第16話 彼女は子供の頃はとてもヤンチャだったⅡ
切っ掛けは、彼女が貴族の女の子たちに絡まれているのを見かけた時だった。
第一印象は……雑巾みたいだなと、そんな感じだった。
正直なところ、女同士の争いに首をツッコミたいとは思わなかったが……放っておくのは良心が痛んだ。
だから助けた。
その後、彼女と会話を少しし……その中で「モテるのか?」という趣旨のことを聞かれた。
つい、カッとなり、語気を強めてしまったが……
逆に「自分は恋愛なんて興味はない」と強気な声で反論されたことが印象に残っている。
それからしばらくして、彼女とはカナリッジ魔法校した後に再会した。
もっとも、最初は彼女が“ミス・スミス”だとは分からなかった。
とても美人だったからだ。
整った顔立ち、白磁のように滑らかな肌、ふっくらとした唇。
髪は艶やかな銀髪に、強い意思を感じさせる紫の瞳。
背は低めではあったが、手足はほっそりと長く、スレンダーで美しかった。
何よりも羽織っていた黒いガウンが良く似合っていた。
正直なところ外見は好みのタイプだったので、少しドキっとした。
……別に俺は女が嫌いだが、女の子を可愛いと思わないというわけではない。
好みの容姿というものもあるし、そういう女の子を「いいな」と全く思わないわけではない。
もちろん、口を開いたり、動いたりしなければの話だ。
もちろん、好きなのは外見だけ。
女という生き物そのものはこわ……いや別に怖くない。
苦手なだけだ。
まあ、しかしミス・スミス……つまりオリヴィアは、比較的話しやすいタイプの女の子だった。
どうにも自分は同年代の子と比較すると“大人びている”らしく、あまり話が合わないことも多々あるのだが、オリヴィアとは不思議と話がよく合った。
そして話をしてみると、気付くことがある。
まず彼女は労働者階級の出身だと最初は思っていたが、話してみると、そうとは思えないほどマナーも言葉遣いもしっかりとしていた。
アールフランド語は上流階級、中流階級、労働者階級で発音や使用する単語、文法が微妙に異なるため、少し会話をするだけで出身階級が分かるのだが……彼女の話し言葉は上流階級のそれ、つまり“|正しいアールフランド
本当は上流階級の出身なんじゃないかと、錯覚するほどだ。
また、知的でクールな雰囲気と外見に似合わず、意外と健啖家のようだ。
普段は無表情だが、食べ物を食べると頬が僅かに緩み……
その表情がとても可愛らしく、またどこか……蠱惑的で、魅力的だった。
ずっと眺めていたいと思うほどには。
思うにその時から惹かれていたような気もする。
しかし話をしただけで、急に距離が縮まるわけでもない。
お互い“王の学徒”ということもあり、話す機会は度々あったが、しかし性別も異なれば、出身階級も異なるため、あくまで少し親しい異性の同級生、とその程度の関係性だった。
だから、正直なところ、彼女が引き起こした例の“事件”には引いた。
オリヴィア・スミスが引き起こした事件、と言えば新入生は誰もが知っている。
酷い、それも一方的な喧嘩騒ぎだ。
丁度、その場には居合わせていたので、とても鮮明に覚えている。
発端はオリヴィアと、男子生徒の口喧嘩だった。
……この時のオリヴィアは、出身階級や私生児という出自から絡まれることが多く、彼女が誰かと口喧嘩をするのは珍しくもなかった。
そして口喧嘩で必ず勝つことも有名だった。
だから俺はその時も、きっとオリヴィアが言い負かすだろうなと思っていたし、野次馬の中にはオリヴィアが勝つのを期待している者もいただろう。
そして実際、オリヴィアは言い勝った。
……事が起こったのはその後。
ムキになった男子生徒が、彼女の顔を叩いたのだ。
口喧嘩に負けて暴力を振るうなんて、最低な奴だ……
と、俺が思うよりも先に、オリヴィアの拳がその男子の顔にめり込んでいた。
そこからはあっという間だった。
オリヴィアはその男子に馬乗りになり、顔を何度も何度も、殴ったのだ。
最終的に悲鳴を聞きつけた教師により、男子生徒は救出され、オリヴィアは引き剥がされた。
……正直、恐ろしいと思った。
そして同時にどこか腑に落ちるものがあった。
下層階級出身の救貧院育ちの私生児。
その彼女の出自は嘘偽りではなく、確かな事実なのだと、学院の生徒たちの脳裏に見せつけたのだ。
結果的に彼女は孤立した。
比較的、彼女に好意的な俺でさえも引いたのだから、他の一般生徒に関しては無理もないだろう。
もっとも、だからと言って彼女は特に気にした素振りは見せなかった。
むしろ、清々したというような顔で、一心不乱に勉強に落ち込んでいた。
彼女は自分の出自が他者よりも劣っているからといって、不貞腐れることなく努力しているのだ。
とても立派なことだ。
彼女はとても強い。
俺なんかが助ける必要はないだろうし、むしろ下手に声を掛けて、迷惑が掛かると良くない。
……そう思っていた。
最初は小さな違和感だった。
あんなにたくさん食べているのに、太らないのはどうしてだろうと思った。
そして食事中、彼女が時折席に立つことに気付いた。
一度、違和感を覚えると、何もかもおかしく見える。
彼女は元々、健啖家だったが……しかしそれを考慮しても食べる量が異常だった。
しかも何故か辛そうな顔で食べているのだ。
以前はあんなに幸せそうな顔だったのに。
おかしい。
そう思って後をつけてみた。
彼女は吐いていた。
食べた物を全て吐き出していたのだ。
小さな背中を辛そうに震わせていた。
気が付くと、彼女の背中をそっと、摩っていた。
考えてみれば、彼女は少し大人びているだけで、俺と同い年だ。
周囲から陰口を叩かれて、慣れない環境でずっと勉強漬けになっていたら、体調を崩すのも当然だ。
しかしこんなに弱っている子に何を言えば良いか、俺はよく分からなかった。
気の利いたことは言えない。
努力は美徳だが、あまり無理はしない方がいい。
何とか考えて、出てきたのはそんな慰めと励ましの言葉だった。
それは彼女の怒りを買った。
胸倉を掴まれ、怒鳴られた。
曰く、好きで努力をしているわけではない。しなければいけないから、しているんだ……と。
怒鳴り散らした後、彼女はハッとした表情になり、そして非常に申し訳なさそうな顔で俺に謝罪をした。
小さく縮こまり、怯えと恐怖の混じった表情で、オリヴィアはこちらを伺ってきた。
その時、初めて俺はオリヴィア・スミスという少女を……ほんの一部かもしれないが、理解することができた。
彼女は強いのではない。
本当はとても脆く、繊細で、弱いからこそ、強くあろうと、見せようとしているのだ。
例えるならば、人間に怯える猫が、威嚇をしているようなものだろう。
そして何でもないような顔をしながら、必死に努力をして、上を目指している。
その在り方はとても立派で、美しく思えた。
側で支えてあげたいと思った。
助けてあげたいと思った。
彼女の姿を……もっと近くで見たいと思った。
その綺麗な髪を撫で、白い肌に触れ、体温を感じたいと思った。
唇を奪いたいと思った。
オリヴィアのことが好きなんだと、はっきり自覚した。
そう、俺は彼女のことがどうしようもなく、好きだ。
愛おしく思っている。
幸せにしたい。
自分の物にしたい。
例え彼女が……「恋愛になど興味はない」と公言していても。
俺と彼女の間に大きな身分の差があっても。
……結ばれるのがとても難しいと、いや、可能性としては限りなくゼロに近くでも。
きっと最後には叶わぬ恋だったとしても。
……今だけは、せめて。
「彼女は子供の頃はとてもヤンチャだった。
勿論、今もヤンチャだ」
著:ジャスティン・W・ウィンチスコット
訳:九条薫子