第2話 私は絶対に恋愛なんてしない! Ⅱ
ある日の放課後。
私は図書館で黙々とペンを走らせていた。
目の前に広げているのはノート、右脇には教科書、そして左脇には辞書。
見れば分かる通り……私は勉強中だった。
私は首席で合格したこともあり、学費を一部免除して貰っている。
だが成績が落ちれば、それは取り消される。
お金がない私にとって、それは死活問題だ。
もちろん、その他にも奨学金は貰ってはいるので、すぐに退学になることはないが……それでも節約するに越したことはない。
「今日も精が出るな……ミス・スミス」(今日も可愛いな)
美しい金髪に翠色の瞳の美少年。
ジャスティン・ウィリアム・ウィンチスコット……ジャスティンが私の後ろに立っていた。
そして彼は私に断りもせず、自然な仕草で私の隣へと座った。
まるでここが自分の定位置であり、紅茶にミルクと砂糖を入れるのと同じくらい当たり前のことであるかのような顔だった。
「席は他にもありますけど」
「俺がどこに座ろうと、俺の勝手だろう?」(オリヴィアの隣はここしかないからな)
「そうですか。では、どうぞご勝手に」
私が勉強をしてくると、彼はいつも私の隣の席に座ってくる。
とはいえ、隣に座ってはいけない理由はないし、直接邪魔をしてくることもないので、放置している。
……それに一人でやるよりも、二人で勉強をした方が捗る。
お互い、科目の得意不得意が多少はあるので……それを教え合い、補った方が効率が良いからだ。
ジャスティンは――もちろん私の方が上だが――頭が良く、教え方も上手だ。
そして私も……彼に勉強を教える過程で、より理解が深められる。
つまり、極めて理性的かつ合理的な理由から、一緒に勉強をしているのだ。
だから……断じて、彼と一緒に勉強をするのが楽しいとか、お話をしたいとか、そんな理由で許しているわけではない。
ましてや、彼のことが好きなどということは、絶対にない。
これっぽっちもない。
勘違いしないで欲しい。
あくまで合理的かつ理性的な判断によるもの。
恋心などという不合理的な感情での判断ではない。
……だからちょっと、脈拍が上がっているのは気の所為というやつである。
別に異性として意識してる男の子が隣に座ったせいでちょっと緊張していたりということは全くない。
「……ところでミスター・ウィンチスコット。フランキス語、得意でしたよね? 少し聞きたいことがあるのですが、良いですか?」
せっかくなので、精々、利用してやることにしよう。
私が尋ねると、彼は身を乗り出してきた。
「それなりにな。……仕方がない、教えてやる」(よし、良いところを見せるチャンスだな)
案の定、大張り切りで教えてくれた。
ジャスティンの教え方が上手なこともあり、私の疑問も徐々に解消されていく。
のだが……
「ここまでは分かったか?」
「え、ええ……」
距離が近い。
ジャスティンは私に教えることに夢中になっているせいで気付いていないようだが、すでに肩と肩が触れるほど密着している。
そして拳一つ分ほどの距離もないほど近くに、彼の顔があった。
一瞬だが、僅かに汗の香りがした。
そう言えば、今日はスポーツの授業があったなと思い出す。
決して不快ではない。
だが……彼から匂いがするということは、私からもする可能性がある。
勿論、汗はちゃんと拭いたし、香水も使ってはいるが……
大丈夫だろうか?
臭いとか、思われていないだろうか?
「……聞いているか?」(どうしたんだ? 顔が赤いけど……)
気が付くと目の前にジャスティンの顔があった。
覗き込まれたのだ。
翡翠色の瞳の中に、顔を赤くした少女が映っていた。
「き、聞いています。……大丈夫です。ありがとうございます」
「そうか?」(体調でも悪いんだろうか?)
きょとん、とした顔のジャスティン。
……これではまるで、私だけが一方的に意識しているみたいじゃないか。
い、いや、べ、別に意識しているといっても、深い意味があるわけじゃないけど?
あくまで身嗜みとして、自分が大丈夫かと少しだけ気になったというか。
というか私はちゃんと清潔にしているし、ちゃんと香水も使っているので臭いはずがないんだけど。
ただ、少し……ほんの少し、気になっただけだし。
男の子と距離を詰めた経験が少なくて、少しだけそういうことに慣れてないから、少しだけ緊張しただけ……
べ、別にジャスティンのことを異性として意識しているとか、好きとか、そういう感情は全然、これっぽっちも、全くない。
悪く思われたら嫌だとか、良く思われたいとか、そんな気持ちは全然ない。
か、勘違いしないで欲しい。
「と、取り敢えず、疑問は解けました。……その、もう離れていただけませんか? ……少し、近いので」
「え? あ、あぁ! わ、悪いな……」
私がそう言うとジャスティンは慌てて距離を話した。
彼の顔は真っ赤に染まっている。
……慌てる彼を見て、私は溜飲が下がるのを感じた。
あるいは、気持ちが落ち着いてきたと言うべきか。
慌てている人を見ると、逆に落ち着いてくる現象だ。
(無意識のうちに近づき過ぎた。それにしても……良い匂いがしたな。もう少し意識すれば良かった)
私は体がカッと熱くなるのを感じた。
同時に下腹部の辺りがキューッとなるのを感じた。
「……変態」
「は、はぁ? 急に何を……い、いや、近づきすぎたのは悪かったけど……」(悪気があったわけでもないし、そんなに怒ることでも……)
「死んでください」
「べ、別にそこまで怒らなくてもいいだろ」(もしかして、嫌われてる……?)
そうだ。
私はジャスティンのことが嫌いだ。
こいつと一緒にいると、体が顔が妙に熱くなったり、胸や下腹部が締め付けられるような心地になったり、心臓が無駄にうるさくなるのだ。
体が不調になってしまう。
きっと、私の体が拒絶反応を起こしているのだろう。
私はジャスティンのことが嫌いで、そして怒りを感じているのだ。
だから、そう……決して好きなんかじゃない。
恋しているから、ドキドキしているとか、赤面しちゃうとか、そんなわけでは全然ない。
「何に怒ってるんだよ……俺が悪いなら謝るから」(もしかして、変な場所を触っちゃったのか?)
「自分の心に聞いてみてください」
「それじゃあ、分からないだろ。怒ってる理由くらい……」
ジャスティンと言い争いをしていると……
「図書館では、お静かに」
僅かに怒気を含む声を掛けられ、私たちは慌てて背筋を伸ばした。
目の前には眉を顰めた司書がいた。
「ここはデートや痴話喧嘩をする場所ではありません」
「「す、すみません」」
デートでも痴話喧嘩でもない。
と、否定する余裕はなかった。
私とジャスティンは縮こまって謝罪した。
すると司書は小さく鼻を鳴らし、立ち去っていく。
(全く、最近の子供は。やたらと盛っちゃって、仕方がないわねぇ……)
変な勘違いをされてしまった。
「べ、別にデートとか、そんなんじゃないし、盛ってなんて……」
声に出ていたことに気付き、私は慌てて口を閉じた。
しかしもう遅かった。
「いや、悪かった、ミス・スミス。うん、俺が全部悪いよ。許してくれ」(なるほど、なるほど……照れ隠しだったのか。やっぱり可愛いな)
ジャスティンにも変な誤解をされてしまった。
「べ、別に照れ隠しなんかじゃ……」
「なんかじゃ……?」(やっぱり、照れ隠しか)
ニヤニヤと笑うジャスティン。
私はそっぽを向き、小さく鼻を鳴らした。
「何でも、ないです」
大っ嫌い!
べ、別にブックマーク登録も評価(目次下の☆☆☆☆☆を★★★★★に)も欲しくないんだから
もらっても励みにならないし、喜んだりしないんだから!
か、勘違いしないでよね……!(チラッ)