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妖精の口づけ



妖精はとても長く生きる。


魔物や精霊程ではないが、普通の妖精であれば五百年程度。

そして、シーと呼ばれる妖精の王族は、千年以上もの寿命を誇るものだ。


妖精という一つの種族の中でも様々な氏族や種類があるが、淡い紅色を持つ一族は非常に淫奔であり、人々に恋の魔術や悪ふざけをしかけるのは、大抵その種の妖精だと言われている。

逆に、青や緑の色彩を持ち、戦闘に長けた妖精は生涯に一度しか番いを選ばない。

その中のシーともなれば、それは遥かに身持ちが固い。


奴隷として生きてきたのだ。

望まずに強いられるものであれば受け入れるのも容易いが、伸ばされた手を、無意識とは言えそのまま受け入れてしまったのが自分であることが、どうしようもない混乱を招いていた。



「ヒルド、………なんでここに来て頭抱えてるのさ?」


書架の一角で本も開かずに座っていると、割れそうに青い目をした妖精が正面に座る。

この書架に住む妖精であり、これからは同僚となる者なのだろう。

古くから知っているという訳ではないのだが、不思議と縁のある妖精であった。


「訊かないでくれますか。それと、そのニヤニヤ笑いをやめて下さい」

「ねぇ、ヒルド。羽が光ってるの知ってる?」

「……っ!」


慌てて背後を振り返れば、青と緑の羽はうっすらと光る。

どうにかしようとして、どうにもならないと諦めた。

妖精の羽は、獣の耳や尻尾のようなものだと言われるが、特にこの光を宿すという方面に関しては自分で制御しようと思って出来るものではない。



「ふーん。妖精が羽を光らせるのは、恋をした時と、激怒したときだけ。でも、光らせた上に妖精の粉を落とすのは、恋をした時だけ」

「………恋はしていません」


低い声で牽制したつもりが、自分でも呆れるくらいに力がなかった。

頬杖をついたダリルが、にやりと笑みを深める。


時々この書架でも迷路を勝手に増設して、気に入らない利用者を餓死寸前まで弄ぶ妖精だ。

悪辣な笑みを浮かべても、絶世の美女に見える。


(こんな妖精が、エーダリア様の理想の容貌とは情けない)


代理妖精としてダリルを指名したことは、さして問題には思っていなかった。

ヒルドも驚くくらいに、ダリルは頭が切れ、弁も立つ。

迷路という特殊な能力も、身を守る能力として非常に卓越していた。

武器である弓を持たせても恐ろしく上手い。



「求婚されたんです……」

「はぁ?!誰に?……その反応だから、落ちちゃったわけ?」

「いえ、相手は妖精の事情を知りませんので、偶然なんですよ」

「……ってことは、内羽に触れられたんだ?」

「不可抗力ですがね」


ばすんと音がしたので視線を上げると、ダリルは行儀悪くテーブルの上に足を上げていた。

同性だと分かってはいるが、ドレス姿でそれをやるとなると、流石に目に余る。


「おやめなさい、ダリル。あまりにも下品ですよ」

「羽光らせて欲情してるやつに言われたくない」

「よっ?!……人を食った言い方は止めるようにとあれ程……」


ヒルドが頭を抱えれば、ダリルは声を上げて笑った。

大口を開いて笑っていても、この書架妖精は女王のように優雅なのだから始末が悪い。

どんな姿であれ、こんな不恰好な眼鏡姿でも、恋焦がれる信奉者が後を絶たない。


(性別が性別なら、本物の妖精の女王になれた素材だ)


妖精の女王は、唯一血筋を選ばない王冠だ。

他の生き物達を最も多く惹きつけた妖精が、王に見初められ女王となる。

得難い才能と、これだけの階位を持つ妖精であることを思えば、僅かながらも惜しいと思う部分であった。



「で、その子を番いにすんの?」

「しませんよ!彼女には、伴侶に成り得る相手がもう居ます」

「ってことは、いなけりゃ番いにしたの?」

「……っ、まさか」

「そういう意味に聞こえたけど?」

「元より、彼女に恋情を抱いたことは有りません」

「でもさ、口づけされて意識しちゃったんでしょう?恋ってそういうところから始まるんだよ?」



口づけ。

そう、口づけなのだ。


勿論、妖精のその行為にも、魔物や人間と同じような口づけはある。

それ以上の行為も同じこと。


ただ一つ、羽に触れさせるという行為は、妖精独自の感覚として、口づけに相当する行為だ。

外羽への接触は、恋を乞う口づけとされ、内羽への接触は、より濃密な求婚の口づけとなる。



(…………忘れたい)



切実にそう思った。

これは、ひどく厄介な状態だ。

煩わしいので、元の自分に戻りたい。


何よりも、恐らく妖精の習慣を知っているであろう、高位の魔物二人の前で行われたことも、大変な羞恥だった。


強いられたものを削ぎ落せば、自分の領域では清廉に生きてきたつもりであった。

そんなヒルドにとっては、生涯の汚点である。



(せめて、他に誰もいないところであれば……)



考えかけて思考を止めた。

それはそれで、非常に厄介なことになっただろう。

色事に長けていない自分が、一体どんな反応をしたかわからない。

衆人の目があったから良かったのだ。



「でもさ、ヒルドでしょ?よく触れさせたね?」

「泥酔していたので、油断していました」

「……酔っ払いに求婚されたんだ」



流石に不憫になったのか、ダリルが溜息を吐いた。

暫くの沈黙を挟み、ぽつりと口を開く。



「ほらさ、男なんだし、野犬に噛まれたと思って忘れなよ」

「………ダリル、表現の仕方を」

「うん?でもさ、ヒルドが恋に落ちて、その子を巡って泥沼になれば面白いけどなぁ!」

「冗談でもやめてくれ」

「はは!怒った!」



ひょいと飛んで、ダリルはヒルドの背後の書架の上に陣取る。

ドレス姿で足を開いてしゃがみ込んでいるので、何とも酷い光景だ。



「そのような所作なら、ドレスなどやめてしまいなさい」

「せっかく恋の相談に乗ってやってるのにさ。堅物の石頭は、モテないよ!その子に、あの堅物妖精面倒臭〜い、とか思われちゃうよ?」


その忠告には、どうも思い当たる節があった。



「……言いそうですね、彼女は」

「おお、本人に言うんだ……。そりゃ、手強い相手に当たったねぇ」

「よくエーダリア様にも、決して悪気なく朗らかで丁寧な物言いで深い傷を…」

「……まさかその相手、ネアちゃん?」

「………いいえ、まさか」

「羽が広がってるよ、ヒルド」

「…………気のせいです」



言いながらも、最も厄介な相手に露見してしまった後悔から、テーブルに突っ伏してしまった。

このような醜態は、エーダリアが代理妖精を選んだ日以来だ。



(どうも、毎回ダリルの前だな……)



評価はしているが、仕事以外の面では信頼はしていない。

しかし、妙に気が緩む相手というものがいる。



「どうしよう、死ぬ程面白い!全力で応援してやるよ、堅物妖精君!!」

「………やめて下さい」

「まぁ、お互いに、白い魔物に殺されない程度にね。そうだ!愛人にして貰うんならいいんじゃない?」



手を打って妙案のように言う言葉ではない。

ヒルドは、もう一度テーブルに顔を戻した。




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