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羽ペンの妖精が生まれた朝

「ゼノーシュ、これは何だろう」


その日の朝、報告書にサインをしていたグラストは、机の上に転がり落ちたものに瞠目した。

向いに座って、朝食に向かうべく早く部屋を出ようと催促していた自分の魔物に、思わずそう尋ねる。


机の上にいたものは、羽だった。

いや、直前までグラストの羽ペンだったものが、根元からぽきりと折れて羽に羽が生えた謎の生き物に進化したのだ。

浸したばかりだったインクの心配がされるが、どこに消え失せたのか報告書に飛び散ることもなく、それどころか綺麗さっぱりなくなっている。

羽は、背中とおぼしき位置に生えた羽を震わせ、経年で少しだけけばだった部分に出現したつぶらな瞳で、じっとグラストを見上げていた。

羽的には一応、飛んだり跳ねたりしているので、机の上でかさかさしている。


「…………妖精だと思うよ。羽ペンから生まれたのかも?」

「ものすごくこちらを見ていますが……」

「親だと思ったのかな?」


その言葉を口にした途端、ゼノーシュはしまったというような表情になった。

対するグラストは、何とも言えない表情で自分を慕い見上げる羽ペンの妖精を見つめていた。




朝食の席に、グラストは決済済の書類用の浅いトレイに入れた謎の生き物を持ち込んだ。

通常、グラストとヒルドは、ネア達より少し早めに朝食を済ませてしまい、同席はしない。

エーダリアは階級などの差で同席を拒むような上司ではなかったが、ヒルドは朝が早く、グラストはゼノーシュの食事中はその面倒を見るという任務があったからだが、今朝ばかりは様子が違った。


全員が同じ時間に食卓を囲み、かさかさ動く生き物を観察している。


「この形態は、私も初めて見るものですね。羽を見るに、恐らく妖精ではあるのですが」


どこか懐疑的にヒルドが言うのも仕方がない。

自然界には新規の妖精が生まれることもあるが、きちんと妖精としての新しい姿を形成して生まれてくる。

このような形で、元々の品物から生まれ出ることは例がなかった。


「付喪神的なやつでしょうか」


本日もホイップバターを堪能中のネアは、羽ペンの妖精を一瞥し、興味なさそうにそう評価する。

鳴くわけでもなく、かさかさするだけなので、虫のようであまり好みではない。

食卓の席にかさかさ動く生き物を持ち込まれるのは、あまり歓迎出来る事態ではなかった。


「つくもがみ、とは?」

「長年愛用した品物に、人間の思念が入りこんでゆき、生き物としての生を得るものです」

「……グラスト、この羽ペンは愛用していたか?」

「そう言われれば、雪喰い鳥の羽で丈夫でしたので、何年かは使っていますが……」


わいわいしているエーダリア達を眺めて、

そこでネアは、違うことに興味を持った。


「ディノ、灰色に銀色の配色を最近よく見るのですが、多いんですか?」

「冬の魔物や妖精には多い配色だからね。その中でも、高位のものがよく纏う色だよ」


ムグリスの女王や雪竜など、灰色と銀色の色彩のものが幾つか頭に浮かんだのだ。

どうやら、雪喰い鳥とやらは高位の生き物らしい。

常用されてもペン先がボロボロにならないのであれば、確かに頑丈な羽だったのだろう。


「あれ、飼うんでしょうかね?」

「さあ、どうだろう」


ゼノーシュの目がかなり暗いので、ネアは野生に放つ方針を提唱したい。

だが、自分の手の中で生まれてしまった羽ペンの妖精に、グラストは情が湧いたようだった。




羽ペンの妖精は、その後グラストの手で回収されていったようだ。

ネアはその日が休日だったこともあり、ご機嫌で厨房に向かっていた。


アルバンの山にある牧場から、新鮮な牛乳が届いたと一報が入ったのだ。

朝食の席には間に合わなかったので、料理人がその旨の連絡をくれたのである。

勿論、届きたてを飲みたいネアは、屋敷妖精の手を借りる間も惜しんで自ら厨房に乗り込むしかない。


楽しみにし過ぎたのが良くなかったのか、

それとも回廊には誰の人影もなく、他の生命の要素がないと信じ込んでいた王宮内だったのが良くなかったのか、ネアはうっかり鼻歌を歌ってしまったようだ。


「………………はぶっ」


ひらりと、急に何かが顔に当ってきたので、思わず鷲掴みにして引き剥がす。

眉を顰めてそのぺらぺらしたものを確認したネアは、見る間に青くなった。



「エーダリア様!」


かなり容赦なく扉を開けて執務室に飛び込んできたネアに、エーダリアは持ち上げたばかりのカップを落としそうになった。

思わず手が揺れて、淹れたての紅茶の飛沫が指にかかる。


「なんだ、何をしでかした?!」

「ヒルドさんは、ヒルドさんはいませんか?!」

「ヒルドなら、今は資料を取りに………」


首が振り切れそうな勢いでエーダリアが指示した方を見たネアは、

隣室の続き間から、ちょうど数冊の大判な本を抱えて戻ってきたヒルドの姿を発見する。

もはやエーダリアは用済みなので、早々にそちらに向かった。


「ヒルドさん!どうしましょう!とんでもないことをしてしまいました!!」

「…………っ?!」


いきなり飛びつかれたヒルドは、声にならない声を上げて抱えていた本を全て床に落とす。

画集であったので、一冊で子供ほどのサイズのものを何冊も積み上げて軽々と運んでいた分、床に落ちた本は物凄い音を立てた。

ばさりと開かれた羽が淡く光り、その光景を見ていたエーダリアは蒼白になって顔を背ける。



「………ネア様、どうしましたか?」


一瞬絶句した後、ヒルドは何とか立ち直って問い返した。

耳が微かに赤いが、見事に動揺の気配は掻き消されている。


「グラストさんの妖精を殺してしまいました。悪気はなかったんです……」


泣きそうな顔でぎゅうぎゅうとしがみついてくるネアは、よく見れば片手に羽のようなものを掴んでいる。

割と雑に掴まれたその羽は、妖精ということもなく単純にただの羽ペンにしか見えない。


「落ち着いて。事情を説明してくれますか?」


大慌てのネアの髪を撫でてやりながら、ヒルドはちらりと、こちらを驚愕の眼差しで見ているエーダリアに視線を向けた。

無言で羽を広げ、視界を遮る。


「回廊で誰の姿もなかったので、つい鼻歌を歌ってしまったんです。そしたらこの羽が、ぽそりと落ちてきて顔に当りました。顔から引っぺがした瞬間には、羽があったので妖精さんだったのだと思います。今は、……こんな風にただの羽ペンに戻ってしまいました」


「成程………」


「どうしましょう、ヒルドさんなら生き返らせたり出来ますか?」

「森に属する妖精なら或いはですが、これはさすがに難しいですね」

「………そう、ですよね。やっぱりもう動きませんよね」


悲しそうにしながら、目の前の妖精が助けにならないとわかったネアは、現金にもヒルドから手を離す。

羽の隙間から顔を出して、一応エーダリアの反応も窺った。

手に持った羽ペンを見せられ、エーダリアは渋面になる。


「人間の魔術にも、そんなものはないぞ。お前の魔物に相談しろ」

「そうします。妖精の分野でしたので、ヒルドさんに直撃してしまいました」


そこでふと、ヒルドが眉を持ち上げた。


「ネア様、…………もしかしてこれは、グラストの羽ペンではないのでは?」


「………え?違う方の妖精さんなのですか?」


「エーダリア様、このペンは確か、ガレンエーベルハントの雪喰い鳥討伐記念のものですよね?」


「ん?ああ、その際に配られたものだ。確かに一本というものではないが……」


近付いても大丈夫だろうかと不安そうにしながら、エーダリアは散らばり落ちた画集の間を縫うように、ネアの傍までやってくる。

差し出された手に乗っている羽ペンを見て、驚いたように首を振った。


「本当だ。これはグラストのものではないな。羽の模様が違う。………ん?もしや、私のものか?」

「エーダリア様のものはどちらに?」

「どこかに仕舞い込んだまま忘れていたな。確か、リーエンベルクにはあったと思うが……」


ネアの手から、羽ペンを持ち上げ、エーダリアは短く頷いた。


「これだな」


「………良かっ……エーダリア様、羽ペンの妖精さんに会わせてあげられず、申し訳ありません」

「今、確実に安堵しかしてないだろう」

「いえ、とんでもないです。お騒がせしてしまい、失礼いたしました」

「何で早々に帰ろうとしているんだ」

「私は厨房に大事な用件があったのです。人様を待たせるのはいけないことです!」

「どうせ、食糧事情とやらだろうが……」

「この羽ペンは、お戻しいたしますね。またいつの日にか、妖精になることもあるかもしれません」



その後、惨憺たる有様の部屋を後に厨房に向かったネアは、

決して鼻歌は歌わないように、自分を戒める。

もう二度と、羽ペンの妖精を殺すわけにはいかないのだ。

厨房からの帰りが遅いと心配したディノに迎えられ、心穏やかに搾りたての牛乳を堪能することが出来た。





後日、グラストの羽ペン妖精はリーエンベルクから姿を消した。

グラストは少し寂しそうであったが、虚ろな目のゼノーシュが森に帰したと呟いていたので、誰もそれ以上の追及は出来なかった。


あの、かさかさするしか能のない妖精が、果たして大自然の中で生き抜けるだろうか。

ネアは微かな懸念を押し殺し、今朝も素晴らしい朝食に邁進する。








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