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妖精の羽



打ち合わせの後、ネアはヒルドから昨日上げた生薬の材料の評価を貰っていた。


ここ数日少し距離を置いていたせいか、謎に角地に追い込まれての対談になっている。

羽が光るのは殺意ではないらしいが、では一体どんな精神の作用なのだろうか。


なんとなく、自分が彼に与えた仕打ちのせいだと言う気がしたので、そうなると恐ろしくて深追いは出来ない。




「昨日のユレムは、とても良い質でしたよ。塔でも、あのような状態で手に入ることは稀だと」

「良かったです!狩りの腕を上げて、もっといい商品をお届け出来るようにしますね」



ネアが昨日仕留めたのは、ユレムという漆黒の蝶の姿をした精霊の一種だった。


庭から少し森に踏み込んだ先で見付け、綺麗なのでうっかり手を伸ばしかけたところ、撃墜してしまったのである。

一緒にいたディノによれば、その精霊はとても邪悪で攻撃的らしく、指輪の守りに触れたのだそうだ。

高価な薬の材料になると聞いて、葉っぱに包んでお持ち帰りした次第である。


(採取しようとしても、結構な犠牲者が出るから高価だったとは………)


あの蝶は人間の血を餌としており、ものすごく獰猛なのだ。

その代わり、血液の難病によく効く薬になるらしい。


実はこのような経緯で、ネアは薬の材料集めを得意としていた。


ほとんど万能な薬を作成しうるディノがいるのだから不要だと思われたが、塔という場所は研究機関でもある。

完成した薬の他に、その材料も大変に歓迎された。


以前鼻歌で全滅させた蜂の魔物の集団も、高価な解毒剤に生まれ変わり活躍しているし、とある一件の後より、冬の間だけヴェルクレアに渡ってきている、ムグリスという兎の妖精の捕獲率も高い。


ムグリスは、一人の人間に対し、生涯に一度だけ与えてくれる祝福により、その人間に魔術を授ける。

魔術浸食の難病の唯一の根本的改善策となるので、ムグリスも大変喜ばれた。

ネアとて切実に欲しいものではあるのだが、残念ながら一人につき生涯に一度と決まっていたせいで、二匹目に捕えた弱小ムグリスの、二階級しか上げられない祝福で終わってしまった。


その後、貴族や王族クラスのムグリスを捕獲したこともあったので、魔術可動域を上げきれなかったネアの心の闇は深い。



「もし、リズモという妖精を見付けたら、捕まえるといいですよ。季節柄、人里にも降りてきていますからね」


ネア産の薬の材料の評価報告の後、ヒルドはそんなことを教えてくれた。


「りずも………」

「金貨の妖精ですよ。彼等の祝福を得ると、様々な財産に恵まれるようになります。ただ、薄紅色の羽を持つ個体には、注意して下さいね」


そう言いながら、ヒルドがさらさらと紙に描いてくれたのは、毛玉に羽が生えたような生き物だった。


ムグリスもだいぶ丸いが、リズモはほぼ真円だった。

真ん丸の毛玉につぶらな瞳があり、ぴょこんと妖精の羽が生えている。


「すごい、ヒルドさんは絵もお上手ですね!」


金運に目が眩んで、はしゃいだ声でその絵姿を受け取ると、なぜか慌てたように目を逸らされる。


「いえ、記憶すること自体が得意ですのでね」


微かに耳が赤いので、もしや照れてしまったのだろうかと思って、ネアは微笑ましくなる。

ヒルドのような近寄り難い美貌でそれをされると、とても良いギャップではないか。


「リズモ、必ず仕留めます!」


ぽつりと呟いて、その絵姿を大切に仕舞い込んだ。

この妖精を乱獲すれば、資産運用もお手のものだろう。


「そう言えば、妖精さんは羽に触らない方がいいのですか?」


捕獲の際の注意を知っておこうと、ネアはヒルドに問いかける。

ムグリスの際に、ディノに忠告されたのを思い出したのだ。


「…………っ!」


なぜか、激しく動揺された。


滅多に見ないヒルドの姿に、ネアは少し驚いてしまう。

昆虫も羽への接触に弱かったりするので、余程凄惨なことになるのだろうか。


「羽に触れると、死んでしまったりするのでしょうか?ムグリスを拾った際に、羽には触れないように注意されたんです」


心配になったネアに、片手で口元を覆ったままのヒルドが小さく息を吐く。

まだ殺していないことは伝わったようで、動揺は収まったようだ。


「………そうですね。妖精の羽には、決して触れないように。特に、内側の羽には決して触れてはいけません。偶然の接触というものは考慮されますが、触れようと思って触れると、厄介なことになります」


(確かに、不慮の事故であれば過失があっても考慮されるし……)


きっと、意図的に触れると殺意ありとみなされて、ひどい報復や呪いなどが発生するのだろう。

ここまで厳しく言い含めるヒルドは、初めてだった。

重ねての注意喚起であったので、ネアは重々しく頷く。



(宝石を薄く削って張り合わせたみたいで、とっても綺麗なのに)



ヒルドの羽は時々無性に触りたくなることがあったので、ネアとしては残念な情報だった。

ゼノーシュのふわふわの髪の毛は撫でられるが、この羽は諦めるしかないようだ。



「…………触りたいですか?」



名残惜しく見ていたのが伝わったのか、薄く苦笑する気配があった。

滅多に開かない羽をふわりと広げ、その美しい色彩を見せてくれる。


鳥の翼などであれば想像もつくが、妖精の羽はまったく未知のものだ。

危いので早くしまって欲しいが、ついつい目は釘付けになってしまう。

この大きさのものを、どうやって日常的に守っているのだろう。


「ヒルドさん達の羽って大きいですよね?偶然触れられてしまったりはしないのでしょうか?」

「そのような接触は認識されないんです。打撃も同じ扱いですね」


ということは、概念的なダメージが発生するのだろうか。

ネアはますます混迷に包まれる。


(“触れた”ではなく、“触れられた”という状態が発生すると駄目なのかもしれない)



だが、確かに単純に触れるだけでいけないのなら、うつ伏せでしか寝れなくなってしまうではないか。

洋服も髪の毛も日常生活に危険が多過ぎる。


ネアが、あまりにも不思議そうにしているのがわかったのか、ヒルドは柔らかな微笑を深めた。


「そこに触れようと願い、触れることを許したということで成立するんですよ。ですので、我々が認識していなかった接触にはあまり重きをおきません」


ヒルドの広げた羽の内側に立っているので、滅多に見えない内羽もよく見えた。

人型の妖精は、基本的に四枚羽だ。六枚羽になるとシーと呼ばれ、妖精の王族にあたる。

内側にある左右一枚ずつの羽は薄く、普段は外羽の中に隠されているので目にすることはない。



(…………羽、六枚あるし…)



一見四枚羽のヒルドだが、広げれば六枚あるのは一目瞭然であった。

とすれば、彼はシーなのだ。


そして、こうして晒されていると、何やら親密な光景にも思えて、ネアは少しだけ気恥ずかしくなった。


慌てて言葉を繋ぐ。



「概念的なものでもあるんですね。こうして見ていると、とても繊細に見えますが、眠っているときに、体の下に敷いてしまっても大丈夫なのですか?」

「丈夫ですよ。それこそ、髪や爪と同じようなものです」

「良かったです!こんなに綺麗なのに、損なってしまったら嫌ですものね。……あ、ヒルドさん、羽には菫色も入るんですね」

「…………菫色?」


ヒルドは片眉を上げて、自分の内羽を覗き込んだので、知らなかったのだろうか。

確かに、羽の構造上、付け根あたりの色彩は本人には視認し難い。

だから気付かなかったのだろうと、ネアは得心する。



「この付け根のあたりですよ、鏡で見た方がいいかも…」

「いえ、それなりに自由に動かせるので…」


ネアが、触れない程度に手で指し示したのと、

ヒルドが羽を大きく打ち広げたのはほとんど同時だった。


「……っ?!」



慌てたネアは咄嗟に腕を引き、崩れそうになった体勢をヒルドが片腕で支える。

何とも言えない沈黙が落ち、双方、目を瞠ったまま短く息を詰めた。


(………さ、触らなかったよね?)


ネアは、ばくばくする心臓の音に混乱しながら、必死に記憶を辿る。

一瞬のことなのと、恐怖の方が大きかったので、もはや指先の感覚の記憶など曖昧だ。


しかしながら、ヒルドは無事に生きているようなので触らずに済んだのだろう。



「ごめんなさい、危なかったですね。さっきのお話を聞いていたのに不注意でした」

「いえ、今回は私も急に広げましたから」



そう答えるヒルドの声は穏やかだが、微かに短く詰められた吐息の悩ましさに、ネアはぞくりと背筋が寒くなる。



(こ、殺されないよね………?)



実は、苦痛を押し隠しているだけだったらどうしよう。

その場合は、決して憎しみを溜め込まずに、すみやかにこの場で告知して欲しい。



「………本当に、痛かったりもしていませんよね?」


また受け答えがぎくしゃくしたのに気付き、ヒルドが何度目かの苦笑を浮かべる。



ディノの微笑みが、艶然とした魔物らしく深く謎めいたものであれば、

ヒルドはいつも、やれやれ仕方ないなという風に怜悧な美貌の端で小さく微笑む。


同じ人のものとは違う美しきものでも、だいぶ性質が違っていた。



「そんなに怖がらなくても、触れたければ触れても構いませんよ」

「そ、そうなのですか?」



なんとも難しいことを言う。

ここで触らせて欲しいと言えば、一体どうなってしまうことだろう。


(あれか!男性が時々やる、痛みに強いぞ自慢みたいなもの?)



しかし、ディノのことでもそうだが、ネアには、相手に苦痛を与える性癖はないのだ。

なぜにこの苦悩に付きまとわれるのか。



「………あの、……とても勇気が必要なので、また今度にしますね」


この場は何とか断ったネアに、ヒルドは小さく笑う。



「いつでも」



ヒルドと離れ部屋に戻る道中、ネアは自分の指先を恨めしく睨む。

あの時この手を引っ込めておけば、こんな恐ろしい目に遭わずに済んだのだ。



「………む、」



ふと、窓からの採光が高い回廊のところで、指の腹の部分がほんの微かにきらきらとしていることに気付いた。


ざあっと血の気が引き、手が震えそうになる。


(こ、これ、……まさか妖精の粉じゃないよね?)



高位の妖精は滅多に落とさない、妖精の粉。

もしこれが指先に付着しているとなれば、この指先はヒルドの羽に触れたということになる。





その日、仕事終わりでリノアールに駆け込んだネアは、ヒルドへの貢ぎ物として、妖精の好きな金色の葡萄酒を購入した。

何とか、穏便に済ませて貰おうという腹積もりである。


ディノが不審そうにしていたので、仕事の話をしていてヒルドを怒らせたかも知れないと白状すれば、不憫になったのか甘やかして貰った。







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