第21話 天は悪行を裁かないⅢ
それはある日の放課後。
ジャスティンと一緒に勉強をしている時のことだった。
「……あのさ、オリヴィア」
「……何ですか?」
「俺……何か、したか?」(どうしてこんなに不機嫌なんだ?)
ジャスティンが唐突にそんなことを尋ねてきた
それに対して、私はフンッと小さく鼻で笑う。
「どういう意図で、それを聞いているんですか?」
私が尋ねると、ジャスティンは少し困った様子で眉を顰めた。
それから少し言い辛そうに……
「いや、その……怒っているだろう?」(な、なんか、普段よりもピリピリしてるし、距離を取ろうとするし……)
「別に……怒ってないです」
「そ、そうか……?」(い、いや……絶対に怒っているだろ……)
「ええ、怒っていないです。……ただ、それを聞くということは、何か心当たりでも、あるんですか?」
私はジャスティンを真っ直ぐ見つめて、そう問いかけた。
するとジャスティンは露骨に目を逸らした。
「い、いや……別に……」(全く、心当たりがない……な、何に怒っているんだ!?)
そうか。
そうか……心当たりがないか……
よくもまあ、そんなことが考えられるな!!!
そう、私は怒っていた。
とっても、怒っていた。
どれくらい怒っているのかというと、少し思い出しただけでも顔が赤くなり、そして心臓が破裂してしまうほどバクバクと鳴り、全身が……特に下腹の辺りがカッと熱くなるほど、怒っていた。
そう、それは今日の授業中のことだった。
授業が被ったため私はジャスティンの隣に座っていた。
すると……ふんわりと、ジャスティンから例のふわふわした感情が漂ってきたのだ。
ジャスティンの私への恋心……もとい、劣情である。
まあ、授業中にジャスティンが私のことを考えることはよくあることだ。
どうせ、私の顔でも眺めているか、私とデートをする妄想でもしているのだろう……
そう思い、私はさり気無く、何気なく、ジャスティンの感情に焦点を合わせた。
すると、いつもと少し感情の
恋心というのは、いろいろな感情が合わさったもので、時によってその音や匂いは変わるのだが……
その時のジャスティンは……有体に言えば劣情の色が強かったのだ。
こうなると、少し気になってしまう。
気になってしまった。
だから、ジャスティンの妄想の中身へと、焦点を合わせてた。
合わせてしまった。
そ、そうしたら……
ジャスティンは私に対して、も、妄想の中で……
き、き、キスをしていたのだ!!
何気ない、無害そうな、爽やかそうな表情をしておいて、こいつは腹の底で、隣の席に座る女の子の唇を奪う妄想をしていたのだ!!
し、信じられない……
しかも、場所が放課後の校舎裏だ。
お、お外でなんて、はしたない……不埒だ!
あんな風に、私を壁際に追い込んで、腕で逃げ道を塞いで、顎に手を当てて、逃げられないように固定して、強引に唇を奪うなんて……
そ、そもそも、キスなんてしたら、赤ちゃんができちゃうじゃないか!
にも関わらず、そんな妄想をするなんて、本当に男は無責任だ。
っく……ま、また怒りで体が……
「……オリヴィア? どうした?」(そんなに顔を赤くして……)
「何でもないです!!」
しかし、もっと許せないのは、ジャスティンの中の私が満更でもなさそうな様子なのだ。
嫌だと言いながら、弱々しい抵抗をしながらも、表情はむしろ嬉しそうな感じで……
あれでは、まるで私が、建前では嫌だとか怒っているとか言っているくせに、本当はして欲しかったり、喜んでたりするような女の子みたいじゃないか!!
本当は好きなのに、恥ずかしくて素直になれない、余計に恥ずかしい年頃の女の子であるかのような、許しがたい誤解だ。
私は大人だ。
好きなのに嫌いと言うような子供じゃない。
もちろん、嫌だと口では言っているけど本当は嬉しいみたいな面倒くさい感情表現はしないし……
少し強引に、無理矢理されるのが好きみたいな、そんな趣味は全く、欠片もない。
だからジャスティンが妄想の中で、私をそんな性格にして、妄想の中で私の唇を奪うようなことをするのは、私にとっては全くもって遺憾な行為である。
だが、しかし……
「まあ、その……謝るから。機嫌、直してくれ」(と、取り敢えず、俺が悪いみたいだし、謝っておくか……)
「……別に怒ってないですし、謝罪は不要です」
ジャスティンが悪いかと言えば、別に悪くない。
もちろん、ジャスティンが妄想の通りに、私をあんな場所に呼び出して、逃げ道を塞いで、顎を掴んで、強引に……
あっ……
「……医務室、行くか?」(さっきから、本当に様子がおかしいぞ?)
「な、何でも、ないです!!」
と、とにかく、実行に移すなら、もしくは実行に移そうという計画を立てているのであれば、看過できないが、妄想の中でやる分なら、個人の自由だ。
頭の中のことを、思考の内容を咎める権利を持つ者はいないだろう。
そもそも、普通は考えていることなど、分かりようがない。
だから問題にはならない。
覗かなければ良いだけの話だ。
ジャスティンの頭の中を勝手に、盗み見た私が悪い。
……そもそもだが、人の心を勝手に見るのは、プライバシーの侵害だろう。
本当ならば見るべきではないし、見てはいけないのだ。
絶対的に悪いのは私だ。
私の能力はオンオフの切り替えができる。
視力で例えるならば……
瞼を閉じれば、周囲は暗闇に包まれる。
聴力で例えるならば……
耳に指を突っ込めば、音は聞こえなくなる。
それと同時に私も能力に蓋をすることができる。
もっとも、蓋を開けた状態の時は、視力や聴力と同様に、情報の取捨選択が難しい。
焦点を合わせる、集中する、直視しないように心掛ける……程度の調整しかできない。
だから、蓋を開けていると、聞きたくもないこと、見たくもないものが見えてしまうわけだ。
逆に言えば蓋を閉じれば、何も聞こえないし、何も見えない。
だから、人の心を見たくなければ、そうすれば良いのだ。
でも……私はそれをしない。
できないからだ。
したくないというのが、正解かもしれない。
いつから、人の心を聞き取れていたかは、明確には覚えていない。
だが、七歳頃にはすでに扱えていた。
それから三年以上。
私にとっては、人の心が読めるのは、当たり前のことだ。
目を開ければ物が見えて、耳を澄ませば声が聞こえるのと全く同様のこと。
これを無しに過ごすなんて、あり得ない。
確かにこの能力によって、人の悪意の声を聞き取ってしまい、傷ついてしまうことはあるが……
だが、悪意を知らないよりは、知っていた方が遥かに良いではないか。
それに人は悪意だけを持っているわけでもないことを、私は知っている。
私の出生に対して大なり小なり負の感情を持つ者は少なくないが……
彼ら彼女らの多くはそれを直接、口に出すことはなく、そして同時に私の能力を認めていることも少なくない。
誰にだって、不満の一つや二つあるのが当然だ。
最終的に正負の収支が黒字になればそれで良いと、私は思っている。
この能力がなければ、それに気付けなかったかもしれない。
それに……少なくとも騙されることはない。
実は昔――と言っても、カナリッジ魔法校入学前のことだが――、私に養子縁組の話が一度だけあった。
結論から言えば、私はそれを断固拒否した。
彼らは養子縁組の仲介人の皮を被った、人身売買業者だったからだ。
もし、私が読心魔法を扱えなかったら……今頃、新大陸で年季奉公をさせられていたかもしれない。
この力で嫌な思いをすることはあった。
しかしそれを加味しても、私は得しているし、身を守る力として役立てている。
この力を放棄することは大きな損失だし、何よりも怖い。
もちろん、多くの人は人の心は読めないし、読まずに生きられるのだから、それくらい簡単だと言う人もいるかもしれない。
しかしそういう人は……もし、仮に船の難破か事故で、「全盲の国」――国民の全てが全盲者であり、目が見えないことが前提で社会と文化が形成されている国――に辿り着いたとして。
その「全盲の国」で生きて行かなければならないことになったとして。
自らの両目を潰す決断ができるだろうか?
私にとって、この世界は「全盲の国」である。
私は両目を潰す決断はできないし、瞑ってみたとしても、すぐに恐怖で開いてしまうだろう。
もちろん、中には両目を潰せる人もいるだろうけど……
それはその人が私よりも勇気があるという、それだけの話だ。
私は臆病者だ。
悪いのは私で、ジャスティンに非は全くない。
だから私がジャスティンに謝罪を求めるのは筋違い……
(それにしても、難しそうな表情のオリヴィアは……本当に可愛いな。こういう時に、突然、キスとかしたら、どんな顔を……)
だから、キスなんてしたら赤ちゃんができちゃうじゃん!
「不埒者」
「な、何だ、急に!!」(か、顔に出ていたか!?)
慌てて口元を抑えるジャスティンを、私は睨みつけた。
あぁ……もう!!
頭の中で変なことを考えるなと、求められないのが、もどかしい!!
そっぽを向くようにして、赤くなった顔をジャスティンから隠すのだった。