6. 魔物が厄介なものを集めてきました(本編)
それは、転職活動の、最初の一歩を踏み出した日のことだった。
後ろめたい気持ちで部屋に帰れば、まだあの魔物は帰巣していないようだ。
ほっとする反面、どこか理不尽な孤独感を味わうのは昨晩から同じ。
最初の数日間はべったりだったものの、ネアの歌乞いとして処遇が決まると同時に、ディノは頻繁に姿を消すようになった。
クッキーモンスターと名付けた、廊下で行き倒れているのを見付けた魔物への餌付け開始直後で拗ねたのかと思ったが、まだその事実はばれていない筈だ。
昨日、エーダリアとの会話をした結果、この王宮には女中も従僕もいないと知ったので、今迄通りに自分でお茶を入れる。
実はこの部屋の一画に、常になみなみとお茶が入った魔法仕掛けのポットのようなものがあるのだが、一人だと手持無沙汰なのか、やはり慣れない世界で緊張しているのか、はたまた中身が美味し過ぎたのかすぐに飲み切ってしまったのだ。
茶葉はかなり豊富に取り揃えられており、悩みに悩んでから芒果と夏の花の紅茶を選んだ。
誰が磨いているのか分らないのにぴかぴかなまま備え付けになっている銀器の他に、ティーセットなども高価そうな陶磁器の一式が置かれており、目にも嬉しい華やかさだ。
(それにしても、この世界は魔法でえいやっ!な簡単な世界でもないのだわ………)
魔術汚染、或いは魔術浸食。
そんな言葉で括られる病名があり、抗体を持たない人間は指先から結晶化するらしい。
それは、この世界において、魔術的な抵抗力の低い人間を襲う不治の病だった。
薬の魔物が精製する薬でのみ治療が可能だが、様々な後遺症があるので基本的には魔術と関わらないのが一番である。
そしてそれは、とてもありふれた病だった。
観測される限りの過半数以上の人間は、微力ながらに魔術耐性がある。
それでも時折、強すぎる魔術と欠け過ぎる抵抗力がぶつかり、弱いものが壊れてしまう。
だから、歌乞いが二人もいるこの王宮には無駄な人員がおらず、魔術の素養のある最低限の人間の手で運営されているのだそうだ。
ネアの暮らす離宮の警護が少ないのも、止むに止まれぬ事情だったわけだ。
魔物と関わらない歌乞いは孤独なのだそうだ。
魔術師の友を得ない魔術師も孤独だろう。
魔術持ちと称されるどんな魔術師であっても、人間の中に魔術は生まれない。
妖精や精霊、魔物や怪物達から奪い、或いは土地から借り受けて扱う技術だ。
けれど、例えそうであっても、魔術に恵まれた人間は、奪われてしまう弱者にとってこの世界で奪う側の脅威とされてしまう。
本来人間に関わらない人ならざる者達が姿を見せるのは、お前達がいるからだと。
“一般的”の分配は魔術持ちに偏っても、それでも傷付くものは悲鳴を上げる。
ここまで歌乞いが数を増やし、魔術を学び司る白い塔が王都に立っても尚、この王宮に勤める人間のほとんどは、そんな痛みに晒されたことのある人間なのだ。
ネアはふと、エーダリアが元王子であっても、時折孤独に見えることを思い、少しだけ不憫に思った。
この土地は魔術が潤沢で抵抗値の低い人間はあまりいないそうだが、それでも彼の周囲にはあまり人がいない気がする。
なにしろ、彼は魔術を修める機関の長なのだ。
(その上でここにはディノも来てしまったから、いっそうに外部の人達が近付けなくなっているのかもしれない………)
「そうなると、歌乞いだという私は、早く身を固めないといけないんでしょう」
エーダリアやエインブレアの反応から判断するに、ネアは歌乞いとしては弱いのだろう。
だが、歌乞いになれるだけの魔術は持ち合わせているに違いない。
であれば、弱くてもこの身の扱い方を誤らないよう、バランスのいい相棒を手に入れる必要がある。
生活力に長け、汎用性の高い、ネアが己の道筋を間違えない程度の魔物。
ネアが絶賛餌付け中なのは、クッキーモンスターと名付けた少年姿の魔物だ。
白混じりの水色の髪の毛をした檸檬色の瞳の美少年なのだが、その美少年さが排他的なものにならないのは、あの食いしん坊で愛くるしい性格故だろう。
(クッキーモンスターが第一候補なのは揺るぎないとして、煉瓦の魔物は現在契約中、酵母の魔物はフリー。火種の魔物は性格が面倒そうなのでパス。木通の木の魔物は、才能をどう生かしてあげればいいのかわからない……)
木通の実は、特定の時期の野生のものの収穫に限られる。
流通にも向かず、そこまでの需要もないので商売するにも難しい。
その蔓が細工向きではあれど、ネアに工芸の才能はない。
せめて、どこかの貴族や王族に、定期的に木通顧客になってくれる世間知らずがいれば。
「あとは、煉瓦と酵母をひとまず残そうかな。本当は煉瓦がいいけれど、彼のご主人はまだ存命なので、大目に見積もって二年くらいは待ち時間が出てしまいそう」
面倒見の良さそうな兄貴分の気質で、多少打算的なところあり。
商売としての需要があり、華美過ぎない容貌の煉瓦が少し気になっている。
こちらに興味を持っているようなので、浮気してくれないだろうか。
(まぁ、数打てば当たるでしょう。今日だけでこの数に会えたなら、順調に面接をこなしてゆけば!)
昔勤しんだことのある面接のあれこれを思い出そうとして、ネアはふと、鏡の中の自分を再確認しなければと気付いた。
淑女たるもの身だしなみも大事なのだが、最近頭が忙し過ぎてすっかり疎かになっていた。
そこそこに広い部屋を走り抜け、大きな姿見の前で仁王立ちになる。
「………私は、こんな容姿だったかしら」
良く考えたら、ネアの祖国に青みがかった灰色の髪は生まれないし、こんなに複雑な色の鳩羽根色の瞳も人種的にはない。
困ったことにあまりよく思い出せないけれど、これがオリジナルでないことは確かだった。
知らない間に、何だか違う容姿になってしまっていた。
(……………おや、まさか、仮面の魔物?)
こてんと首を傾げれば、鏡の中の現在のネアも首を傾げる。
「ただいま、ネア!!」
ばぁん!と激しい音を立てて、森に面した硝子扉が開いた。
若干久し振りの白い魔物が、何やら大荷物でご帰還めされる。
抱えてきた荷物を一度全部床に捨ててから、大げさな仕草でネアを絞殺しにかかった。
「むぎゃ?!ディノ!!帰る早々、私を絞殺そうとは何事ですか!おのれ、持ち上げないで!!」
お帰りのセレモニーなどやっている場合ではないのだ。
今は一刻も早く、この、気付かない内に姿変わってたっぽい事件をどうにかしなければ。
「褒めてくれるかい?ネア。言ったもの、全部持って帰ってきたよ!」
「………全部、ですか?」
嫌な予感を察知したネアは、ディノが足元に散らばらせた品々に焦点を合わせる。
ディノに抱きかかえられて地面から遠くなっているので、若干詳細が掴めないものもあった。
(え、なんだろうか、この、…………どっかの宝物庫襲ってきました、みたいな品々は)
「これは、何でしょうか?」
「えっ、ネアもう忘れてしまったのかい?この前の夜、偏屈魔法使いの魔術書の図録を見ていたよね。あれを見て、ネアがこういう品物が手元にあれば、資金源にもなるのにって私に言ったんだよ」
「…………エーダリア様の魔術書の付録図録」
あれは確か、グリムドールの鎖の説明の延長から拝見した、人ならざる者が作り上げた、高価稀少な魔術道具や宝石などの一覧ではなかっただろうか。
中には実在するかどうかもわからない、未知の品物も多かった筈だ。
さっぱり自分事ではなく、物語のアイテムブックを見る感覚で楽しく読んでいたあれだ。
「……これは?」
視線の真下には、ダチョウの卵めいた、透明度の高い緑の宝石の塊がある。
その塊の奥の方で炎が弾けているのは、何やら不穏な気配のする一品だった。
「竜の卵だよ。水竜のものは地味な色だったから、火竜のものにしたんだ。赤と緑で火竜の卵にしては複雑な色だ。女の子が好きそうな色だからね」
「親御さんに返していらっしゃい!!!」
「…………喜ぶと思ったのに」
「そういう目でどうにかしようとしないで下さい。なりませんよ!そして、向こう側の毛皮は、何やら動いているのですが………」
もごもごしている鮮やかな青の毛皮は、その全ての毛筋が先端だけ金色になっている。
しっとりと贅沢そうな艶やかさで、思わず飛び込んでみたくなる見た目だが、動いているのがいけない。
「ラムネルの毛皮だね。火に纏わる全ての魔術を弾くし、羽織ると外気温の影響を受けなくなるんだよ。既に羽織れるように仕立てられたものもあったんだけど、その国の王宮に仕舞われてて色がくすんでたから。一つ捕まえてきたけれど、暴れないよう血抜きもしたのだけど、まだ動くみたいだね」
「まさかの殺したて?!」
そして、絶賛動いている。
ラムネルは、狼の姿の精霊だ。
人間の目の前には滅多に姿を現さない氷の精霊の王族の一系譜で、世界全域を合わせても滅多にお目にかかれない特別な生き物。
人間に害を成した一頭を、数百年前に討伐したのがその目撃の最後だった筈だ。
アイテムブックには、確かそう書かれていた。
(どうしよう。返してきなさいって言っても、もうどうにもならないものも結構ある)
失われた命は戻らないし、木の実のように、捥がれてしまった以上、物理的に元通りにはならなさそうなものもある。
「ディノ、私の為に頑張ってくれたのは嬉しいけれど、これはいけません。…………取り急ぎ全部を見て、どんなものだか確認していきます。きっと、元の場所に返すべき品物もあるでしょうけれど、私では識別出来ないものが多いので、返すべきかどうかの判断は、エーダリア様にも協力して貰いましょう」
「ネアは、いらないのかい?」
不思議そうで、寂しげな声。
視線を合せた魔物は、ほんの少し薄汚れていて、長い髪が少し絡まっている。
思考が抜け落ちそうなくらい綺麗で、どこか危うい。
手を伸ばして、その髪を指で梳いてやった。
それだけで、ひどく嬉しそうに口元を綻ばせる。
「ほら、こんな風になっちゃって。どこか、危ないところにでも行ったんですか?」
「危なくはないけど、海の方は風が強かったかな。影響を受けない術はあったけど、繊細な魔術の品物をたくさん持っていたから、あんまり展開しないようにしたんだ」
その繊細な品物たちは、いまや無残に床に転がっている。
それは、この魔物が帰ってくるなり、ネアに抱きついてきたからだ。
「でも、君があんまり欲しくないなら、ずっと君の傍にいれば良かった」
老獪なくせに悲しげに言うので、ネアはやれやれと苦笑する。
こういうとき、幼気な雰囲気を纏うのは本当に狡い。
「じゃあ、私はこの中から、ディノがお薦めのとっておきを一つ貰います。あんまり持ち過ぎると特別感が薄れてしまうから、宝物は一つでいいんです」
「私が決めていいのかい?」
「だって、ディノが持ってきてくれたのでしょう?ディノのお薦めがある筈です。でも、卵は可哀想なので返してきましょうね」
「じゃあ、毛皮かな……」
「まさかの……」
「仕立て屋の魔物がいるから、コートにでもしようか。言えば朝には仕上がるよ」
「それは、その魔物さんの心は死んでしまう程の仕打ちなのでは……」
「でも、毛皮だと冬だけだね。身に着けられるものにしようかな」
「日常生活に支障のない範囲でお願いします」
向こう側に転がっている王冠は断固却下だ。
そして、きちんと品物の効果を知ってから判断しよう。
「…………これにする」
ややあって、ディノが決めたのは乳白色のシンプルな指輪だった。
鈍い透明なそれを灯りに透かせば、様々な色の色彩が躍る。ホワイトオパールみたいで綺麗だ。
もっと大袈裟なものを選ばれると思っていたので、ネアは内心ほっとした。
この指輪であれば、自分で選べと言われてもこれにしたかもしれない。
(夜明けの光が七色に入る、不思議な霧を指輪にしたみたい)
どこか懐かしいような、不思議な気配がする。
「これは、どういう効果があるものなんですか?」
「守護だよ。この指輪をつけている限り、君はどんなものからも損なわれない」
「…………無敵道具」
何とも無茶な要素を持つ指輪だ。
やはり、ディノは一筋縄でいく品物を選びはしなかったようだ。
(そう言えば、こんな指輪、図録の中にあったっけ?)
「気に入った?」
ひどく心配そうに聞くので、ネアは笑ってしまった。
「とても綺麗ですね。有難う」
そう言えば、ふわりと満足げに微笑んだ。
ただ麗しいだけではない、どこか男性的な微笑に、ネアは少しだけ背筋が寒くなる。
(そうだった。駄目なものは駄目って、ちゃんと躾けもしないと)
「さぁ、ディノ。落ち着いたところで、選別と、返却にお詫びを開始しますよ。特に人様の敷地の中にあるものは、勝手に略奪してきてはなりません!とは言え私はきちんと謝って叱られたくはない狡賢い人間なので、こっそり返しに行きましょうね。きりきり働いて下さい!」
残念ながら帰宅時からずっと抱きかかえられたままなので、手綱のように長い髪を掴んでそう宣言すると、白い魔物は幸せそうにうっとりと笑った。
先程の微笑みとは違う、もっとわかりやすく、あたたかな種類のもの。
「ネアに叱られるの大好き」
「違った。全力で知りたくない方向に振り切った!」
けれどもこの日、恐らく一番泣きたいと思ったのは、この惨状の後始末を任されたエーダリアだっただろう。
ネアが、いつの間にか姿が変わってた問題に再び気付いたのは、その夜の寝台に入ってからだった。
勿論、良質な睡眠の為に問題は翌朝に繰越すこととした。