26. 灰かぶりの魔法でした(本編)
「そう言えば、アルテアさんの持ち色って、本物なのですか?」
ネアが突然そう聞いたのには、意味がある。
かつて、“白に限りなく近い灰色”と、仮面の魔物を特定したのが、見聞の魔物である、ゼノーシュだと聞いたのに、ネアが実際に出会った魔物がそうではなかったからだ。
ネアの報告にエーダリアが驚いたのも、そこに一端がある。
ずっと不思議であったので、折りを見て教えて貰おうと思っていたのだ。
ネアが知る限り、アルテアは生粋の白で、透けるような鉱石の白の髪を持つ魔物である。
どう考えても、そこに灰色の気配はない。
「ああ、あれはね、灰かぶりの呪いを考慮した報告だったのだけど、元通りになっていたね」
「灰かぶり……?」
「おや、髪の毛がくしゃくしゃになってるよ」
寝台にもそりと身体を起こしたばかりの状態なので、ディノに髪を梳かれて、ネアはむぐ、と眉を寄せた。
「………ブラシ」
「大丈夫。君の髪の毛は基本素直だから、もう綺麗になってる」
ネアが起き出さないのには理由があって、兎に角、朦朧とするくらいに眠いのだ。
昨晩何か薬でも盛られただろうかと記憶を辿り、グローヴァーという酒を舐めたことを思い出した。
珍しくも酔ったらしい。
「灰かぶりの呪いというのは、どのようなものなのですか?」
何を優先するべきか。
頭の回転が睡魔に分散されるので、ネアは後回しにすると忘れてしまいそうな質問を優先する。
寝起きに思いついたことは、朝の身支度で忘れてしまいがちなので、ここで完結させてしまおう。
(……………おや?)
しかし、そう尋ねたネアに対し、ディノは少しだけ曖昧に微笑む。
その姿がなぜか悲しそうで、ネアは眠気を払いのけて目を瞠った。
「ディノ…………?」
「……………その名の通り、全てのものを灰かぶりにして立ち去っていった灰色の魔物がいてね。アルテアは、その魔物を壊した時に、灰かぶりにされたんだ」
「灰かぶり……」
果たしてそれは、凄惨だと眉を顰めるべき事案なのか、灰かぶりにされたアルテアを思い、くすりと笑うべきか。
けれどもネアは、目の前の魔物が何かを悼んでいるような気がして、何も言えなかった。
「だから、アルテアの髪色は、数年程灰色が混じったままだった」
「まぁ、数年もの間そのままだったのですか?」
「そう。灰かぶりも公爵だったから、死に際の呪いを解くのに苦戦していたね。白は惜しくないが、この経緯はとても屈辱だと言って」
「では、ゼノが、アルテアさんの情報を取り損ねた訳ではなくて、単純に、一番新鮮な情報を示しただけだったのですね」
「そうだろう。あれは、主人以外の人間には口数が決して多くないから」
「……とてもお喋りで可愛い子ですが?」
髪を梳いたまま頭を撫でていた指先が、いたずらに耳を擽ぐる。
攻撃だろうかと思案すれば、ネアの魔物は、少しだけ甘えるような眼差しになった。
「それは、ゼノーシュが君に特別に懐いただけだ。エーダリアも、グラストの主人だから少しだけ考慮される。でもそれが限界だろう」
「と言うことは、仮面の魔物について尋ねたのは、そのお二人ではなかったんですね」
「そう。この国の第一王子が問いかけ、グラストが促して答えたそうだ。魔物の気質と使い方を理解していない、人間らしい悪癖だったね」
「という事は、ディノも、私以外の人間の言葉を生かした質問の場合には、答えを限定してしまいます?」
「それがその人間の益となり、そこまでを与える必要がないと判断すれば」
「……わかりました。覚えておきますね」
現在、ウィームでは、仮面の魔物がアルテアという名前の公爵の魔物であったことと、その情報の扱い方を審議している。
エーダリアに委ねられた仮面の魔物対策の国家任務であったが、ここに国家としての決断が絡めていいかどうかが審議されるのは、その情報が政治的な交渉道具にもなるからだ。
まず、他国はこの情報を知らない。
そして、この情報を国内外に望まない形で齎す者達にも、真実は明かせないだろう。
そんな政治的な背景を思えば、ネアはその規模に少し不安になったが、公爵の魔物が討伐された例はなく、ヴェルクレアも、アルテアを斃すという選択肢はないようだ。
それだけ、公爵位の魔物の死は、環境に甚大な影響を齎すものなのだ。
死から溢れた魔術汚染で街一つ、或いは国一つが滅びる可能性があること。
そして、その魔物が司ったものが、あらためて新しい後継者を生むかどうかが曖昧だからだとされるが、実際には、討伐というものが人間に叶う筈がないということも考慮されているらしい。
もし、失われた魔物の司るものが後継者を産まない場合、その物や、事象は衰退する。
草花や品物など、元よりベースとなる派生元が存在している魔物は必ず後継者が生まれるとされるし、元々、その名前の魔物が一個体ではなく複数個体の場合もある。
だが、稀な物ほど後継者は生まれ難く、公爵位の魔物は、再派生に時間がかかるか、その不在が世界を傾けるものであっても、不在のままになるということもあり得るのだ。
「そう言えば、先代の方がいらっしゃったのであれば、ディノも二代目なのですよね?ディノのときは、代替わりがきちんと成されたんですね」
「私の場合は、後継者がなければ世界が立ち行かなくなる銘だったからね」
会話が飛んだが、ディノは合間の思考を読んだのか不思議がる様子もない。
その返答に安堵の思いで頷き、ネアは、再派生の叶わなかった魔物の悲劇について考えた。
(かつて、命を落としたまま、後継者が現れなかった公爵位の魔物が一人いる)
鹿角の魔物。
教典の王と呼ばれる、現代の教会文化の神とされる少女だ。
彼女の司ったものは命の修復で、それ故にその行為は、世界から失われてしまった。
成すことが出来るのは、彼女より位を高くする魔物や精霊の一部のみとされ、鹿角の魔物の最後の地は、街一つを葬り、白百合の群生地となったと言い伝えられている。
「ところで、ディノ。………私は昨晩、あなたを寝台にしたのですか?」
そんな鹿角の魔物のことも気になったが、ネアはここで話題を変える事にした。
少し前から意識が明瞭になり、ディノとの距離が物凄く近い事が気になっていたのだ。
これは、添い寝を許したというレベルではない。
下敷きにして寝たとしか思えない構図だ。
「昨日のネアは、色々してくれて嬉しかったよ」
そう言われてネアは、眉間の皺をぎりぎりと深くする。
変態に一体どんな不穏なご褒美を与えてしまったのだろうか。
前後不覚な酔っ払いに、そちらの世界の扉を開けさせてはいけないと思う。
「ディノ、酔っ払いに過分な要求をしてはいけないのですよ?」
「でも、約束は守ってくれるだろう?」
「………や、約束?」
「今度、一緒に入浴してくれるのだよね」
(……………わたしは、なぜにそんな約束をした……………)
最初の回答でネアは少し気が遠くなったが、すぐに打開策を見出した。
最近、一度行ってみたいなと思っていたウィームの公共浴場では、浴室着なるものを着用することを思い出したのである。
「では今度、ウィーム郊外にあるという、温泉地に行きましょうね。ディノは温泉地初めてでしょう?」
水着のようなウィーム風の浴室着着用で入る混浴の温泉地は、療養施設として名高いそうだ。
ネアの祖国にもそのような施設があったが、一度も言った事がないので憧れていた。
前の世界では持病があり体も弱かったので、どうしても、気持ち良くて健康にいいというものには憧れてしまう。
「……温泉地」
その返答は予測していなかったのか、ディノは、がくりと項垂れる。
そんな姿を見て密かに安堵しつつ、甘えるにしても入浴はないだろうと思ったが、この魔物は髪の毛を洗って貰うのが好きなので、その延長線上の欲求なのかもしれない。
とは言え、人間という種族における羞恥心の何たるかを、そろそろ教えるべきなのだろうか。
グラストとゼノーシュが近くに居るのでそちらの事例を参考にしたのかもしれないが、こちらにおわすのは、可憐な未婚の乙女である。
「あとね、……またして欲しいな」
不意に、低く甘い囁きを耳元に寄せられる。
ぞくりと背筋が震え、ネアは、何の事だろうと怪訝に思いながら、凄艶な美貌の魔物をそっと見つめ返した。
「………な、何を?」
「口付け」
「………っ!?わ、私がですか!?ど、どこに!?」
「頬にしてくれたよ」
「ぎゃ!!」
さすがにこれには、ネアも寝台に突っ伏した。
ディノが気に入ったにしても、酔って口付けをするなど、これはない。
しかもこの魔物は、一度与えるとご褒美として認識してしまう、とても困った魔物なのだ。
(………ああ、でもなぜそんな事をしたのかは、分かるような気がする。子供の頃に、就寝前に必ず両親の頬にキスをしていたもの………)
しかし、そんな言い訳をしても罪は罪なので、愚かな人間は羞恥のあまりに儚くなりそうであった。
「………ネアが祝福してくれた」
おまけにディノは、そんな風に喜んでしまっている。
そう言えばこちらの土地では、友人や家族などの大切な相手に祝福を贈るという意味合いでの口付けは、さほど珍しくはないのだ。
となると、もう二度としないと言ってしまうと、それはそれで拗れそうな気もする。
「じ、次回からは、ご主人様の選んだ場所に、特別な時だけ開放します!」
「特別な時だけ……」
「良識的な措置ですよ。そして、なぜにそんな経緯になったんですか?」
「私と間違えて、先にヒルドにしてしまったから、やり直しをしたんだよ。………君は知らなかったのだろうけれど、妖精にあの行為を与えるのは求婚になるから、もう二度としないように」
「…………ぎゃ!!!」
最後の最後に、とんでもない爆弾を落としたディノに、ネアは、ぱたりと寝台に沈んだ。
(まさかの、泥酔した上に通り魔になっていた!)
泥酔しての求婚など、やりようによってはもはや犯罪行為である。
それを、今迄一度も深酔いをしたことがなかったネアが、よりによってここでやってしまったとは。
(今日の朝食の席で、何と言って謝ろう………)
あんまりな真実を突き付けられたネアは、悲しみのあまり、暫くは手負いの獣のように呻いていたが、最終的には、自分に優しい結論を出すことにした。
即ち、何も覚えていなかったふりをして、なかったことにしてしまおうと決めたのである。