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告解



その日のディノは、朝から憂鬱そうだった。

くたりと萎れ、長い髪を広げたまま窓の外を見ている。

一人で考え事をしたい時もあるだろうとそっとしておいたら、気付けば姿がない。


(どこに行ってしまったのだろう……………)


朝から吹き荒ぶ雪の日で、窓の外は白い闇に包まれている。

ほの明るい白い闇の向こうに、同じ白でも全く違う色彩を探していたが、今日は戻らないかもしれないと諦めて部屋を出た。



馬鹿なことを、あえてしてみたくなるときがある。


ディノの変化を見過ごしてしまい、すっかり気が塞いでしまったネアは、ラムネルのコートを着て、傘をさして雪の中に立ってみた。

音はなく切り取られた白い闇の中は、また見知らぬ世界にきたよう。

うっかり違う世界に迷い込んでしまったら、そこにはもう、大事な魔物はいないような気がした。


目を覚ましたら、また、あの夜毎煙草の煙のたゆたう、賑やかな街にいるのかも知れない。

家族の遺影すら置いてきた屋敷を思い、引き金を引くその時を考えているのかもしれない。

そんな想像に取りつかれ、いっそうに憂鬱になる。


「ネア、どうしたんだい?こんな雪の中で」

「………ディノ」


不意に後ろから抱き締められて、強張りかけていた唇が緩んだ。

白い魔物は、やはりこの白い闇の中でも鮮やかだった。

とても綺麗で、心が柔らかく震える。

ああ、無事に戻ってきたのだと思うと、不思議なくらいに安堵した。



「今日は、お出かけでしたね」

「どこかに行きたかったかい?」

「休日なので、ディノの好きなように使っていいんですよ」


そう微笑めば、ディノは小さく笑った。

いつもの微笑みとは違う、微かに耳障りな苦悩の軋みが聴こえる。


「時々君は、何もかもを承知している気がするね」

「ディノがそう思っていることは、恐らく何も承知していないので、説明を省かれてしまうと困ります」


こうこうと、雪が咽び泣く。

いつものように、すぐに部屋に入ろうかと、ディノは言わない。



「ジゼルの心を剥ぎ取ってきた」

「ジゼル……さんの?」



一拍の間があったのは、その名前と人物を繋ぎ合せた為だ。

そうか、あの竜かと、一致させてから小さく頷く。



「あれは、すっかり君に恋をしていたからね」



また頷く。

リズモの祝福の結果なので、特に否定もしない。

これ以上の変態は困るので、大変に遺憾ですと思うばかりだ。



「ジゼルはね、統一戦争で双子の妹を喪ってから、初めて誰かに心を傾けようとしていたんだよ。私が、君に傾けただけの心を剥ぎ取ってしまったから、またあれの瞳は翳り落ちた。残酷だと思うかい?」

「そう問いかけるということは、ディノはそれを残酷だと思うのですね」


今までの彼にないことだったので、不思議に思ってそう聞き返してみると、少し驚いたように短く息を飲んだ。


「……そうなのかな。自分ごととして知ってしまうと、それが残酷だと知ったのだろうか。知るということは、誰かの分まで知ってしまうということなんだね」



考えながら話す声の無防備さに、ネアは、大事な魔物を愛おしく思った。



「私は身勝手な人間なので、残酷だとは思いません。私はジゼルさんを大して知りません。ディノが竜は厄介だと話していたので、そうしてくれて良かったような気すらしますが、そう考えてしまう私は、残酷でしょうか?」

「ネアは、竜のジゼルを見てみたかったんだよね?」

「そうですね。大きな竜を見たことがないので、興味本位です。他の竜でも構いません」

「きっと、気に入るだろう。ネアにとってのこの世界は、………まだ無垢だ。まだ、目にしていないものが沢山あるよ。……私はもう、見尽くしてしまったけれど」


そんなことを大真面目に言うので、ネアは、思わず少し笑ってしまった。

この魔物は、何て純粋なのだろう。


「別に、何もかもを見る必要なんてないんですよ? 元々、せせこましく生きる人間の世界はとても小さなものです。この街に住む人だって、死ぬまで街の中しか知らない人も沢山いるでしょう。私も、手の中にあるもので漸く満足したので、このままでも構いません」

「……でも私は、ネアに世界を見せてあげたいんだ」

「どうしてですか?」


その質問に、ディノはとても嫌そうな声を出した。


「君に、この世界に満足して貰わないと困るから?」

「ふふ。私は、こんな風に大事な魔物を手に入れてしまったので、とても満足です。ディノがいなくならない限り、暴れたりはしませんよ?」

「……私がいなくなったら、暴れるのかい?」

「とても。そうしたら、周囲に大変な被害を出すかもしれませんので、いなくならないで下さいね」

「わかった」


声が少し弾んだので、気分が持ち上がったのだろう。

そのことに、こちらも何だか嬉しくなる。



「ねぇ、ディノ。私は、あなたが残酷な魔物でも、どうしようもない変態でも、あなたを手放せる予定はありませんよ?」

「………どうしようもない変態?」


少しの困惑が声に滲むので、まさか、この魔物は自覚がないのだろうか。


(なぜ、そんなところだけ世間知らずなのか!)


「ええ。私の、一番大事な魔物です」

「一番ということは、二番もあるのかな………」

「一番とは得票差があまりにもあるので、比較になりませんが、二番手はゼノです。ゼノの必須環境として、その中にグラストさんも含まれます。三番手はヒルドさんで、その中に必須環境としてエーダリア様とダリルさん……?も含まれます。ですので、その皆さんには、どうか悪さをしないで下さいね」

「ヒルドは三番手?」

「最近、何かとお世話になっていますし、仕事終わりの飲み会などでもご一緒しているので、エーダリア様より繰り上げました。表彰台以下に、料理人な妖精さんと給仕妖精さんと、タクスさんが入賞します」

「いきなり、一回しか会ってない人が入ってくるのだね………」

「タクスさんなくして、私の最愛の朝食は成り立ちません。春夏では牧場を切り換えますので、その時はまた別の農場主さんが入賞します。世知辛いですが、消費者とはとても移り気なものなのです」

「……ジゼルも、どこかに入るのかな?」

「ジゼルさんは順位圏外です。そもそも、物語本に出てきていた憧れの存在とはいえ、ただの獣さんと、私の大事な魔物を同列には考えたりしませんからね?」

「………獣?」

「ジゼルさんは、竜なのでしょう? ヒルドさんにも確認しましたが、本来の姿は、四つ足歩行ですよ?」

「………けもの」

「………も、もしかして、ディノにも本当の姿とかいうものがあって、獣や虫だったりします?!」


不自然な沈黙に慌てて振り返り確認すると、ぎょっとしたように首を振られた。



「私は、これが本来の姿そのままだよ」

「良かったです! 少しだけ、前言撤回しそうになりました!」

「ネアは、私が獣だったら、………嫌いになってしまうのかい?」

「もはやここまで大切になると、嫌いになることはありませんが、……イヌ科であれば、玉葱を食べさせても大丈夫だろうか?とか、寝台に入れたら毛だらけになるのかなとか、少し運用を考え直しますね。虫であった場合は、とりあえずお部屋は別にします」

「場合によっては、結構しっかりと追い出されてしまうのだね……」

「でも、ディノは違うのでしょう?」

「違うよ。だから、追い出さないで」

「はい。だから、追い出しませんよ」


結んでもいないばらばらの髪を引っ張ってやると、ディノは、嬉しそうに微笑んだ。

ネアは、かつての家族のようにいなくなってしまわずに、無事に戻ってきてくれた魔物の姿に満足する。


「ところで、お仕置きがあります!」

「……え、お仕置き?」

「今日は何も言わずに遊びに行ってしまって、とても心配しましたので、今度また雪菓子狩りに連れて行って下さい」

「わかったよ、ご主人様!」

「そして、明日の明け方には、飛び込みはしません。ゆっくり寝かせて下さい」

「………ご主人様」

「そんな顔をしても駄目ですよ。夜明け前に過激な運動をする私の身にもなって下さい!夜明け前に急に寂しくなってしまった時は隣に寝て構いませんから、私に無茶をさせないで下さい。人間は、夜明け前のあたりが一番幸せな睡眠の真っ只中なのですよ」

「隣に寝ていいのかい?」

「夜明け前にのみ、我慢出来なければ勝手に上がって構いません。もし今日も夜明け前に起こされたら、私は荒れ狂う自信があります」


夜明け前の謎のご褒美要求は、今朝で七回目になる。

よく考えれば、あの竜に会ってから毎日なので、魔物はかなりストレスを溜めていたのだろうか。

しかし、ご主人様のストレスもその比ではない。

朝一番でも複雑なのに、起床までの二度寝には足りない程度の時間しかない妙な時間に起こされ続ければ、どれだけ慈悲深い人間でも沸点も低くなるというものだ。



「ネア、」

「どうしました?」

「持ち上げてもいいかい?」

「今はいくらでも。でも待って下さいね、傘を畳みます」



魔物的不思議魔法で、雪だらけにはならないだろう。

そう踏んで傘を閉じたネアは、自分との違いを一瞬失念していたという魔物のせいで、若干吹雪かけている風雪に揉まれて見事に雪まみれになった。


とても険しい眼差しになったので、魔物はひどく狼狽えたが、こちらにとってもあんまりな仕打ちなので、お仕置きは追加せざるを得ないだろう。





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