……私の魔力弾を打ち消すとは何者だ……? 名を名乗れ!!」
「……冒険者ギルド帝都支部所属、SS級冒険者のシルバー……貴様らを討伐しに来た」
特徴的な銀の仮面に黒いローブ。
帝国史上最強と謳われる冒険者がその場に姿を現したのだった。
もうポンコツとは~~~~言わせない!!