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28. 送り火の魔物ではありませんでした(本編)




「ということで、本日は送り火の魔物さんを狩りにゆきます」


本日分の午前の作業、薬の精製が二個ほど仕上がったので、ネアはそう宣言した。

ディノが仕上げる薬はかなり稀少なものなので、二個というのは破格の効率であるらしい。



一般的に、傷薬などは一日に十個程度、内服薬は五個程度が目安となる。

魔物の仕上げる薬なので、人間が作成する常用品とは違い、安価な傷薬一個でも縫い合わせるような傷を修復してくれる。

ネアの目視では、十針程度の傷であれば大丈夫そうだ。


内服薬はもう少し複雑で、簡単な発熱や一過性の胃炎や腹痛などは瞬時に根本より亡き者とされるのだが、慢性的な持病になると少し様子が変わり、偏頭痛持ちの場合などは常用の必要があった。

ここから更に、呪いなどで受けた傷や病へと薬は分岐してゆくので、なかなかに難解な世界になっている。


属性ごとの飲み合わせも出てくるので、ネアは、処方というものには手を出していなかった。

生まれ育った世界でも専門家が必要な領域なので、ネアは、こちらの世界に来てちょっと優秀な魔物がお隣にいるからと、安易に手を出せる分野ではないだろう。

物語などでは初心者が簡単に薬師になれるが、現実問題ではそう簡単ではない。

薬による副作用なども含め、医療関係の資格を持たないネアには未知の世界なのだ。



(それに私は、今から勉強するにしても、細やかな魔術の確認作業に向いてないから……)



そうなると、独立しても薬師になるのは無理である。

あくまでも、安全な卸先への薬の納品、そして生薬の材料達を狩るのがせいぜいだ。

以前、血の病に効くという蝶の魔物を狩ってきたことがあるが、あの一匹で庶民が半年程遊んで暮らせる金額になるらしいので、あのような生き物を集団で狩れれば安定した収入となるのかもしれない。



「居場所の見当はついているのかい?」

「いいえ、ゼノは別件で出払っていますので、今回の捜索は行き当たりばったりです。ですが、我々が探しているという情報が拡散されるだけでも効果があるようですので、それでもいいようですよ」

「送り火の魔物か………」



祝祭を司る人外者は強い。


だがその強靭さは、祝祭に跨る数日間に限定されてしまい、期間外はひどく脆弱な存在になるらしい。

そうなると、送り火の魔物は通年で一週間程しか最高強度を保っておらず、他の季節への汎用性がない魔物であるが故に、平時はかなり階位の低い魔物なのだそうだ。



(つまり、ディノはあまり把握していない庶民階層の魔物である可能性があるのだ)



「サーウィンの時期には、送り火の魔物さんの活躍はないのですか?」



世界の均衡が崩れるあわいの日なので本年はネアは不参加だったものの、秋の豊穣祭の並びでは、山車人形を焚き上げる儀式がある。

あれも送り火の一種ではないのだろうか。


「あれは焚き上げの魔物だね。彼は、年に数回か見せ場がある筈だよ」

「ややこしい違いがありました………」



首を傾げていたネアは、ふぅと息を吐いて穏やかな冬の午後の光が差し込む天窓を見上げた。


魔物の生存区分とは、一体何だろう。

火箸の魔物の火種の中で生まれてしまう悲惨さや、裾上げの魔物など派生理由が脆弱過ぎる者も多い。

魔物とは一体何なのだろう。そこそこ獰猛なくせに、土着の信仰に似た親しみやすさなのか。



(この世界では、神様という存在も全て魔物の別名だから、こうなってしまうのだだろうか)



「ディノは、送り火の魔物さんは見たことありますか?」

「送り火の当日だけ見たことはあるけど、それ以外の時とはほぼ別人だからね」

「…………そこまで変化するのですか」



確かに力も姿もそこまで可変性のものならば、普段は弱小魔物である彼が、少しでも良い状態でいたいと失踪するのは無理もないのかもしれない。

だが、ネアにとっては所詮他人事なので非常に迷惑な話だ。

見付け次第捕獲して、さっさと終わらせてしまおう。



「でも、魔物さんですよね。捕まえてきても、また逃げるのでは?」

「管理出来る魔物に託すのだろうね。或いは、檻や鎖のような道具を使う可能性もある」

「ただでさえ短い晴れ舞台の時期に、檻………」


ディノにとってはご褒美かもしれないが、送り火の魔物的にはかなり嫌だろう。

逃亡への抵抗が激化する可能性もあるので、ネアは、比較的穏便に済めばいいと願う。



「管理させるなら、冬か、信仰、或いは雪だろう」

「大御所さんが出てきてくれるのですね」

「特に信仰は、送り火の系譜の高位にあたる魔物だからね」

「送り火というくらいだから、火の魔物さんが司るというわけではないのですか?」


ネアのイメージは単純なものだった。

親として火を司る偉い者がおり、その下に雑多な火の魔物達が存在していると考えていたのだが、ディノはその説をばっさりと切り捨てた。



「精霊の系譜であれば、火の精霊以下の火の子供たちという図式になるけれど、魔物は基本的に独立して派生する。火そのものを司る魔物はいないよ。業火であったり、極炎であったり、高位の火の魔物もいるけれどね。ただ、数で言えば、火の魔物と水の魔物は種類が多いのは確かだ」

「なんと。魔物さんは、属性がすなわち系譜というものではないんですね」

「魔物の場合、その一柱で己の司るものの王として成り立つからね」



例えば、船火の魔物がいたとする。

そうするとその魔物は、火と船と海に属する魔物になるのだそうだ。

また、船火は誘導や道標の質もあり、そのような意味合いも持つ。


たいそうややこしくなってきたので、ネアは、その分類の全てを理解しきる努力はぽいと捨ててゆくことにした。

当初はひと通り覚えてしまおうという野望を抱いていたが、ある程度の概念さえ理解しておけば、隣りの専門家が手助けしてくれるだろう。


素人理解で間違いをやらかすよりも、事案ごとに理解してゆけば、仕事にも大きな影響はあるまい。

とりあえず、送り火の魔物を狩ってしまえばいいのだし、後は上がなんとかするだろう。



「ではとりあえず、送り火の魔物さんの過去の潜伏先をあたりましょう」

「うん」



きっとここで、本日中に送り火の魔物を捕まえて来いとディノに命じれば、それはそれで何とかしてしまうのだろう。


でもネアは、ディノを相棒だと思っているので、そのような運用はしない。

結果、ディノも決して自分の力や階位で仕事を一網打尽にすることなく、ネアの良き相棒のままでいてくれている。


仕事を仕事として携わらせてくれるディノの心遣いが、ネアはとても好きだった。



この魔物が出来ることの全てを、ネアが当然の権利として要求すれば、いつかそれは奢りになる。

それにディノだって、自分にしか出来ないことを自分にだけ任されてもつまらないだろう。

こちらのやり方を試してみた後、面倒なやり方が気に食わなければやり方を変えてゆけばいい。


二人だからこその働き方を、ゆっくりとでいいので探していこう。



「歩いて行くかい?」

「そうですね、ひとまず歩いてみて、道中厄介であれば転移をお願いします」

「わかった」



この街を歩くことを、ネアは割と気に入っている。


芸術や音楽、そして魔術の栄える旧王都らしく、ウィーム中央はどこを切り取っても美しい。

壮麗で繊細で、そして雪と森で情緒的でもあるこの街では、歩いて中心地へ出るのが常だった。


前回遠征したアルビクロムでは、最初こそ歩いたものの、街を出る頃には転移を乱用していた。

労働者の多いあの街は、雨なのに早足の住民が多過ぎてとても危険だったのだ。



(ディノの怪我のこともあって、少し疲れていたし)



そう言えば、アルテアは今頃どこにいるのだろう。

注視するべき仮面の魔物の行方は、あれ以来、掴めていない。

彼が仕事に関わればまた会うこともあるだろうが、それまではどこか遠くで元気でいて欲しい。



こんな日は支給されている服の方が気持ちが引き締まるので、ネアはそちらを着ることにした。

襟元に白いスカラップレースを覗かせた詰襟のインナーを着るドレスは、同じレースを覗かせる袖口とスカート裾の、アンダードレスと合わせると何とも上品で可愛らしい。

この季節のウィームは寒いで襟元があまり開かない代わりに、その上に、襟幅の広いどことなくセーラーカラー感もある襟周りが素敵な灰紫色のドレスを羽織り、スカート丈は足首よりも少し上くらいだ。


(うん。ウィームはしっかりとしたドレス姿のご婦人が多いけれど、このくらいのスカート丈なら問題ないみたいで良かった!)


さすがのネアも、引きずるようなドレスの裾の扱いと、雪国の組み合わせには難儀してしまう。

出来れば普段着は、このくらいの裾丈がいいだろう。


カッティングと刺繍の縁取りが美しい白いスカラップレースは、ウィームの名産品だ。

透けるような繊細なレースも作られているが、そちらは、どちらかと言えば温かい気候の王都などで人気がある。


また、このスカラップレースに施された植物モチーフをリースの魔術にかけ、ウィームの人々は、足元や襟元、袖口などの、障りを受けやすい部分の守護としているらしい。

美しい織り模様のある腰帯をリボンのようにきゅっと結ぶのがまた可愛いのだが、こちらも、ウィームの伝統的な服装であるのと同時に、何かがあった際の守護布となる。

ウィームで好まれる各種の模様が、デザイン的な意匠ではなく、描写的な植物柄しかないのも、魔術との兼ね合いなのだろう。


たっぷりと布地を取り、ふぁさりと揺れるドレスの裾は、白いシルクコットンのスカラップレースがなんとも美しい。

白を有する装いは、リーエンベルクの在籍職員の証でもあるので、仕事での外出の場合はリーエンベルクから支給されているドレスなども、積極的に着るようにしていた。


時々素材が高級なものに変えられていたりするのは、魔物の陰謀絡みかもしれないので気にしない事にしよう。



ラムネルのコートを羽織り竜の雪靴を履くと、ネアは、既に立ち上がってそわそわしているディノの手を取った。

これが少し前までは髪の毛であったので、大変な進歩に目の奥が熱くなってしまう。

だが、手を掴むことは出来ても、手を繋ごうとすると途端に恥じらい始める謎の生き物だ。



「ネア、ぶつからないの?」

「前回の出発時にぶつかったのは、単に私がよろめいただけでご褒美ではありません」

「今日は……」

「さ、出発しますので、きりきり歩いて下さい!」



期待が裏切られて少し覇気がなくなった魔物を連れて、ネアは、リーエンベルクを出て旧王都から真っ直ぐに伸びる道を歩き出した。






(……………わ、)




外に出ると、冷たい空気が頬に触れる。

その清廉さに目を細め、お気に入りのコートの手触りに頬を緩めた。



ここウィームの街の名称は、少し特殊だ。

この旧王都そのものの名称がウィームであるので、外来者は街そのものをウィームと呼びたい。

だが、周辺の都市の全てを含めた北の領土の総称もまた、ウィームなのである。


恐らく、国内統一の際に誰かが杜撰な作業をした結果なのだろうが、そうなると生活内での呼称などに紛らわしさがつきものとなる。


結果、ウィームの住民は旧北の王都のことは、“ウィーム中央”、或いは“北の都”などと呼んでいる。

リーエンベルクのことも、過去の誇りを持って旧王宮と呼んでしまう者もいるので、この街でしか生活したことのないネアの脳内も、その地方言語に毒されつつあった。



(うっかり、中央の本王宮に行く機会があったりしたら、確実に言葉が行方不明だわ)



本王宮などという呼び名を使ってしまったら、リーエンベルクを王宮と呼んでいるのがバレバレではないか。

また、ウィーム中央を、略称として中央とだけ呼ぶようなことがあれば、エーダリアが北の王族の直系であるので、政治的に少し危うい。



街に続く道は、リーエンベルクの正面からの真っ直ぐな大通りだ。

かつてここが一国の王宮であった時代、ここには王への謁見を望む馬車や竜などで、それはそれは華やかだったとか。


立派な街路樹は、大きな楓型の葉をつける落葉樹と、白みがかった青緑の針葉樹が二重に植えられている。

クリスマスこと、イブメリアの祝祭がここウィームの主要な祭りである為、飾り木としての特性を失わない常葉樹は欠かせず、だがしかし紅葉も見たいという我儘な王族がいたに違いない。

幸い魔術と植物は親和性が高いので、ウィームの木々は皆とても立派だ。



「こうして街の方を見ると、一枚の絵画のようでとても綺麗ですね」

「ネアはこの風景が、ほんとうに好きだね。………ネア?!」


突然、繋いだ手を振り切って走り出したネアを、ディノは慌てて追いかける。

少し先の街路樹の影に、黒髪の人影があった。


「うわぁ!」


突然駆け寄ってきたネアに腕を掴まれ、青年は腰を抜かさんばかりに驚いている。

その片手を両手でがっしり掴んだネアは、得意げにディノの方を振り返った。



「ディノ、送り火の魔物を捕まえました!」


さくさくと雪を踏んでやってきたディノは、ネアが捕えた端正な顔立ちの青年を、呆れた目で覗き込んだ。

まだ擬態もしていない魔物に正面から覗き込まれた青年は、真っ青になった後、雪の上にへたり込んでしまう。


「ネア、これはリーエンベルクに詰める騎士だよ。送り火の魔物じゃないからね?」

「なぬ………」



どうやら間違えて、休日を楽しもうとしていた騎士を捕まえてしまったようだ。

慌ててお詫びしてから手を離せば、送ってあげようかという申し出にも千切れんばかりに首を横に振り、その青年は死に物狂いの駆けようで逃げていった。

ぼさぼさの黒髪に赤っぽい瞳など、大変に紛らわしいではないか。


そして、ネアはふと、リーエンベルクに詰める騎士達と、まるで接点がないことに思い至った。



「ディノ、…………大変です。私は、もしかしたら、騎士さん達に嫌われているのかもしれません」



さすがに放置は出来ず、その日の夜に相談に行ったグラストによると、騎士達がネアに近づかない原因はディノであることが判明した。



最近はゼノーシュも威嚇するので、グラストも時々仕事がし難いのだと言う。















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