雨音は柔らかく
雨音に目を覚ました。
夜明け前の淡く青い光と、窓を叩く雨の音。
深く深く息を吐き、寝台の中の温もりに安堵する。
あの朝は、肌寒かった。
夏の朝の割に寒く、その肌寒さに目を醒まし天井を見上げていた。
『話し合いに行ってくるから。大丈夫、すぐに帰るよ』
父親の穏やかな低い声に頷き、胸騒ぎを押し殺した。
子供だと言い張るには少し大人になり過ぎていたが、彼等の子供であることには違いなくて、だからこそ止める手立てはなかったのだと。
父は端正で理知的な人で、母は華やかで綺麗な人だった。
小さな弟がいたことがあったが、数年前に病気でこの世を去っていた。
古いあの屋敷には、ただ穏やかなだけの笑い声が満ちていた日々もあったのに。
足音の響く冷たい廊下を歩く靴音が、耳の内側でこだまする。
受付で名乗ったとき、案内を引き受けてくれた女性からのお悔みの言葉。
無機質な時刻の確認と、書類作成の説明。
雨音と、雨音と。そうして、長くも短くもない一日が永遠に暮れてゆく。
これは事故なのか。
ほんとうに、事故だったのだろうか。
柔らかな毛布を頭からかぶって、安堵の息を長く震わせた。
雨の音は大好きだ。
今はもう、過去は過去としてきちんと完結させている。
終わらせることが出来た自分の強さは、あまり嫌いじゃなかった。
だから今もこうして雨音は、柔らかく心地よく、耳に馴染む。
部屋の中には他の誰かの気配があって、気配にも温もりがあるのだなぁと頬を緩める。
ここには優しいものがたくさんあって、そして穏やかな日々が続くばかり。
けれど、この部屋にいる大事な魔物が魔物だからこそ、ネアは安心してその手を取ることが出来るのだろう。
エーダリアやグラストやヒルドが手配する、組織としての酷薄さが理解出来て、魔物達の生来の残酷さが当然のように美しいから。
ただの無垢なものと寄り添うには、この心はいささか業が深い。
この手は、罪人の手なのだ。
「ネア、今日もまだ体当たりはなし?」
起きていることに気付かれたのか、控えめな問いかけが発せられて眉を顰める。
なぜに朝一番の発言がそこから始まるのだろうか。
それが、ディノにとっての最重要課題なのか。
「……禁止期間は終わっていませんよ。でも、今日の午後に早めに仕事を終えられて、ゆっくりお茶をする時間が取れるようであれば、考えないでもありません」
「ご主人様!」
もそもそと毛布の塊から脱皮する音がして、
寝台を揺らして魔物がすり寄ってくる。
「じゃあ、早く仕事するから髪の毛を編んでくれる?」
「…………やめて、夜明けです。むぐぐ!巣に戻りなさい」
「すぐに頑張れば、朝食前に終わらせられるよ」
「ブラック企業だ………」
「ぶらっくきぎょう…………?」
雨音は柔らかく歌うように囁く。
あの日の決断を、後悔したことはない。
ネアの心が防弾仕様寄りなわけ。